浅間山の噴火レベルが上がった際に、危機管理の一環として購入しました。
雲仙普賢岳の噴火(どちらかと云うと火砕流)は小学生だった当時、繰り返し映像で見てたせいか、記憶の中で映像が残っていたものの、事の成り立ちや被害に関しては断片的な記憶しかなく、本書を通して時系列で知れたことは大きな学びでした。
恥ずかしながら、著者が江川紹子氏だと読み終わるまで気付かず、オウム報道以外もされていることに多少の驚きを持つと共に、「人」の描き方は素晴らしいと感じました。
後半のメディアの取材体制や死者を出してしまった組織的対応に関しては、当時の「働き方」に起因する部分が多いのではないかと感じつつ、現代も続く横並び取材を思うと、改善されたようで、改善されていないのではないかと思った書籍でした。

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大火砕流に消ゆ: 雲仙普賢岳・報道陣20名の死が遺したもの (新風舎文庫 え 104) 文庫 – 2004/12/1
江川 紹子
(著)
- 本の長さ286ページ
- 言語日本語
- 出版社新風舎
- 発売日2004/12/1
- ISBN-104797495111
- ISBN-13978-4797495119
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登録情報
- 出版社 : 新風舎 (2004/12/1)
- 発売日 : 2004/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 286ページ
- ISBN-10 : 4797495111
- ISBN-13 : 978-4797495119
- Amazon 売れ筋ランキング: - 817,903位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2016年12月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あの大火砕流以来、日本のマスコミは何が変わったのか?を考えるにはいい作品であると思う。
個人的には、何も変わっていないと思う。熊本地震でやらかした大阪のテレビ局の失態なんかは、当時のマスコミと全く同じのもがある(これは純粋に報道をしようとする人に対してではなく、一部マスコミの人として社会人としてのモラルを逸脱した行為に対して)。
確かに悲惨な事故ではあるのだが、東日本大震災の津波被害と構図は全く同じで、
火砕流が来ることが分かっていながらこれほどの規模のものが来るとは想像していなかったことや、火砕流に対する無知が最大の原因だと思った。。
もっと行政や九大観測所が積極的に関与していれば、もっと被害は少なかったはず。
これに輪をかけたのが、モラルのない一部マスコミの行為だろう。これらの行為がなければ、消防団員の犠牲者は少なかったはずである。
今のマスコミの状況を考えると犠牲者は浮かばれない。
この本の言葉を借りると、犬死に同然である。
個人的には、何も変わっていないと思う。熊本地震でやらかした大阪のテレビ局の失態なんかは、当時のマスコミと全く同じのもがある(これは純粋に報道をしようとする人に対してではなく、一部マスコミの人として社会人としてのモラルを逸脱した行為に対して)。
確かに悲惨な事故ではあるのだが、東日本大震災の津波被害と構図は全く同じで、
火砕流が来ることが分かっていながらこれほどの規模のものが来るとは想像していなかったことや、火砕流に対する無知が最大の原因だと思った。。
もっと行政や九大観測所が積極的に関与していれば、もっと被害は少なかったはず。
これに輪をかけたのが、モラルのない一部マスコミの行為だろう。これらの行為がなければ、消防団員の犠牲者は少なかったはずである。
今のマスコミの状況を考えると犠牲者は浮かばれない。
この本の言葉を借りると、犬死に同然である。
2019年1月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
何度も読み返したが、ある一点が気にかかって違和感が残る。
それは、大火砕流に遭遇して亡くなった記者達に付き合わされて死亡したタクシー運転手や、彼らに批難を促していたために火砕流に巻き込まれた警官について、著者も関係者も言及していないこと。
著者がフォーカスを当てたのが記者たちだから、あえて書かなかったのかも知れないが、「もらい事故」でなくなった人たちに対して関係者がどう思っているのか、是非とも知りたかった。
それは、大火砕流に遭遇して亡くなった記者達に付き合わされて死亡したタクシー運転手や、彼らに批難を促していたために火砕流に巻き込まれた警官について、著者も関係者も言及していないこと。
著者がフォーカスを当てたのが記者たちだから、あえて書かなかったのかも知れないが、「もらい事故」でなくなった人たちに対して関係者がどう思っているのか、是非とも知りたかった。
2013年8月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あの「報道の罪」と今も語りつがれる火砕流による43名死亡の悲劇を各報道陣、地元民、自衛隊に独自取材した傑作。
この時、無断で報道陣は避難した地元民の住宅を使用し、報道陣のモラルが批判され、さらに6月3日の火砕流で消防団や警官達が巻き添えになって大勢の報道陣が亡くなり批判の声が今もある。
確かに、無断で避難住宅の電話や電気を使用したことは、犯罪に等しいが、火砕流で亡くなった報道陣達も、本当にあからさまに批判できるのか?
