この本の原書を調べて、サンプルの立ち読みをしましたが、翻訳版とは少し違った本の部立てだったと思います。
翻訳版の方が、気分が穏やかになるようなお茶目なイラスト付きで、紙質や文字のレイアウトなど、HSPの方向けに本当にこだわっていて寄り添った内容です。
水色と緑を合わせた、ターコイズ色(?)が、特に目に優しいです。とても気に入っている色です。
いくつかの機関に通っている私について、ここから長いですが書きます。
「自分の長所が大切で、お薬の処方でどうにかなる問題ではない」と、お薬の処方を勧めない治療家さんと多く会います。ですが、私のADDというのは脳の機能の問題なのだそうです。
精神療法が、治療の対象としている私の精神って、一体何なのでしょうか?
脳なのでしょうか?
あくまで、個人的で医学的な問題?自分の内面にある問題がウイルスみたいなもので、それを取り去ればおしまい、のような感じ?精神医学って、そういう医学なのでしょうか?
「薬をむやみに処方しない」って、大切なことだと思います。だからって、カウンセリングが代替手段のように扱われても困ります。私は実は、治療の対象が何なのか、自分で全く分かっていません。
私の問題は、私の内部のどこにあるのか、自分でも分かっていません。先天的な脳の問題なのか、スキルの問題なのか。切り分けられないでしょうが、そこで苦しんでいるんです。
「自分に問題があると思って、それを粗探ししようとする自分」、「心の問題が生まれないように、自分をチェックする自分」が、問題である気がします。
あと、なんか、心=ストレスという言葉に置き換わってしまっている感じです。タンクのお水を放出するかのように、「溜まったストレスは減らしましょう」と謳う、メンタルヘルスの主張をどうしても理解できません。
私の内部の問題として、すっきりとストレスが減れば万事が順調になる、という見方に対して、そんな気がしないのです。それで上手くいく人もいるかもしれないけれど。
メンタルヘルスって、それで上手くいく人を増やし続けるのが課題みたい。そうならない人って、逸脱者扱いされてしまう感じ。
ストレスが、ウイルス扱いされているように見えます。
見方を変えると、私はもしかすると、薬でなんとかならないほどに、重症なのかもしれません。
メンタルヘルスって本もあるし、私たちの周りでこんなに浸透しているように見えます。でも、メンタルヘルスが実現している気がしません。なんか状況は、どんどん過酷になって行っている感じ。精神医学って、自己啓発と境界がなくなっている感じ。
メンタルヘルスが本当に実現されたら、コーチやカウンセラーさんって、失職してしまうと思います。
コーチやカウンセラーさんって、プライベートで誰かに悩みを相談された時、私に接するように、その方に接するのでしょうか?
私は逸脱者で、治療が必要な人間として接されている思いがします。オアシスの中で、丁重にホスピタリティを受ける感じ。
でも私、丁重にもてなされるような関係が好きではないんです。私は、金蔓や顧客としてしか扱われないんです。どんなに痛くて辛くても、実際にコーチやカウンセラーが見ているのは、自分の利益です。温かい言葉のセールストークに騙されてはいけないです。
私を別の機関を紹介して、そこに送り込むのだとしても、私がそこで粗相をしないことが最も大切にされます。コーチやカウンセラーさんって、自分の治療室と別の機関を守ることが第一で、私はやっぱり人間ではないのだとつくづく感じます。
もう既に、私が通い始めたときから、すべての治療計画はまるでできていたみたい。送り込み先はとっくに決まっている感じです。
専門家同士の縦割り分業のせいで、私の診断書の行き来が遅れて、カウンセリングになってしまったりするんです。専門家同士で言っていることが全く違ったりもします。でも、専門家同士は互いに信頼し合っているので、私がその信頼を突き崩すようなことを言えません。専門家の方も人間なので、きっとショックを受けると思います。
カウンセラーさん向けのカウンセラーさん(?)もいるって、見知ったことがあるけれど、それが本当なら、私がカウンセラーさんを無意識的に不愉快にさせている可能性についても考えないといけないと思います。相手も同じ人間です。カウンセラーさんが、私をどう見ているかは分からないけれど。
