たくさんのvoicesが詰まっている。
読んでいて余り面白くない。
鳥飼さんは、「日本人の表現構造」(D.C.バーンランド、サイマル出版会)の言葉を借りれば、「公的自己(普段、他人に見せる自己)」ばかりで、「私的自己(普段、自分にしか見せない自分)」をまったく見せない。所謂、こぼれ話がないのだ。ただ、ひたすら真面目に考えるのみ。「本物の英語力」(講談社)も読んだが、同じ理由で面白くなかった。
ただし、「終章 グローバル人材は育つか」は、読み応えがある。
鳥飼さんは、日本の英語教育の現状を世間に報告する伝書鳩みたいな人か!
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英語教育論争から考える 単行本 – 2014/8/9
鳥飼 玖美子
(著)
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日本の英語教育においては「成果があがっていない」という批判が常に繰り返されてきており、
日本の英語教育の歴史は、批判のなかでの「抜本的改革」提言の歴史であった。
そんななか、かつて1970年代、英語教育史に強く残る「英語教育大論争」(1974年)があった。
その議論の厚みと多様性には参照すべきところの多い大論争であり、
今だからこそ、真剣に取り組むべき重要な問題提起に満ちている。
本書は、この論争を様々な角度から検証し、現在の英語教育、ひいては
国語教育に有意義な議論を導き出す試みである。
再検討から新たな提言へ。「教育改革」の行方を考える重要書。
鳥飼玖美子氏の英語教育論。有名な「英語教育大論争」を今の視点から考察し、
現在の主要な論点に繋げる。
小学校英語教育、中学校英語の英語による授業、TOEFL等の導入、英語公用語化など、
重要問題を見すえた緊急書き下ろし。
日本の英語教育の歴史は、批判のなかでの「抜本的改革」提言の歴史であった。
そんななか、かつて1970年代、英語教育史に強く残る「英語教育大論争」(1974年)があった。
その議論の厚みと多様性には参照すべきところの多い大論争であり、
今だからこそ、真剣に取り組むべき重要な問題提起に満ちている。
本書は、この論争を様々な角度から検証し、現在の英語教育、ひいては
国語教育に有意義な議論を導き出す試みである。
再検討から新たな提言へ。「教育改革」の行方を考える重要書。
鳥飼玖美子氏の英語教育論。有名な「英語教育大論争」を今の視点から考察し、
現在の主要な論点に繋げる。
小学校英語教育、中学校英語の英語による授業、TOEFL等の導入、英語公用語化など、
重要問題を見すえた緊急書き下ろし。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2014/8/9
- 寸法13.2 x 2.1 x 19.5 cm
- ISBN-104622078473
- ISBN-13978-4622078470
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商品の説明
出版社からのコメント
著者について
鳥飼玖美子
とりかい・くみこ
立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科委員長、東京大学大学院教育学研究科客員教授を経て、現在、立教大学特任教授、順天堂大学客員教授、国立国語研究所客員教授。
専門は、英語教育論、言語コミュニケーション論、通訳翻訳学。
東京都港区で生まれる。上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業。コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ修士課程(英語教授法)修了(MA)。サウサンプトン大学人文学研究科博士課程修了(Ph.D.)。
大学在学中より同時通訳者として第一線で活躍。また、NHK「ニュースで英会話」(2009年4月-)のテレビ講師/監修など、英語教育の最前線を担う第一人者。研究者として、英語教育のあり方を模索し、日本における通訳学・翻訳学の樹立をめざしている。2010年、第61回NHK放送文化賞受賞。
