生活の中の一部としての読書の実感を言葉にしたくて、「野蛮な読書」はそんな本ではないかと、買ってみました。仕事や家事が終わった後の一休みの時間、レストランの待ち時間、電車の中、寝る前のベッドの中、悲しかったり悔しかったりしてアタマがグチャグチャになった時の正常に戻るための時間。そんな時、(How to ものでなく)好きな本を持ち出して読むと精神が正常に戻ります。読書ってありがたい。そんな本はわたしの血となり肉となり、一緒に生活している仲間、なのです。
この本を読んで、昔敬遠した開高健の短編、エッセイ、「ベトナム戦記」他5冊と池部良の「ハルマヘラメモリー」他2冊を手に入れて読みました。いま世界のどこかで起こっている戦争を、身近な事象として知ることができる「文学」を探していたのです。どんなドキュメンタリー映画より戦争の実戦細部の怖さ痛さを知ることができましたし、それにも拘らず、読書の楽しみと充実感を味わいながら、読むことが出来ました。

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野蛮な読書 (集英社文庫) 文庫 – 2014/10/17
平松 洋子
(著)
一冊の書物から導かれるように読書の世界へ分け入っていく。野蛮なる読書の真髄と快楽を余すことなく綴った1年間、怒涛の103冊。食や暮らしのエッセイで人気の著者初の読書エッセイ。(解説/嵐山光三郎)
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2014/10/17
- 寸法10.7 x 1.3 x 15.2 cm
- ISBN-104087452379
- ISBN-13978-4087452372
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2014/10/17)
- 発売日 : 2014/10/17
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 304ページ
- ISBN-10 : 4087452379
- ISBN-13 : 978-4087452372
- 寸法 : 10.7 x 1.3 x 15.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 452,747位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,819位集英社文庫
- - 6,053位実用・暮らし・スポーツ
- - 19,018位評論・文学研究 (本)
- カスタマーレビュー:
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2021年11月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2023年1月13日に日本でレビュー済み
本や読書体験をめぐるエッセイ。
ものすごく多くの本を読んでいて、いろいろなことに詳しいのが読んでいてわかる。もちろん、そうしたことをひけらかしているわけではない。
たくさんの言葉を知っていて、それを使って表現しているのだが、途中まで読んで、文章がうまくないのがわかった。もう少しなのだ。言葉の使い方が自分のものになっていない箇所がある。編集者がきちんと指摘してやればうまくなるのに、と思う。
棟方志功は「わだばゴッホになる」と言ったそうだが、その棟方が初めてゴッホの「ひまわり」を見たときの言葉。「何ということだ、絵とは何とすばらしいものだ、これがゴッホか、ゴッホというものか!」
4年間の大工事の末、帝国ホテルが完成したのは大正12年9月1日。関東大震災の日だったそうだ。
など、興味深いことも書かれている。
本書で言及された本は巻末に一覧になっていて、刊行年、現在入手可能な版元が載っているのは親切。
読みたいと思ったのは、
『拳闘士の休日』トム・ジョーンズ、河出文庫
『ピアノの音』庄野潤三、講談社学芸文庫
『異人たちとの夏』山田太一、新潮文庫
ものすごく多くの本を読んでいて、いろいろなことに詳しいのが読んでいてわかる。もちろん、そうしたことをひけらかしているわけではない。
たくさんの言葉を知っていて、それを使って表現しているのだが、途中まで読んで、文章がうまくないのがわかった。もう少しなのだ。言葉の使い方が自分のものになっていない箇所がある。編集者がきちんと指摘してやればうまくなるのに、と思う。
棟方志功は「わだばゴッホになる」と言ったそうだが、その棟方が初めてゴッホの「ひまわり」を見たときの言葉。「何ということだ、絵とは何とすばらしいものだ、これがゴッホか、ゴッホというものか!」
4年間の大工事の末、帝国ホテルが完成したのは大正12年9月1日。関東大震災の日だったそうだ。
など、興味深いことも書かれている。
本書で言及された本は巻末に一覧になっていて、刊行年、現在入手可能な版元が載っているのは親切。
読みたいと思ったのは、
『拳闘士の休日』トム・ジョーンズ、河出文庫
『ピアノの音』庄野潤三、講談社学芸文庫
『異人たちとの夏』山田太一、新潮文庫
2015年9月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
気になる著作を多くものしていらっしゃる平松洋子さんですが、分野としての食エッセイにあまり興味を持てなかったので、これが初めて読んだ本になりました。
これは紹介される個々の本のお薦めかそうでないかを問題にする書評集ではなく、読書を生活の中の楽しみとしてどう取り入れていくかの指南書といえるエッセイ集です。メインとして俎上に上げる本について、過去の評や同じ著者の他書との比較を盛り込みながら、さりげなくも深く掘り下げていながら、その過程の平松さんご自身の思考の流れだけでなく、行動もしっかりと描かれています。
書を捨てずに町に出たことで、一層読書の楽しみを広げている様子は非常に魅力的で、まさに読書指南とはこうあるべき、という良書です。
ただ、断食道場で出会ったアラサー女子(平松さんはこんな表現はしていませんが)が宮本常一を読んでいたというのはちょっとできすぎな気がするのですが、アラサー女子への偏見でしょうか...
