自分には何も出来ないな、と思って考えるのをやめてしまうやるせない出来事は日常のすぐ側にも毎日のニュースにもあって、津村さんはその解決方法を毎日しつこく考え続けてくれているのかも、と思ったりします。
もちろん創作物なのですが、主人公の行動に「嘘」がなく、小説の中で嘘をついたら殺されてしまう契約を誰かとしているのでは?と思うくらい、詳細に慎重に重ねられた言葉で話が進んでいき、ももクロの赤と紫、イースタンユース、雑誌ミーツ、さらば青春の光と天竺鼠、などちょっとだけ出てくる固有名詞のひとつひとつまで異様にキラキラしています。私が知らない洋楽や野球についてもきっとそうなんだろうと想像できます。
(才能についてだけはびっくりするくらいほがらかに信じているように思うのですが、それは津村さんが小説を書くという才能を自分が当たり前に持っていたからなのか、それとも津村さんがすごく好きそうな音楽やスポーツとの今までの関係があるからなのか)とにかく面白くて読んで良かった!と心からおすすめできる小説です。

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エヴリシング・フロウズ 単行本 – 2014/8/27
津村 記久子
(著)
クラス替えは、新しい人間関係の始まり。絵の好きな中学3年生のヒロシは、背が高くいつも一人でいる矢澤、ソフトボール部の野末と大土居の女子2人組、決して顔を上げないが抜群に絵のうまい増田らと、少しずつ仲良くなっていく。母親に反発し、学校と塾を往復する毎日にうんざりしながら、将来の夢もおぼろげなままに迫りくる受験。そして、ある時ついに事件が…。
大阪を舞台に、人生の入り口に立った少年少女のたゆたい、揺れる心を、繊細な筆致で描いた青春群像小説。
大阪を舞台に、人生の入り口に立った少年少女のたゆたい、揺れる心を、繊細な筆致で描いた青春群像小説。
- 本の長さ346ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2014/8/27
- ISBN-104163901124
- ISBN-13978-4163901121
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2014/8/27)
- 発売日 : 2014/8/27
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 346ページ
- ISBN-10 : 4163901124
- ISBN-13 : 978-4163901121
- Amazon 売れ筋ランキング: - 815,932位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2015年1月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読みやすい。え!こんな事ないんじゃないか?と思うエピソードもあるけどまとまりは良い作品。
2021年1月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
津村節。最高です。
とにかくいい仕事をしています。
一読をお薦めします。
とにかくいい仕事をしています。
一読をお薦めします。
2014年8月27日に日本でレビュー済み
傑作でした。声を大にして、お勧めしたい本です。
中学生の男女たちが主人公です。
些細な学級内の人間関係、どーでもいいようなくだらない悩み。
と、思えば深刻な苛めや暴力。
そして親との面倒な関係。
家庭内というコップの中だけど、深刻な嵐。
だけど、後味が悪くなるような悲惨さは無く。
淡々と、薄い曇り空。思春期の明るい憂鬱で、テンポよく読ませて進んでいきます。
その上で、中盤以降はある種のミステリー構造になっていて、どんどん読ませる展開。
そして、あざとくないけど、地獄落ちではない、ぼんやり晴れた感じの終わり方。
いつもの津村節でぐりぐりと、ディティールと些末さでキャラクターが沁みたころに、ドンドンと事件が重なって。
終盤では、チョッピリ、感傷的な風情が描かれるのですが、それがマッタクもってクサく無く。
ちょっとウルっと来てしまいました。
脱帽。
全ては漂っている。エヴリシング・フロウズ。
素敵なタイトルですね。
津村さんの小説は、根を張った現実生活感、ローカルなディティール、身の丈感が満載な分だけ、タイトルが洋語カタカナでも、却って良いなぁ、と。
「すべては漂っている」
だとねえ。ちょっとブンガク感がありすぎるんですね。
なんだか上手く言えませんが。
津村記久子さん、1978年大阪生まれ、大阪育ち、大阪在住の小説家さんです。
一貫して、地味と言えば地味な、でも抽象的だったり観念的だったり哲学的だったりしない、
生活感やディティールの豊富な現代の小説を書かれています。
