特定の政治的な立場や、偏向した観点を、極力排除し、靖国神社の創建の経緯や、その変遷・特徴、それを取り巻く問題等が、わかりやすく整理されているので、入門書として最適です。
靖国神社の特徴は、政府や国家の存続に貢献して戦死した、軍人・軍属(陸海軍文官・技師等、軍隊所属の非軍人)等を、家族の同意なく祭神とし(民間人は対象外)、終戦までは軍部が神社を管轄、戦争のたびや神社・政府の意向で、祭神が増加・合祀され、現在の祭神は、約246万6600人(柱)です。
本書では、靖国神社の変遷をおおむね、内戦の時代→対外戦争の時代→戦死後に靖国での再会を誓い合った時代→戦後の平和の時代に、4区分されています。
靖国神社の前身は、新政府軍が旧幕府軍に勝利した戊辰戦争(1868-69年)の際の、新政府軍側の戦死者(約7800人)を慰霊・鎮魂した東京招魂社(1869年)で、内戦の時代は、官軍の戦死者が対象で、賊軍の戦死者は、除外・差別化されています。
そののち、宮古島民遭難・殺害事件がきっかけの台湾出兵(1874年)での戦死者(約1100人)、士族の反乱(~1877年)を鎮圧した際の、政府軍側の戦死者(約7000人)が合祀されており、靖国神社と改称され(1879年)、一般の神社とは別格に取り扱われました(別格官幣社)。
また、倒幕・維新の際の、勤王(新政府側)の志士の戦死者(約3600人)にも、合祀を拡大しており(1883年~)、新政府は、国民の興味を引き付け、国民が徴兵令(1873年)で召集された官軍を支持するよう、働き掛けたようです。
対外戦争の時代は、日清戦争(1894-95年、約1万3600人)・日露戦争(1904-05年、約8万8400人、戦病死者が戦死者の約86%もいたので、これより戦病死者も祭神の対象に)、第一次世界大戦(1914-18年、約4900人、中国・青島攻撃等)・満州事変(1931年、約1万7200人)と、戦死者が急増しました。
戦死後に靖国での再会を誓い合った時代は、日中戦争(1937-45年、約19万1300柱)・アジア太平洋戦争(1941-45年、約213万3900人)と、戦局の悪化で、戦死者が膨大になりましたが、戦時中のほとんどが、戦勝の情報なので、神社の祭典も、重々しくなく、敗戦濃厚な末期に、一変したようです。
日中戦争・アジア太平洋戦争での戦死者の大半は、戦後の平和の時代に合祀されましたが、GHQは、しばらく合祀を禁止していたのに、秘密裏で戦死者の調査を継続しており、敗戦4年後(1949年)頃から、合祀の再開が容認され、準軍属(陸海軍が要請した戦闘参加者等)も、合祀の対象となりました。
戦後の靖国神社は、民間の宗教法人となりましたが、厚生省引揚援護局(職員の元軍人が主導)が、遺族年金用の名簿を作成し、それを靖国神社に提供したので、国家との密接な関係を継続しており、政教分離に抵触していたともいえます。
日本の独立が回復すると(1952年)、遺族の団体は、靖国神社の祭祀費用を国家が負担するよう、政府に要求し、現状のままだと、政教分離に抵触するので、非宗教化しなければいけませんが、靖国神社がそれを拒否したので、国会で度々廃案になり(~1974年)、国家護持は結局、実現しませんでした。
国際軍事裁判での戦争犯罪人(戦犯)の合祀では、厚生省引揚援護局側は、積極的だった一方、靖国神社側は、消極的だったようですが、両者とも、将来、戦犯の合祀が問題視される可能性もあると懸念していたようです。
B(戦争犯罪)C(人道に対する罪)級戦犯(937人が死刑)は、合祀決定の翌年(1959年)から実現しましたが、国内外から特に批判されませんでした。
A(平和に対する罪)級戦犯(25人が死刑)は、合祀決定の9年後(1978年)に実現しており、なかなか合祀されなかったのは、当時の靖国神社の宮司(元皇族)が保留したからで、その宮司が死去・交代すると、新宮司(元海軍)が秘密裏に合祀しました(1979年に、新聞記事でA級戦犯の合祀が公表)。
昭和天皇は、もし、A級戦犯を合祀すれば、自分が靖国参拝できなくなると、事前に通告しましたが、交代後の新宮司は、それを承知で強行したので、これ以降、天皇は靖国参拝しなくなりました(最後が1975年)。
首相の靖国参拝で、政教分離に抵触すると疑問視されたのは、三木武夫が最初で(1975年)、当時は、公人か私人かが問題で、私人としての参拝で対応しています(玉串料は私費、公用車の使用は警備上OK、地位の記帳も慣例なのでOK、閣僚等の同行者も知人なのでOKが、政府の統一見解です)。
