古本で購入。遺書も妹への部分を除いてほぼ載っている。すごく興味深かった。
遺書がここに残されたことでBくんの気持ちも多少報われたと思いたい。
古本は好きではないけれど、やむを得ず購入、大事に保管しなくては。

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子供たちの復讐 (朝日文庫 ほ 1-20) 文庫 – 1989/5/1
本多 勝一
(編集)
- 本の長さ661ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日1989/5/1
- ISBN-10402260820X
- ISBN-13978-4022608208
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著者について
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信州(長野県)伊那谷出身。京都大学卒。『朝日新聞』記者、同社編集委員を経て、『週刊金曜日』編集委員(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『本多勝一 逝き去りし人々への想い』(ISBN-10:4062164035)が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
星5つ中3.9つ
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年2月18日に日本でレビュー済み
約30年前の事件のルポルタージュです。取り扱われている事件は2つで、
それはこのページの目次から分かるとおりです。
本書は、新聞記者として(毀誉褒貶あるものの)高名な筆者が、教育論に偏らず、司法評論にとどまらず、さまざまな資料を整理し、専門家にインタビューし、取材をしたことがらを一冊にまとめたものです。
私が初めて触れたのは、20年前、私自身が事件の当事者と同じ年頃の高校生だったときです。
その頃と比べて、現代では理解しにくい事件があまりにも目立ちすぎ、中学生・高校生のいわゆる家庭内暴力などには事件性が認められないようになり、報道もそれほど目立ちません。
実態がどうであるかは私は知る努力を怠っておりますが、このたび、本書を2006年に再読してみて、日本社会の病理としてみるときには、ここで取り扱われている事件のはらむ危うさが、今もなお――いやますます凝縮されて現れているように感じました。
本書を読むのに、教育や司法に関心のある方という限定を付するのは適当だとは思えません。単に事件的興味で読むにしても、最近のルポルタージュにはないような、対象に食い込みつつも一歩引いて俯瞰する視線で述べられた上質の分析が含まれております。一つの事案を「物語る」方法に関するすばらしい教材でもあります。
それはこのページの目次から分かるとおりです。
本書は、新聞記者として(毀誉褒貶あるものの)高名な筆者が、教育論に偏らず、司法評論にとどまらず、さまざまな資料を整理し、専門家にインタビューし、取材をしたことがらを一冊にまとめたものです。
私が初めて触れたのは、20年前、私自身が事件の当事者と同じ年頃の高校生だったときです。
その頃と比べて、現代では理解しにくい事件があまりにも目立ちすぎ、中学生・高校生のいわゆる家庭内暴力などには事件性が認められないようになり、報道もそれほど目立ちません。
実態がどうであるかは私は知る努力を怠っておりますが、このたび、本書を2006年に再読してみて、日本社会の病理としてみるときには、ここで取り扱われている事件のはらむ危うさが、今もなお――いやますます凝縮されて現れているように感じました。
本書を読むのに、教育や司法に関心のある方という限定を付するのは適当だとは思えません。単に事件的興味で読むにしても、最近のルポルタージュにはないような、対象に食い込みつつも一歩引いて俯瞰する視線で述べられた上質の分析が含まれております。一つの事案を「物語る」方法に関するすばらしい教材でもあります。
2003年5月5日に日本でレビュー済み
この本は実際に起こった二つの事件を中心に、教育問題について論じたものです。
二つの事件とも大変に陰惨なもので、読んでいるうちに非常にやりきれない気持ちになってきます。
「受験戦争」「学歴社会」が生んだ悲劇と言えますが、果たして事件が起こった当時から、どれほど日本の教育&受験制度は改善されたのでしょうか?学歴差別(学校歴差別)は依然として残っており、この本が「昔話」として忘れ去られるのはまだまだ遠い将来のようです。
二つの事件とも大変に陰惨なもので、読んでいるうちに非常にやりきれない気持ちになってきます。