過度にドラマチックでもなく、現実味のある小さな生活、仕事、暮らし、と言った背景の物語が多いです。
はるか昔に、お友達に「ミュージック・ブレス・ユー」を勧められて以来、読み続けています。
「ミュージック・ブレス・ユー」は、洋楽マニアの女子高生を描いた小説で、これ、とても面白かったです。
順不同ですが、
●「君は永遠にそいつらより若い」では、強者からの理不尽な暴力に傷つき悩む女子大生。
●「カソウスキの行方」では、単調な仕事に就きながら職場の人間関係に悩んだり悩まなかったりする若い女性。
●「婚礼、葬礼、その他」では、婚礼と葬礼が同日に重なった会社員女性のてんやわんやの向こうに、家族や人間関係が見えます。
●「アレグリアとは仕事できない」では、やはり会社員女性、きまぐれな複写機にストレスを爆発させる事件や、職場の人間関係。
●「ポトスライムの舟」では、不安定な非正規雇用の若い女性が、自分や友人の生活上の苦労や未来の不安定さのなかで漂います。
●「八番筋カウンシル」では、商店街育ちの若い男性が鬱で会社員を退職。地元のどろどろを発見しながら、再生していく様子。
●「ワーカーズ・ダイジェスト」では、アラサーの会社員の男女が働きながら日々のストレスや小さな喜びのある暮らしを描いて。
●「まともな家の子供はいない」では、理不尽勝手な親たちに翻弄されながら小学生たちがひと夏をさまよいます。
●「とにかく家に帰ります」では、大雨豪雨という中で、とにかく帰宅を目指す若い会社員たちの小事件を味わい深く語り。
●「ウエストウィング」では、同じビルにある中小企業、小学生の塾、などの群像劇。
●「これからお祈りにいきます」では、複雑な家庭環境のストレスにあえぎながら地域のお祭りに参加する中学生(高校生だったか)。
●「ポースケ」では、近鉄線沿線奈良のカフェを舞台に、従業員などの生活群像劇。
上記の中に、表題作以外の短編があったり、単行本化されていない短編に「給水塔と亀」という、地元にUターンした初老の男性の感慨を描いた好篇があります。
(あえて言えば、
「ポースケ」
「とにかく家に帰ります」
「ワーカーズ・ダイジェスト」
あたりが、僕としては好きです。
でも、他も好きだなあ)
ことほど左様に、「派手ではない、ムツカしくもない。どちらかというと人生上手く行ってない人々の精神風景。ローカル味あふれる行動半径の若い男女の感情を、淡々と、時にコミカルに、時に深刻に、でもほとんど乾いた俯瞰目な肌触りで描く」という持ち味の作家さんだと思います。独断と偏見ですが。
サブカルチャーな固有名詞、地名や店名などに、敢えて現実のコトバをぶち込んで。
やや時として饒舌な長文を使いながら、読み易く平易で、きれいな日本語を使われる、と思います。
そして、ほぼ一貫しているのは、本書「エヴリシング・フロウズ」でも出てくる文章ですが、
「どうしてあいつらは、誰かをねじ伏せないと、気が済まないんだろう」
という、精神的なコトも含めて、僕たちの生活世界の中に常にある、理不尽な暴力。
まあ、判りやすく言うと、「いじめ」「仲間外れ」「揶揄」「あざけり」や「DV」や「パワハラ」「セクハラ」「レイプ」「虐待」と言ったことですね。
そういう社会的な、あるいは肉体的な強者からの見下し。強者からのストレス。
逃れようもない、それらの「痛み」を峻厳に描きます。と言っても、そこは乾いたユーモアとか、客観性は担保されています。
そして同時に、非常に的確で鋭敏で、静かに燃える怒りや反発。
そんなことが、ダンコたる確信と決意で底流を流れている、ということぢゃないでしょうか。
そして常に、どこかしら哀しいくらいに理性的で、孤立的で、ひょろっとしたストロー級のボクサーが、満身創痍になりながら、それでもファイティングポーズを淡々と崩さないような、痛いと同時に凛とした生活上の戦闘の姿勢が印象的です。
僕はそんな持ち味が好きです。
そんな確実な延長線上にある、「エヴリシング・フロウズ」ですが、語り口、展開、ドラマチックさと感動、人間模様、ユーモア、痛さ。
どれをとっても、最高傑作だと思いました。
ほんとに、お勧めです。是非買って読んでいただきたい。
小説を読むのが好きな人、
人間関係で悩んだ少年少女時代があった人、
暴力を恐れたことがある人、
ヤンキー的な主流派に対して面倒やなあと思ったことがある人、
いじめられたり少数派になったりすることが怖かったことがある人、
大阪弁を読みたい人、
大阪市に住んでる人、
大阪市大正区に詳しい人、
映画「大人は判ってくれない」が好きな人、
かつて中学生だったことがある人、
ツール・ド・フランスなどの自転車スポーツが好きな人、
どれかに該当する方々は、きっと読んで損はありません。
(敢えて難点を言えば、僕は滑り出し序盤、ちょっと中味にのめり込むのに手間取った感が。
主人公が、IKEAで「母の彼氏かもしれない男」を目撃するあたり。そのあたりから俄然、乗ってきました。
そこまで、我慢してください!)
