恒常的にそこにあった風景としての時代劇。
それらは消えてしまいました。劇場映画が短発作られ続けているけど、時代劇文化を支える体制はすでに滅んでしまいました。時代劇は年に一度のお祭りではなかったのに。
エンタメとしてはアニメもあるし、現代劇ドラマもある。金のかかったSFは洋画や海外ドラマを買い付けてくればいい。経済的にはそれで回るんだろうけど、文化は生まれません。元々、時代劇は伝統文化ではない、いい加減なものだったので、それを文化と誤解してしまうのはいけないけど、確かに、このままでは日本文化そのものが死んでしまう。時代劇はどこかの国みたいなまるっきりの捏造ではなく、史実とファンタジーの融合で成立していたものです。必殺シリーズは現代劇のカリカチュアでした。ここ百年の間に作られた新しい文化だったのです。消えてしまっても困らるわけではないけど、残念だとつくつぐく思います。時代劇が滅んだわけを絶望的に語ってくれる本書は必読す。
最近の若者は「障子」と「襖」の違いも、「敷居」と「鴨居」の違いもわかりません。困らないけど、どうかと思います。アニメやゲーム世界でのいびつな時代劇観も悪くはないけど、恒常的なベースがあっこその飛躍だと思います。とうとう「最近の若い者」という発言をしてしまった(絶句)。
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なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書) 新書 – 2014/9/16
春日太一
(著)
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本書は、死に瀕した時代劇への〝檄文″である――。
かつて映画やテレビドラマで多くの人々を魅了した時代劇も、2011年には『水戸黄門』が終了し、民放のレギュラー枠が消滅。もはや瀕死の状態にある。その理由はひとこと。「つまらなくなったから」に他ならない。
「高齢者向けで古臭い」という固定観念、「自然体」しか演じられない役者、「火野正平(=いい脇役・悪役)」の不在、マンネリ演出を打破できない監督、何もかも説明してしまう饒舌な脚本、朝ドラ化するNHKの大河ドラマ・・・・・・。
そのいずれもが、時代劇凋落の〝戦犯″である。はたして時代劇は、「国民的エンターテインメント」として復活できるのか――。
『天才 勝新太郎』『仁義なき日本沈没』『あかんやつら』の著者、「時代劇研究家」の春日太一が、長年の取材の集大成として、ありったけの想いを込めて綴る時代劇への鎮魂歌。
(目次より) 第一章 時代劇の凋落
第二章 時代劇は「つまらない」?
第三章 役者がいない!
第四章 監督もいなくなった・・・・・・
第五章 そして誰もいなくなった
第六章 大河ドラマよ、お前もか!
かつて映画やテレビドラマで多くの人々を魅了した時代劇も、2011年には『水戸黄門』が終了し、民放のレギュラー枠が消滅。もはや瀕死の状態にある。その理由はひとこと。「つまらなくなったから」に他ならない。
「高齢者向けで古臭い」という固定観念、「自然体」しか演じられない役者、「火野正平(=いい脇役・悪役)」の不在、マンネリ演出を打破できない監督、何もかも説明してしまう饒舌な脚本、朝ドラ化するNHKの大河ドラマ・・・・・・。
そのいずれもが、時代劇凋落の〝戦犯″である。はたして時代劇は、「国民的エンターテインメント」として復活できるのか――。
『天才 勝新太郎』『仁義なき日本沈没』『あかんやつら』の著者、「時代劇研究家」の春日太一が、長年の取材の集大成として、ありったけの想いを込めて綴る時代劇への鎮魂歌。
(目次より) 第一章 時代劇の凋落
第二章 時代劇は「つまらない」?
第三章 役者がいない!
第四章 監督もいなくなった・・・・・・
第五章 そして誰もいなくなった
第六章 大河ドラマよ、お前もか!