著書『歴史をかえた誤訳』(新潮文庫2004)、『危うし! 小学校英語』(文春新書2006)、『通訳者と戦後日米外交』(みすず書房2007)、Voices of the Invisible Presence: Diplomatic Interpreters in Post-World War II Japan(John Benjamins, 2009)、『「英語公用語」は何が問題か』(角川書店2010)、『国際共通語としての英語』(講談社現代新書2011)、『戦後史の中の英語と私』(みすず書房2013)ほか。
共著『英語教育、迫り来る破綻』(ひつじ書房2013)、『学校英語教育は何のため?』(ひつじ書房2014)ほか。 編著『異文化コミュニケーション学への招待』(共編、みすず書房2011)、『英語の一貫教育へ向けて』(監修、東信堂2012)。『よくわかる翻訳通訳学』(著者代表、ミネルヴァ書房2013)ほか。
訳書 F・ポェヒハッカー『通訳学入門』(みすず書房2008)、J・マンデイ『翻訳学入門』(みすず書房2009)、J・ショールズ『深層文化』(大修館2013)ほか。
とりかい・くみこ
立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科委員長、東京大学大学院教育学研究科客員教授を経て、現在、立教大学特任教授、順天堂大学客員教授、国立国語研究所客員教授。
専門は、英語教育論、言語コミュニケーション論、通訳翻訳学。
東京都港区で生まれる。上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業。コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ修士課程(英語教授法)修了(MA)。サウサンプトン大学人文学研究科博士課程修了(Ph.D.)。
大学在学中より同時通訳者として第一線で活躍。また、NHK「ニュースで英会話」(2009年4月-)のテレビ講師/監修など、英語教育の最前線を担う第一人者。研究者として、英語教育のあり方を模索し、日本における通訳学・翻訳学の樹立をめざしている。2010年、第61回NHK放送文化賞受賞。
著書『歴史をかえた誤訳』(新潮文庫2004)、『危うし! 小学校英語』(文春新書2006)、『通訳者と戦後日米外交』(みすず書房2007)、Voices of the Invisible Presence: Diplomatic Interpreters in Post-World War II Japan(John Benjamins, 2009)、『「英語公用語」は何が問題か』(角川書店2010)、『国際共通語としての英語』(講談社現代新書2011)、『戦後史の中の英語と私』(みすず書房2013)ほか。
共著『英語教育、迫り来る破綻』(ひつじ書房2013)、『学校英語教育は何のため?』(ひつじ書房2014)ほか。 編著『異文化コミュニケーション学への招待』(共編、みすず書房2011)、『英語の一貫教育へ向けて』(監修、東信堂2012)。『よくわかる翻訳通訳学』(著者代表、ミネルヴァ書房2013)ほか。
訳書 F・ポェヒハッカー『通訳学入門』(みすず書房2008)、J・マンデイ『翻訳学入門』(みすず書房2009)、J・ショールズ『深層文化』(大修館2013)ほか。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2014/8/9)
- 発売日 : 2014/8/9
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 224ページ
- ISBN-10 : 4622078473
- ISBN-13 : 978-4622078470
- 寸法 : 13.2 x 2.1 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 659,636位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 30,910位語学・辞事典・年鑑 (本)
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2015年3月30日に日本でレビュー済み
