明治から昭和にかけて
陽は当たっていないが日本経済に多大な貢献をした人々の話。
少し前の銀行への公的資金投入に
似た事例が戦前にあったことは同書を読み初めて知った。
もっとも、公的資金投入に対する対応方法は、現代の方々と
180度異なりますが・・。
金融機関のかたに自戒の意味をこめてお勧めいたします。

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気張る男 (文春文庫 し 2-28) 文庫 – 2003/2/7
城山 三郎
(著)
明治初期、銀行、繊維、鉄道、ビール会社など次々と創業し、関西一の財界人となった松本重太郎の波瀾に富んだ生涯を描いた傑作小説
- 本の長さ295ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2003/2/7
- ISBN-104167139286
- ISBN-13978-4167139285
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2003/2/7)
- 発売日 : 2003/2/7
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 295ページ
- ISBN-10 : 4167139286
- ISBN-13 : 978-4167139285
- Amazon 売れ筋ランキング: - 498,407位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1927-2007)名古屋生まれ。海軍特別幹部練習生として終戦を迎えた。一橋大学卒業後、愛知学芸大学に奉職、景気論等を担当。1957(昭和32)年、『輸出』により文学界新人賞、1959年『総会屋錦城』で直木賞を受け、経済小説の開拓者となる。吉川英治文学賞、毎日出版文化賞受賞の『落日燃ゆ』の他、『男子の本懐』『黄金の日日』『役員室午後三時』『毎日が日曜日』『官僚たちの夏』『もう、きみには頼まない』『硫黄島に死す』『指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく―』等、多彩な作品群は幅広い読者を持つ。1996(平成8)年、菊池寛賞を、2002(平成14)年、朝日賞を受賞。2007年3月22日没。享年79。没後発見された愛妻への遺稿『そうか、もう君はいないのか』と、愛妻が倒れる前年から最晩年まで自らを励ますかのように綴られた手帳の記述をまとめた『どうせ、あちらへは手ぶらで行く』は世代を超えたベストセラーとなった。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年1月13日に日本でレビュー済み
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関西の鉄道関係者には良く知られた松本重太郎。「西の渋沢栄一」と言われる程、明治日本の幕開けに貢献した大人物ながら
事業失敗により渋沢や安田のように強く後世に名を残すことは出来なかった。
右肩上がりの成長期には、彼のようなバイタリティーのある人物の成功は叶うのであろう。
ただ一度不況に突入すると、モノを売るような経営哲学では銀行の破綻は時間の問題である。
但し、我々の今の生活は彼の実績の上に成り立っている事を忘れてはならない。
そして日本人は題名の「気張る」を彼から学ぶべきだ。
また初めての店となる平野町の店を買う際に、商人の先輩方である御贔屓衆が出世払いとして大金を出す
当時の大阪商人の粋な姿も今の日本人には眩しいところだ。本書お勧めします。
事業失敗により渋沢や安田のように強く後世に名を残すことは出来なかった。
右肩上がりの成長期には、彼のようなバイタリティーのある人物の成功は叶うのであろう。
ただ一度不況に突入すると、モノを売るような経営哲学では銀行の破綻は時間の問題である。
但し、我々の今の生活は彼の実績の上に成り立っている事を忘れてはならない。
そして日本人は題名の「気張る」を彼から学ぶべきだ。
また初めての店となる平野町の店を買う際に、商人の先輩方である御贔屓衆が出世払いとして大金を出す
当時の大阪商人の粋な姿も今の日本人には眩しいところだ。本書お勧めします。