- 本の長さ208ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2014/9/16
- 寸法11 x 1 x 17.3 cm
- ISBN-104106105861
- ISBN-13978-4106105869
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仁義なき日本沈没―東宝vs.東映の戦後サバイバル― | なぜ時代劇は滅びるのか | 市川崑と『犬神家の一族』 | |
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【新潮新書】春日太一 作品 | 本当に反省に導くのならば「加害者の視点で考えさせる」方が効果的──。犯罪者のリアルな生態を踏まえて、超効果的な更生メソッドを提言する。 | もはや溺死の時代劇。『水戸黄門』の大罪、ヘタな役者、朝ドラ化する大河……衰退を招いた真犯人は誰だ!圧倒的な熱量で放つ、時代劇への鎮魂歌。 | 『ビルマの竪琴』『細雪』などの名作を遺した巨匠・市川崑の 監督人生と映画術に迫る。『犬神家の一族』徹底解剖、”金田一”石坂浩二のインタビューも収録。 |
商品の説明
著者について
春日太一(かすが・たいち)
1977年東京都生まれ。時代劇・映画史研究家。日本大学大学院博士後期課程修了(芸術学博士)。撮影所や俳優などの取材をもとに、日本の映画やテレビドラマを研究。著書に『時代劇は死なず! 』『天才 勝新太郎』『仁義なき日本沈没』『あかんやつら』『仲代達矢が語る 日本映画黄金時代』『時代劇の作り方』(共著)など。
1977年東京都生まれ。時代劇・映画史研究家。日本大学大学院博士後期課程修了(芸術学博士)。撮影所や俳優などの取材をもとに、日本の映画やテレビドラマを研究。著書に『時代劇は死なず! 』『天才 勝新太郎』『仁義なき日本沈没』『あかんやつら』『仲代達矢が語る 日本映画黄金時代』『時代劇の作り方』(共著)など。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2014/9/16)
- 発売日 : 2014/9/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 208ページ
- ISBN-10 : 4106105861
- ISBN-13 : 978-4106105869
- 寸法 : 11 x 1 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 423,706位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 927位新潮新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年7月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
時代劇が衰退していった理由が腑に落ちる内容であった。
目先の利益のために人材育成を怠る、優秀な人材が枯渇する、競合する他の娯楽に敗れる、さらに落ち目なるという悪循環は、世界の移り変わりにその場しのぎの局所最適で対応し、結果として大きな遅れをとるに至った過程は、日本経済の失われた30年にも通底すると思われる。
最終章に関しては、気に入らない大河ドラマの悪口のような内容であるが、著者が時代劇を一種のファンタジーと言うなら、時代性に遇わせようとした「工夫」とポジティブに捉えた方が心穏やかではないだろうか。時代劇も時代小説も、良くも悪くも作り話である。見てておもしろいのが一番。史実として正しいかどうかなら歴史資料を読んだ方が目的に叶う。また、娯楽が細分化した現代において、重厚な人間ドラマは万人受けするものではない。
時代劇とはこういうもの、こうあるべきものという考えが時代劇衰退の原因になったと筆者は分析する一方で、昔はよかった的な回顧をするのは矛盾していると感じる。
時代劇がいかに原点回帰しようと、何らかの工夫をしようと、潤沢な資金に支えられていた当時の栄光は戻らないであろう。逆に言えば、Netflixのような既存モデルに縛られない資金源ができればワンチャンスくらいはあるかもしれない。
順当に考えると時代劇の行く末は、完全に死に絶えずとも、好きな人だけがディープに好きというプロレスのような位置づけになるのではないだろうか。
目先の利益のために人材育成を怠る、優秀な人材が枯渇する、競合する他の娯楽に敗れる、さらに落ち目なるという悪循環は、世界の移り変わりにその場しのぎの局所最適で対応し、結果として大きな遅れをとるに至った過程は、日本経済の失われた30年にも通底すると思われる。