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英語は道具にすぎず、それを必要と思う人が必要な時に学べばよい。英語の本を読みたいと思う興味や日本語のわからない人に伝えたい中身が重要で、どちらかと言えば、英語学習は義務教育でやる必要はなく、必要に迫られた時にそのための道具を身に着ける受動的なものと考えていた。
著者は英語教育論争の歴史を振り返りながら、英語が国際共通語となったグローバルな世界で異質の者とコミュニケーションする能力の基盤の一つとして、国際共通語としての英語の基本とそれを生涯をかけて学ぶ意欲を学校で身に着けるという主体的な観点を提起している。分かりやすく論点が整理された良書だ。
日本のお上や大企業のように、流行に追われてそれが具体的に何を目的としているかも考えず、ひたすら『英語力とグローバル人材の育成』が重要だと言い続ける人たちこそ、この本を読むべきであろう。単に英単語を暗記してよい大学を出た日本の役人や大企業の社員の中には、母語の日本語でも他者とうまくコミュニケーションすら取れない人たちが多くいるのだから。
著者は英語教育論争の歴史を振り返りながら、英語が国際共通語となったグローバルな世界で異質の者とコミュニケーションする能力の基盤の一つとして、国際共通語としての英語の基本とそれを生涯をかけて学ぶ意欲を学校で身に着けるという主体的な観点を提起している。分かりやすく論点が整理された良書だ。
日本のお上や大企業のように、流行に追われてそれが具体的に何を目的としているかも考えず、ひたすら『英語力とグローバル人材の育成』が重要だと言い続ける人たちこそ、この本を読むべきであろう。単に英単語を暗記してよい大学を出た日本の役人や大企業の社員の中には、母語の日本語でも他者とうまくコミュニケーションすら取れない人たちが多くいるのだから。
2015年5月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
英語教育論争が如何なるものだったか、筆者は大変丁寧に論争の元となった「平泉試案論」読み解き、更に渡部氏との論争を、当の本人お二人とのインタビューで確認しながら英語教育論争とは一体何だったのかを検証している。その上で、小学校英語、英語での授業、外部試験の導入などの、現在の様々な英語教育に関する問題点を専門家の立場で語った検証論文といえるだろう。筆者は小学校英語不要論者の一人であるが、日本の流れは小学校英語導入、更に教科化への大きなうねりに動いている。読者の自分自身は「外国語=英語」になってしまっている今の日本の状況に危惧を覚える一人であるが、感じるだけでなく、なぜそうなのか、確固とした裏付けによる提唱が必要であることを痛感する。それにしても、今更ながら平泉試案の先進性には目を見張る。
2014年9月13日に日本でレビュー済み
平泉・渡部論争を核に、英語教育そして英語教育改革について書かれた本だ。もっとも平泉・渡部論争は当人たちの意図とは別に、いつの間にか、英会話派対英文読解派のように解釈されていった。そして公立中学における週3時間の英語、ネイティブスピーカーの教育現場への導入へとつながっていく。平泉試案は英語教育の成果があがらない理由として3つの理由をあげている。(1)学習意欲の欠如、(2)受験英語の程度がたかすぎること、(3)日本語とは全く体系のことなる英語にたいして不効率な教授法が行われていること。そしてこれに対応するように、試案をのべている。
鳥飼玖美子さんによる本書はとても刺激的で面白い。そして前に検討されたはずの議論がかえりみられることなく繰り返される現状を指摘している。英語をちゃんと学習したのかどうかもあやしい国会議員によるTOEFUL採用案等が出てくることへの疑義なども述べている。
ところで、平泉試案では英語教授法の具体案まで提案している。こうした提案に対して、日頃感じるのは、国会議員、大学・高校の先生の発言はあっても、実際に学ぶ生徒の立場にたった発言がすくないことだ。特に必要悪とされる受験英語の側からの発言が取り上げられることはすくない。こうした意味で受験英語の世界で大きな影響力をもった伊藤和夫氏の「予備校の英語」(研究社、1997)などが取り上げられると良いと考える。
