再掲
久々に心を震わされる本でした。
科学者と呼ばれる人は日本に84万人居るそうですが、是非とも全員に読んで貰いたい本です。
本書は核・原子力の問題ですが、現在問題になっているH5N1鳥インフルエンザの遺伝子操作問題(バイオテロ懸念)なんかやiPSの問題(倫理問題)にも通じると思います。科学万能主義を考えてみる事も非常に重要でしょう。
本書は1980年の単行本に「朴の木」改版にあたって、と「私の念願」(郷里、上伊那での教師向け講演1977)を増補。
解説(人間の顔を持った科学へ)を島薗進さんが書かれている。まずは解説から読まれると理解しやすいと思います。そして日本84万人の科学者を代表する日本学術会議の放射能被曝に対する対応に異議を唱えている。
3.11の原発震災を科学者はどの様に捉えるべきなのか、そして科学者の持つべき思想や科学の本質を問われているのだと感じます。発見、発明のその後を科学者は責任を持たないのでよいのか?
1938年 オットー・ハーン原子核分裂発見 44年ノーベル化学賞
1955年7月 ラッセル・アインシュタイン宣言 湯川秀樹も署名 アインシュタインは3カ月後に逝去
1957年7月 カナダ、第一回パグウオッシュ会議 湯川秀樹、朝永振一郎、小川岩雄が日本から参加
唐木氏はラッセル・アインシュタイン宣言で戦争放棄を訴えてはいるが科学・技術の進歩についてはまったく言及していないと指摘。
また第2回以降の会議テーマは「宣言」から離れ、政治的、外交的になった。
科学、技術の無制限、無制約の進歩、発達の肯定、歓迎しながら、他方において、普遍的、恒久的な平和に「助力」することが「科学の責任である」というテーゼはどう考えてもすっきりしない。p86
科学者自身の自責の念、罪の意識の問題。
パグウオッシュ会議に関しては先の「宣言」が人類の一員としての発言と捉えているが、科学者たちが科学の立場で発言しているとその違いを指摘
アインシュタインと宗教;科学と宗教は相対する2次元ではない。(1941) p41
マンハッタン計画へのアインシュタインの関与、その後の広島、長崎への原爆投下(1945)
ハイゼンベルクは自著の中で「荘子」の文章を引用している。(1955) p64
朝永と湯川との違い、そして宗教の問題までに書こうとしていたが絶筆となる。

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「科学者の社会的責任」についての覚え書 (ちくま学芸文庫 カ 1-4) 文庫 – 2012/1/10
唐木 順三
(著)
- 本の長さ173ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2012/1/10
- 寸法10.8 x 1 x 15.2 cm
- ISBN-104480094342
- ISBN-13978-4480094346
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2012/1/10)
- 発売日 : 2012/1/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 173ページ
- ISBN-10 : 4480094342
- ISBN-13 : 978-4480094346
- 寸法 : 10.8 x 1 x 15.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 635,597位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,893位ちくま学芸文庫
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2018年12月10日に日本でレビュー済み
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2013年6月24日に日本でレビュー済み
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いまの時代から見るといささか古いけれど、歴史的文献として価値がある。
2016年12月8日に日本でレビュー済み
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現在でも科学者の社会的責任を言う者は多いが、社会と自らの位置との格闘を通しての発言は少なくなったように見える。唐木順三の絶筆となったこの書は状況と科学者の心理を深く抉ろうとする強い意志に支えられ、現在の科学技術への批判的言説空間においても大きな力を与えるものとなっている。
科学者でさえ大衆の一人となっている現在にあっては、例えば池内了のように現状への批判的態度を強く持っている者の言葉でさえ、霧の中に漂いそうになるが、それを支える唐木のような批判者が存在することが望まれる。
科学者でさえ大衆の一人となっている現在にあっては、例えば池内了のように現状への批判的態度を強く持っている者の言葉でさえ、霧の中に漂いそうになるが、それを支える唐木のような批判者が存在することが望まれる。
2012年11月4日に日本でレビュー済み
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著書に登場する著名な理論物理学者を含めた多くの科学者達の傲慢さや、自分達の優秀さへの自賛の数々を知って呆れたり(もちろんそうではない方もいるが)、湯川秀樹が弟子から”湯川先生でもブッダにはかなわないでしょう”、との言葉にムットして答えた言葉を知っていると、とても”科学者が社会的責任を取る“とは思えないのですが。あのファインマンだってと話は尽きなくなる。朝永振一郎著「物理学とはなんだろうか」この下巻の引用出典の後の1976年の講演「科学と文明」は、
これだけでも一読に値するものであり、朝永振一郎の科学に関する考え方の変遷が広い社会を含んだ問題として論じられている。”ナツーラすなわち自然の女神はベールをかぶっていて、なかなか本当の素顔を見せたがらない。サイエンスはそのベールをまくって素顔をみる。科学はそういうものだということを象徴しているのが物理学賞、あるいは化学賞のメダルになってるわけです。”この例えの文章はノーベル物理学賞受賞者である著者の言葉としては、実に深い意味があります。30年ほど前に、この文章を課したときの学生のレポートの内容は例外なく”なぜ科学者は原子爆弾をつくりだしたのか?”であった。しかし、現代の科学(方法論)への批判を読んでの学生たちのリアクションは当然で自然であったのである。だからと言って朝永信一郎は深く考えているから・・・いいのダ!とは言い切れない。70年代の後半には、科学的方法論の転回点が起きつつあったのであるから。
