英語やりすぎ!
それよりも、まずは低下している「国語力」を取り戻すべき!
文科省の役人さんたち、文科相、ぜひ読んでください。
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英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書) 新書 – 2015/7/17
施 光恒
(著)
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漱石、諭吉もあきれた明治の英語公用語化論の再来。
英語化政策で自ら「植民地」に!
英語化を進める大学に巨額の補助金を与える教育改革から、英語を公用語とする英語特区の提案まで。日本社会を英語化する政策の暴走が始まった。英語化推進派のお題目は国際競争力の向上。しかし、それはまやかしだ。
社会の第一線が英語化されれば、知的な活動を日本語で行ってきた中間層は没落し、格差が固定化。多数の国民が母国語で活躍してこそ国家と経済が発展するという現代政治学の最前線の分析と逆行する道を歩むことになるのだ。「愚民化」を強いられた国民はグローバル資本に仕える奴隷と化すのか。気鋭の政治学者が英語化政策の虚妄を撃つ!
[著者情報]
施 光恒(せ てるひさ)
一九七一年、福岡県生まれ。政治学者。九州大学大学院比較社会文化研究院准教授。慶應義塾大学法学部政治学科卒。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士課程(M.Phil)修了。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。専攻は政治理論、政治哲学。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、共著に『TPP 黒い条約』(集英社新書)など。
英語化政策で自ら「植民地」に!
英語化を進める大学に巨額の補助金を与える教育改革から、英語を公用語とする英語特区の提案まで。日本社会を英語化する政策の暴走が始まった。英語化推進派のお題目は国際競争力の向上。しかし、それはまやかしだ。
社会の第一線が英語化されれば、知的な活動を日本語で行ってきた中間層は没落し、格差が固定化。多数の国民が母国語で活躍してこそ国家と経済が発展するという現代政治学の最前線の分析と逆行する道を歩むことになるのだ。「愚民化」を強いられた国民はグローバル資本に仕える奴隷と化すのか。気鋭の政治学者が英語化政策の虚妄を撃つ!
[著者情報]
施 光恒(せ てるひさ)
一九七一年、福岡県生まれ。政治学者。九州大学大学院比較社会文化研究院准教授。慶應義塾大学法学部政治学科卒。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士課程(M.Phil)修了。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。専攻は政治理論、政治哲学。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、共著に『TPP 黒い条約』(集英社新書)など。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2015/7/17
- 寸法10.7 x 1.2 x 17.3 cm
- ISBN-104087207951
- ISBN-13978-4087207958
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年12月25日に日本でレビュー済み
自分自身の英語との付き合い方、活かし方を考える上で大変参考になると思います。
著者には海外での議論、事例等含め、示唆に富む内容を「翻訳」し「土着化」して頂き感謝致します。
著者には海外での議論、事例等含め、示唆に富む内容を「翻訳」し「土着化」して頂き感謝致します。
2015年7月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
無理に刺激的なタイトルをつけているような文庫・新書も多いけれど、この本は、本当に日本が「愚民化」する――すでにしつつあることを、冷静に丹念に指摘していると思う。
なんだか右っぽいタイトルですが、右も左も、ポジションに関係なく、日本がいかにマズイ状況にあるかを示した良書ではないかと。