中学生の男女たちが主人公です。
些細な学級内の人間関係、どーでもいいようなくだらない悩み。
と、思えば深刻な苛めや暴力。
そして親との面倒な関係。
家庭内というコップの中だけど、深刻な嵐。
だけど、後味が悪くなるような悲惨さは無く。
淡々と、薄い曇り空。思春期の明るい憂鬱で、テンポよく読ませて進んでいきます。
その上で、中盤以降はある種のミステリー構造になっていて、どんどん読ませる展開。
そして、あざとくないけど、地獄落ちではない、ぼんやり晴れた感じの終わり方。
いつもの津村節でぐりぐりと、ディティールと些末さでキャラクターが沁みたころに、ドンドンと事件が重なって。
終盤では、チョッピリ、感傷的な風情が描かれるのですが、それがマッタクもってクサく無く。
ちょっとウルっと来てしまいました。
脱帽。
全ては漂っている。エヴリシング・フロウズ。
素敵なタイトルですね。
津村さんの小説は、根を張った現実生活感、ローカルなディティール、身の丈感が満載な分だけ、タイトルが洋語カタカナでも、却って良いなぁ、と。
「すべては漂っている」
だとねえ。ちょっとブンガク感がありすぎるんですね。
なんだか上手く言えませんが。
津村記久子さん、1978年大阪生まれ、大阪育ち、大阪在住の小説家さんです。
一貫して、地味と言えば地味な、でも抽象的だったり観念的だったり哲学的だったりしない、
生活感やディティールの豊富な現代の小説を書かれています。
過度にドラマチックでもなく、現実味のある小さな生活、仕事、暮らし、と言った背景の物語が多いです。
はるか昔に、お友達に「ミュージック・ブレス・ユー」を勧められて以来、読み続けています。
「ミュージック・ブレス・ユー」は、洋楽マニアの女子高生を描いた小説で、これ、とても面白かったです。
順不同ですが、
●「君は永遠にそいつらより若い」では、強者からの理不尽な暴力に傷つき悩む女子大生。
●「カソウスキの行方」では、単調な仕事に就きながら職場の人間関係に悩んだり悩まなかったりする若い女性。
●「婚礼、葬礼、その他」では、婚礼と葬礼が同日に重なった会社員女性のてんやわんやの向こうに、家族や人間関係が見えます。
●「アレグリアとは仕事できない」では、やはり会社員女性、きまぐれな複写機にストレスを爆発させる事件や、職場の人間関係。
●「ポトスライムの舟」では、不安定な非正規雇用の若い女性が、自分や友人の生活上の苦労や未来の不安定さのなかで漂います。
●「八番筋カウンシル」では、商店街育ちの若い男性が鬱で会社員を退職。地元のどろどろを発見しながら、再生していく様子。
●「ワーカーズ・ダイジェスト」では、アラサーの会社員の男女が働きながら日々のストレスや小さな喜びのある暮らしを描いて。
●「まともな家の子供はいない」では、理不尽勝手な親たちに翻弄されながら小学生たちがひと夏をさまよいます。
●「とにかく家に帰ります」では、大雨豪雨という中で、とにかく帰宅を目指す若い会社員たちの小事件を味わい深く語り。
●「ウエストウィング」では、同じビルにある中小企業、小学生の塾、などの群像劇。
●「これからお祈りにいきます」では、複雑な家庭環境のストレスにあえぎながら地域のお祭りに参加する中学生(高校生だったか)。
●「ポースケ」では、近鉄線沿線奈良のカフェを舞台に、従業員などの生活群像劇。
上記の中に、表題作以外の短編があったり、単行本化されていない短編に「給水塔と亀」という、地元にUターンした初老の男性の感慨を描いた好篇があります。
(あえて言えば、
「ポースケ」
「とにかく家に帰ります」
「ワーカーズ・ダイジェスト」
あたりが、僕としては好きです。
でも、他も好きだなあ)
ことほど左様に、「派手ではない、ムツカしくもない。どちらかというと人生上手く行ってない人々の精神風景。ローカル味あふれる行動半径の若い男女の感情を、淡々と、時にコミカルに、時に深刻に、でもほとんど乾いた俯瞰目な肌触りで描く」という持ち味の作家さんだと思います。独断と偏見ですが。
サブカルチャーな固有名詞、地名や店名などに、敢えて現実のコトバをぶち込んで。