「受験戦争」「学歴社会」が生んだ悲劇と言えますが、果たして事件が起こった当時から、どれほど日本の教育&受験制度は改善されたのでしょうか?学歴差別(学校歴差別)は依然として残っており、この本が「昔話」として忘れ去られるのはまだまだ遠い将来のようです。
2011年4月9日に日本でレビュー済み
今から30年以上前の祖母殺し・子殺しの2つの事件のルポルタージュ。
どちらも『教育ママ(ババ)と受験戦争と家庭内暴力』というくくりで当時処理されたようだ。
この本には2種類の文がある。
裁判資料と、親・教師・同級生・精神科医・カウンセラーへのインタビューを元にただひたすら当事者の言い分を抜き出していることで事件の全体像を浮かび上がらせようとする部分。
それから、非常にエリート意識丸出しの当時のジャーナリスト達による事件の考察。(当時マスコミはまだまだ天上人だったと思うのでそういった意識がでているのは仕方ないかもしれないが)
ここで価値があるのは、インタビューの記事だ。非常にこの当事者達のねじれた関係がわかる。親は子によかれとしてやっている。しかし子供側に反論があるだろう。でもこの2つの事件ともに子供側は被害者or自殺によって言い分を聞くことができない。しかし、なんとなく浮かび上がってくる。そして親側も子側もともに苦しんでいたであろう事はわかる。悲しすぎる展開。
しかし、学者やジャーナリストによる考察の部分は思い込みの域を超えていないところが多い。今で言うところのワイドショーのコメンテーターだ。大した裏づけもない思い込みをさも意味ありげに書き連ねている。
祖母殺人の方の母親には、祖母(母親にとっての実母)に自分も同じように苦しめられて、しかしそれを克服できなかったACの気があったように思えた。そしてその祖母の毒を自分の代で止めようと努力したものの、そのまま孫を祖母の毒は襲っていった。当時は受験戦争がきっかけと思われていたようだ。今も同じような事件がでたらそう片付けられるであろう。しかしこれは毒になる親による事件に思えた。今も昔も全く社会は変わっていない。
なお事件の「子ども」は早稲田・開成の生徒であったそうだ。当時の受験戦争が原因のひとつではないか、ということで麻布・武蔵・名門都立(当時の都立は今と違うのだろう)などの名前がイニシャルなどであがっており、また学校間の雰囲気の違いについてはっきりは書かず、しかしかなりそこに意味を持たしたような書き方をしている。東京出身者(中学高校受験を東京でしている人)には、文章に書かれていない微妙ニュアンスがより伝わると思うが、そうでないといまいち理解しにくい部分かもしれない。
どちらも『教育ママ(ババ)と受験戦争と家庭内暴力』というくくりで当時処理されたようだ。
この本には2種類の文がある。
裁判資料と、親・教師・同級生・精神科医・カウンセラーへのインタビューを元にただひたすら当事者の言い分を抜き出していることで事件の全体像を浮かび上がらせようとする部分。
それから、非常にエリート意識丸出しの当時のジャーナリスト達による事件の考察。(当時マスコミはまだまだ天上人だったと思うのでそういった意識がでているのは仕方ないかもしれないが)
ここで価値があるのは、インタビューの記事だ。非常にこの当事者達のねじれた関係がわかる。親は子によかれとしてやっている。しかし子供側に反論があるだろう。でもこの2つの事件ともに子供側は被害者or自殺によって言い分を聞くことができない。しかし、なんとなく浮かび上がってくる。そして親側も子側もともに苦しんでいたであろう事はわかる。悲しすぎる展開。
しかし、学者やジャーナリストによる考察の部分は思い込みの域を超えていないところが多い。今で言うところのワイドショーのコメンテーターだ。大した裏づけもない思い込みをさも意味ありげに書き連ねている。
祖母殺人の方の母親には、祖母(母親にとっての実母)に自分も同じように苦しめられて、しかしそれを克服できなかったACの気があったように思えた。そしてその祖母の毒を自分の代で止めようと努力したものの、そのまま孫を祖母の毒は襲っていった。当時は受験戦争がきっかけと思われていたようだ。今も同じような事件がでたらそう片付けられるであろう。しかしこれは毒になる親による事件に思えた。今も昔も全く社会は変わっていない。
なお事件の「子ども」は早稲田・開成の生徒であったそうだ。当時の受験戦争が原因のひとつではないか、ということで麻布・武蔵・名門都立(当時の都立は今と違うのだろう)などの名前がイニシャルなどであがっており、また学校間の雰囲気の違いについてはっきりは書かず、しかしかなりそこに意味を持たしたような書き方をしている。東京出身者(中学高校受験を東京でしている人)には、文章に書かれていない微妙ニュアンスがより伝わると思うが、そうでないといまいち理解しにくい部分かもしれない。