最終章に関しては、気に入らない大河ドラマの悪口のような内容であるが、著者が時代劇を一種のファンタジーと言うなら、時代性に遇わせようとした「工夫」とポジティブに捉えた方が心穏やかではないだろうか。時代劇も時代小説も、良くも悪くも作り話である。見てておもしろいのが一番。史実として正しいかどうかなら歴史資料を読んだ方が目的に叶う。また、娯楽が細分化した現代において、重厚な人間ドラマは万人受けするものではない。
時代劇とはこういうもの、こうあるべきものという考えが時代劇衰退の原因になったと筆者は分析する一方で、昔はよかった的な回顧をするのは矛盾していると感じる。
時代劇がいかに原点回帰しようと、何らかの工夫をしようと、潤沢な資金に支えられていた当時の栄光は戻らないであろう。逆に言えば、Netflixのような既存モデルに縛られない資金源ができればワンチャンスくらいはあるかもしれない。
順当に考えると時代劇の行く末は、完全に死に絶えずとも、好きな人だけがディープに好きというプロレスのような位置づけになるのではないだろうか。
2014年10月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
かって時代劇は映画の花形であった。
それが娯楽の多様化とテレビの登場で斜陽となる。
時代劇は、テレビが中心となるが「安く、早く、それなりに」の精神で作られた時代劇はそれが「習慣」で観ている人しか観なくなる。
顔を白く塗ってハデな着物を着た主人公が悪代官を殺して終わり。こんなドラマを毎週放送すれば飽きられて当然である。
物語がパターン化してしまったことも問題だが、筆者がより問題にしているのはそれを修正するシステムが機能していないことなのだ。
それにはテレビというメディアが抱える独特の事情がある。
後半はかなりのページをNHKの「大河ドラマ」の問題点に使っている。
これも、なるほどとうなずけることばかりである。
筆者の時代劇に対する愛情、情熱、それゆえの危機感がひしひしと伝わってくる、それでいて分析は冷静かつ論理的である。
筆者の主張することは、時代劇のみならずテレビアニメの衰退とも共通するものがあるような気がする。一読する価値は充分あると思う。
気になることがひとつだけある。
俳優の演技力については一般に「公開」されている以上、当然批判の対象となる。
やり玉にあがっている人は、気の毒だがしょうがない・・・
しかし、テレビ局の編成局長などしょせんサラリーマンである。あまり実名をだして批判しても意味が無いようにも思えるのだが。
それが娯楽の多様化とテレビの登場で斜陽となる。
時代劇は、テレビが中心となるが「安く、早く、それなりに」の精神で作られた時代劇はそれが「習慣」で観ている人しか観なくなる。
顔を白く塗ってハデな着物を着た主人公が悪代官を殺して終わり。こんなドラマを毎週放送すれば飽きられて当然である。
物語がパターン化してしまったことも問題だが、筆者がより問題にしているのはそれを修正するシステムが機能していないことなのだ。
それにはテレビというメディアが抱える独特の事情がある。
後半はかなりのページをNHKの「大河ドラマ」の問題点に使っている。
これも、なるほどとうなずけることばかりである。
筆者の時代劇に対する愛情、情熱、それゆえの危機感がひしひしと伝わってくる、それでいて分析は冷静かつ論理的である。
筆者の主張することは、時代劇のみならずテレビアニメの衰退とも共通するものがあるような気がする。一読する価値は充分あると思う。
気になることがひとつだけある。
俳優の演技力については一般に「公開」されている以上、当然批判の対象となる。
やり玉にあがっている人は、気の毒だがしょうがない・・・
しかし、テレビ局の編成局長などしょせんサラリーマンである。あまり実名をだして批判しても意味が無いようにも思えるのだが。
2020年10月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の春日太一先生は若くして、かつての本邦の時代劇の世界をアカデミックに研究しておられます。そのお人柄により数多くの時代劇並びに邦画関係者へのインタビューを成し、時代劇を取り巻く人々の生の声を集めることに大きく貢献されました。のみならずその話術は一級品であり、類稀なる着眼点から、時代背景、役者、撮影所、監督、脚本家、製作者などの興味深い話を切り出され、その語り口は時を忘れて耳を傾けてしまうほどのものです。本書もまた先生のその興味深い語り口を思い出させるような時代劇の世界あるいは邦画全般にわたる記述に溢れており、非常に面白く読むことが出来ます。
ここで一つの疑問があります、時代劇の滅び、とは何を指すのでしょうか?