そしてもうひとつは、習熟に要する時間として500時間、5000時間、2万時間という絶対時間の壁があることをもっと意識して欲しいと考える。中学英語の授業時間(あるいは高校までふくめても)では3年間(6年間)で500時間にも達しない。華道や茶道のおけいこではないのだ。たったこれだけの時間で、どうして英語ができるようにならないとなげくのだろうか。カルチャー英語としては成功していると言ってよいのではないか。
平泉案の(2)に関連し受験英語についてふれてみたい。
大学受験のための英語をシンタックスの面から鮮やかに構成してみせたのが伊藤和夫氏の数々の著作だった。「英文解釈教室」「ビジュアル英文解釈」といった本は、出版以降、英語参考書をおおきく変えた。受験生は学校の授業よりもこうした参考書で受験の力を身につけている。英単語の世界では森の「試験に出る英語」がその後の受験単語集の世界を大きく変えた。論文等に必須の単語が必ずしも日常会話の単語ではない事を明確にし、ラテン語由来の接頭、接尾辞の明示により単語の構造を明確にした。
こうした受験英語は役に立たないのだろうか?いや論文の読解、執筆にはこの水準の訓練がきわめて有効だ。それはアカデミックな世界だけではない。ビジネスの世界においても、さまざまな英文レター、インターネットでの文書、契約文書などでは必須である。そしてこの水準の英語を「読解」「英作文」できるようになっていれば、しばらく英語環境のなかでしばらくすごすうちに「英会話」はできるようになる。TOEIC,TOEFULなども難しくはない。アカデミズム分野の人々、ビジネス世界で成功している人たちは受験英語の洗礼をうけている。そしてその人たちが苦労しながらも、なんとか英語を使えるのは、学校英語のせいではないだろう。受験参考書、予備校の英語などが支えている。いわば日陰の部分にも注目してほしい。
鳥飼玖美子さんによる本書はとても刺激的で面白い。そして前に検討されたはずの議論がかえりみられることなく繰り返される現状を指摘している。英語をちゃんと学習したのかどうかもあやしい国会議員によるTOEFUL採用案等が出てくることへの疑義なども述べている。
ところで、平泉試案では英語教授法の具体案まで提案している。こうした提案に対して、日頃感じるのは、国会議員、大学・高校の先生の発言はあっても、実際に学ぶ生徒の立場にたった発言がすくないことだ。特に必要悪とされる受験英語の側からの発言が取り上げられることはすくない。こうした意味で受験英語の世界で大きな影響力をもった伊藤和夫氏の「予備校の英語」(研究社、1997)などが取り上げられると良いと考える。
そしてもうひとつは、習熟に要する時間として500時間、5000時間、2万時間という絶対時間の壁があることをもっと意識して欲しいと考える。中学英語の授業時間(あるいは高校までふくめても)では3年間(6年間)で500時間にも達しない。華道や茶道のおけいこではないのだ。たったこれだけの時間で、どうして英語ができるようにならないとなげくのだろうか。カルチャー英語としては成功していると言ってよいのではないか。
平泉案の(2)に関連し受験英語についてふれてみたい。
大学受験のための英語をシンタックスの面から鮮やかに構成してみせたのが伊藤和夫氏の数々の著作だった。「英文解釈教室」「ビジュアル英文解釈」といった本は、出版以降、英語参考書をおおきく変えた。受験生は学校の授業よりもこうした参考書で受験の力を身につけている。英単語の世界では森の「試験に出る英語」がその後の受験単語集の世界を大きく変えた。論文等に必須の単語が必ずしも日常会話の単語ではない事を明確にし、ラテン語由来の接頭、接尾辞の明示により単語の構造を明確にした。
こうした受験英語は役に立たないのだろうか?いや論文の読解、執筆にはこの水準の訓練がきわめて有効だ。それはアカデミックな世界だけではない。ビジネスの世界においても、さまざまな英文レター、インターネットでの文書、契約文書などでは必須である。そしてこの水準の英語を「読解」「英作文」できるようになっていれば、しばらく英語環境のなかでしばらくすごすうちに「英会話」はできるようになる。TOEIC,TOEFULなども難しくはない。アカデミズム分野の人々、ビジネス世界で成功している人たちは受験英語の洗礼をうけている。そしてその人たちが苦労しながらも、なんとか英語を使えるのは、学校英語のせいではないだろう。受験参考書、予備校の英語などが支えている。いわば日陰の部分にも注目してほしい。