何が良いかというと、私たちが「常識」だと思っていることを、ひっくり返される点です。
多くの人は(私はそうだった)、
「そりゃ、英語ができたほうがいいんじゃないの?」
「オリンピックも東京に来ることだし、英語がしゃべれる人が増えたらいいよね」
と思っていないだろうか。そして、
「これからは日本という国の枠組みを超えて、とくに若者は世界で活躍していくのだから、英語ができるようになったほうがいいだろう」
と考え、それが「常識」=「コモンセンス」=「共通する感覚」だろうと信じてしまっている。
だから「英語化」推進、といわれたとき、反対の声は極めて小さい。
でも、それが実は大変に「マズい」現象であることを、本書は明快に示してくれる。
よくネット上のニュース記事で、<同じ東アジアなのに日本人は多数ノーベル賞をとっていて、韓国人の受賞者が少ないのはなぜか>というような話がありますよね。本書を読んでみると、その理由がなんとなく見えてくる。
それは民族の優劣などという話ではなくて、明治日本が近代国家を作るにあたって、
「英語化(外国語化)しない」
ことを選んだからだ、という。国民が広く、新しい知識に触れるのに、いちいち外国語を「経由する」必要がないようにした。
つまり、日本語さえできれば、新しい近代日本の運営に参加できるようにした。
法律をつかさどる弁護士にもなれるし、役所で書類を提出できるし、自分で契約書が書けるし、選挙で候補者の演説の中身もわかる。
一方で、歴史的にはさまざまな経緯がありますが、アフリカやインドなどではどうか。
高度な知識は英語で学ぶしかなく、それはエリートだけのもので、ごく一般の庶民にはおよそ手の届かないものになった。
だから、上に書いたような、ごく当たり前の社会参加が、自分が普段使っている言葉だけでは、できない、という状態になっている。
一部のエリート層だけが国を動かし、大多数の人は参加できず、所得も低く、知識は少ないままになってしまっている。
ようするに、英語化が生むのは「格差」なんですよね。
これは教育だけの問題ではなくて。実際、英語化した企業――楽○やユニ○ロのように、社内公用語は英語ですという会社――では、職業上の能力以前に、言語で社員がふるいにかけられていくわけですし。
英語化が進むと、日本語という共通の土台の上で、しかも私たちにとってごく日常的で、親しみのある土台の上で勝負するのではなくて、「いったん英語の土俵にのってください、勝負はそれからです。のれない人はさようなら」という世界になってしまう。それでいいのか?と。
常識がひっくり返されるというのは、まさにここ。
「世界市民になるために英語化を!」というようにボンヤリとポジティブに受け止めていた「英語化」が、実は社会に格差を生み、それを固定化していく装置だったというのは、ちょっと衝撃的です。
本書の著者もたびたび、ちゃんと指摘しているけれども、「じゃあ、英語なんか勉強するなっていうんですか」というと、それは早とちり。
個々人が、英語を勉強して、自分なりのスキルにしていくことは、全然否定していないんですよ。そこが信頼できるところ。
いまの日本では、政治や行政が主導して(その裏に財界の意図がある……たぶんTPPも関係ある、ということもこの本は言及している)、社会の仕組みの根幹の部分において、「英語が使えないともう日本ではやっていけませんよ」という雰囲気を醸成しようとしている。
たとえば、企業の英語公用語化とか、英語特区を設置してそこで「英語しかしゃべっては『いけない』(!)」とか。
それは、「やっぱり英語くらいしゃべれたほうがいいんじゃない?」という人々の「共通の感覚」につけこんだと言ってもいい、巧妙な「新しい格差」の導入になっている。
と、ここまで書いて思いましたが、この本は一種、グローバリゼーションの弊害とか、TPPの恐怖を指摘した本にもなっています。
最初に、右も左もなくて、と言いましたが、右っぽく「日本国のあるべき道は」ということを突き詰めて考えていきたい人も、左っぽい教育おばちゃんのように、「みんなで英語を学びましょう」とやってきた人も、どちらの文脈で読んでも意味がある。
そういう新しい時代の社会論、文化論、国家論?の著者として、施さんという人も「波が来る」んじゃないかと思えます。
あんまり知名度はないけど、いろんな意味で読んでおいて損はなし、かと。
なんだか右っぽいタイトルですが、右も左も、ポジションに関係なく、日本がいかにマズイ状況にあるかを示した良書ではないかと。
何が良いかというと、私たちが「常識」だと思っていることを、ひっくり返される点です。