中曽根康弘は、あえて正式の作法をせず、公人として参拝したと発表すると(1985年)、はじめて中国が(韓国・香港・シンガポール・ベトナム・ソ連等も)、首相のA級戦犯合祀の靖国参拝を、公式に非難しました。
これ以降、首相が靖国参拝するたびに、中国・韓国が反応し、最近では、アメリカが、日中・日韓の関係悪化と、A級戦犯合祀の靖国参拝は、東京裁判の否定にもつながりかねないので、参拝を嫌悪しています(2013年)。
なお、「おわりに」での、集団的自衛権の行使容認にともなう、自衛隊の戦死者の靖国神社への合祀は、名簿を政府から靖国神社へ提供すれば、現在だと、政教分離に違反となるうえ、信教の自由にも抵触するので、現実的ではありません。
ここからは私見ですが、靖国神社の問題を解決するには、靖国神社自身が、境内の一角に、本社とは区画して摂社か末社を建立、そこにABC級戦犯のみを遷座し(分祀・分霊でなく)、本社は戦没者の慰霊・追悼施設、摂社か末社は戦犯の祟り・罪を清める施設と、明確に区分して対応するのが得策です。
この方法は、かつて明治天皇が、神田明神に参拝する際(1874年)、逆賊の平将門も祭神の一人(一柱)だったので、将門のみを事前に、境内の摂社へ遷座することで対応した先例を参考にしています。
神道には、現世利益しかなく(死は穢れです)、「戦死したら靖国神社で再会できる」という信仰は、浄土宗・浄土真宗・時宗等の念仏による、極楽浄土での生まれ変わりを想起させ、仮死→再生を希求した来世利益です。
また、神道には、「死んだら誰でも神になれる」という思想はなく、靖国神社でも、賊軍は祭神になっておらず、歴代天皇でさえも、全員が祭神にはなっておらず、これは、浄土真宗の「死んだら誰でも仏になれる(成仏=極楽浄土へ往生できる)」を真似していると推測できます。
神道で、人間が祭神になれるのは、神武天皇(初代)・明治天皇(122代)や豊臣秀吉・徳川家康等の、功績のある死者か、菅原道真・崇徳天皇(75代)等の、祟りを鎮めたい死者(祟り神)の、いずれかに限定され、一般の軍人・軍属等の戦死者は、政府や国家に貢献・功績があったとみなすことができます。
一方、祟り神は、無念・非業の死を遂げた人物が対象で、その人物を祀れば、守護神として働くとされているので、ABC級戦犯は、祟り神として、本社とは別棟の、摂社か末社に遷座して祭祀すべきで、そうすれば、天皇・首相や海外の要人等の、靖国神社(本社)参拝の障害が、大幅に取り除けます。
筆者は、安倍晋三が、靖国神社の本殿とともに参拝した(2013年)、境内の鎮霊社(本殿の合祀者以外の、国内外での戦没者を慰霊した祠/ほこら)に注目していますが、神社は本来、目的別に本社・摂社・末社等が共存できる、多様な世界(多神教)なので、これからは、柔軟な対処も必要になります。
合祀は、明治後期~大正期に、複数の中小零細の神社の祭神を、ひとつの神社に整理・統合した際にも実行されており(寄宮/よせみや、一村一社制)、諸祭神の分割は、その反対の行為なので、受け入れやすく、戦後に靖国が、無宗教施設でなく、神道形式を選択したなら、これが自然な方法でしょう。

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
靖国神社 (幻冬舎新書 し 5-7) 新書 – 2014/7/30
島田 裕巳
(著)
戦後、解体された軍部の手を離れ、国家の管理から民間の一宗教法人としての道を歩んだ靖国神社。国内でさまざまな議論を沸騰させ、また国家間の対立まで生む、このかなり特殊な、心ざわつかせる神社は、そもそも日本人にとってどんな存在なのか。また議論の中心となる、いわゆるA級戦犯ほか祭神を「合祀する」とはどういうことか。さらに天皇はなぜ参拝できなくなったのか――。さまざまに変遷した一四五年の歴史をたどった上で靖国問題を整理し、そのこれからまでを見据えた画期的な書。
- 本の長さ215ページ
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎
- 発売日2014/7/30
- ISBN-104344983513
- ISBN-13978-4344983519
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