先生は本書でもそうですが度々「かつて時代劇とは大衆の娯楽であった」と述べています。大衆の娯楽でなくなった時が滅びの瞬間でしょうか?もしそうであればその滅亡は本書の記述内でもかなり前半において起きており、その後その地位を復活することは実際の歴史においてもありませんでした。
では伝統芸術としての存亡をもってして言うのでしょうか?であれば本書の最後の苦言は理解できるところがあります。しかしそれは先生の別書「あかんやつら」でも言われているように、単にそれ以前のディケードの方法論が陳腐化し、不幸にもついに次のディケードでブレイクスルーが生まれなかった、というだけの事かもしれません。
そのように考えると、時代劇は終に大衆娯楽に復活する道は無き者として諦め、以後は能、歌舞伎のように伝統芸術としての存続を企図して生き永らえる他ないように思います。
時折、時代の要請に応じた作品が誕生することもあるかと思いますが、それは殆ど一過性のものに過ぎず、別途、質の高い芸術性を求める層とは乖離した時代劇が稀に登場する程度で、いかなる方法をもってしてもそれを永続は疎か、長期維持することも不可能だと言わざるを得ません。むしろ東映の岡田茂体制は何度もそうして滅んだ古い方法論をかなぐり捨てて、新しい方法をひたすら観客に迎合しながらも産業として成立させてきた功大なりとすら言えます。それすらも最後はあたかも平均台の上を疾走するかの如く足を踏み外して転落したのは、彼らの過失というより、どう考えても時代劇を永続させる方法論など端から無かったというだけのことのように考えられます。
その点で本書の最後の苦言は正直申し上げまして八割がた無益な提言のように感じました。
むしろ娯楽の本道としての道は捨て、一部好事家に密やかに愛好されるきめの細かい作りの時代劇を、そして巨大な市場を臨めない以上、それを如何に低コストで実現するか。今後の時代劇にに求め得るのは諸条件を鑑み、そこにしか生存戦略が無いようにも思います。本書最後の苦言はその点で見れば一部ではあるものの貴重なヒントが隠されているように思います。
というような小難しい話よりも、実のところ先生の本領は、好事家のみならずとも思わず耳を傾けて「時代劇って、日本映画界ってそんな面白い旧作があったのか!そんな奥深い視点があったのか!」という驚きを与えてくれる点にこそあると思いますので、本書もその観点で読むと大変楽しい時間を過ごせることは、これはもう間違いなしと断言できます。
ここで一つの疑問があります、時代劇の滅び、とは何を指すのでしょうか?
先生は本書でもそうですが度々「かつて時代劇とは大衆の娯楽であった」と述べています。大衆の娯楽でなくなった時が滅びの瞬間でしょうか?もしそうであればその滅亡は本書の記述内でもかなり前半において起きており、その後その地位を復活することは実際の歴史においてもありませんでした。
では伝統芸術としての存亡をもってして言うのでしょうか?であれば本書の最後の苦言は理解できるところがあります。しかしそれは先生の別書「あかんやつら」でも言われているように、単にそれ以前のディケードの方法論が陳腐化し、不幸にもついに次のディケードでブレイクスルーが生まれなかった、というだけの事かもしれません。
そのように考えると、時代劇は終に大衆娯楽に復活する道は無き者として諦め、以後は能、歌舞伎のように伝統芸術としての存続を企図して生き永らえる他ないように思います。
時折、時代の要請に応じた作品が誕生することもあるかと思いますが、それは殆ど一過性のものに過ぎず、別途、質の高い芸術性を求める層とは乖離した時代劇が稀に登場する程度で、いかなる方法をもってしてもそれを永続は疎か、長期維持することも不可能だと言わざるを得ません。むしろ東映の岡田茂体制は何度もそうして滅んだ古い方法論をかなぐり捨てて、新しい方法をひたすら観客に迎合しながらも産業として成立させてきた功大なりとすら言えます。それすらも最後はあたかも平均台の上を疾走するかの如く足を踏み外して転落したのは、彼らの過失というより、どう考えても時代劇を永続させる方法論など端から無かったというだけのことのように考えられます。