では哲学・人文系の学者等の社会的責任は如何でしょうか!本著は「覚え書」だから表面的でもいいのでしょうか。人間の本性はヌラリ、ヌラリ・・・。戦争において、文系の学生などは戦地に送られて悲惨な最期を遂げられた。一方、理系の教官、院生・学生などは兵役を免除され、兵器、原爆の製造研究に携わった。湯川、朝永両氏も例外ではない。これは戦時中であり責められるべきでは・・・。
3月11日の原発事故に関して原子力体制の中核であった原子力(炉)工学者共の1人も責任を取っていない現実は!日本政府も、東電も・・・日本で社会的責任を取るなんて”死語”でしょ。戦後、自ら社会的責任を全うした御仁を知りません。科学者は国の決めた方針の下で生かされているという面もある。難しい問題である。本書が“覚え書”と未完になったことは残念である。
本書は、この様な問題を知らない方には是非お読みになって頂きたいと思います。
これだけでも一読に値するものであり、朝永振一郎の科学に関する考え方の変遷が広い社会を含んだ問題として論じられている。”ナツーラすなわち自然の女神はベールをかぶっていて、なかなか本当の素顔を見せたがらない。サイエンスはそのベールをまくって素顔をみる。科学はそういうものだということを象徴しているのが物理学賞、あるいは化学賞のメダルになってるわけです。”この例えの文章はノーベル物理学賞受賞者である著者の言葉としては、実に深い意味があります。30年ほど前に、この文章を課したときの学生のレポートの内容は例外なく”なぜ科学者は原子爆弾をつくりだしたのか?”であった。しかし、現代の科学(方法論)への批判を読んでの学生たちのリアクションは当然で自然であったのである。だからと言って朝永信一郎は深く考えているから・・・いいのダ!とは言い切れない。70年代の後半には、科学的方法論の転回点が起きつつあったのであるから。
では哲学・人文系の学者等の社会的責任は如何でしょうか!本著は「覚え書」だから表面的でもいいのでしょうか。人間の本性はヌラリ、ヌラリ・・・。戦争において、文系の学生などは戦地に送られて悲惨な最期を遂げられた。一方、理系の教官、院生・学生などは兵役を免除され、兵器、原爆の製造研究に携わった。湯川、朝永両氏も例外ではない。これは戦時中であり責められるべきでは・・・。
3月11日の原発事故に関して原子力体制の中核であった原子力(炉)工学者共の1人も責任を取っていない現実は!日本政府も、東電も・・・日本で社会的責任を取るなんて”死語”でしょ。戦後、自ら社会的責任を全うした御仁を知りません。科学者は国の決めた方針の下で生かされているという面もある。難しい問題である。本書が“覚え書”と未完になったことは残念である。
本書は、この様な問題を知らない方には是非お読みになって頂きたいと思います。
2013年10月30日に日本でレビュー済み
55年の「アインシュタイン宣言」の現代物理学の絶対悪にふれて、52年のバグウオッシュ会議参加の湯川秀樹からは、絶対悪に加担した自己懺悔が出てくる基礎もない、との失望や怒りを示した著者の遺作で、真・善・美の統一原理として、幸福をもっと深いところから考えたエッセイ。
科学の発展そのものが人類の幸福を阻害する脅威を孕んでいると見た、朝永振一郎・ハンゼンベルグらを評価する。
その湯川ですら制止をした原発を推進した、現代の物理学者は、湯川にすら劣る。
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その湯川ですら制止をした原発を推進した、現代の物理学者は、湯川にすら劣る。
2019年3月17日に日本でレビュー済み
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今日、福島原発事故の後に、被災者たちは塗炭の苦しみにあっている。
しかし、ほとんどの(99%ともいえる)科学者・技術者が、原発推進の政権や産業界の言いなりになって、異を唱えることをしていない。
唐木が、許せない気持ちで最後の筆を振るったのは、当時の原水爆や原発を推進した科学者たちの能天気であった。
核物理学の成果たる核兵器は、巨大なエネルギーと人類の滅亡をもたらしかねない破壊力を持っているものであった。
ラッセル・アインシュタイン宣言は、その両面を不可分のものとして科学者たちが罪を内面化することを提唱した。
しかし、パグウォッシュ会議および科学者京都会議は、科学者たちは科学研究にまい進すればよく、それを悪用しないようにコントロールする仕事は政治その他の責務である、と、科学者の立場からは外面化してしまった。
唐木は、そのような認識の下で体制の中の素直な働きをして良しとする科学者たちに強い批判を浴びせている。この現象は、今日の原発推進のセクターに奉仕する「御用学者」の姿そのものである。
今日、福島県健康調査の判断基準になているのは、戦後の広島・長崎を、アメリカ軍の都合に合わせてまとめたABCCの調査報告書である。それらを考えても、1980年の唐木の絶筆が示す問題がますます重症化している。
しかし、ほとんどの(99%ともいえる)科学者・技術者が、原発推進の政権や産業界の言いなりになって、異を唱えることをしていない。
唐木が、許せない気持ちで最後の筆を振るったのは、当時の原水爆や原発を推進した科学者たちの能天気であった。
核物理学の成果たる核兵器は、巨大なエネルギーと人類の滅亡をもたらしかねない破壊力を持っているものであった。
ラッセル・アインシュタイン宣言は、その両面を不可分のものとして科学者たちが罪を内面化することを提唱した。
しかし、パグウォッシュ会議および科学者京都会議は、科学者たちは科学研究にまい進すればよく、それを悪用しないようにコントロールする仕事は政治その他の責務である、と、科学者の立場からは外面化してしまった。
唐木は、そのような認識の下で体制の中の素直な働きをして良しとする科学者たちに強い批判を浴びせている。この現象は、今日の原発推進のセクターに奉仕する「御用学者」の姿そのものである。
今日、福島県健康調査の判断基準になているのは、戦後の広島・長崎を、アメリカ軍の都合に合わせてまとめたABCCの調査報告書である。それらを考えても、1980年の唐木の絶筆が示す問題がますます重症化している。