これは紹介される個々の本のお薦めかそうでないかを問題にする書評集ではなく、読書を生活の中の楽しみとしてどう取り入れていくかの指南書といえるエッセイ集です。メインとして俎上に上げる本について、過去の評や同じ著者の他書との比較を盛り込みながら、さりげなくも深く掘り下げていながら、その過程の平松さんご自身の思考の流れだけでなく、行動もしっかりと描かれています。
書を捨てずに町に出たことで、一層読書の楽しみを広げている様子は非常に魅力的で、まさに読書指南とはこうあるべき、という良書です。
ただ、断食道場で出会ったアラサー女子(平松さんはこんな表現はしていませんが)が宮本常一を読んでいたというのはちょっとできすぎな気がするのですが、アラサー女子への偏見でしょうか...
2012年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
食文化と暮らしのエッセイストとして活躍する、平松洋子。子供の頃から本に慣れ親しんでいる彼女が、「一歩も動かないのにどこかへ行ける」「本は時空間を突破する魔法の絨毯」……そんな風に、読書の魅力と魔力を独自の視点で描いた名随筆。
口語多用の軽やかな文体と大胆な比喩、鋭い分析と弾けた妄想。それらが渾然一体となった旨みが滲み出ている。そこから伝わってくるのは、著者が本の放つ魅力によって読む場所を選べる真性「本の虫」であること。開高健の『戦場の博物誌』をハンバーガーショップで読むくだりは、その最たるものだ。
随所で綴られる、食にまつわるエピソードがまたいい。無類の食道楽・獅子文六を「がじがじ齧ってみる」妄想や、女優・沢村貞子が26年間もつけていた『わたしの献立日記』をめぐる話は、ページをめくるたびに読書欲と食欲がミックスダブルスで襲ってくる。
個人的に興味深かったのは、第二章「わたし、おののいたんです」での宇能鴻一郎の段。宇能独特の一人称独白体で紡がれた、あの(むかしお世話になった)艶かしい言葉に、著者の見立てで新たな官能が注入されている。その他、山下清、池辺良、室生犀星、虫明亜呂無、坪田譲治、山田風太郎、佐野洋子など全103冊の本の旅へ、新しい発見を道連れに、味わい深〜くエスコートしてくれる一冊だ。
口語多用の軽やかな文体と大胆な比喩、鋭い分析と弾けた妄想。それらが渾然一体となった旨みが滲み出ている。そこから伝わってくるのは、著者が本の放つ魅力によって読む場所を選べる真性「本の虫」であること。開高健の『戦場の博物誌』をハンバーガーショップで読むくだりは、その最たるものだ。
随所で綴られる、食にまつわるエピソードがまたいい。無類の食道楽・獅子文六を「がじがじ齧ってみる」妄想や、女優・沢村貞子が26年間もつけていた『わたしの献立日記』をめぐる話は、ページをめくるたびに読書欲と食欲がミックスダブルスで襲ってくる。
個人的に興味深かったのは、第二章「わたし、おののいたんです」での宇能鴻一郎の段。宇能独特の一人称独白体で紡がれた、あの(むかしお世話になった)艶かしい言葉に、著者の見立てで新たな官能が注入されている。その他、山下清、池辺良、室生犀星、虫明亜呂無、坪田譲治、山田風太郎、佐野洋子など全103冊の本の旅へ、新しい発見を道連れに、味わい深〜くエスコートしてくれる一冊だ。
2019年9月18日に日本でレビュー済み
