著者は、原研-経産省(国際原子力安全担当)-JNES顧問・参事・参与を務めた経歴を持つ、原子力安全の専門家。
規制基準や規制のガイドを作る元になる資料を作成する仕事を行ってきた人。
この本の目的は、そういう原子力安全の考え方を解説する点にあるので、その限りではまじめに勤めあげてきた人だという印象を持つ。
しかし、現実の規制基準の運用が社会の要求にマッチしているか、という問いを強く意識しているようには見えない。
著者は、原子力は比較的安全な技術であるという信念を持っていることを吐露している。
しかし、自分の所掌範囲を理論化容易な領域に限定して精緻なスキームを組み立てているにすぎない。
たとえば、SPEEDIを防災のツールとして期待することは間違っていると、何度も力説する。
しかし今、原発の地元住民たちが困っているのは、適切な避難指示情報提供の仕組みが提示されていないことにある。
著者には、SPEEDIに代わるシステムを考案・提供するという素振りは一つもない。
規制基準には、テロ対策に対する具体的な方策はない(ガイドはあるが実効性があるとは思えない作文である)。
著者は、テロ対策は規制の範囲になじまないものだから、安全研究から除外すればよいという。
けれども、テロリストは原発を避けてくれるわけではない。
意図的な航空機の攻撃も所掌範囲外という扱いである。
福島の地震想定には問題ないといい、津波だけが少し問題だったという程度の認識である。
昨年夏から問題になっている火山には一言も触れていない。
また、規制は純粋に技術的視点で扱えばよいと考えているようで、市民との意見交換や市民との合意の必要性という観念がぜんぜん見られない。
原発の受益者と事故被害者の乖離の問題も、深刻な問題とは捉えず、原発リスクを交通機関の事故リスクと同列に扱っている。
このように見ると、現在の規制審査が、どんな思想で、しかも狭い縦割りでコントロール・タワーなしで行われている事実(田中規制委員長の「安全とは申しません。規制基準に適合しているかどうかを審査しているだけです」という言葉)と呼応している。
そのほか、新規制基準を作っても、それをサポートする審査ガイドや重要度分類の改訂がなされていないために、実質の設計に係る安全性の審査が改善されていないことに問題意識が及んでいない。
評者はしばしば外国人から「1分も遅れず電車を走らせている日本人がどうして原発のコントロールはこれほどずさんなのか?」と聞かれる。
この著者は本来システム全体を設計するのが使命のはずであるが、電車を運用しているまじめな運転手の域を出ていない。
これが、中枢のシステム設計者の偽らざる姿なのであろう。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
原子力のリスクと安全規制―福島第一事故の"前と後"― 単行本 – 2015/3/16
阿部 清治
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥4,400","priceAmount":4400.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"4,400","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"zA44r9yEcfU973TwyPderuIRWWWI8jZKF5iRUJZMTO3ZBfex3Dp2SVu1Wr7k1uow3nxJjOn8Y7wfHLQ8U%2FHNnS92r2N5K8jAmu7j86L8%2FExKKpYVMOWLKMyVdFfY2WwdvmFsitYMxG8%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
福島第一原発事故当時、JNESの職員として緊急事態支援本部に詰めていた炉心溶解事故研究の第一人者が、事故の“前と後"の我が国における「原子力のリスクと安全規制」の考え方について解説。原子力発電そのものに関わるリスクと安全規制の実態や論理について、原子力発電事故対応の実体験から語る。
- 本の長さ480ページ
- 言語日本語
- 出版社第一法規株式会社
- 発売日2015/3/16
- 寸法21 x 14.8 x 2.5 cm
- ISBN-104474035054
- ISBN-13978-4474035058
商品の説明
出版社からのコメント
福島第一原発事故当時、JNESの職員として緊急事態支援本部に詰めていた著者が、「事故の前」に何を考え、「事故の進展する最中」にどう対応し、「事故から後」に何を考えているのかを示す。