2013年6月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人物を書かせたら城山が一番、いつもその人なりの研究の奥深さに感じ入る
2011年8月4日に日本でレビュー済み
この「気張る男」を読むときに、当時の日本経済の全体像を把握しておきたい。
大阪商工会議所の資料で、「昭和元年の大阪市の生産額は約8億96百万円、東京市は約3億68百万円、大阪が全国のトップであった。
しかし、次第に軍事色、統制色が強まるなか東京の産業が急テンポで重化学工業化を進めた結果、昭和10年前後に東京が大阪を
抜いた。」つまり、松本の活躍した時代に天下の台所大阪は健在で、東京は政治と中央官庁、それに人材を送り出す大学はあったが、
産業と呼ばれるものは、お抱え外国技術者による国営企業が苦戦しながら道を開きつつあり、当時の繊維を中心にした軽工業は
東洋のマンチェスターと呼ばれた関西(大阪)を中心に花を咲かせ、外貨を稼いでいた。
関東では、渋沢や安田や根津らの民のビジネスが始まってはいたが、三菱や三井などの政商を中心に官と進めるビジネスが主流で、
逆に関西では、「鼠」鈴木商店の金子直吉や、この本の松本重太郎など、民業に綺羅星のごとく数多く優れた経営者がいた。
城山さんのこれら本のように、もっと掘り起こされるべきなのだが。
結局、昭和の時代に関東が軍ともつるんで経済面でも全国を牛耳ることと、戦後の財閥解体で地方財閥は解体され、戦中に国の
一県一行政策を経て地方銀行を集約した財閥系巨大銀行はそのまま中央に残り、東京中心経済史観が皆の頭の中に巣くってしまう。
あとがきに佐高信が、城山の書く人物の選択理由を述べているが、「完結していなくてどこかに入り口のある人」とある。
もう少し長生きして、関西の(だけでなく地方の)埋もれている経済人をもっともっと掘り起こして欲しかった。
話はかわるが、重太郎が高野山の寺院の修復に努めたことは本文に詳しいが、文中に出る大和屋の阪口ウシの子息祐三郎も高野山
金堂脇に姿の美しい六角二層の経蔵を寄進しているので、現地に足を運ばれる機会があれば見ておきたい。
大阪商工会議所の資料で、「昭和元年の大阪市の生産額は約8億96百万円、東京市は約3億68百万円、大阪が全国のトップであった。
しかし、次第に軍事色、統制色が強まるなか東京の産業が急テンポで重化学工業化を進めた結果、昭和10年前後に東京が大阪を
抜いた。」つまり、松本の活躍した時代に天下の台所大阪は健在で、東京は政治と中央官庁、それに人材を送り出す大学はあったが、
産業と呼ばれるものは、お抱え外国技術者による国営企業が苦戦しながら道を開きつつあり、当時の繊維を中心にした軽工業は
東洋のマンチェスターと呼ばれた関西(大阪)を中心に花を咲かせ、外貨を稼いでいた。
関東では、渋沢や安田や根津らの民のビジネスが始まってはいたが、三菱や三井などの政商を中心に官と進めるビジネスが主流で、
逆に関西では、「鼠」鈴木商店の金子直吉や、この本の松本重太郎など、民業に綺羅星のごとく数多く優れた経営者がいた。
城山さんのこれら本のように、もっと掘り起こされるべきなのだが。
結局、昭和の時代に関東が軍ともつるんで経済面でも全国を牛耳ることと、戦後の財閥解体で地方財閥は解体され、戦中に国の
一県一行政策を経て地方銀行を集約した財閥系巨大銀行はそのまま中央に残り、東京中心経済史観が皆の頭の中に巣くってしまう。
あとがきに佐高信が、城山の書く人物の選択理由を述べているが、「完結していなくてどこかに入り口のある人」とある。
もう少し長生きして、関西の(だけでなく地方の)埋もれている経済人をもっともっと掘り起こして欲しかった。
話はかわるが、重太郎が高野山の寺院の修復に努めたことは本文に詳しいが、文中に出る大和屋の阪口ウシの子息祐三郎も高野山
金堂脇に姿の美しい六角二層の経蔵を寄進しているので、現地に足を運ばれる機会があれば見ておきたい。
2000年11月19日に日本でレビュー済み
城山は、松本重太郎が好きである。この本に限らず、城山の書く主人公は皆、城山が好きな男達である。我々もそんな城山が好きで、また、その男達にも惚れてしまうということが誰にも経験があるだろう。この本では経営者としての松本重太郎よりも、かなりの文量を、その人となりを語る事にあてている。おそらく経営者としての主人公は、やはり失敗者であったことは否めないのであろう。だが、その生き方は時代を超え、影響を受けるに値するものであったことを、城山は伝えてくれている。