数々の書籍が取り上げられているが、その関連が筆者の視点からは連続しており、まるで連句のようにつながっている。これについていくスピード感がこの本の醍醐味だと思う。かなりの範囲の書籍を網羅しているのでそのそれぞれを読んでいるとその面白さが倍増すると思う。
2016年8月19日に日本でレビュー済み
うーん。絶賛されていたため読んでみましたが… 内容が難しすぎるし、年配の方しかわからない役者さんがでてきて残念ながら楽しめませんでした。
2011年12月8日に日本でレビュー済み
見事な選択、見事な配列、見事な文章。
夢中になって貪り読んでしまった。こちらのほうが「野蛮」過ぎるくらいに。
本書は三章からなる。
一章は「贅沢してもいいですか」。二章は「わたし、おののいたんです」。
三章は「すがれる」。……以上を譬えれば、3つの絶品コース料理のよう。
まず一章は、能登半島への冬の旅や、伊豆での断食一週間ツアーなど、
非日常の中で、開高健、南伸坊を、あるいは、正岡子規を、読みふける。
帰っては、都市生活者として、森茉莉、幸田文の両雄を、さらりと並べる。
シメとしての田辺聖子、庄野潤三。周知の大作家の魅力を再認識させる手際。
一方、添え物のように紹介される、叶恭子(打ち誤りに非ず)や、太宰治。
イジワルなのでなく、真価を引き立てさせる配膳の妙、というべきか。
第二章は、荒川洋治という先達を前菜に、宇能鴻一郎、池部良、獅子文六。
いわば、ジビエも牧牛も養殖魚も回遊魚もありの、オールメインディッシュ。
食と性は同根とはいえ、「こんなにウマかった(巧かった)のか!」と驚くのみ。
シメは沢村貞子。平凡なようで、一品ごとに手数をかけた非凡な惣菜そのもの。
天下無敵の名文を味読させつつ、女優晩年の陰翳にふれる繊細な分析。
そして第三章。室生犀星、虫明亜呂無、池内紀、山田太一、深瀬昌久、
古屋誠一、ロラン・バルト、丸太祥三、三浦哲郎、棟方志功、佐野洋子……。
佳肴もある、珍味もある。単一素材としてはおよそ箸が延びない品もある。
しかし、著者ならではの絶妙の盛りつけによって、相互に妙味が引き立つ。
いったい、本好きにとって、好きな作家や愛読書を賞賛されるのは嬉しい反面、
「自分がいちばん知ってるのに!」と憤るアヤウサも、あるだろう。
だが本書は、違う。名人の庖丁さばき同様、対象のイチバン美味しいところを、
達意の筆で描き出してくれる。せっかくの好物を台無しにされる不満は、皆無。
むしろ今まで味わってきた食材の想像以上の滋味に、ほとほと唸ることになる。
さらに、今まで喰わずギライだった名品逸品の勘どころを、かくも鮮やかに
玩味させてもらうありがたさ。本書の意義は、ここにある。
名文はしかし、並べてくれた他者の著作にだけ仕込まれているのではない。
そう、著者自身の名言を、ほんの一口分だけ挙げれば……、
「生きるというのは、いつも宙ぶらりんなのだ。いつだって宙ぶらりんの状態
だから、なにごとか勃発すればあたふたおたおた、そこをなけなしの経験やら
知恵やら動員してどうにか波間を渡ってゆくのが人生というものだろう」(p278)
これは、最後半に出てくる言葉。このあと、本書の大トリである山田風太郎の、
至高の文章が紹介される。それは……それはどうか、皆さんご自身で、ご賞味を。
ちなみに、紹介される山田の著書は『あと千回の晩餐』。御馳走でした。
夢中になって貪り読んでしまった。こちらのほうが「野蛮」過ぎるくらいに。
本書は三章からなる。
一章は「贅沢してもいいですか」。二章は「わたし、おののいたんです」。
三章は「すがれる」。……以上を譬えれば、3つの絶品コース料理のよう。