「報道と安全」という矛盾した現実を描いている。
読んでると、現場の臭いが伝わってくる。
この時、無断で報道陣は避難した地元民の住宅を使用し、報道陣のモラルが批判され、さらに6月3日の火砕流で消防団や警官達が巻き添えになって大勢の報道陣が亡くなり批判の声が今もある。
確かに、無断で避難住宅の電話や電気を使用したことは、犯罪に等しいが、火砕流で亡くなった報道陣達も、本当にあからさまに批判できるのか?
「報道と安全」という矛盾した現実を描いている。
読んでると、現場の臭いが伝わってくる。
2009年2月28日に日本でレビュー済み
内容は43名の方が亡くなった普賢岳のルポのようですが
実質的には、報道における危機管理や自己責任論、職業
意識のあり方を扱ったジャーナリズム論と言えます。
クラフト夫妻の死亡や、焼け残ったビデオの映像など
個人的に心に強い印象を受けた災害事件ですが
犠牲者を誘発した事で大手マスコミが自主規制の枷を
自らに嵌めていった経緯や、自衛隊が非常に危険な
状況下で派遣された事も本書で改めて知りました。
実感として報道の現場には危険が伴うことも。
だからもしジャーナリストが「行政の勧告やルール
に従って危険な現場には行かない」という姿勢では
受け手(情報の消費者)は情報を得る機会を失い、
物事を判断する幅を狭めてしまうことになる…
という著者の論理には大筋では同意します。
でもモラルや遵法精神と、そういった報道姿勢は
著者の書くようには可分ではないと思います。
そもそも報道という行為には、善い子的な姿勢と
相反する性があるのではないでしょうか(だから
同時に視聴者も常に共犯と言えます)。
もちろん目的のために手段を選ばない姿勢は
許されませんが、その回避のために社内のモラル
教育等の否定よりも、マニュアルでもいいから
それらを通して動的に議論や意識形成を目指す
姿勢を持つことが大切に思います。
著者が寄り処とすべきと言う個人単位での社会常識
や道徳的なコンセンサスは、不変で堅固に存在して
いるか疑問ですし、特定の業界内にいる限りそこで
のローカルな視点や常識から逃れにくいです。
なお本書でも少し言及されていますが、勝手に
家屋に上がって荒らし、安全なヘリで取材しつつ
現場の活動の妨げを行うなどの一部マスコミの行動は
4年後の阪神淡路大震災でも全く同じでしたので何も
変わらなかったようにも思います。
タクシーの運転手の遺族には、その車をチャーターした
大手新聞記者の半分以下の見舞金しか払われなかった事も
決して忘れてはいけない事柄だと思います。
実質的には、報道における危機管理や自己責任論、職業
意識のあり方を扱ったジャーナリズム論と言えます。
クラフト夫妻の死亡や、焼け残ったビデオの映像など
個人的に心に強い印象を受けた災害事件ですが
犠牲者を誘発した事で大手マスコミが自主規制の枷を
自らに嵌めていった経緯や、自衛隊が非常に危険な
状況下で派遣された事も本書で改めて知りました。
実感として報道の現場には危険が伴うことも。
だからもしジャーナリストが「行政の勧告やルール
に従って危険な現場には行かない」という姿勢では
受け手(情報の消費者)は情報を得る機会を失い、
物事を判断する幅を狭めてしまうことになる…
という著者の論理には大筋では同意します。
でもモラルや遵法精神と、そういった報道姿勢は
著者の書くようには可分ではないと思います。
そもそも報道という行為には、善い子的な姿勢と
相反する性があるのではないでしょうか(だから
同時に視聴者も常に共犯と言えます)。
もちろん目的のために手段を選ばない姿勢は
許されませんが、その回避のために社内のモラル
教育等の否定よりも、マニュアルでもいいから
それらを通して動的に議論や意識形成を目指す
姿勢を持つことが大切に思います。
著者が寄り処とすべきと言う個人単位での社会常識
や道徳的なコンセンサスは、不変で堅固に存在して
いるか疑問ですし、特定の業界内にいる限りそこで
のローカルな視点や常識から逃れにくいです。
なお本書でも少し言及されていますが、勝手に
家屋に上がって荒らし、安全なヘリで取材しつつ
現場の活動の妨げを行うなどの一部マスコミの行動は
4年後の阪神淡路大震災でも全く同じでしたので何も
変わらなかったようにも思います。
タクシーの運転手の遺族には、その車をチャーターした
大手新聞記者の半分以下の見舞金しか払われなかった事も
決して忘れてはいけない事柄だと思います。
2007年11月18日に日本でレビュー済み
雲仙普賢岳の大火砕流に飲まれた20人の報道陣。苛烈なる報道合戦の裏に起きた事なのか?それとも、伝えようとするジャーナリスト精神が留まらせた事なのか?一体、あの時、何が起きたのかそして、彼らはどんな人間だったのか。江川氏が、報道陣一人ひとりの人生をあの普賢岳の大火砕流の惨劇まで追った、渾身の一作。そして、事件が終わってしまえば関係ないとそぶりを見せる報道のあり方に、疑問を投げかける一作でもある。