私は長年の鬱で、希死念慮を長年抱えており、主治医が「天寿を全うしてください」と言うので、それを守るように生きてきた。でも、結婚してから苦難があり、病状が悪化し、主治医の言葉で自分を戒めることができなくなった。そんなときに探し求めた一冊である。
「人生の良いときに死ぬ」という著者の思想と逆の立場にいるため、序盤はあまりしっくり来なかったが、途中から自死という生き方の真剣さに熱が帯び、夢中になって読み切ってしまった。
ふと、前に見た、余命宣告を受けた老人が、皆に見守られながら安楽死を遂げるネット記事を思い出した。老人は親類を家に呼び、ホームパーティのようなものを開き、団らんを楽しんだあと、皆に見守られながら薬を飲み、安楽死を遂げるという、私にとっては心の温まるエピソードだった。
一瞬、私はそのホームパーティに呼ばれた親類の一人になったような錯覚があった。この本には自死への悲壮感はない。一つの生き方としての提言だ。
今現在、この本は中古でしか手に入らない。もったいないと思う。私は半年以内には死んでしまいたいと思っていたが、あと二年、節目となる年齢まで延ばしてみようかと考えた。
著者のいう「極み」まで達することができるかもしれない。やれることをやってみようと思えたからだ。

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自死という生き方: 覚悟して逝った哲学者 単行本 – 2008/1/1
著者は立命館大学の哲学講師。06年4月、自死を遂げるが、そこには一冊分の完成原稿が残されていた。自殺の意味と理由、方法、哲学的背景、そして決行日に向けての心理分析と行動録…淡々と描かれる「積極的な死の受容」の記録がここに。
- 本の長さ285ページ
- 言語日本語
- 出版社双葉社
- 発売日2008/1/1
- ISBN-104575299987
- ISBN-13978-4575299984
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登録情報
- 出版社 : 双葉社 (2008/1/1)
- 発売日 : 2008/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 285ページ
- ISBN-10 : 4575299987
- ISBN-13 : 978-4575299984
- Amazon 売れ筋ランキング: - 16,933位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2021年10月11日に日本でレビュー済み
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2021年12月19日に日本でレビュー済み
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自死のすすめが趣旨の本ではありませんでした。逃げない言い訳しない厭世主義に絡めとられい生き方を追求する中で、見出したと言うか、試みられた考え方、生き方の一つである印象です。その意味で、言い訳や理屈っぽさを超えた清々しさがありました。すぐに死ねと言う話ではなく、死を受け入れるとは、死を忌避したり、理由や物語で飾るものではなく、肯定的にとらえることにより、拡大的に人間の人生自体を肯定付けられるような構造の力があることを説明してくれていたと思います。一概に自死を肯定するかしないかは、この本の主題ではありませんでした。そういう問題や観点については触れられてはありますが。死ぬ覚悟で生きると言った場合の、死ぬ覚悟をしたような人生の世界観とはとの記述になるかと思いました。
2023年10月12日に日本でレビュー済み
65歳というと老齢年金が出始める齢。大学の非常勤講師は厚生年金はないし、国民年金保険料も未納期間が長い。すると、毎月の年金額が三万円以下となる。そのような生涯非常勤講師は多い。塾とか予備校を兼務し、多数の大学で非常勤講師をしていても、厚生年金には加入できない。特にこの年代の人は老後の年金が微小となる。それが関係しているのかなとも憶測してしまう。ちなみに私も現在、64歳でずっと大学の非常勤講師をやってきたが、65歳で辞めさせられると思ったら、70歳までできることになった。ちなみに、私は一時期、厚生年金基金付のアルバイトを10年間していたことがあり、国年年金もその後ずっとはらっていたので、28年間納付で月7万円ぐらいもらえる。また、現在までに著書20冊書いており、今後も書き続けるつもりである。その他副収入もあり、どんどん増えている。こういう可能性もあるのに、簡単に自死を肯定するのは軽薄だと思う。ちなみに、私は哲学専攻だが、精神医学もそうとう勉強している。
2016年12月6日に日本でレビュー済み