一九五三年東京都生まれ。宗教学者、文筆家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。主な著作に『日本の10大新宗教』『平成宗教20年史』『葬式は、要らない』『戒名は、自分で決める』『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(すべて幻冬舎新書)、『0葬』(集英社)、『仏像鑑賞入門』(新潮新書)、『比叡山延暦寺はなぜ6大宗派の開祖を生んだのか』(ベストセラーズ)等がある
登録情報
- 出版社 : 幻冬舎 (2014/7/30)
- 発売日 : 2014/7/30
- 言語 : 日本語
- 新書 : 215ページ
- ISBN-10 : 4344983513
- ISBN-13 : 978-4344983519
- Amazon 売れ筋ランキング: - 437,496位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

宗教学者、作家。東京大学文学部卒業、同大学大学院人文科学研究会博士課程修了(専攻は宗教学)。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。
現代における宗教現象、新宗教運動、世界の宗教、葬式を中心とした冠婚葬祭など、宗教現象については幅広く扱う。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2015年12月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
靖国問題って僕が子供の頃はそんなに騒がれていなかった。特に外交問題として扱われるようになったのはつい最近のことだ。近隣諸国が一方的に日本を責めるために騒ぎを大きくしたような気がしてならない。それが事実なのか、それとも僕の勝手な被害妄想なのか、考えるための材料が欲しかった。特に客観的な視点として、政治家やジャーナリストよりも学者の本が読みたかった。かといって、専門書のようなものは難しく、金額的にも高くて手軽に読めるものは少ない。
だから島田裕巳氏が新書で靖国神社の本を出していると知るや、購入手続きを済ませてしまった。
読む前に一番疑問だったのは、今までに読んだ古事記や神社についての本には、靖国神社の主要な儀式である合祀や招魂について書かれていない事で、伝統的な神道とは明らかに違うようだと思っていた。
その考えは正しかった。靖国神社のルーツは京都東山の寺に建てられた慰霊の施設にあり、必ずしも神社として始まったわけではないらしいことや、合祀の対象が政府や軍部の都合に合わせるようにして大きく変遷を遂げてきたことなど、視点を定める上で決定的な事実を知ることができたのはありがたかった。読みながら、そういえば最近は「国家神道」という言葉自体、使われなくなったなと気づいたりもした。それは明治時代、富国強兵のために軍部が主導して成立した新興宗教であり、かつては戦争への反省の意味を込めてそう呼ばれていた。
宗教学者としての島田裕巳氏に聞きたいことは、そもそも人間の側から他の人の魂をあなたを神として認定しますとか、しませんとかいうこと、しかもその死が政治的にどのような作用をもたらしたかによって決定されるということが宗教として、信仰としてどうなのか、根本的な問題としてそのようなことで本当に神様になれるかどうかは別にして、不遜な態度ではないのか。またどうして当時の人たちがそのようなことを信じることができたのかということだ。
最近のマザーテレサのようにキリスト教にも生前の行いによって、列聖と称して神格化される人物はまれにいるが、それに比べ合祀され神となった日本人の数の多さは節操がないといわれても仕方がないような気がする。このようなことについて本書での島田氏はあくまでも自分の個人的な意見を入れてこない。内容を広げず、ポイントを絞って歴史を辿っていくことに島田氏の主旨を見ることができる。
史料や新聞記事などに基づいて、淡々と世相と政治と事実を述べ続けている。明治から昭和初期まで、政治的に安定していない時期の出来事は原因や目的がはっきりしているため分かりやすい。戦後の成長期以後は靖国神社と大票田として力の強かった遺族会と自民党の駆け引きが続く。後半は退屈な展開で読むのに時間が掛かってしまった。
戦後70年を迎え、戦争遺族が少なくなっていく中で、靖国神社はその存在意義について改めて問われる時代がきていると思う。