福島原発事故と時々刻々、格闘した日本における炉心溶解事故研究の第一人者による本格的なリスク論である。
福島原発事故と時々刻々、格闘した日本における炉心溶解事故研究の第一人者による本格的なリスク論である。
登録情報
- 出版社 : 第一法規株式会社 (2015/3/16)
- 発売日 : 2015/3/16
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 480ページ
- ISBN-10 : 4474035054
- ISBN-13 : 978-4474035058
- 寸法 : 21 x 14.8 x 2.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,147,555位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,915位環境・エコロジー (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2015年10月17日に日本でレビュー済み
著者は、権威筋(日本原子力研究所、経済産業省審議官、原子力安全基盤機構、原子力規制庁など)の高みから、高貴なレクチャーをしていると錯覚しているのでしょうが、単なる空騒ぎに留まっていて、滑稽です。
まえがきでは、「40年以上原子力安全の仕事に従事し、規制側の立場で原子力リスク管理に係ってきた」(p.ⅲ)。「もはや、事故前に書いた文書では実際の原子力安全の説明はできなくなった」(p.ⅲ)。「第1部は、事故前、第2部は、事故後に記した原稿」(p.ⅳ)。「10年ほどにわたって少しずつ書きためてきたものである」(p.ⅳ)と記し、際だった癖を表面化することなく、それとなく、立場を明確にしています。
「はじめに」では、「本書はむしろ、「原子力の安全ってどうやって確かめるの?」という素朴な疑問を持つ方や、大学で原子力の安全について勉強することになった、あるいは、職場で初めて原子力安全を担当することになった方が、「そうか、おおよそこういうことをやって確かめるのか」とわかってもらうために書いていくつもりである」(p.3)とあり、専門家でなく、素人を対象に書いたと宣言しましたが、内容は、原子力の専門家でも、苛酷事故や確率論を専門にしていなければ難解に感じることばかりです。したがって、一般向けの啓蒙書という観点からは、完全な失敗作です。おそらく著者にとっては、一般向けの著作は、初めての経験だったのでしょう。それを割り引いても☆二つです。
「2. 安全とは何か、リスクとは何か」では、「この章はもっぱら、佐藤一男『原子力安全の論理』(日刊工業新聞社、1984, 改訂版2006)に書かれていることを私なりの言葉でつづるものである」(p.6)とありますが、それは佐藤一男さんの論理のパクリと直感しました。著者は、独自の論理を持ち合わせていないのでしょうか。
「3. 原子力施設の安全確保の考え方」は、『原子力安全の論理』を下敷きに、規制の考え方を示した一般的な解説の範囲に留まっており、オリジナリティが、まったくありません。
「5. 確率論的安全評価によるリスク定量化」は、基本的な文献を基にした退屈な解説に留まっています。世界の基本的な文献を把握し、原発の安全解析に携わった経験に基づいて、オリジナリティのある、興味津々な内容を期待していましたが、見事に裏切られました。「6. 原子力施設の安全審査と決定論的安全評価」も同じです。
「10. 第1部のおわりに」では、「飛行機は堕ちた次の日にも飛ぶ。原子力も、事故を起こしてならないのは当然であるが、万一大きな事故を起こしてしまっても、その次の日でも立ち上がれるよう、公衆の強い信頼があって欲しいと願っている」(p.195)とあります。実に、軽い安全論であり、深く、失望しました。いくら、福島第一原発事故前に記したエッセーだとしても、あまりにも軽薄です。
「12. 福島第一原子力発電所におけるシビアアクシデント」では、著者は、自身がシビアアクシデント研究者と主張しつつも、それにふさわしい秀でた事故分析になっておらず、エッセーレベルの内容です。もっと、専門的で、深い分析と提言をしなければ、本書を著す意義がありません。
この章では、東京電力が公表した福島第一原発1-3号機の六つの事故プラントデータ図を示し(pp.224, 225, 239, 240, 254,255)、時系列の解釈と自身の試行錯誤について、記しています。シビアアクシデント研究者ならば、専門的視点から、2-3号機については、原子炉圧力容器の減圧操作を優先した低圧注水による冷温停止の可能性の考察もしておくべきでした。