多くの人は(私はそうだった)、
「そりゃ、英語ができたほうがいいんじゃないの?」
「オリンピックも東京に来ることだし、英語がしゃべれる人が増えたらいいよね」
と思っていないだろうか。そして、
「これからは日本という国の枠組みを超えて、とくに若者は世界で活躍していくのだから、英語ができるようになったほうがいいだろう」
と考え、それが「常識」=「コモンセンス」=「共通する感覚」だろうと信じてしまっている。
だから「英語化」推進、といわれたとき、反対の声は極めて小さい。
でも、それが実は大変に「マズい」現象であることを、本書は明快に示してくれる。
よくネット上のニュース記事で、<同じ東アジアなのに日本人は多数ノーベル賞をとっていて、韓国人の受賞者が少ないのはなぜか>というような話がありますよね。本書を読んでみると、その理由がなんとなく見えてくる。
それは民族の優劣などという話ではなくて、明治日本が近代国家を作るにあたって、
「英語化(外国語化)しない」
ことを選んだからだ、という。国民が広く、新しい知識に触れるのに、いちいち外国語を「経由する」必要がないようにした。
つまり、日本語さえできれば、新しい近代日本の運営に参加できるようにした。
法律をつかさどる弁護士にもなれるし、役所で書類を提出できるし、自分で契約書が書けるし、選挙で候補者の演説の中身もわかる。
一方で、歴史的にはさまざまな経緯がありますが、アフリカやインドなどではどうか。
高度な知識は英語で学ぶしかなく、それはエリートだけのもので、ごく一般の庶民にはおよそ手の届かないものになった。
だから、上に書いたような、ごく当たり前の社会参加が、自分が普段使っている言葉だけでは、できない、という状態になっている。
一部のエリート層だけが国を動かし、大多数の人は参加できず、所得も低く、知識は少ないままになってしまっている。
ようするに、英語化が生むのは「格差」なんですよね。
これは教育だけの問題ではなくて。実際、英語化した企業――楽○やユニ○ロのように、社内公用語は英語ですという会社――では、職業上の能力以前に、言語で社員がふるいにかけられていくわけですし。
英語化が進むと、日本語という共通の土台の上で、しかも私たちにとってごく日常的で、親しみのある土台の上で勝負するのではなくて、「いったん英語の土俵にのってください、勝負はそれからです。のれない人はさようなら」という世界になってしまう。それでいいのか?と。
常識がひっくり返されるというのは、まさにここ。
「世界市民になるために英語化を!」というようにボンヤリとポジティブに受け止めていた「英語化」が、実は社会に格差を生み、それを固定化していく装置だったというのは、ちょっと衝撃的です。
本書の著者もたびたび、ちゃんと指摘しているけれども、「じゃあ、英語なんか勉強するなっていうんですか」というと、それは早とちり。
個々人が、英語を勉強して、自分なりのスキルにしていくことは、全然否定していないんですよ。そこが信頼できるところ。
いまの日本では、政治や行政が主導して(その裏に財界の意図がある……たぶんTPPも関係ある、ということもこの本は言及している)、社会の仕組みの根幹の部分において、「英語が使えないともう日本ではやっていけませんよ」という雰囲気を醸成しようとしている。
たとえば、企業の英語公用語化とか、英語特区を設置してそこで「英語しかしゃべっては『いけない』(!)」とか。
それは、「やっぱり英語くらいしゃべれたほうがいいんじゃない?」という人々の「共通の感覚」につけこんだと言ってもいい、巧妙な「新しい格差」の導入になっている。
と、ここまで書いて思いましたが、この本は一種、グローバリゼーションの弊害とか、TPPの恐怖を指摘した本にもなっています。
最初に、右も左もなくて、と言いましたが、右っぽく「日本国のあるべき道は」ということを突き詰めて考えていきたい人も、左っぽい教育おばちゃんのように、「みんなで英語を学びましょう」とやってきた人も、どちらの文脈で読んでも意味がある。
そういう新しい時代の社会論、文化論、国家論?の著者として、施さんという人も「波が来る」んじゃないかと思えます。
あんまり知名度はないけど、いろんな意味で読んでおいて損はなし、かと。
2020年4月5日に日本でレビュー済み
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現在世界に蔓延しているエリートと非エリートとの格差の原因とその解決方法を示している。
