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城塞(上) (新潮文庫) 文庫 – 2002/4/1
司馬 遼太郎
(著)
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秀頼、淀殿を挑発して開戦を迫る家康。大坂冬ノ陣、夏ノ陣を最後に陥落してゆく巨城の運命に託して豊臣家滅亡の人間悲劇を描く。
「豊臣家をつぶす」――“関ケ原"から十四年、徳川家康は多年の野望を実現すべく、大坂城の秀頼・淀殿に対して策謀をめぐらす。方広寺鐘銘事件など、つぎつぎと打ち出される家康の挑発にのった大坂方は、西欧の城塞をはるかに凌ぐといわれた巨城に籠城して開戦することを決意する。大坂冬ノ陣・夏ノ陣を最後に陥落してゆく巨城の運命に託して、豊臣家滅亡の人間悲劇を描く歴史長編。
【目次】
少年
春駒
帳の中
国松
片桐
有楽
清正
光物
会見
悪謀
墨染
本町橋
大風
住吉
山里郭
加賀
湖北
金沢城下
文使い
越前へ
坊官屋敷
因果居士
大仏殿
石田茶亭
大悪謀
一万石
鐘銘
弾劾
問責使
大坂の使者
妖怪
土山ノ宿
常真入道
風雨
旗頭
断罪書
淀堤
東風
人情
司馬遼太郎(1923-1996)
大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。1993(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観"とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、1971年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。
「豊臣家をつぶす」――“関ケ原"から十四年、徳川家康は多年の野望を実現すべく、大坂城の秀頼・淀殿に対して策謀をめぐらす。方広寺鐘銘事件など、つぎつぎと打ち出される家康の挑発にのった大坂方は、西欧の城塞をはるかに凌ぐといわれた巨城に籠城して開戦することを決意する。大坂冬ノ陣・夏ノ陣を最後に陥落してゆく巨城の運命に託して、豊臣家滅亡の人間悲劇を描く歴史長編。
【目次】
少年
春駒
帳の中
国松
片桐
有楽
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光物
会見
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本町橋
大風
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石田茶亭
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一万石
鐘銘
弾劾
問責使
大坂の使者
妖怪
土山ノ宿
常真入道
風雨
旗頭
断罪書
淀堤
東風
人情
司馬遼太郎(1923-1996)
大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。1993(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観"とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、1971年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。
- 本の長さ608ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2002/4/1
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104101152209
- ISBN-13978-4101152202
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【新潮文庫】司馬遼太郎 作品 | 信長、秀吉……権力者たちの陰で、凄絶な死闘を展開する二人の忍者の生きざまを通して、かげろうの如き彼らの実像を活写した長編。〈直木賞受賞〉 | 幕末の混乱の中で、劣等感から命ぜられるままに人を斬る男の激情と苦悩を描く表題作ほか変革期に生きた人間像に焦点をあてた 8 編。 | 戦国時代の武将たちに利用され、やがて殺されていった忍者たちを描く表題作など、歴史に埋もれた興味深い人物や事件を発掘する。 | 戦国の争乱期に遅れた伊達政宗の生涯を描く表題作。坂本竜馬ひきいる海援隊員の、英国水兵殺害に材をとる「慶応長崎事件」など 7 編。 | 歴史小説に新時代を画した司馬文学の発想の源泉と積年のテーマ、”権力とは””日本人とは”に迫る、独自な発想と自在な思索の軌跡。 | 初めてこの地を旅した著者が、「文明」と「文化」を見分ける独自の透徹した視点から、人類史上稀有な人工国家の全体像に肉迫する。 |