やや時として饒舌な長文を使いながら、読み易く平易で、きれいな日本語を使われる、と思います。
そして、ほぼ一貫しているのは、本書「エヴリシング・フロウズ」でも出てくる文章ですが、
「どうしてあいつらは、誰かをねじ伏せないと、気が済まないんだろう」
という、精神的なコトも含めて、僕たちの生活世界の中に常にある、理不尽な暴力。
まあ、判りやすく言うと、「いじめ」「仲間外れ」「揶揄」「あざけり」や「DV」や「パワハラ」「セクハラ」「レイプ」「虐待」と言ったことですね。
そういう社会的な、あるいは肉体的な強者からの見下し。強者からのストレス。
逃れようもない、それらの「痛み」を峻厳に描きます。と言っても、そこは乾いたユーモアとか、客観性は担保されています。
そして同時に、非常に的確で鋭敏で、静かに燃える怒りや反発。
そんなことが、ダンコたる確信と決意で底流を流れている、ということぢゃないでしょうか。
そして常に、どこかしら哀しいくらいに理性的で、孤立的で、ひょろっとしたストロー級のボクサーが、満身創痍になりながら、それでもファイティングポーズを淡々と崩さないような、痛いと同時に凛とした生活上の戦闘の姿勢が印象的です。
僕はそんな持ち味が好きです。
そんな確実な延長線上にある、「エヴリシング・フロウズ」ですが、語り口、展開、ドラマチックさと感動、人間模様、ユーモア、痛さ。
どれをとっても、最高傑作だと思いました。
ほんとに、お勧めです。是非買って読んでいただきたい。
小説を読むのが好きな人、
人間関係で悩んだ少年少女時代があった人、
暴力を恐れたことがある人、
ヤンキー的な主流派に対して面倒やなあと思ったことがある人、
いじめられたり少数派になったりすることが怖かったことがある人、
大阪弁を読みたい人、
大阪市に住んでる人、
大阪市大正区に詳しい人、
映画「大人は判ってくれない」が好きな人、
かつて中学生だったことがある人、
ツール・ド・フランスなどの自転車スポーツが好きな人、
どれかに該当する方々は、きっと読んで損はありません。
(敢えて難点を言えば、僕は滑り出し序盤、ちょっと中味にのめり込むのに手間取った感が。
主人公が、IKEAで「母の彼氏かもしれない男」を目撃するあたり。そのあたりから俄然、乗ってきました。
そこまで、我慢してください!)
2015年10月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
残りページが少なくなっていくのが淋しいと感じる本は久しぶりだった。
2019年9月15日に日本でレビュー済み
多少設定に無理があるように感じる部分もあったけど、中学生くらいの年齢で感じる特有のモヤモヤ&ヒリヒリ感を節々で思い起こせて楽しく読めた。
2015年1月10日に日本でレビュー済み
中三のクラス発表から始まり、その一年後までを描いて終わるこの小説は、いっそ潔いぐらいの内容だ。自己と家族と学校と、そして友達についてで満たされている。
しかしだからこそ、というべきか読み手の心を打つところが多い。「」(カギカッコ)のつかない朴訥とした喋りのヤザワをはじめ、関西弁特有の率直な、ツッコむような姿勢が全編に渡って続き、一種独特の雰囲気を醸し出している。あるいは著者の本を読むのは初めてなので、一層異様に感じるのかもしれないが。
シンプルながらも貫徹しているのが「誰々が誰々を、どう思う」というのがそれぞれの登場人物の会話の中でほとんど出てこないところだ。
とある悪役にあたる人物が主人公を捕まえ、それに対して疑義を呈している。「どうして(それら)大事なことを口にしないのか?」と。……確かに大事なことだろう。だが間違いなく大事なソレらは容易に口に出してしゃべっていいことなのだろうか? 誰が誰を気にしているとか、好きだとか、身体的な特徴だとか、そんなものは直接しゃべれば分ることだし、なんだったらよく観察すればわかることじゃないか、と。