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自死という生き方ではなくて、自死という死に方を確信を持って”実行”した人として大いに評価する。
だがしかし、彼は自殺したのであり、残された家族は大変迷惑したことと思う。今の日本では、
『自殺』は忌むべき行為であり、世間はそれを容認しない。
これだけの著書を残して死ぬほどのインパクト力があるひとだから、『自殺は忌むべきもの』とする風潮を日本社会
から一掃する大きな波紋を起こすような著書にして欲しかった。
たった一人が自殺したというだけではもったいない気がする。問題提起が欲しかった。
私は以下のように提案したい。
『運転免許返上』は、自分が出来る能力があり、その権利も持っているのにそれを行使せずに返上する行為であり、
世間からは大いに賞賛される。
返上者は『自分はもう十分運転した。あとは、自分以外の人に迷惑をかけず、自分自身がリスクを負わないため』に
運転免許を返上したのである。
ならば、
『自分はもう十分生きたた。あとは、自分以外の人に迷惑をかけず、自分自身がリスクを負わないため』に
生存権を返上したのである。であっても良いではないか。
そういう社会になれば『医学の勝利が国家を滅ぼす』というような警世の書が出なくてすむのではあるまいか。
だがしかし、彼は自殺したのであり、残された家族は大変迷惑したことと思う。今の日本では、
『自殺』は忌むべき行為であり、世間はそれを容認しない。
これだけの著書を残して死ぬほどのインパクト力があるひとだから、『自殺は忌むべきもの』とする風潮を日本社会
から一掃する大きな波紋を起こすような著書にして欲しかった。
たった一人が自殺したというだけではもったいない気がする。問題提起が欲しかった。
私は以下のように提案したい。
『運転免許返上』は、自分が出来る能力があり、その権利も持っているのにそれを行使せずに返上する行為であり、
世間からは大いに賞賛される。
返上者は『自分はもう十分運転した。あとは、自分以外の人に迷惑をかけず、自分自身がリスクを負わないため』に
運転免許を返上したのである。
ならば、
『自分はもう十分生きたた。あとは、自分以外の人に迷惑をかけず、自分自身がリスクを負わないため』に
生存権を返上したのである。であっても良いではないか。
そういう社会になれば『医学の勝利が国家を滅ぼす』というような警世の書が出なくてすむのではあるまいか。
2014年1月17日に日本でレビュー済み
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今の日本では尊厳死というものは、基本認められていない。
しかし、人間が生きている間で一番荘厳な時は臨終の時である(黒澤明:映画「赤ひげ」)。
ということは、尊厳がある時に、自分の生き様を決めることは、
何も不都合なことではないと思う。
ただ、生命維持装置をはずすという行為を医者や他人が行った場合、
殺人、と遺書があったとしても本人の希望による自死なのかの区別がつかない為に、
それを他人に望めば、何らかの迷惑がかかることとなる。
生き物は生まれた瞬間から、老いて、病んで、死ぬカウントダウンが動きだす。
赤ちゃんの首がすわらないのが、座るようになることも、
歩けるようになることも、年をとって、排泄の自己管理ができなくなることも、
全ては老いの一環である。
ただ、一般的に成長段階では老いという言葉は使わず、
老齢段階での機能低下にのみ老いという言葉を使うが、
死に向ってのカウントダウンという考えからの視点からすれば、
成長も体の変化という意味では老いとも言える。
少子高齢時代がこれからもっと進む時代になっていき、
生産人口となる若者に依存していく度合いが高くなってくることとなる。
老いて病んで死ぬ過程は、人生にかかる期間の割合としては、
決して短い期間ではない。
中には自分のことがわからなくなる病気にかかることもあり、
そのような病にかかってしまえば、生きること自体の制約はとても大きなものとなる。
そのような病気にかからなくとも、
老いとは、それまでつちかってきたものを失っていく過程でもあり、
残酷なものともいえる。
自分がしっかりしている時に、健康な時に、自死という選択をすることも、
ありえることだと思う。
生きている間に、自分の墓を作ったり、葬式の段取りをしたり、
前向きに付き合いのある人とのお別れ会をすることもできる。
財産の整理も必要な人は、やっておくこともできる。
それは、哲学と考えるから、なにやら難しいことのような響きがするが、
自分らしさと保った状態で、自分の意志で人生の幕引きをする。
自分の人生という舞台を自分の脚本演出で終わらせることは、
自分らしさが残っているからできることである。
それが「尊厳」というものである気がする。
宗教上では自殺な厳禁とする考えもあるが、
宗教も人間が作ったものであるので、そんなものに縛られることはないと思う。