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一人のモンゴル女性がたどった苛烈な体験をとおし、 20 世紀の激動と、その中で変わらぬ営みを続ける遊牧の民の歴史を語り尽くす。 | 40年以上の創作活動のかたわら書き残したエッセイの集大成シリーズ。第 1 巻は新聞記者時代から直木賞受賞前後までの 89 篇を収録。 | 貧しい油売りから美濃国主になった斎藤道三、天才的な知略で天下統一を計った織田信長。新時代を拓く先鋒となった英雄たちの生涯。 | 組織作りの異才によって、新選組を最強の集団へ作りあげてゆく”バラガキのトシ”──剣に生き剣に死んだ新選組副長土方歳三の生涯。 | 日本史上、最もたくみに人の心を捉えた”人蕩し”の天才、豊臣秀吉の生涯を、冷徹な史眼と新鮮な感覚で描く最も現代的な太閤記。 | 周防の村医から一転して官軍総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげた、日本近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く |
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (2002/4/1)
- 発売日 : 2002/4/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 608ページ
- ISBN-10 : 4101152209
- ISBN-13 : 978-4101152202
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 28,574位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 司馬遼太郎と寺社を歩く (ISBN-13: 978-4334747213)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年6月1日に日本でレビュー済み
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とても綺麗な状態で届きました。ありがとうございました。
2014年3月21日に日本でレビュー済み
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1971年発刊の古書、まだ生まれていません・・・
しかし古さは全く感じません、豊臣政権から徳川幕府への移り変わりが、
時代背景や人間関係など、教科書では教えてくれないドラマが描かれています。
さらりと成立したような印象を持っていた徳川幕府ですが、
数々の政略や・思惑などが絡みあった結果であり、
歯車が少し狂えば違う歴史であった。
そんな壮大なドラマが描かれています。
しかし古さは全く感じません、豊臣政権から徳川幕府への移り変わりが、
時代背景や人間関係など、教科書では教えてくれないドラマが描かれています。
さらりと成立したような印象を持っていた徳川幕府ですが、
数々の政略や・思惑などが絡みあった結果であり、
歯車が少し狂えば違う歴史であった。
そんな壮大なドラマが描かれています。
2019年6月29日に日本でレビュー済み
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流石、司馬遼太郎。関ヶ原からの続きのつもりで読みましたが、こちらも面白さ抜群。
2016年11月27日に日本でレビュー済み
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司馬遼太郎作品のファンで、「関ケ原」から続けて読んだのですが、「関ケ原」と比べるとテンポが悪く、読むのも時間が掛かってしまいました。ただし、徳川家康の人物像に関しては、見事に彫りだされていました。
司馬遼太郎作品に慣れている人は問題ないと思いますが、初心者はこの本から入るのは避けた方がいいと思います。
司馬遼太郎作品に慣れている人は問題ないと思いますが、初心者はこの本から入るのは避けた方がいいと思います。
2012年2月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「関ヶ原」より読み進めましたが、家康陣の粘質な食わせものによる野望・企てが着々と進んでいきます。
