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原始仏典の世界―仏典の教えを現代にどう生かしていくか (NHKライブラリー) 単行本 – 1998/3/1
奈良 康明
(著)
- 本の長さ321ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日1998/3/1
- ISBN-104140840773
- ISBN-13978-4140840771
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
人生や自己の問題に悩んだ先人たちのことばを「私は」と一人称に置き換えて受け止めれば、釈尊の心が本当に私たちに伝わってくる。原始仏典が現代に生きる姿を捉え、仏教と釈尊の教えの現代化を試みる。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (1998/3/1)
- 発売日 : 1998/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 321ページ
- ISBN-10 : 4140840773
- ISBN-13 : 978-4140840771
- Amazon 売れ筋ランキング: - 590,738位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2003年11月22日に日本でレビュー済み
原始仏典とは要するに釈尊が入滅したのち、その教えが散逸しないように弟子たちが釈尊から口伝えに聞いた説法を文章として残したもので、仏教史における最初期の経典であり、ブッダそのひとの教えを一番よく伝えていると言われている。原始仏典はサンスクリットではなく当時のガンジス河流域の民間語であるパーリ語で伝えられ、一部は『阿含経』として漢訳もされている。原始仏典は岩波文庫から中村元氏訳で(『ブッダの言葉-スッタニパータ』)がいくつか入手しやすいものがあるが、本書は原始仏教の世界に分け入る上で格好の案内書だと評価できる。仏教が成立した当時のインドの歴史と社会背景そして世界が実在すると主張するバラモン教と、世界は「無」であるという仏教の本質の違いが明確にされ、原始仏典のそれぞれに現代人の直面する問題に引き当てて解説が加えられている。インドの写真なども挿入され、仏教に関心を持つ人を決して飽きさせないだろう。
2017年7月10日に日本でレビュー済み
本書は、1993年から1994年にかけて放送されたNHK『こころの時代』の副読本に、加筆・訂正をほどこしたものです。
初版は、1998年4月1日。
当時の著者は、学内外において活躍のめざましい日々を送っておられました。若き日々は、カルカッタ大学を拠点として、釈尊の生き方と思想を、インドの風土のなかで体感し、帰国後も、インドでの仕事を数々、こなされていたものです。曹洞宗の僧侶としても、インドで生まれた仏教の本質を常に追い求めた道元禅師の教え(『正法眼蔵』他)を広める活動を続けてこられました。東京下町で育った人なので、その気さくなお人柄が、文章のなかにもあらわれているようです。
本書は、上述したような著者のプロフィールをあらわすかのように、釈尊を輩出したインドの宗教文化を視野に入れながらの「原始仏典」入門書になっていますし、インドでの生活体験にも度々言及されています。
日本仏教の祖師方のなかからは、やはり、「正伝(しょうでん)の仏法」の継承を志した道元禅師にスポットをあて、インドに遡る仏教の基本に説き及んでいる(202~207頁)のが、特徴といえるでしょう。寺院の住職として接する人々とのエピソードもみられます。
「~です」「~ます」の口語体で語りかけるような文章なので、読んでいる本人が、自分の問題として、仏典のことばを受け止めやすい感じがします。例えば、「あらゆるものは無常である」(諸行無常)という時、「あらゆるもの」という主語を、「私は」という一人称に替えてみれば、問題の真剣さが、一気に迫ってきます。そうすれば、釈尊の教えの一つ一つを「私」なりにどう受けとめながら生きてゆけばよいのか(現代をいかに生きるか)という、課題と向き合えることになる。
そうした積極的な問題意識を持つように、全章を通してはたらきかけているのが、本書の「特長」です。
「釈尊って、ずいぶん昔の人なのに、ちっとも、古びたところのない、身近なことを説いているんだな」と感じる読者も、きっとおられることでしょう。