もちろん、自死をすすめることではない。
生き方のひとつの選択のひとつとして、死ぬために生きるということもあってもいいんではないかと思う。
それを自分で選ぶことができることに意味があると思う。
しかし、人間が生きている間で一番荘厳な時は臨終の時である(黒澤明:映画「赤ひげ」)。
ということは、尊厳がある時に、自分の生き様を決めることは、
何も不都合なことではないと思う。
ただ、生命維持装置をはずすという行為を医者や他人が行った場合、
殺人、と遺書があったとしても本人の希望による自死なのかの区別がつかない為に、
それを他人に望めば、何らかの迷惑がかかることとなる。
生き物は生まれた瞬間から、老いて、病んで、死ぬカウントダウンが動きだす。
赤ちゃんの首がすわらないのが、座るようになることも、
歩けるようになることも、年をとって、排泄の自己管理ができなくなることも、
全ては老いの一環である。
ただ、一般的に成長段階では老いという言葉は使わず、
老齢段階での機能低下にのみ老いという言葉を使うが、
死に向ってのカウントダウンという考えからの視点からすれば、
成長も体の変化という意味では老いとも言える。
少子高齢時代がこれからもっと進む時代になっていき、
生産人口となる若者に依存していく度合いが高くなってくることとなる。
老いて病んで死ぬ過程は、人生にかかる期間の割合としては、
決して短い期間ではない。
中には自分のことがわからなくなる病気にかかることもあり、
そのような病にかかってしまえば、生きること自体の制約はとても大きなものとなる。
そのような病気にかからなくとも、
老いとは、それまでつちかってきたものを失っていく過程でもあり、
残酷なものともいえる。
自分がしっかりしている時に、健康な時に、自死という選択をすることも、
ありえることだと思う。
生きている間に、自分の墓を作ったり、葬式の段取りをしたり、
前向きに付き合いのある人とのお別れ会をすることもできる。
財産の整理も必要な人は、やっておくこともできる。
それは、哲学と考えるから、なにやら難しいことのような響きがするが、
自分らしさと保った状態で、自分の意志で人生の幕引きをする。
自分の人生という舞台を自分の脚本演出で終わらせることは、
自分らしさが残っているからできることである。
それが「尊厳」というものである気がする。
宗教上では自殺な厳禁とする考えもあるが、
宗教も人間が作ったものであるので、そんなものに縛られることはないと思う。
もちろん、自死をすすめることではない。
生き方のひとつの選択のひとつとして、死ぬために生きるということもあってもいいんではないかと思う。
それを自分で選ぶことができることに意味があると思う。
2018年12月2日に日本でレビュー済み
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前半は堅苦しい話でわかりにくそうな印象ですが、中盤からは著者が人々の生きる苦しみに向き合っているということがわかる内容です。最初の堪忍を乗り越えたら、とてもわかりやすい本です。
終末期医療や介護に関わり、意欲のある人にも読んでいただきたい本です。
終末期医療や介護に関わり、意欲のある人にも読んでいただきたい本です。
2011年5月21日に日本でレビュー済み
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120ページほど読んで、これ以上読むのは虚しくなり読むのをやめた。著者がなぜこれほどまでに死にたがるのか本当のところはわからない。
前半は、ソクラテスと三島と伊丹十三を引き合いに出して、その死の理由は「老醜と自然死から逃れるため」であったという身も蓋もない結論をくどくどと述べて、自分の死もそれらに連なるものであると正当化しているだけ。「極み」だとか「黄金のおにぎり」だとか、「人生の高」「自分自身の高」などという言葉でさも重要なことを説明したような気になっておられるようだけれど、なぜそう自分の人生を限定してかかるのか、たくさんの「極み」を経験したからもう死んでもいいとか、「人生に未練はない」とか、哲学の教師にして話が単純すぎる。「三島由紀夫と伊丹十三とソクラテスが人生を充分に生きた人であることは多分間違いない」と書かれているが、「人生を充分に生きる」とはどういうことなのか、そこに何ら本質的な問いかけもないし(話のレベルはごくごく月並みなもの)、まして広がりも深さもない。ただ他人の視線を気にしているだけの自意識過剰の人が、おれは老醜を晒す前に死ぬことだってできるんだぞと強がりを言ってるだけのことだ。
こういう方にはおそらく本当の想像力というものがないのではないかと思う。
「ゆびさきの宇宙 福島智・盲ろうを生きて」という本がある。世界で初めての盲ろうの大学教授、福島智のインタビューをもとにした評伝である。考えてもみてほしい。この世界には、目も見えず、耳も聞こえないのになお「自分の人生」を生きている人だっているのだ。彼のたたかい、彼の経験、彼のことばが、どんなに深く広がりのある世界を私たちにもたらしてくれることだろう。本の中にこんな言葉がある。