2014年10月5日に日本でレビュー済み
同書で鳥飼先生が最も伝えたかった内容は、会津若松の中学生たちの質問に対する回答にあると鋤谷は考えます。(第5章「これからの英語教育に向けて」)
「なぜ英語を勉強するのか」「英語の勉強など必要ないと思う」という中学生の質問や意見に対し、鳥飼先生は「確かに日本で暮らすにあたり、英語は必ずしも必要に迫られるものではない」としながらも、「それでも英語を学んだほうがよい理由」として二つの点を挙げられます。少々長くなりますが以下に引用します。
「一つ目は、英語であれ何語であれ、外国語は日本語にない世界を持っているので、『外国語を学ぶことは、今まで知らなかった世界を知ることになる』」(中略)「二つ目は、『国際共通語』としての機能を、具体的に紹介した。スポーツ選手は記者会見でも試合でも英語が必要なのだと、サッカー選手を例に出した。『異文化コミュニケーション』をもう一つの目的と位置付けたのである」
この内容をさらに鳥飼先生の言葉で言い換えるならば、「世界と繋がり、自分の人生を豊かにするのが外国語を学ぶ目的」となります。(そして鳥飼先生の講演を聞いた中学生たちは、その趣旨を正確に理解したのでした。)
迷える高等学校の現役英語教員である鋤谷にとって、このくだりは「わが意を得たり」との思いをすると同時に、「自分の不明さを思い知らされる」結果となりました。なぜなら年度当初にまず生徒に話す内容が「まさにこの英語教育の目的」であるからです。しかし「受験対策を目的」とし、また「英語には興味を持てない多くの生徒」を対象とした授業を展開しなければならない現実においては、「年度当初に自らの口で語った内容」である「学校での語学教育の最も根源的目的」をも忘れてしまうのが現状だからです。
そしてさらに「教師の役割は、知識を教えることばかりでなく、学習者の意欲を喚起するよう動機付けを与える役目もあることを忘れてはならない」という個所には、「一喝」を与えていただいた気持ちです。
悩める毎日を送る高校英語教員である鋤谷にとって、まさにこの著書は「救命ボート」でした。大切なことを思い出させていただき、さらには自分の考えが正しかったことを証明してくださった鳥飼玖美子先生には、心より感謝をいたします。
「なぜ英語を勉強するのか」「英語の勉強など必要ないと思う」という中学生の質問や意見に対し、鳥飼先生は「確かに日本で暮らすにあたり、英語は必ずしも必要に迫られるものではない」としながらも、「それでも英語を学んだほうがよい理由」として二つの点を挙げられます。少々長くなりますが以下に引用します。
「一つ目は、英語であれ何語であれ、外国語は日本語にない世界を持っているので、『外国語を学ぶことは、今まで知らなかった世界を知ることになる』」(中略)「二つ目は、『国際共通語』としての機能を、具体的に紹介した。スポーツ選手は記者会見でも試合でも英語が必要なのだと、サッカー選手を例に出した。『異文化コミュニケーション』をもう一つの目的と位置付けたのである」
この内容をさらに鳥飼先生の言葉で言い換えるならば、「世界と繋がり、自分の人生を豊かにするのが外国語を学ぶ目的」となります。(そして鳥飼先生の講演を聞いた中学生たちは、その趣旨を正確に理解したのでした。)
迷える高等学校の現役英語教員である鋤谷にとって、このくだりは「わが意を得たり」との思いをすると同時に、「自分の不明さを思い知らされる」結果となりました。なぜなら年度当初にまず生徒に話す内容が「まさにこの英語教育の目的」であるからです。しかし「受験対策を目的」とし、また「英語には興味を持てない多くの生徒」を対象とした授業を展開しなければならない現実においては、「年度当初に自らの口で語った内容」である「学校での語学教育の最も根源的目的」をも忘れてしまうのが現状だからです。
そしてさらに「教師の役割は、知識を教えることばかりでなく、学習者の意欲を喚起するよう動機付けを与える役目もあることを忘れてはならない」という個所には、「一喝」を与えていただいた気持ちです。
悩める毎日を送る高校英語教員である鋤谷にとって、まさにこの著書は「救命ボート」でした。大切なことを思い出させていただき、さらには自分の考えが正しかったことを証明してくださった鳥飼玖美子先生には、心より感謝をいたします。