まず一章は、能登半島への冬の旅や、伊豆での断食一週間ツアーなど、
非日常の中で、開高健、南伸坊を、あるいは、正岡子規を、読みふける。
帰っては、都市生活者として、森茉莉、幸田文の両雄を、さらりと並べる。
シメとしての田辺聖子、庄野潤三。周知の大作家の魅力を再認識させる手際。
一方、添え物のように紹介される、叶恭子(打ち誤りに非ず)や、太宰治。
イジワルなのでなく、真価を引き立てさせる配膳の妙、というべきか。
第二章は、荒川洋治という先達を前菜に、宇能鴻一郎、池部良、獅子文六。
いわば、ジビエも牧牛も養殖魚も回遊魚もありの、オールメインディッシュ。
食と性は同根とはいえ、「こんなにウマかった(巧かった)のか!」と驚くのみ。
シメは沢村貞子。平凡なようで、一品ごとに手数をかけた非凡な惣菜そのもの。
天下無敵の名文を味読させつつ、女優晩年の陰翳にふれる繊細な分析。
そして第三章。室生犀星、虫明亜呂無、池内紀、山田太一、深瀬昌久、
古屋誠一、ロラン・バルト、丸太祥三、三浦哲郎、棟方志功、佐野洋子……。
佳肴もある、珍味もある。単一素材としてはおよそ箸が延びない品もある。
しかし、著者ならではの絶妙の盛りつけによって、相互に妙味が引き立つ。
いったい、本好きにとって、好きな作家や愛読書を賞賛されるのは嬉しい反面、
「自分がいちばん知ってるのに!」と憤るアヤウサも、あるだろう。
だが本書は、違う。名人の庖丁さばき同様、対象のイチバン美味しいところを、
達意の筆で描き出してくれる。せっかくの好物を台無しにされる不満は、皆無。
むしろ今まで味わってきた食材の想像以上の滋味に、ほとほと唸ることになる。
さらに、今まで喰わずギライだった名品逸品の勘どころを、かくも鮮やかに
玩味させてもらうありがたさ。本書の意義は、ここにある。
名文はしかし、並べてくれた他者の著作にだけ仕込まれているのではない。
そう、著者自身の名言を、ほんの一口分だけ挙げれば……、
「生きるというのは、いつも宙ぶらりんなのだ。いつだって宙ぶらりんの状態
だから、なにごとか勃発すればあたふたおたおた、そこをなけなしの経験やら
知恵やら動員してどうにか波間を渡ってゆくのが人生というものだろう」(p278)
これは、最後半に出てくる言葉。このあと、本書の大トリである山田風太郎の、
至高の文章が紹介される。それは……それはどうか、皆さんご自身で、ご賞味を。
ちなみに、紹介される山田の著書は『あと千回の晩餐』。御馳走でした。
2012年3月27日に日本でレビュー済み
■大変、質の高い読書随筆である。
■日々の暮らしや取材旅行の描写の中に豊かな読書体験が克明に綴られてゆく。それは優れた書物紹介であり、深い分析さえ成されるのである。
■名文の随筆としても、読書をめぐる私小説としても読むことが出来る。こんな形式の書評集を書き得るとは並みの技量ではない。
■とりわけ凄いのが、宇能鴻一郎についての考察「わたし、おののいたんです」。いやもう、腹を抱えて大笑いしました。
■日々の暮らしや取材旅行の描写の中に豊かな読書体験が克明に綴られてゆく。それは優れた書物紹介であり、深い分析さえ成されるのである。
■名文の随筆としても、読書をめぐる私小説としても読むことが出来る。こんな形式の書評集を書き得るとは並みの技量ではない。
■とりわけ凄いのが、宇能鴻一郎についての考察「わたし、おののいたんです」。いやもう、腹を抱えて大笑いしました。