人はみなそれぞれ違って賢いんだと思います。でも、みんな同じだけ成熟しているのだと思います。私は成熟していない、落ちぶれた人間扱いで見られているのは、すぐに検討がつきます。みんな同じように、生きていて苦しい思いをするし、失敗だってします。でも私は、永久に逸脱者なんです。
正直私の先生が、HSPという言葉に対して、どう解釈するのか分かりません。この言葉って、私の逸脱を見抜くための言葉ではないかもしれないけれど、逸脱を見抜くために先生が使いそうです。
果たして私の先生が、HSPという言葉に理解を示してくれるのか、聞き入れてくれるのか、それは分かりません。逸脱者の身では、きっと相手にされないでしょう。
私は、一生付きまとう、ADDや精神疾患持つ逸脱者という汚名を、きっと剥がせないです。たとえHSPという言葉があっても。
ちなみに、その精神疾患は、二次障害と言われます。二次障害と言われるのも苦痛です。両方が同じくらいにあるんです! しかも疾患というのは障害なんです。本に書かれている内容なら、読み飛ばすこともできます。でも、なまの先生に言われるとショックです。
自分にとって都合の良い部分しか印象に残らないので、ADDや精神疾患関連の本を読んでも、その部分はきっと忘れてしまいます。でも確かに、そんな言葉をなまで先生から自分に向けられたら、とてもショックです。
「片付けられない女たち」や「おとなのADHD 社会で上手に生きていくために」という本で、なまで先生から自分に向けられたら、ショックに感じる表現はありました。
私がどんな苦しみを持とうと、専門家の先生方は、それに対する解決策を持っています。ありえないけれど。先生の話の聞き方というのは、「逸脱者が述べることに、答えを与える」というスタンスやスタイルである気がします。そもそもの話の聞き方が違うんです。先生がプライベートで、誰かから同じ質問をされた時と、違うスタンスで話を聞いている気がします。
私は笑顔で接してくださって、よく話を聞いてくださる方を、つい最近まで信頼していました。でも、別の機関へのたらい回しの案内をされた時には、裏切られた気持ちでした。
自分の味方だとおっしゃる先生もいらっしゃるけれど、逸脱者に向けられる眼差ししか感じません。私にとっては敵です。本心を言うなら、正真正銘で嫌に感じる相手(苦手に感じる人)の方が、私にとっては、どちらかと言えば無害な気もします。
私は、カウンセラーさんに反発しないように頷くことで、さらに逸脱者扱いされるというスパイラルに陥らずに済むんです。
「カウンセリング室での私=日常の私」ではありません。カウンセリング室での私だけを切り取って、日常の私を推量した上で、逸脱者扱いなさるんです。カウンセリング室での私は、カウンセラーさんに対していつも萎縮していますし、いつも以上に譲歩の姿勢で臨んでいます。専門家としての体面を保てるように、私は接します。それが役目です。誰だって、自分の体面を傷つけられたら嫌ですね。
「なんでも正直に言ってください」と私に先生はおっしゃいます。先生は、私がそうすると思い過ぎです。私は先生を騙すつもりはないですが、正直にあからさまにお話するのに、気が進まないんです。あと、私が正しいことを言うはずがないですが、専門知識に負けることを前提にして、専門家の知識を拝借するんです。私がどれだけ正直に話しても、専門知識が正しいという裏付けを確保する材料にしかなりません。「私の専門性にも誤りはあった。」ということには決してなりません。実験や臨床やケースが不足している、という理由付けをなさいます。
「日常の私」を、「カウンセリング室だけでの私」から、すべて知るなんて不可能だと思います。
常に自分がどんな偏見を抱えているのか、絶えず興味を持たないといけないです。自分が持っている偏見に対して、自分で自分の考えていることを知ろうとしないといけないです。自分が持っている偏見について、自分が気付く範囲で、きちんと気付いていくことが必要なんだと思います。自分が持っている偏見に対して鈍感でいると、誰かに対して威圧的に振る舞うと思います。人によって何を偏見だと感じるかはそれぞれだと思うけれど。自分が何に対して偏見を持っているのか、考えてみるのが大切だと思います。私は逸脱者ですが、他の人のことを逸脱していると、全く感じないわけではないです。私も偏見だらけで傲慢です。
本によって、自分のこれまで経験したことについて、経験に結び付けながら、新たな見方があることに気付かされます。