その点で本書の最後の苦言は正直申し上げまして八割がた無益な提言のように感じました。
むしろ娯楽の本道としての道は捨て、一部好事家に密やかに愛好されるきめの細かい作りの時代劇を、そして巨大な市場を臨めない以上、それを如何に低コストで実現するか。今後の時代劇にに求め得るのは諸条件を鑑み、そこにしか生存戦略が無いようにも思います。本書最後の苦言はその点で見れば一部ではあるものの貴重なヒントが隠されているように思います。
というような小難しい話よりも、実のところ先生の本領は、好事家のみならずとも思わず耳を傾けて「時代劇って、日本映画界ってそんな面白い旧作があったのか!そんな奥深い視点があったのか!」という驚きを与えてくれる点にこそあると思いますので、本書もその観点で読むと大変楽しい時間を過ごせることは、これはもう間違いなしと断言できます。
2015年3月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者はまず如何にして時代劇が「水戸黄門」的ワンパターンな作品になっていったかを時代劇の誕生まで遡りながら分析し、その過程でかつての名作の数々を紹介していきます。確かに「七人の侍」など昔の時代劇には予定調和や安易なハッピーエンドとは無縁でした。
特に大河ドラマの章は面白く感じました。著者ははじめて女性名がタイトルに入った「利家とまつ」が転換期だと指摘しています。その後の「篤姫」「功名が辻」「江」といった作品にもいえることですが、主人公を強引に歴史の中心に持ってくるSF的展開、素直さや明るさを最高の価値とする安直な作りは出来の悪い仮想戦記かライトノベルのようです。2時間ドラマならそれもありですが、一年がかりの超長編作品にその程度のメッセージしかないのはお寒いかぎりです。
翻って大ヒットした「独眼竜政宗」「武田信玄」などの往年の作品群は主人公の成長とともに挫折、虚無感、寂寥感といった描写も多く描かれます。それによってどんな英雄も歴史の波に翻弄され、もがき苦しむ一人の人間に過ぎないというまさに大河的なストーリーが展開されるのです。
時代劇に対する深い愛情と洞察力を感じる優れた評論です。
特に大河ドラマの章は面白く感じました。著者ははじめて女性名がタイトルに入った「利家とまつ」が転換期だと指摘しています。その後の「篤姫」「功名が辻」「江」といった作品にもいえることですが、主人公を強引に歴史の中心に持ってくるSF的展開、素直さや明るさを最高の価値とする安直な作りは出来の悪い仮想戦記かライトノベルのようです。2時間ドラマならそれもありですが、一年がかりの超長編作品にその程度のメッセージしかないのはお寒いかぎりです。
翻って大ヒットした「独眼竜政宗」「武田信玄」などの往年の作品群は主人公の成長とともに挫折、虚無感、寂寥感といった描写も多く描かれます。それによってどんな英雄も歴史の波に翻弄され、もがき苦しむ一人の人間に過ぎないというまさに大河的なストーリーが展開されるのです。
時代劇に対する深い愛情と洞察力を感じる優れた評論です。
2020年1月25日に日本でレビュー済み
本書によって1970年代前半以前の時代劇の歴史、および躍動感溢れる往年の作品の数々を知ることができました。
欧米の歴史映画やドラマだと、肖像画から抜け出たような俳優を起用し、髪型や服装が刻々と変化していくんですよ。
なのに日本では大河ドラマですら、外国人に向けて「これが〇〇時代の日本です。時代考証的に信じてもらって大丈夫です」と言える作品ができないのはなぜなのか、ずっと不満に思っていました。
嘘臭いんですよ。季節感も生活感もない着たきり雀の衣装とか、あの独特な時代劇言葉、ベテラン時代劇役者の大仰な演技と台詞回し、カツラはだいぶナチュラルになったけどそれでもまだ…。
著者は若手俳優の演技をこき下ろしていますが、むしろ伝統として固守すべきという時代劇の芝居を根本から見直さないといけないのでは?