それは、徳川家を永世盤石なものにするため、豊臣家を根絶するため、老いた家康が虎視眈々とその機会を狙い、知略をめぐらすのです。
その一方で、大坂城では、淀殿を中心とし、”女の城”とも書かれているがごとく、1万人以上が摂家豊臣家の後継者、秀頼を囲んでいるのです。
その様子は、秀頼を公家の育て方をしつつ、表面的な武力を維持していくというものであり、あたかも”茹でガエル”のごとくなのです。
家康陣が着々と謀略を進めているというのに、不思議と城内にはその危機感なく、進言されるがままに行動し、黄金を減らしていくのです。
何が何やら、唐突に、いつかのその日がやってくるであろう「大坂冬の陣」が始まります。
それは、徳川家を永世盤石なものにするため、豊臣家を根絶するため、老いた家康が虎視眈々とその機会を狙い、知略をめぐらすのです。
その一方で、大坂城では、淀殿を中心とし、”女の城”とも書かれているがごとく、1万人以上が摂家豊臣家の後継者、秀頼を囲んでいるのです。
その様子は、秀頼を公家の育て方をしつつ、表面的な武力を維持していくというものであり、あたかも”茹でガエル”のごとくなのです。
家康陣が着々と謀略を進めているというのに、不思議と城内にはその危機感なく、進言されるがままに行動し、黄金を減らしていくのです。
何が何やら、唐突に、いつかのその日がやってくるであろう「大坂冬の陣」が始まります。
2016年3月9日に日本でレビュー済み
新潮文庫・司馬遼太郎著『城塞(上)』のレビュー。
初読は10代後半か20代前半だったか。
同著者の『関ヶ原』を読んだ方なら、この『城塞』に読み進んでほしい。
関ヶ原後の、大坂城という“大要塞”を舞台にした、徳川家康の野望、そして戦国時代の終焉を描く。
関ヶ原で勝者となった家康は、しかし、豊臣家は温存した。
なぜなら、豊臣家は決して関ヶ原における敵(西軍)ではなかったからだ。
しかし、関ヶ原から3年後の1603年(慶長八年)、家康は征夷大将軍となり江戸幕府を開き、武家の頂点に立った。
ちなみに秀吉が人臣の頂点たる関白となったのも、信長が死んだ3年後である。
信長、秀吉亡き後、それぞれの家は尊敬は受けたけれども、天下を治めるほどの実力はすでに無かった。
だからこそ秀吉は、織田家を一大名として存続させても問題は無かった。
しかし家康は、豊臣家を最終的に滅ぼした。
その上、大坂夏の陣後、徳川家は秀吉の豊国廟の打ちこわしまでしている。
主(あるじ)亡き後の、秀吉が織田家、家康が豊臣家という“主家”に対する扱いは酷似していたが、このように“最終処分”において大きく異なり、秀吉・家康という戦国時代を代表する人物たちの後世への印象を決定づけた。
この『上巻』で潮目が変わるのは「悪謀」の項、上洛した家康と秀頼が二条城にて会見を行ったときであろう。
この日は慶長16年(1611年)。
69歳の家康は、17歳の秀頼に嫉妬した。
そして憎悪した。
権力の頂点を極める天下人であっても手に入れられない若さを持つ秀頼に、それを寿ぐ加藤清正をはじめとした豊臣恩顧の大名に、太閤治世を懐かしむ世間というものに。
このとき、家康は断を下すのである。
「潰す」と。
「律義者」として「鳴くまで待っ」てきた家康が、謀臣・本多正純、金地院崇伝らとともに「方広寺鐘銘事件」をはじめとした悪謀を重ね、豊臣家を追い詰めてゆく。
司馬は述べる。
「とにかく徳川家は、こと豊臣家に関するかぎり、秀吉死後、一世紀をかけて悪のかぎりをつくした」。
それら悪謀に巻き込まれる形で、豊臣家家老の片桐且元も、ついに大坂城を「退去」する。
豊臣・徳川両家の板挟みとなった且元のあわれな最後は『下巻』ではなく、本巻で述べられている。
慶長19年(1614年)10月、豊臣方が浪人などを集め始める。家康も全国の大名に大動員をかける。
ここに、「大坂冬ノ陣」が始まる。。。
初読は10代後半か20代前半だったか。
同著者の『関ヶ原』を読んだ方なら、この『城塞』に読み進んでほしい。
関ヶ原後の、大坂城という“大要塞”を舞台にした、徳川家康の野望、そして戦国時代の終焉を描く。
関ヶ原で勝者となった家康は、しかし、豊臣家は温存した。
なぜなら、豊臣家は決して関ヶ原における敵(西軍)ではなかったからだ。
しかし、関ヶ原から3年後の1603年(慶長八年)、家康は征夷大将軍となり江戸幕府を開き、武家の頂点に立った。
ちなみに秀吉が人臣の頂点たる関白となったのも、信長が死んだ3年後である。
信長、秀吉亡き後、それぞれの家は尊敬は受けたけれども、天下を治めるほどの実力はすでに無かった。
だからこそ秀吉は、織田家を一大名として存続させても問題は無かった。
しかし家康は、豊臣家を最終的に滅ぼした。
その上、大坂夏の陣後、徳川家は秀吉の豊国廟の打ちこわしまでしている。