「1号機では多分、非常用復水器(IC)による冷却がほとんどなされず、…」(p.219)とありますが、2系統が自動起動直後、規定冷却率(55℃/h)の約3倍も冷却率が高かったため、運転員は、規定値に収めるため、2系統のうち、1系統(B系統)を手動停止し、さらに、圧力調整が自動でなく、手動でしなければならなかったため、マニュアルに定められた規定値(60-70気圧ゲージ)になるように、オンオフを3回ずつくり返し、そのオフ直後に、津波浸水による直流電源喪失にともない、冷却機能が失われました。著者は、規定冷却率を維持するため、「断続的に運転された」(p.224)とありますが、それは、冷却率維持でなく、単なる規定圧力確保のためです。著者はIC機能と運転状況の真実を把握できておらず、自身の考えだけで的外れの事故分析をしています。
「バッテリーまで冠水」(p.226)したことに、長い間、気づかなかったと記していますが、津波が浸水したならば、直流電源などは、1Bに設置されているため、津波浸水で、機能喪失するくらい、すぐに気づいてもよさそうなものです。「私が直流電源の喪失と仮設バッテリーのつなぎ込みについて知ったのは、事故発生後3週間以上経った4月初めのことであった」(p.227)とありますが、原発内の機器配置の様子も現場も知らないような素人のような認識に、ただ、ただ、驚くばかりです。
この章の記載内容から判断すると、著者は、特に、高い事故分析能力もなければ、表現力もなく、とても、シビアアクシデント研究者とは、思えないような低次元な解説に終始していて、程度の低さをあらわにしており、気の毒なくらいの混乱ぶりです。
著者が、PRA研究者とかシビアアクシデント研究者を自認するのであれば、福島第一原発事故のPRAレベル1(内的事象)、レベル2(ソースターム評価)、レベル3(環境影響)、レベル4(外的事象)について、系統的に、特に、実際にデータに基づき、ソースターム評価、環境汚染、公衆被曝、社会的影響、社会的損失について、全体的に、人間の血の通った考察をすべきです。1-3号機の基本的なプラントデータの解説など、いまさらという感じです。手抜きにもほどがあります。
他の章についても、言いたいことは山ほどありますが、長くなるので割愛します。
付録について
福島第一原発事故の前後に記したA-Fの六つのエッセーのうち、EのTHALES開発の経緯のみ、開発者(著者)しか知り得ない真実(p.434)ですから、参考になります。MAAPとの比較(p.435)は興味深いことです。著者の高い理念は、読み取れますが、福島第一原発事故に直面し、THALESは、現実には、何の役にも立っていません。そのことは著者の安全哲学の敗北を意味するのではないでしょうか。これを読んでいて空しさしか感じませんでした。
付録E に、SPEEDI について、福島第一原発事故前に記したエッセーを収録しており、誰もが考えるように、リアルタイムで発生している事故に対し、ソースタームが確実でない条件下での利用の危うさについて、利用することへの完全否定でしたが、付録F iにおいて、事故後、そのことが表面化したことを再論しています。付録Eと付録Fの指摘は、特定の研究者でなければ分からないほど高度の問題ではなく、ごく、初歩的な指摘に過ぎません。
期待外れの内容であり、深く、失望しました。大上段に構えた割には、オリジナリティのない、単なる一般的な解説書の範囲に留まっており、肩透かしを食らった後の虚脱感だけが残ります。
455p.にも及ぶ学術書的啓蒙書であるにもかかわらず、不注意にも、索引が設けてありません。パソコンの検索機能を利用すれば、重要語のページがすぐに確認できるため、著者が索引をつけなくても、編集者は、そのような配慮をすべきで、許容できない欠陥です。
この本は、学術書でもなく、啓蒙書でもなく、中途半端な規制論の展開に、違和感を覚える内容です。まったくの期待外れであり、権威の中身のなさをさらけ出しただけです。冗長な表現が気になり、半分のページ数で表現できる内容です。たったひとつ良い点を挙げるとしたら、表現がこなれていて、読みやすく、素人を引き込む術は、心得ているように感じました。
まえがきでは、「40年以上原子力安全の仕事に従事し、規制側の立場で原子力リスク管理に係ってきた」(p.ⅲ)。「もはや、事故前に書いた文書では実際の原子力安全の説明はできなくなった」(p.ⅲ)。「第1部は、事故前、第2部は、事故後に記した原稿」(p.ⅳ)。「10年ほどにわたって少しずつ書きためてきたものである」(p.ⅳ)と記し、際だった癖を表面化することなく、それとなく、立場を明確にしています。