●購入をご検討中の方々のために、目次を写してみましょう:
第1章 自己もまた自己ならず
1 釈尊出家の原因、2 欲望を超える
第2章 爪の上の土
1 克服さるべき無常、 2 無常を生きる
第3章 悪魔のささやき
1 煩悩と悟り、 2 釈尊の降魔
第4章 他人をわが身にひきあてて
1 暴力を排し、生命の尊重に生きる、2 釈尊の心のいたみ、3 祈りと実践
第5章 怨みに怨みをもって報いず
1 主体的に受けとめる、 2 主体的に生きる
第6章 自らその心を浄めよ
1 悪をなすな、2 中道
第7章 古城への道
1 古道を歩む、2 古城を見る
第8章 口中の斧
1 愛語とは何か、2 愛語の実践
第9章 七つのほどこし
1 布施と功徳、 2 生活の中の布施
第10章 信は功徳の母
1 自我を破る道、2 帰依
第11章 二人で道を行くなかれ
1 無師独悟、2 伝道の姿勢
第12章 ブッダ最後の旅
1 自帰依・法帰依
2 人間釈尊
あとがき
…以上のような目次の項目から受ける印象をはるかにこえた、豊かな内容の「インド仏教文化史」論・「インド仏教」入門書です。時々、ノートを取りながら、じっくりと読み通せば、仏教の基礎知識を身につけることができます。
初めて読んだあと、また少し時間をおいてから読み直すと、新しい発見があるはずです。
仏教にはたくさんの宗派があるけれど、それらをさかのぼると、いったい、どんなことが説かれていたのかを知りたい方々に、本書をお薦めいたします。
***~*~***
【追記】
仏教学の視座から本書のすぐれたところを一つだけ選ぶなら、それは、「アナッタン」という原語の意味を、「無我」(我がない)ではなく、「非我」(我ではない)であると、指摘している点です。
「我」とは、いつまでもしがみついて離れたくない、永遠に存在するかのようなもの(この人生、この自我というもの、など。他多数)を総称した概念です。この「我」は、いま、現に有るのだから、「無い」とはいえないが、その状態のまま、永存できるものではない。それなのに人間は「我」に執着して苦しんでいる。だが、ひとたび「これは我ではない」(=非我)と悟れば、「我」にいつまでもとらわれていることが、愚かしくなってくる。「無我」という漢訳語には、「非我」にはある、心の持ち方をより善く変えてゆく実践的なニュアンスがないため、「この自我も存在しない幻想なのか」などという誤解を生む恐れがあるのです。
西洋の東洋学者のなかには、かつて、この点を理解できずに、「仏教は、自己を否定する宗教だ。なんて恐ろしい!」などと早合点をした人もいたのでした。
仏教の関心事は、キリスト教が説くような、死をも超越する永遠の魂なのではなく、生きているあいだに体験・経験できる現象世界(絶えず移り変わるこの宇宙)に限られているので、「自己」にも生じる変化を恐れることなく、積極的に向き合うことを励まそうとするのです。そのためには、ある時点の「自己」にとらわれていては、これからの「自己」を成長させることができなくなります。そこで、「我に非ず」とか「我では無し」といった否定形の表現によって、絶えず旧い「自己」を更新していこうとするわけです。そのためには、「非」や「無」にもとらわれ過ぎないようにして、いつも新しい状態で生きることが、いちばんなのでしょう。
本書の著者である奈良康明先生は、以上のようなことを、ごく、簡潔に記しておられます。読者の方々は、上記の「追記」もあわせて参照なさったほうが、わかりやすくなるのではないか、と存じます。
●今後も機会があれば、より良い解説になるよう、レヴューの編集に努めてまいります。
初版は、1998年4月1日。
当時の著者は、学内外において活躍のめざましい日々を送っておられました。若き日々は、カルカッタ大学を拠点として、釈尊の生き方と思想を、インドの風土のなかで体感し、帰国後も、インドでの仕事を数々、こなされていたものです。曹洞宗の僧侶としても、インドで生まれた仏教の本質を常に追い求めた道元禅師の教え(『正法眼蔵』他)を広める活動を続けてこられました。東京下町で育った人なので、その気さくなお人柄が、文章のなかにもあらわれているようです。
本書は、上述したような著者のプロフィールをあらわすかのように、釈尊を輩出したインドの宗教文化を視野に入れながらの「原始仏典」入門書になっていますし、インドでの生活体験にも度々言及されています。