きっとコンピューター上で、ずっと残り続けると思います。自分は決して偉人ではないです。でもレビューを書いた後、ずっと時が経って、別の人が読んだ時に、どんな感想を他の人が思うのだろうか、気になったりします。
私も、昔に書かれた他の人のレビューを読んで、影響を受けたことがあります。専門家が書いた本を買って読書をした時よりも、有意義な新たな見方ができただろう経験をしたことがあります。
自分の中に、時が経ってからいつか自分のレビューを読んでくれて感想を持ってくれる、文献学者さんがいる気分です。
その時に、どんな感想を持ってもらえるのか、考えたりします。
人知れず、こんな自分のレビューが、誰かの目に留まるだけでも感激です。
もちろんリアルでバレないように、どこに住んでいるのか、自分の細かい家族構成やどんな精神科やセンターに通っているのか等は伏せています!でも、自分が感じたことについては忠実に書きます。でも、匿名性を維持した書き方になるべく徹しています。
レビューも玉石混交かもしれないけれど、最も自分のなまの声を伝えるのに、最も良い手段だと思います。検索エンジンで検索した結果、表示される多くのホームページというのは、ビジネス系のものばかり。どこか胡散臭さも感じさせます。レビューによって、本を読んだことで得られた自分の学びを書くほうが、SNSやブログなどで発信するよりも安全です。検索結果の1ページ目か上位に表示されるホームページしか、ほとんどの人は見ません。ですから、わざわざ発信しても、見てもらえない確率の高いのが、自分のホームページやSNSブログです。他の情報に紛れてしまいがちだと思います。その点レビューならば、本の感想と自分の経験を合わせながら、似た境遇の人の力になれそうです。
あと、レビューって、検索エンジン中毒になるほどの依存性って、私の場合にはなかったです。
レビューは、最後に残された、自分の意見を発信する手段です。
今後、容易に気が変わることはなさそうですが、今の段階での、自分の状態について書きました。HSPって、大変神経が繊細なので、考え込むこともとても多いです。でも決して、逸脱しているわけではないはずですし、それは専門家の先生の見方だと思います。
それから…私たちを、治療対象化・研究対象化した時点で、見下した貶めがあるんです。対等ではないんです。
私たちって、お医者さんの臨床例を揃えるために、病気になっているわけではないんです。
私は、お医者さんと同じく、人なんです。
「医学に貢献したい!」なんて言う人がいるけれど、私は貶められた気持ちしか感じません。
さんざん生い立ちから、生活状況から、なんでも私に話させたあげく、これらが全く反映されない「治療」を行うのですから。
私には「社会」はなくて、「社交」があるんです。偉そうに「ソーシャルスキル」なんて言う人のことを、私は理解できません。
「人と人との交わり合い」という考え方ではなくて、スキルの問題になる理由が分かりません。スキルになるには、非日常的な専門性がないといけないと思いますけれど。
それぞれ別の先生に言われたことですが、
私が謙虚に振る舞おうとすれば、「恐怖を感じているからスキルで治す」、私がたくさん話せば、「一方的に話す」と言われます。それぞれ別の先生の発言ですが。先生みんなが、同じ専門知識を共有しているわけではなくて、専門知識への感じ方はそれぞれだと思います。
でもそれで良いと思います。感じ方は人それぞれで、誰しも偏った見方をします。私だって。
それを先生と生徒の関係の中の、スキルトレーニングや治療に繋げられるのが苦しいんです。
互いに誤解し合いながら、たらい回しにされる専門家の先生に応じて、仮面を付け替える私。一貫した内容を、どの専門家の先生にも言えません。逆の立場になれば、先生もきっとお分かりになると思います。
( 先生は、私の言動の矛盾にすぐにお気付きになりますが )
私はこれで良いと思います。スキルや治療が活きるお陰で、私は一貫したことを言うわけではないんです。「スキルや治療に、きちんと臨んでいない私」と思われそうですが、それは違います。日常生活を、私は即興で臨んでいます。モデルケースとして書かれた実際の例は、その裏にモデルケースにならなかった実際の例がたくさんあるということだと思います。
おそらく、なまの人間関係以上に、先生方と会う関係のほうが精神的に疲れます。先生が先生をたらい回しにする時って、実際に会ったこともない担当者の方にたらい回しをするのが常なのですか?