主人公・ヤマダの一人称の語りはそこまでは文にしていない。そして周辺の彼ら、彼女らの気持ちにしろぶつ切りで終わってしまう関西弁の一言や行動やらで察するしかない。けれど、甘ったるい感情の吐露に食傷気味の人には、このそっけなさ、潔さが逆に気持ちいいんじゃないかと思う。
ただし第1章は主人公・ヤマダとその家族についてだけで、拡がりがない。もちろん今後の展開を考えると抜くことのできないセンテンスではあるが、抜群の面白さで迫る中盤~後半の前のココで手を止めてしまう人が多かったとしても責められないだろう。欠点があるとしたら第1章の閉塞的な部分と、古臭く感じる表紙とセットで挿入される挿絵ぐらい。掴みこそ弱いが、優れた青春小説ではないかと思う。
しかしだからこそ、というべきか読み手の心を打つところが多い。「」(カギカッコ)のつかない朴訥とした喋りのヤザワをはじめ、関西弁特有の率直な、ツッコむような姿勢が全編に渡って続き、一種独特の雰囲気を醸し出している。あるいは著者の本を読むのは初めてなので、一層異様に感じるのかもしれないが。
シンプルながらも貫徹しているのが「誰々が誰々を、どう思う」というのがそれぞれの登場人物の会話の中でほとんど出てこないところだ。
とある悪役にあたる人物が主人公を捕まえ、それに対して疑義を呈している。「どうして(それら)大事なことを口にしないのか?」と。……確かに大事なことだろう。だが間違いなく大事なソレらは容易に口に出してしゃべっていいことなのだろうか? 誰が誰を気にしているとか、好きだとか、身体的な特徴だとか、そんなものは直接しゃべれば分ることだし、なんだったらよく観察すればわかることじゃないか、と。
主人公・ヤマダの一人称の語りはそこまでは文にしていない。そして周辺の彼ら、彼女らの気持ちにしろぶつ切りで終わってしまう関西弁の一言や行動やらで察するしかない。けれど、甘ったるい感情の吐露に食傷気味の人には、このそっけなさ、潔さが逆に気持ちいいんじゃないかと思う。
ただし第1章は主人公・ヤマダとその家族についてだけで、拡がりがない。もちろん今後の展開を考えると抜くことのできないセンテンスではあるが、抜群の面白さで迫る中盤~後半の前のココで手を止めてしまう人が多かったとしても責められないだろう。欠点があるとしたら第1章の閉塞的な部分と、古臭く感じる表紙とセットで挿入される挿絵ぐらい。掴みこそ弱いが、優れた青春小説ではないかと思う。
2015年11月1日に日本でレビュー済み
中学生の時期とは遠く隔たってしまった自分なので、
中学男子が主人公の話はどうかなあ、と思って読み始めたのですが、
最初の地図で、「え、なにこれ、リアルに大正区やん」
と思って引き込まれました。
大阪の人間からしたら、眼鏡橋もイケアもイメージとして浮かぶので、
読んでいて、大変楽しかったです。
久しぶりにイケアに行って、家具ではなく、お菓子を買いたくなりました。
話は、最初はたらたらしているような気がしたのですが、
ヤザワが噂を流されたり、女子たちと文化祭の準備をするあたりから
不穏な空気が漂い始めます。
しかし、こんなふうな、いつもは目立たないけれど、
本当に必要なときには、頑張ってくれて、
なにげに頼りになるのに、
聞かれたくないことは察してほっておいてくれる中学生男子って
いそうで、じつはいないんじゃないかな、いや、意外といるのかな、
と思ったりしました。
中学男子が主人公の話はどうかなあ、と思って読み始めたのですが、
最初の地図で、「え、なにこれ、リアルに大正区やん」
と思って引き込まれました。
大阪の人間からしたら、眼鏡橋もイケアもイメージとして浮かぶので、
読んでいて、大変楽しかったです。
久しぶりにイケアに行って、家具ではなく、お菓子を買いたくなりました。
話は、最初はたらたらしているような気がしたのですが、
ヤザワが噂を流されたり、女子たちと文化祭の準備をするあたりから
不穏な空気が漂い始めます。
しかし、こんなふうな、いつもは目立たないけれど、
本当に必要なときには、頑張ってくれて、
なにげに頼りになるのに、
聞かれたくないことは察してほっておいてくれる中学生男子って
いそうで、じつはいないんじゃないかな、いや、意外といるのかな、
と思ったりしました。