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野火(新潮文庫) Kindle版
敗北が決定的となったフィリッピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける……。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的名作である。
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1954/4/30
- ファイルサイズ520 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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登録情報
- ASIN : B00H7STQTE
- 出版社 : 新潮社 (1954/4/30)
- 発売日 : 1954/4/30
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 520 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 196ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 101,833位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年12月6日に日本でレビュー済み
レポート
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太平洋戦争で、フィリピンに送られた。そこでの生と死のはざまにおかれら作者。記憶がなくなるほど、衝撃な経験であったのだろう。私は、この作品を読んで、フィリピンでの教会に十字架が輝いていたことが、目に鮮やかに映った。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2019年1月23日に日本でレビュー済み
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肺病の兵士が隊にも軍病院にも居場所を無くし、最終目的地に向かいジャングルを抜ける。女性を殺し、猿の肉だと言われたものを食う。一歩進むと、それは死体から剥ぎ取った肉であった。 戦争は道徳も失う。誰のための戦争なのか、なんで戦うのかを読者に問うている。
2021年6月16日に日本でレビュー済み
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神の描写がうまく飲み込めなかった。太平洋戦争末期のレイテ島にて1人の兵士の目線で戦場の惨劇が語られる。戦場とはいえ、ほぼ潰走、敗走の状況であり、各々がどう生き延びるか、どう食い繋ぐか、どう降伏し米軍に取り入るか、そしてその目論見をどう味方に悟られずに行うか?死体の肉を食べるのか、食べないのか、新鮮な肉のために味方を殺すのか、簡単には語られない戦争の現実。僕はこれを読むまで戦争の残酷さというより一人の兵士の深刻さのほんの一部でさえ理解できていなかった、というより、分かろうとしていなかった。そう感じた。
2017年10月22日に日本でレビュー済み
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昔から気になっていた本ですが、初めて読んでみました。切っ掛けは塚本晋也監督の映画「野火」を見たこと。いかにも低予算映画らしいところもありますが、鮮烈な表現に強い印象を受けました。
第二次世界大戦の南方戦線における死者の多くは餓死によるものだった。武器弾薬はおろか食糧の補給もほとんど無かったからである。
主人公がそうとは知らず死んだ日本兵の肉を食べるシーンがある。生きている日本兵を「猿」と呼んで殺して喰うという兵隊も出てくる。戦後のシベリア抑留でも同様のことがあった。抑留された文化人類学者の加藤九祚氏によると、抑留から脱走しようとした二人の日本兵が、食べ物に困ったら喰ってしまおうと、同僚の中で一番気の弱い人を強引に仲間に入れて連れていき、実際に喰ってしまったという。極限まで追い込まれると人間が何をするのか、怖いものがある。
気になるのは「危険が到来せずその予感だけしかない場合、内攻する自己保存の本能は、人間を必要以上にエゴイストにする」というような表現。分かりにくい人間考察がストーリーテリングの中に潜んでいる。
「私の生命の維持が、私の属し、そのため私が生命を提供している国家から保証される限度は、この六本の芋に尽きていた」という文も気になる。何度も読み直し、やっとその意味を理解しました。まるで数式のよう。
この様に、硬くてこなれない文章が縦横に展開され、しかも表現されている世界は人間の極限そのもの。しかし、矛盾するようだが、それでもなおかつ、この作品からは文章を読む快楽が感じられる。芳醇なコーヒーの味わいがする。
ただ、最後の野火についての長い説明については、正直無くても良かったなぁ、退屈だったなぁと思いました。
第二次世界大戦の南方戦線における死者の多くは餓死によるものだった。武器弾薬はおろか食糧の補給もほとんど無かったからである。
主人公がそうとは知らず死んだ日本兵の肉を食べるシーンがある。生きている日本兵を「猿」と呼んで殺して喰うという兵隊も出てくる。戦後のシベリア抑留でも同様のことがあった。抑留された文化人類学者の加藤九祚氏によると、抑留から脱走しようとした二人の日本兵が、食べ物に困ったら喰ってしまおうと、同僚の中で一番気の弱い人を強引に仲間に入れて連れていき、実際に喰ってしまったという。極限まで追い込まれると人間が何をするのか、怖いものがある。
気になるのは「危険が到来せずその予感だけしかない場合、内攻する自己保存の本能は、人間を必要以上にエゴイストにする」というような表現。分かりにくい人間考察がストーリーテリングの中に潜んでいる。
「私の生命の維持が、私の属し、そのため私が生命を提供している国家から保証される限度は、この六本の芋に尽きていた」という文も気になる。何度も読み直し、やっとその意味を理解しました。まるで数式のよう。
この様に、硬くてこなれない文章が縦横に展開され、しかも表現されている世界は人間の極限そのもの。しかし、矛盾するようだが、それでもなおかつ、この作品からは文章を読む快楽が感じられる。芳醇なコーヒーの味わいがする。