初代ガンダムのリアルロボット路線が旧来のスーパーロボットやSFファンタジーを駆逐したように、一度リアリティに目覚めた観客は元には戻れないと思うのですよ。
(999がガンダムより後発だったらヒットはしなかったと推察します)
歴史小説や、日々進展する歴史学に親しみ、たくさんの時代劇・歴史ドラマを見て目が肥えた観客が、時代考証やら何やらに詳しくなるのは当然じゃないですか。
作り手は年齢とともにハイレベル化する古いファンを繋ぎとめる一方で、若年新規ファンの獲得に努めなければならない。それこそガンダムシリーズがいい例じゃないでしょうか。
NHK「タイムスクープハンター」のヒットを見るに、「時代考証や史実に忠実に作ると面白い作品なぞできない」というのは作り手の言い訳でしかないと分かります。
また、「タイムスクープハンター」は歴史の初心者にとって敷居が高い、お堅い作品でしたか? そんなことはないでしょう。
時代考証にうるさい輩が揚げ足を取るとか、歴史や時代劇の素養がなくなったからとか、見る側に原因や責任を求めるような口ぶりをしてちゃダメでしょう。
本書は映画監督や俳優については筆を割いていますが、私が知りたかった脚本家については記述が不十分で残念でした。
大河ドラマを評した章で言えば、「篤姫」と「江」は同じ脚本家です。
歴史モノ未経験の脚本家を起用すること、そうした脚本家にとり、原作小説の有る無しや、期限内に書き上げる苦労など、取材すべき点はいろいろあったと思うのですが。
また「利家とまつ」以降の「清く正しく美しい主人公像」、説明過剰な台詞などは、朝ドラ出身脚本家の腕の問題なのか、NHKから細々とした指示があるのか、そうした裏側も知りたかったです。
他の方もおっしゃっていますが、結局は時代劇大好きな著者と製作者サイドの身内話のようでした。
もっと一般人の時代劇・歴史ドラマに関する意見や感想を取材して回るべきだと思いました。
欧米の歴史映画やドラマだと、肖像画から抜け出たような俳優を起用し、髪型や服装が刻々と変化していくんですよ。
なのに日本では大河ドラマですら、外国人に向けて「これが〇〇時代の日本です。時代考証的に信じてもらって大丈夫です」と言える作品ができないのはなぜなのか、ずっと不満に思っていました。
嘘臭いんですよ。季節感も生活感もない着たきり雀の衣装とか、あの独特な時代劇言葉、ベテラン時代劇役者の大仰な演技と台詞回し、カツラはだいぶナチュラルになったけどそれでもまだ…。
著者は若手俳優の演技をこき下ろしていますが、むしろ伝統として固守すべきという時代劇の芝居を根本から見直さないといけないのでは?
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(999がガンダムより後発だったらヒットはしなかったと推察します)
歴史小説や、日々進展する歴史学に親しみ、たくさんの時代劇・歴史ドラマを見て目が肥えた観客が、時代考証やら何やらに詳しくなるのは当然じゃないですか。
作り手は年齢とともにハイレベル化する古いファンを繋ぎとめる一方で、若年新規ファンの獲得に努めなければならない。それこそガンダムシリーズがいい例じゃないでしょうか。
NHK「タイムスクープハンター」のヒットを見るに、「時代考証や史実に忠実に作ると面白い作品なぞできない」というのは作り手の言い訳でしかないと分かります。
また、「タイムスクープハンター」は歴史の初心者にとって敷居が高い、お堅い作品でしたか? そんなことはないでしょう。
時代考証にうるさい輩が揚げ足を取るとか、歴史や時代劇の素養がなくなったからとか、見る側に原因や責任を求めるような口ぶりをしてちゃダメでしょう。
本書は映画監督や俳優については筆を割いていますが、私が知りたかった脚本家については記述が不十分で残念でした。
大河ドラマを評した章で言えば、「篤姫」と「江」は同じ脚本家です。
歴史モノ未経験の脚本家を起用すること、そうした脚本家にとり、原作小説の有る無しや、期限内に書き上げる苦労など、取材すべき点はいろいろあったと思うのですが。
また「利家とまつ」以降の「清く正しく美しい主人公像」、説明過剰な台詞などは、朝ドラ出身脚本家の腕の問題なのか、NHKから細々とした指示があるのか、そうした裏側も知りたかったです。
他の方もおっしゃっていますが、結局は時代劇大好きな著者と製作者サイドの身内話のようでした。
もっと一般人の時代劇・歴史ドラマに関する意見や感想を取材して回るべきだと思いました。
2015年2月17日に日本でレビュー済み
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筆者の時代劇への期待と失望・・・そして愛を強く感じました。
時代錯誤な台詞にデジタルなご時世でも、時代劇の復活を願う筆者の思いに感銘。
時代錯誤な台詞にデジタルなご時世でも、時代劇の復活を願う筆者の思いに感銘。