主(あるじ)亡き後の、秀吉が織田家、家康が豊臣家という“主家”に対する扱いは酷似していたが、このように“最終処分”において大きく異なり、秀吉・家康という戦国時代を代表する人物たちの後世への印象を決定づけた。
この『上巻』で潮目が変わるのは「悪謀」の項、上洛した家康と秀頼が二条城にて会見を行ったときであろう。
この日は慶長16年(1611年)。
69歳の家康は、17歳の秀頼に嫉妬した。
そして憎悪した。
権力の頂点を極める天下人であっても手に入れられない若さを持つ秀頼に、それを寿ぐ加藤清正をはじめとした豊臣恩顧の大名に、太閤治世を懐かしむ世間というものに。
このとき、家康は断を下すのである。
「潰す」と。
「律義者」として「鳴くまで待っ」てきた家康が、謀臣・本多正純、金地院崇伝らとともに「方広寺鐘銘事件」をはじめとした悪謀を重ね、豊臣家を追い詰めてゆく。
司馬は述べる。
「とにかく徳川家は、こと豊臣家に関するかぎり、秀吉死後、一世紀をかけて悪のかぎりをつくした」。
それら悪謀に巻き込まれる形で、豊臣家家老の片桐且元も、ついに大坂城を「退去」する。
豊臣・徳川両家の板挟みとなった且元のあわれな最後は『下巻』ではなく、本巻で述べられている。
慶長19年(1614年)10月、豊臣方が浪人などを集め始める。家康も全国の大名に大動員をかける。
ここに、「大坂冬ノ陣」が始まる。。。
2016年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
以下、amazonのレビューとしては適当でないと思います。上巻は大坂冬の陣の直前までが描かれています。作者の表現どおり、この時期の徳川家康はまさに「政治的妖怪」です。豊臣家滅亡へ向けて悪謀のかぎりを尽くします。側で知恵を貸す本多正純、金地院崇伝、林道春(羅山)、天海の面々の悪知恵もすさまじいのひと言。頼りなさは感じるものの、片桐且元には少し同情してしまいました。今回、Kindle版で読んだので、何かと便利てした。
2020年10月25日に日本でレビュー済み
まずこの作品「とてつもなく面白い」と言っておく。題名の「城塞」とは大阪城のこと、関ケ原以降覇権を
握った家康が、自分の死後も徳川体制を盤石のものにすべく、大阪城に籠る秀頼と淀君を何とか亡き者に
すべく謀略の限りを尽くし、大坂冬の陣、夏の陣を経て、徳川体制を完全化するまでを描いた作品だ。
文庫で上中下3冊で1800ページにもならんとする大作だが、家康の狡猾さの対称として描かれるのが、
淀君以下女官に率いられた大坂方の無邪気なまでの「あほうさ」である。淀君によって、武士ではなく
公卿として育てられた秀頼、今でも家康は豊臣家の家臣としかとらえることのできない淀君の情勢分析、
の甘さ、そういった上司の下に仕えた男どもの滑稽さ。せっかく真田幸村や後藤又兵衛といった優秀な
戦国大名を迎えながら、使い切れない大坂方。家康の戦法は、武力を背景に交渉の限りを尽くして
「国益」を追求する外交のお手本と言っていい。徹底したマキャベリズムの権化と言ってもいいかもしれない。
だが、余りにも「汚い」やり方は、その後の日本人が抱く家康のイメージを決定的に定めてしまったし、
「あほう」とはいえ、豊臣方に対する同情は、多分司馬自身も持っているのであろう。私も、この作品を
読みながら、史実であることを認識しながらも、大坂方を応援していることに何度も気づかされた。
この長編、全く退屈しないどころか、スポーツ中継を観るかのようなワクワク感を最後まで持ち続けて読破して
しまった。この戦いの後、豊臣が完全に滅ぼされ、日本の中心が江戸(東京)に移ることへの口惜しさを
私を含めた多くの大阪人が、そう司馬遼太郎自身も、感じながらこの作品を読んでいるように、私には
思える。
握った家康が、自分の死後も徳川体制を盤石のものにすべく、大阪城に籠る秀頼と淀君を何とか亡き者に
すべく謀略の限りを尽くし、大坂冬の陣、夏の陣を経て、徳川体制を完全化するまでを描いた作品だ。
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だが、余りにも「汚い」やり方は、その後の日本人が抱く家康のイメージを決定的に定めてしまったし、
「あほう」とはいえ、豊臣方に対する同情は、多分司馬自身も持っているのであろう。私も、この作品を
読みながら、史実であることを認識しながらも、大坂方を応援していることに何度も気づかされた。
この長編、全く退屈しないどころか、スポーツ中継を観るかのようなワクワク感を最後まで持ち続けて読破して
しまった。この戦いの後、豊臣が完全に滅ぼされ、日本の中心が江戸(東京)に移ることへの口惜しさを
私を含めた多くの大阪人が、そう司馬遼太郎自身も、感じながらこの作品を読んでいるように、私には
思える。