「はじめに」では、「本書はむしろ、「原子力の安全ってどうやって確かめるの?」という素朴な疑問を持つ方や、大学で原子力の安全について勉強することになった、あるいは、職場で初めて原子力安全を担当することになった方が、「そうか、おおよそこういうことをやって確かめるのか」とわかってもらうために書いていくつもりである」(p.3)とあり、専門家でなく、素人を対象に書いたと宣言しましたが、内容は、原子力の専門家でも、苛酷事故や確率論を専門にしていなければ難解に感じることばかりです。したがって、一般向けの啓蒙書という観点からは、完全な失敗作です。おそらく著者にとっては、一般向けの著作は、初めての経験だったのでしょう。それを割り引いても☆二つです。
「2. 安全とは何か、リスクとは何か」では、「この章はもっぱら、佐藤一男『原子力安全の論理』(日刊工業新聞社、1984, 改訂版2006)に書かれていることを私なりの言葉でつづるものである」(p.6)とありますが、それは佐藤一男さんの論理のパクリと直感しました。著者は、独自の論理を持ち合わせていないのでしょうか。
「3. 原子力施設の安全確保の考え方」は、『原子力安全の論理』を下敷きに、規制の考え方を示した一般的な解説の範囲に留まっており、オリジナリティが、まったくありません。
「5. 確率論的安全評価によるリスク定量化」は、基本的な文献を基にした退屈な解説に留まっています。世界の基本的な文献を把握し、原発の安全解析に携わった経験に基づいて、オリジナリティのある、興味津々な内容を期待していましたが、見事に裏切られました。「6. 原子力施設の安全審査と決定論的安全評価」も同じです。
「10. 第1部のおわりに」では、「飛行機は堕ちた次の日にも飛ぶ。原子力も、事故を起こしてならないのは当然であるが、万一大きな事故を起こしてしまっても、その次の日でも立ち上がれるよう、公衆の強い信頼があって欲しいと願っている」(p.195)とあります。実に、軽い安全論であり、深く、失望しました。いくら、福島第一原発事故前に記したエッセーだとしても、あまりにも軽薄です。
「12. 福島第一原子力発電所におけるシビアアクシデント」では、著者は、自身がシビアアクシデント研究者と主張しつつも、それにふさわしい秀でた事故分析になっておらず、エッセーレベルの内容です。もっと、専門的で、深い分析と提言をしなければ、本書を著す意義がありません。
この章では、東京電力が公表した福島第一原発1-3号機の六つの事故プラントデータ図を示し(pp.224, 225, 239, 240, 254,255)、時系列の解釈と自身の試行錯誤について、記しています。シビアアクシデント研究者ならば、専門的視点から、2-3号機については、原子炉圧力容器の減圧操作を優先した低圧注水による冷温停止の可能性の考察もしておくべきでした。
「1号機では多分、非常用復水器(IC)による冷却がほとんどなされず、…」(p.219)とありますが、2系統が自動起動直後、規定冷却率(55℃/h)の約3倍も冷却率が高かったため、運転員は、規定値に収めるため、2系統のうち、1系統(B系統)を手動停止し、さらに、圧力調整が自動でなく、手動でしなければならなかったため、マニュアルに定められた規定値(60-70気圧ゲージ)になるように、オンオフを3回ずつくり返し、そのオフ直後に、津波浸水による直流電源喪失にともない、冷却機能が失われました。著者は、規定冷却率を維持するため、「断続的に運転された」(p.224)とありますが、それは、冷却率維持でなく、単なる規定圧力確保のためです。著者はIC機能と運転状況の真実を把握できておらず、自身の考えだけで的外れの事故分析をしています。
「バッテリーまで冠水」(p.226)したことに、長い間、気づかなかったと記していますが、津波が浸水したならば、直流電源などは、1Bに設置されているため、津波浸水で、機能喪失するくらい、すぐに気づいてもよさそうなものです。「私が直流電源の喪失と仮設バッテリーのつなぎ込みについて知ったのは、事故発生後3週間以上経った4月初めのことであった」(p.227)とありますが、原発内の機器配置の様子も現場も知らないような素人のような認識に、ただ、ただ、驚くばかりです。
この章の記載内容から判断すると、著者は、特に、高い事故分析能力もなければ、表現力もなく、とても、シビアアクシデント研究者とは、思えないような低次元な解説に終始していて、程度の低さをあらわにしており、気の毒なくらいの混乱ぶりです。