ただ、最後の野火についての長い説明については、正直無くても良かったなぁ、退屈だったなぁと思いました。
2019年7月7日に日本でレビュー済み
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野火の映画版を観てから原作に関心を覚え、読了した。
映画では意味不明すぎたラストシーンの意味を理解出来た。
また、著者の文章力も脳裏にありありとその光景が浮かぶようで脱帽した。現代の作家も見習うべき。
映画では意味不明すぎたラストシーンの意味を理解出来た。
また、著者の文章力も脳裏にありありとその光景が浮かぶようで脱帽した。現代の作家も見習うべき。
2018年12月12日に日本でレビュー済み
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戦争小説というジャンルにほとんど手を出して来なかったため、あまり感想を述べるような言葉を持っていないのですが、筆者の文章表現の力強さは、とても参考に出来ないほどの境地にあるように感じ、頭のくらくらするような読後感を味わえたのは、そもそも読書体験として新鮮でした。
文章は緻密極まった濃厚さがありながらも流れるような美しさもあり、こんな文章を書く人がどんな人なのかと思い調べてみると、これまた非常に魅力的な人物なようでもう一冊読んでみようと購入しました。
好きな小説家というものがはっきりといなかった私ですが、多分いつか大岡であるという日がくるのではないかという予感がしています。
文章は緻密極まった濃厚さがありながらも流れるような美しさもあり、こんな文章を書く人がどんな人なのかと思い調べてみると、これまた非常に魅力的な人物なようでもう一冊読んでみようと購入しました。
好きな小説家というものがはっきりといなかった私ですが、多分いつか大岡であるという日がくるのではないかという予感がしています。
2015年11月1日に日本でレビュー済み
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塚本晋也が監督した映画版がとても衝撃的で、原作を読み返したくなりKindleで購入しました。
私は30代で、はじめて本作を読んだのは大学時代でした。当時は、人肉食の問題や戦後のトラウマを扱った後半部のインパクトが強かったのですが、いま読み返してみると、主人公の田村一等兵が「不要物」として軍隊を追放される前半部が印象に残ります。
本作は戦争文学に分類されますが、そもそも既に戦争の体を成していない状況から始まります。「戦争」と言いながら、敵との戦いや争いはほとんど描かれません。作戦は存在せず、組織の命令系統は完全に崩壊していて、極度に腹を空かした男たちが食糧を求めている「だけ」です。
肺病を患った田村は、中隊からも病院からも見捨てられて、熱帯の広大な原野にひとり放たれます。六本の芋を手にして、彼はあてもなくさまよいます(と、書くのは不正確で、彼には死という明確な「あて」があります)。
「名状し難いものが私を駆っていた。行く手に死と惨禍のほか何もないのは、既に明らかであったが、熱帯の野の人知れぬ一隅で死に絶えるまでも、最後の息を引き取るその瞬間まで、私自身の孤独と絶望を見究めようという、暗い好奇心かも知れなかった。」(前半部より)
戦争を描くというよりも、共同体に棄てられた人間の行く末を描いているのがこの小説なのかもしれません。国家に棄てられ、仲間に棄てられ、神に棄てられる。そんな状態に陥った者はどんな人間性(または非人間性)を見せるのか・・
そして、「戦争を描くというよりも」と書いた上の段落に自分でツッコミを入れると、むしろこの「共同体が個人を見捨てる」ことが、辞書的な意味ではすくい取れない、戦争の本質なのだと思いました。
「若者を戦争に行かせる国」はコワいかもしれませんが、もっとコワいのは、共同体の存続を目的とする戦争は、若者だろうが何だろうがその成員を見捨てる、という社会的/精神的な暴力性かもしれません。野火を読み返して、物理的な暴力や飢餓と同じくらい、この暴力性に恐怖を感じました。
私は30代で、はじめて本作を読んだのは大学時代でした。当時は、人肉食の問題や戦後のトラウマを扱った後半部のインパクトが強かったのですが、いま読み返してみると、主人公の田村一等兵が「不要物」として軍隊を追放される前半部が印象に残ります。
本作は戦争文学に分類されますが、そもそも既に戦争の体を成していない状況から始まります。「戦争」と言いながら、敵との戦いや争いはほとんど描かれません。作戦は存在せず、組織の命令系統は完全に崩壊していて、極度に腹を空かした男たちが食糧を求めている「だけ」です。
肺病を患った田村は、中隊からも病院からも見捨てられて、熱帯の広大な原野にひとり放たれます。六本の芋を手にして、彼はあてもなくさまよいます(と、書くのは不正確で、彼には死という明確な「あて」があります)。
「名状し難いものが私を駆っていた。行く手に死と惨禍のほか何もないのは、既に明らかであったが、熱帯の野の人知れぬ一隅で死に絶えるまでも、最後の息を引き取るその瞬間まで、私自身の孤独と絶望を見究めようという、暗い好奇心かも知れなかった。」(前半部より)
戦争を描くというよりも、共同体に棄てられた人間の行く末を描いているのがこの小説なのかもしれません。国家に棄てられ、仲間に棄てられ、神に棄てられる。そんな状態に陥った者はどんな人間性(または非人間性)を見せるのか・・
そして、「戦争を描くというよりも」と書いた上の段落に自分でツッコミを入れると、むしろこの「共同体が個人を見捨てる」ことが、辞書的な意味ではすくい取れない、戦争の本質なのだと思いました。
「若者を戦争に行かせる国」はコワいかもしれませんが、もっとコワいのは、共同体の存続を目的とする戦争は、若者だろうが何だろうがその成員を見捨てる、という社会的/精神的な暴力性かもしれません。野火を読み返して、物理的な暴力や飢餓と同じくらい、この暴力性に恐怖を感じました。
2015年8月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
途中、というより冒頭から「私」の生への執着が感じられず不謹慎ながら弛緩した展開に眠気を催す。徴兵された普通の兵士の最期は映画的ドラマティックさとは無縁のこうした淡々とした地獄絵図の中のそれが最も現実に近いのかもしれないとは思うものの、不謹慎かもしれないがこのシチューションにはもっと分かりやすく暴力的・破壊的・背徳的なプロットのほうが似つかわしいのではないかとも思ってしまった。上梓された時代を考えればこれでも十分インパクトはあったのだろうけれど。