同じ専門家なのだから、信頼がおけると、お思いなのでしょうけれど。同じ専門家同士の悪口を言って欲しいわけではないんです。どうしてそんなに私は、たらい回しにされるのかが理解できないんです。一人で全て対応しきれないから…という理由が正しいのでしょうが、それだけが理由だとは思えません。
「...はどうすれば良いですか?」と尋ねると、「これは私の管轄でない分からない」と仰います。私からの質問には答えられないのに、自分から話す時には、自分の管轄外のことをあれこれ指図されます。

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繊細で生きにくいあなたへ 単行本(ソフトカバー) – 2007/10/23
繊細力を大切に。傷つきやすい人への癒し本HSP(とても敏感な人)は5人に1人の特別な資質です。傷つきやすい心を守って自分らしく生きましょう。人気セラピストが語る36のちょっとした生活ヒント。
- 本の長さ150ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2007/10/23
- ISBN-104062141027
- ISBN-13978-4062141024
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商品の説明
著者について
著者のテッド・ゼフは、カリフォルニア在住の心理学者、セラピスト。15年以上にわたり、病院や医療グループでストレス・不眠症対策を指導。現在はHSP向けの人間関係やストレス解消法のワークショップを主宰しています。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2007/10/23)
- 発売日 : 2007/10/23
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 150ページ
- ISBN-10 : 4062141027
- ISBN-13 : 978-4062141024
- Amazon 売れ筋ランキング: - 853,396位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 5,527位倫理学入門
- - 104,424位暮らし・健康・子育て (本)
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2017年6月18日に日本でレビュー済み
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2017年2月10日に日本でレビュー済み
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冒頭から、むしろ「メディテーション」についての本と言って良いくらい、その言葉・方法が出てきます。
終盤に「すべての宗教は根本的なところでは同じ」、「天なる高次の光」(121p)という著者のニューエイジ思想が現れてきます。
本のタイトルは、むしろ「メディテーションのすすめ」とでもした方が良いのでは?
ニューエイジを求めている方以外にはあまりおすすめできません。
終盤に「すべての宗教は根本的なところでは同じ」、「天なる高次の光」(121p)という著者のニューエイジ思想が現れてきます。
本のタイトルは、むしろ「メディテーションのすすめ」とでもした方が良いのでは?
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2010年2月2日に日本でレビュー済み
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5人にひとりいるという、HSP(繊細な人)。
この本を読んで、私もそうだったなぁ。。と、子供の頃のことを思い出しました。
周りと違う・・なぜなんだろう、と、ずっと思って生きてきた気がします。
そして、説明不可能な悩みを抱え、スピリチュアルな世界の扉が開き、
今では、セラピストになりました。
スピリチュアルな体験が多いというのもHSPの特徴、というのも納得です。
最後に、「HSPは祝福された人」という言葉に、
長年の悩みが解消された気がしました。
この本に出逢えて、良かったと思います。
ありがとうございます。
この本を読んで、私もそうだったなぁ。。と、子供の頃のことを思い出しました。
周りと違う・・なぜなんだろう、と、ずっと思って生きてきた気がします。
そして、説明不可能な悩みを抱え、スピリチュアルな世界の扉が開き、
今では、セラピストになりました。
スピリチュアルな体験が多いというのもHSPの特徴、というのも納得です。
最後に、「HSPは祝福された人」という言葉に、
長年の悩みが解消された気がしました。
この本に出逢えて、良かったと思います。
ありがとうございます。
2010年6月9日に日本でレビュー済み
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期待してた内容とは、違いました。解決法が、不可能な物ばかりです。我慢ならない相手に、直接文句とか言いに行けないから、物凄く苦しんでいるんです。騒音から逃れるには、ヘッドフォンつけるのが限界です。防音に改築するとか、引っ越しなんて、よほどお金持ちの人でないかぎり無理です。周りの人達全てに、自分は、HSPだから気を使ってよって、説明なんて出来る訳ありません。読んでて余計、救いが見つからなくなりました。厳しい言い方してすみません。でも、現実の苦しみなんです。
2009年9月2日に日本でレビュー済み
まず、読みやすかった。
この手の本を読むと、たいがい自分が責められている気持ちになって
よけいにおちこむのだけれど、
これはそれがなかった。
「うつ」になった原因を知りたくてたどり着いた。
HSPという存在があるんだ、と知って安心した。
自分は光にも音にも臭いにも触感にも、人より敏感なんだ、と思った。
この手の本を読むと、たいがい自分が責められている気持ちになって
よけいにおちこむのだけれど、
これはそれがなかった。
「うつ」になった原因を知りたくてたどり着いた。
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自分は光にも音にも臭いにも触感にも、人より敏感なんだ、と思った。
2010年12月5日に日本でレビュー済み
電車の通る音や人の大きな声等が耐えられなくて、耳を塞ぐ事が多いです。周りを見るとみんな平気そう…他の人達は我慢強いんだと思っていました。駅などトイレの臭いも嗚咽が止まらなくなります。光も苦手。目が痛くなります。異常にビックリしやすいです。帰ってからその日会った人の顔が脳内に浮かんで、その人の言葉が繰り返されます。それらに伴う動悸…とても疲れます。この本を読んで自分の性質が知れて良かったです。ただ周りの人には説明できません。「私は繊細だから…」なんて言ったら誰だって、私だって繊細だし…と嫌な気持ちにさせる気がするので…ただ自分自信が知っておけて良かったです。益々芸術活動に専念したいと思います!