・・・私(著者:生井久美子)が05年春、最初にインタビューしたときもっとも知りたかったのは、過酷な状況のなかで、なぜ、死ななかったのかということだ。
福島に、自殺を思ったことはないのですか、と当時(全盲ろうになった当時、18歳の頃)の気持ちを尋ねると、「それはないと思います。あわてなくても、いずれ、みんな死にますから」と答えた。
福島は、苦しみの末、自分には「使命」があると考えて「生きる」ことにする。
福島は一人では生きてゆくことはできない。彼が生きるためには多くの人を巻きこまなければ無理なのだ。でも、大きく深いものをもらっているのは彼だろうか、彼を助ける側のひとたちだろうか。
その過程のなかにこそ、思想があり哲学がある。
須原氏と福島と、いったいどちらが「人生を充分に生き」ているだろう。
もしあなたが大学生だったら、須原先生と福島先生の授業があったとしたら、どちらを取りたいですか。
前半は、ソクラテスと三島と伊丹十三を引き合いに出して、その死の理由は「老醜と自然死から逃れるため」であったという身も蓋もない結論をくどくどと述べて、自分の死もそれらに連なるものであると正当化しているだけ。「極み」だとか「黄金のおにぎり」だとか、「人生の高」「自分自身の高」などという言葉でさも重要なことを説明したような気になっておられるようだけれど、なぜそう自分の人生を限定してかかるのか、たくさんの「極み」を経験したからもう死んでもいいとか、「人生に未練はない」とか、哲学の教師にして話が単純すぎる。「三島由紀夫と伊丹十三とソクラテスが人生を充分に生きた人であることは多分間違いない」と書かれているが、「人生を充分に生きる」とはどういうことなのか、そこに何ら本質的な問いかけもないし(話のレベルはごくごく月並みなもの)、まして広がりも深さもない。ただ他人の視線を気にしているだけの自意識過剰の人が、おれは老醜を晒す前に死ぬことだってできるんだぞと強がりを言ってるだけのことだ。
こういう方にはおそらく本当の想像力というものがないのではないかと思う。
「ゆびさきの宇宙 福島智・盲ろうを生きて」という本がある。世界で初めての盲ろうの大学教授、福島智のインタビューをもとにした評伝である。考えてもみてほしい。この世界には、目も見えず、耳も聞こえないのになお「自分の人生」を生きている人だっているのだ。彼のたたかい、彼の経験、彼のことばが、どんなに深く広がりのある世界を私たちにもたらしてくれることだろう。本の中にこんな言葉がある。
・・・私(著者:生井久美子)が05年春、最初にインタビューしたときもっとも知りたかったのは、過酷な状況のなかで、なぜ、死ななかったのかということだ。
福島に、自殺を思ったことはないのですか、と当時(全盲ろうになった当時、18歳の頃)の気持ちを尋ねると、「それはないと思います。あわてなくても、いずれ、みんな死にますから」と答えた。
福島は、苦しみの末、自分には「使命」があると考えて「生きる」ことにする。
福島は一人では生きてゆくことはできない。彼が生きるためには多くの人を巻きこまなければ無理なのだ。でも、大きく深いものをもらっているのは彼だろうか、彼を助ける側のひとたちだろうか。
その過程のなかにこそ、思想があり哲学がある。
須原氏と福島と、いったいどちらが「人生を充分に生き」ているだろう。
もしあなたが大学生だったら、須原先生と福島先生の授業があったとしたら、どちらを取りたいですか。
2015年4月30日に日本でレビュー済み
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自殺することを前向きにとらえて何が悪いのだろう?
死に時を自分で決めることに何か問題があるのか?
うつ病に罹患してからずっとこのことを考えるようになりました。
ただ、やはり自殺はいけないことだろうという従来どおりの価値観に従って
自殺を否定する内容の本を読み漁りましたが、
どの本もしっくりこず、最終的に導き出した結論は自殺の肯定でした。
この本は自分の導き出した結論が間違っていなかったことを補完してくれる重要な本です。
特に10章の「雑感と日常」の部分は自分の心境に非常に近く、共感できるものでした。
死に時を自分で決めることに何か問題があるのか?
うつ病に罹患してからずっとこのことを考えるようになりました。
ただ、やはり自殺はいけないことだろうという従来どおりの価値観に従って
自殺を否定する内容の本を読み漁りましたが、
どの本もしっくりこず、最終的に導き出した結論は自殺の肯定でした。
この本は自分の導き出した結論が間違っていなかったことを補完してくれる重要な本です。
特に10章の「雑感と日常」の部分は自分の心境に非常に近く、共感できるものでした。