著者が、PRA研究者とかシビアアクシデント研究者を自認するのであれば、福島第一原発事故のPRAレベル1(内的事象)、レベル2(ソースターム評価)、レベル3(環境影響)、レベル4(外的事象)について、系統的に、特に、実際にデータに基づき、ソースターム評価、環境汚染、公衆被曝、社会的影響、社会的損失について、全体的に、人間の血の通った考察をすべきです。1-3号機の基本的なプラントデータの解説など、いまさらという感じです。手抜きにもほどがあります。
他の章についても、言いたいことは山ほどありますが、長くなるので割愛します。
付録について
福島第一原発事故の前後に記したA-Fの六つのエッセーのうち、EのTHALES開発の経緯のみ、開発者(著者)しか知り得ない真実(p.434)ですから、参考になります。MAAPとの比較(p.435)は興味深いことです。著者の高い理念は、読み取れますが、福島第一原発事故に直面し、THALESは、現実には、何の役にも立っていません。そのことは著者の安全哲学の敗北を意味するのではないでしょうか。これを読んでいて空しさしか感じませんでした。
付録E に、SPEEDI について、福島第一原発事故前に記したエッセーを収録しており、誰もが考えるように、リアルタイムで発生している事故に対し、ソースタームが確実でない条件下での利用の危うさについて、利用することへの完全否定でしたが、付録F iにおいて、事故後、そのことが表面化したことを再論しています。付録Eと付録Fの指摘は、特定の研究者でなければ分からないほど高度の問題ではなく、ごく、初歩的な指摘に過ぎません。
期待外れの内容であり、深く、失望しました。大上段に構えた割には、オリジナリティのない、単なる一般的な解説書の範囲に留まっており、肩透かしを食らった後の虚脱感だけが残ります。
455p.にも及ぶ学術書的啓蒙書であるにもかかわらず、不注意にも、索引が設けてありません。パソコンの検索機能を利用すれば、重要語のページがすぐに確認できるため、著者が索引をつけなくても、編集者は、そのような配慮をすべきで、許容できない欠陥です。
この本は、学術書でもなく、啓蒙書でもなく、中途半端な規制論の展開に、違和感を覚える内容です。まったくの期待外れであり、権威の中身のなさをさらけ出しただけです。冗長な表現が気になり、半分のページ数で表現できる内容です。たったひとつ良い点を挙げるとしたら、表現がこなれていて、読みやすく、素人を引き込む術は、心得ているように感じました。
2020年10月2日に日本でレビュー済み
後半は、福島事故後に執筆した記事の体系化と論理化であり、後知恵の強みがいかんなく発揮され、読んでいて、不快感すら覚えました。
-
阿部が開発した苛酷事故計算コードTHALESは、福島事故の解析では、日本や世界でも、だれ一人、利用しませんでした。公開コードとして手続きされているため、いつでも、誰でも、利用申し込みすれば、利用できるようになっているにもかかわらず、利用例がないということは、世の中から信頼を受けていないと言うことです。
-
日本で開発した苛酷事故計算コードとしては、日本原子力学会事故調が、同時、通産省管轄の原子力発電機構が開発し、その後、エネルギー総合研究所が維持・管理していたSAMPSONが採用されました。
-
原研の計算コード開発と安全論は、世の中から、信用されていません。
-
-
-
阿部が開発した苛酷事故計算コードTHALESは、福島事故の解析では、日本や世界でも、だれ一人、利用しませんでした。公開コードとして手続きされているため、いつでも、誰でも、利用申し込みすれば、利用できるようになっているにもかかわらず、利用例がないということは、世の中から信頼を受けていないと言うことです。
-
日本で開発した苛酷事故計算コードとしては、日本原子力学会事故調が、同時、通産省管轄の原子力発電機構が開発し、その後、エネルギー総合研究所が維持・管理していたSAMPSONが採用されました。
-
原研の計算コード開発と安全論は、世の中から、信用されていません。
-
-
2015年5月20日に日本でレビュー済み
とても丁寧に書かれていて、初心者にもわかりやすいと思います。
2015年5月18日に日本でレビュー済み
科学的合理的な記載もあるが、嘘も書いてあるようだ。
いろんな考えを持った人がいる中での、一人の意見として受け止めるのがお互いハッピーじゃないかと思った。
それにしても、価格が高すぎる。価格ほどの内容ではない。
いろんな考えを持った人がいる中での、一人の意見として受け止めるのがお互いハッピーじゃないかと思った。
それにしても、価格が高すぎる。価格ほどの内容ではない。