日本仏教の祖師方のなかからは、やはり、「正伝(しょうでん)の仏法」の継承を志した道元禅師にスポットをあて、インドに遡る仏教の基本に説き及んでいる(202~207頁)のが、特徴といえるでしょう。寺院の住職として接する人々とのエピソードもみられます。
「~です」「~ます」の口語体で語りかけるような文章なので、読んでいる本人が、自分の問題として、仏典のことばを受け止めやすい感じがします。例えば、「あらゆるものは無常である」(諸行無常)という時、「あらゆるもの」という主語を、「私は」という一人称に替えてみれば、問題の真剣さが、一気に迫ってきます。そうすれば、釈尊の教えの一つ一つを「私」なりにどう受けとめながら生きてゆけばよいのか(現代をいかに生きるか)という、課題と向き合えることになる。
そうした積極的な問題意識を持つように、全章を通してはたらきかけているのが、本書の「特長」です。
「釈尊って、ずいぶん昔の人なのに、ちっとも、古びたところのない、身近なことを説いているんだな」と感じる読者も、きっとおられることでしょう。
●購入をご検討中の方々のために、目次を写してみましょう:
第1章 自己もまた自己ならず
1 釈尊出家の原因、2 欲望を超える
第2章 爪の上の土
1 克服さるべき無常、 2 無常を生きる
第3章 悪魔のささやき
1 煩悩と悟り、 2 釈尊の降魔
第4章 他人をわが身にひきあてて
1 暴力を排し、生命の尊重に生きる、2 釈尊の心のいたみ、3 祈りと実践
第5章 怨みに怨みをもって報いず
1 主体的に受けとめる、 2 主体的に生きる
第6章 自らその心を浄めよ
1 悪をなすな、2 中道
第7章 古城への道
1 古道を歩む、2 古城を見る
第8章 口中の斧
1 愛語とは何か、2 愛語の実践
第9章 七つのほどこし
1 布施と功徳、 2 生活の中の布施
第10章 信は功徳の母
1 自我を破る道、2 帰依
第11章 二人で道を行くなかれ
1 無師独悟、2 伝道の姿勢
第12章 ブッダ最後の旅
1 自帰依・法帰依
2 人間釈尊
あとがき
…以上のような目次の項目から受ける印象をはるかにこえた、豊かな内容の「インド仏教文化史」論・「インド仏教」入門書です。時々、ノートを取りながら、じっくりと読み通せば、仏教の基礎知識を身につけることができます。
初めて読んだあと、また少し時間をおいてから読み直すと、新しい発見があるはずです。
仏教にはたくさんの宗派があるけれど、それらをさかのぼると、いったい、どんなことが説かれていたのかを知りたい方々に、本書をお薦めいたします。
***~*~***
【追記】
仏教学の視座から本書のすぐれたところを一つだけ選ぶなら、それは、「アナッタン」という原語の意味を、「無我」(我がない)ではなく、「非我」(我ではない)であると、指摘している点です。
「我」とは、いつまでもしがみついて離れたくない、永遠に存在するかのようなもの(この人生、この自我というもの、など。他多数)を総称した概念です。この「我」は、いま、現に有るのだから、「無い」とはいえないが、その状態のまま、永存できるものではない。それなのに人間は「我」に執着して苦しんでいる。だが、ひとたび「これは我ではない」(=非我)と悟れば、「我」にいつまでもとらわれていることが、愚かしくなってくる。「無我」という漢訳語には、「非我」にはある、心の持ち方をより善く変えてゆく実践的なニュアンスがないため、「この自我も存在しない幻想なのか」などという誤解を生む恐れがあるのです。
西洋の東洋学者のなかには、かつて、この点を理解できずに、「仏教は、自己を否定する宗教だ。なんて恐ろしい!」などと早合点をした人もいたのでした。
仏教の関心事は、キリスト教が説くような、死をも超越する永遠の魂なのではなく、生きているあいだに体験・経験できる現象世界(絶えず移り変わるこの宇宙)に限られているので、「自己」にも生じる変化を恐れることなく、積極的に向き合うことを励まそうとするのです。そのためには、ある時点の「自己」にとらわれていては、これからの「自己」を成長させることができなくなります。そこで、「我に非ず」とか「我では無し」といった否定形の表現によって、絶えず旧い「自己」を更新していこうとするわけです。そのためには、「非」や「無」にもとらわれ過ぎないようにして、いつも新しい状態で生きることが、いちばんなのでしょう。
本書の著者である奈良康明先生は、以上のようなことを、ごく、簡潔に記しておられます。読者の方々は、上記の「追記」もあわせて参照なさったほうが、わかりやすくなるのではないか、と存じます。
●今後も機会があれば、より良い解説になるよう、レヴューの編集に努めてまいります。