わかりやすいように書いてあるのだが、多少読みづらくてももう少し踏み込んで書いて欲しかった。
わかりやすいように書いてあるのだが、多少読みづらくてももう少し踏み込んで書いて欲しかった。
2018年12月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は、「英語化が進む世界の中では、日本は『英語支配の序列構造』の中で、
非常に不利な立場に甘んじなければならない。
また、英語支配の進む現状は、世界的視野に立った場合でも、とても公正な秩序とは言えない」という。
現在のグローバル化の背後にある新自由主義の思想は、
各地域の文化や伝統、国土の特性、産業構造などを軽視し、社会制度を大規模に変革し、
統合された単一の世界市場を合理的に作ることを前提としている。
そうした世界的な画一化が政治・経済のみならず、
英語化推進という名目で言語においても行われようとしているというのである。
将来の日本国民を惨めな地位に置かないために、
また不正な世界秩序の完成に手を貸す倫理にもとった行為をしないために、
できることは何か。
著者は世界各国が「資本移動の規制」と「内需中心型の国作り」へと舵を切り、
「棲み分け型の多文化共生世界」を築くべきだと主張する
グローバル企業がビジネスしやすい環境を整備することから、
一般国民の幸福への長期的配慮へ政策を転換させるべきという著者の指摘は興味深い。
著者が言うように、日本がこのままグローバル化に突き進んでいけば、
フィリピンやインドのような発展途上故国に落ちていくだろう。
非常に不利な立場に甘んじなければならない。
また、英語支配の進む現状は、世界的視野に立った場合でも、とても公正な秩序とは言えない」という。
現在のグローバル化の背後にある新自由主義の思想は、
各地域の文化や伝統、国土の特性、産業構造などを軽視し、社会制度を大規模に変革し、
統合された単一の世界市場を合理的に作ることを前提としている。
そうした世界的な画一化が政治・経済のみならず、
英語化推進という名目で言語においても行われようとしているというのである。
将来の日本国民を惨めな地位に置かないために、
また不正な世界秩序の完成に手を貸す倫理にもとった行為をしないために、
できることは何か。
著者は世界各国が「資本移動の規制」と「内需中心型の国作り」へと舵を切り、
「棲み分け型の多文化共生世界」を築くべきだと主張する
グローバル企業がビジネスしやすい環境を整備することから、
一般国民の幸福への長期的配慮へ政策を転換させるべきという著者の指摘は興味深い。
著者が言うように、日本がこのままグローバル化に突き進んでいけば、
フィリピンやインドのような発展途上故国に落ちていくだろう。
2019年12月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昨今の単に英語喋れたら偉そうにマウントとる奴らを論破出来る本
ただ単に英語喋れても日本人の思考は日本語
そもそも母国語すらおぼつかない状態で英語喋ったら
アホな外人や幼児となんら変わらない
いかに母国語の充実と発展が大事か
それに気が付かせてくれる本!
アホな英語かぶれ野郎どもを..ぶっこわーす♪(N国風)
ただ単に英語喋れても日本人の思考は日本語
そもそも母国語すらおぼつかない状態で英語喋ったら
アホな外人や幼児となんら変わらない
いかに母国語の充実と発展が大事か
それに気が付かせてくれる本!
アホな英語かぶれ野郎どもを..ぶっこわーす♪(N国風)
2015年11月22日に日本でレビュー済み
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英語化は愚民化とは昔からよく言われていますし、確かにそういう点もありますが、世界の流れとして止めることはできません。
愚民化しないことに配慮しながら英語化を進めていくことは世界に遅れないための必須条件です。
愚民化しないことに配慮しながら英語化を進めていくことは世界に遅れないための必須条件です。
2020年5月10日に日本でレビュー済み
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極めて重要なテーマを深く掘り下げていて感銘を受けた。軽薄な英語教育はやがて日本語の軽視と、それによる学問や教育の低下につながる危険性があることをいみじくも指摘している。英語教育者全てのひとに読んでもらいたい内容です。