本書を読んで考えたことだが、欧米では「英雄」が尊ばれるのに対して、日本ではそれはあまり語られず、代わりに「英霊」という言葉がもっぱら使用される。つまり欧米では作戦のたびに生きて帰り、その結果戦果を積み上げたものを評価するのであり、日本人は合祀を意識したために、戦果よりも国のために戦って死んだ者を賞賛したのだ。この考え方が、神風などの特攻戦を推進させたのではないか。特攻作戦と靖国神社が合体することで「英霊」をインスタントに大量生産する仕組みが完成した。靖国で合祀され神となることを本気で信じた若者がいたとしたら、彼らにとっても都合の良いシステムだったと言えるだろう。また戦後補償の対象者が靖国神社に合祀された軍人、軍属の名簿を元に決定されたこともその偏重した価値観を示している。日本人が太平洋戦争に感じるなんとも言えない悲壮感は、このように醸成されていったのだと思うと、軍部が宗教を利用することの罪深さを思わずにいられない。
特攻という日本が考えた命の消耗戦は日本軍自体の弱体化を早めたとして、戦後反省点の一つとされている。振り返れば明治以後、帝国主義の「富国強兵」の国策に沿うように働いていたはずの靖国神社は、特攻作戦の開始によって、むしろ国力も軍隊も衰弱させるよう機能を変えてしまっていた。今後集団的自衛権を理由に自衛隊が海外で戦う可能性が出てきた以上、生命を軽視する思想の復活を予防するためにも、靖国神社を問い直さなければならない。
だから島田裕巳氏が新書で靖国神社の本を出していると知るや、購入手続きを済ませてしまった。
読む前に一番疑問だったのは、今までに読んだ古事記や神社についての本には、靖国神社の主要な儀式である合祀や招魂について書かれていない事で、伝統的な神道とは明らかに違うようだと思っていた。
その考えは正しかった。靖国神社のルーツは京都東山の寺に建てられた慰霊の施設にあり、必ずしも神社として始まったわけではないらしいことや、合祀の対象が政府や軍部の都合に合わせるようにして大きく変遷を遂げてきたことなど、視点を定める上で決定的な事実を知ることができたのはありがたかった。読みながら、そういえば最近は「国家神道」という言葉自体、使われなくなったなと気づいたりもした。それは明治時代、富国強兵のために軍部が主導して成立した新興宗教であり、かつては戦争への反省の意味を込めてそう呼ばれていた。
宗教学者としての島田裕巳氏に聞きたいことは、そもそも人間の側から他の人の魂をあなたを神として認定しますとか、しませんとかいうこと、しかもその死が政治的にどのような作用をもたらしたかによって決定されるということが宗教として、信仰としてどうなのか、根本的な問題としてそのようなことで本当に神様になれるかどうかは別にして、不遜な態度ではないのか。またどうして当時の人たちがそのようなことを信じることができたのかということだ。
最近のマザーテレサのようにキリスト教にも生前の行いによって、列聖と称して神格化される人物はまれにいるが、それに比べ合祀され神となった日本人の数の多さは節操がないといわれても仕方がないような気がする。このようなことについて本書での島田氏はあくまでも自分の個人的な意見を入れてこない。内容を広げず、ポイントを絞って歴史を辿っていくことに島田氏の主旨を見ることができる。
史料や新聞記事などに基づいて、淡々と世相と政治と事実を述べ続けている。明治から昭和初期まで、政治的に安定していない時期の出来事は原因や目的がはっきりしているため分かりやすい。戦後の成長期以後は靖国神社と大票田として力の強かった遺族会と自民党の駆け引きが続く。後半は退屈な展開で読むのに時間が掛かってしまった。
戦後70年を迎え、戦争遺族が少なくなっていく中で、靖国神社はその存在意義について改めて問われる時代がきていると思う。
本書を読んで考えたことだが、欧米では「英雄」が尊ばれるのに対して、日本ではそれはあまり語られず、代わりに「英霊」という言葉がもっぱら使用される。つまり欧米では作戦のたびに生きて帰り、その結果戦果を積み上げたものを評価するのであり、日本人は合祀を意識したために、戦果よりも国のために戦って死んだ者を賞賛したのだ。この考え方が、神風などの特攻戦を推進させたのではないか。特攻作戦と靖国神社が合体することで「英霊」をインスタントに大量生産する仕組みが完成した。靖国で合祀され神となることを本気で信じた若者がいたとしたら、彼らにとっても都合の良いシステムだったと言えるだろう。また戦後補償の対象者が靖国神社に合祀された軍人、軍属の名簿を元に決定されたこともその偏重した価値観を示している。日本人が太平洋戦争に感じるなんとも言えない悲壮感は、このように醸成されていったのだと思うと、軍部が宗教を利用することの罪深さを思わずにいられない。
特攻という日本が考えた命の消耗戦は日本軍自体の弱体化を早めたとして、戦後反省点の一つとされている。振り返れば明治以後、帝国主義の「富国強兵」の国策に沿うように働いていたはずの靖国神社は、特攻作戦の開始によって、むしろ国力も軍隊も衰弱させるよう機能を変えてしまっていた。今後集団的自衛権を理由に自衛隊が海外で戦う可能性が出てきた以上、生命を軽視する思想の復活を予防するためにも、靖国神社を問い直さなければならない。
2015年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
靖国問題をウォッチしてきた人間にとって、本書で書かれている歴史的経緯について驚くべきことは書かれていないと思う
ただ今後の靖国のあり方については参考になった部分が多い
不幸なことに今後戦争に日本が巻き込まれたとして・・・・
自衛隊の戦死者をどのように扱うか・・・・
自衛隊の遺族の多くは当然に靖国に合祀されるのを望むであろうし、その場合には靖国は新たな局面においやられるだろう・・・
ある意味、今日のような靖国問題が我が国に存在することが、平和の象徴と言えるかもしれない・・
ただ今後の靖国のあり方については参考になった部分が多い
不幸なことに今後戦争に日本が巻き込まれたとして・・・・
自衛隊の戦死者をどのように扱うか・・・・
自衛隊の遺族の多くは当然に靖国に合祀されるのを望むであろうし、その場合には靖国は新たな局面においやられるだろう・・・
ある意味、今日のような靖国問題が我が国に存在することが、平和の象徴と言えるかもしれない・・
2017年5月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最近よく政治問題、外交問題となる靖国問題を丁寧に開設した一冊。なぜ靖国神社ができたのかから始まり、どうして政治問題、外交問題となるに至ったかを、どこかのイデオロギーに立脚することなく、中立な立場から解説していて分かりやすい。靖国問題を知るためにはまずこの本から始まる。
2015年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これまでニュース報道での靖国参拝に関する報道は見ていても、靖国神社そのものについては恥ずかしながら理解をしていませんでした。
A級戦犯が合祀されている…というくらいにしか。
本書を読んで感じたことは、靖国神社が日本という近代国家形成(戊辰戦争の官軍側戦死者)に始まり、その後の対外戦争(日清・日露・太平洋戦争等)で膨れ上がり、敗戦を経て、現在の矛盾・哀しみ・怒り・失望…を抱えていること。
その姿は、まさに日本国家の象徴…と言っても過言でないと思う。
A級戦犯の分祀などと簡単に片づけられるべきものではなく、日本国家が続き、日本人である限り、背負わざるを得ない宿命にある…。
A級戦犯が合祀されている…というくらいにしか。
本書を読んで感じたことは、靖国神社が日本という近代国家形成(戊辰戦争の官軍側戦死者)に始まり、その後の対外戦争(日清・日露・太平洋戦争等)で膨れ上がり、敗戦を経て、現在の矛盾・哀しみ・怒り・失望…を抱えていること。
その姿は、まさに日本国家の象徴…と言っても過言でないと思う。
A級戦犯の分祀などと簡単に片づけられるべきものではなく、日本国家が続き、日本人である限り、背負わざるを得ない宿命にある…。
2016年6月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
靖国神社とは一体どういった神社なのか,そのことが知るたくて買いました。
2015年9月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
靖国の過去からの変遷や微妙なバランスを保ちながら現在があることがよく分かる。丁寧な解説が非常に分かりやすい。
一方で、やや込み入った内容もあり、物足りなさはない。やや難解な部分もあったが、文献が複数示されており、入門プラスアルファ、といった印象。
中立で書かれた、筆者の姿勢にも共感できる。
一方で、やや込み入った内容もあり、物足りなさはない。やや難解な部分もあったが、文献が複数示されており、入門プラスアルファ、といった印象。
中立で書かれた、筆者の姿勢にも共感できる。