プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥2,000以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥693¥693 税込
ポイント: 21pt
(3%)
無料お届け日:
4月4日 木曜日
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
新品:
¥693¥693 税込
ポイント: 21pt
(3%)
無料お届け日:
4月4日 木曜日
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
中古品: ¥77
中古品:
¥77

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
花のれん (新潮文庫) 文庫 – 1961/8/17
山崎 豊子
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥693","priceAmount":693.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"693","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"%2F5E3k5I5hssvLN8AS2DOqOu1sf0%2BWJ9ZqoALsUjHDbn7NIS2Nc4doZW4XkTkwveOM8bcS8mxSlxzYH3kiJV7wDUnS%2BG2cgmMuPSaTdQVe16Kc3ubBaKKuROXeYNOkTHN","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥77","priceAmount":77.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"77","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"%2F5E3k5I5hssvLN8AS2DOqOu1sf0%2BWJ9ZwzEUxFu5E8waCIngmjboL12%2FD9FeJ0i20htr9hgOR4cTJFZR%2BD%2B2st69mmWoV%2BACUmbvTVBbysyVGvO%2FkCzW8Z3jZB9%2Fca0d8fRLT3wEd4LNffPCIRgDpbWGsnaCxexIVvIFncCmw6eSFMWxzeBWESHSj0mQ1waw","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
大阪の街中へわての花のれんを幾つも幾つも仕掛けたいのや――細腕一本でみごとな寄席を作りあげた浪花女のど根性の生涯を描く。
- 本の長さ336ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1961/8/17
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104101104034
- ISBN-13978-4101104034
よく一緒に購入されている商品
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
出版社より
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
---|---|---|---|---|---|---|
暖簾 | ぼんち | 花のれん | しぶちん | 花紋 | 仮装集団 | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.0
166
|
5つ星のうち4.0
119
|
5つ星のうち4.2
291
|
5つ星のうち4.0
106
|
5つ星のうち3.4
17
|
5つ星のうち3.9
101
|
価格 | ¥539¥539 | ¥1,045¥1,045 | ¥693¥693 | ¥506¥506 | ¥825¥825 | ¥1,034¥1,034 |
【新潮文庫】山崎豊子 作品 | 丁稚からたたき上げた老舗の主人吾平を中心に、親子二代”のれん”に全力を傾ける不屈の大阪商人の気骨と徹底した商業モラルを描く。 | 放蕩を重ねても帳尻の合った遊び方をするのが大阪の”ぼんち”。老舗の一人息子を主人公に船場商家の独特の風俗を織りまぜて描く。 | 大阪の街中へわての花のれんを幾つも幾つも仕掛けたいのや──細腕一本でみごとな寄席を作りあげた浪花女のど根性の生涯を描く。〈直木賞受賞〉 | ”しぶちん”とさげすまれながらも初志を貫き、財を成した山田万治郎──船場を舞台に大阪商人のど根性を描く表題作ほか4編を収録。 | 大正歌壇に彗星のごとく登場し、突如消息を断った幻の歌人、御室みやじ──苛酷な因襲に抗い宿命の恋に全てを賭けた半生を描く。 | すぐれた企画力で大阪勤音を牛耳る流郷正之は、内部の政治的な傾斜に気づき、調査を開始した……綿密な調査と豊かな筆で描く長編。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
---|---|---|---|---|---|---|
華麗なる一族〔上・中・下〕 | ムッシュ・クラタ | 沈まぬ太陽〔一〕~〔五〕 | 女系家族〔上・下〕 | 白い巨塔〔一〕~〔五〕 | 女の勲章〔上・下〕 | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.3
231
|
5つ星のうち4.1
63
|
5つ星のうち4.3
410
|
5つ星のうち4.1
235
|
5つ星のうち4.2
262
|
5つ星のうち4.0
137
|
価格 | ¥1,045¥1,045 | ¥572¥572 | ¥781¥781 | ¥825¥825 | ¥737¥737 | ¥781¥781 |
大衆から預金を獲得し、裏では冷酷に産業界を支配する権力機構〈銀行〉──野望に燃える万俵大介とその一族の熾烈な人間ドラマ。 | フランスかぶれと見られていた新聞人が戦場で示したダンディな強靭さを描いた表題作など、鋭い人間観察に裏打ちされた中・短編集。 | 人命をあずかる航空会社に巣食う非情。その不条理に、勇気と良心をもって闘いを挑んだ男の運命。人間の真実を問う壮大なドラマ。 | 代々養子婿をとる大阪・船場の木綿問屋四代目嘉蔵の遺言をめぐってくりひろげられる遺産相続の醜い争い。欲に絡む女の正体を抉る。 | 癌の検査・手術、泥沼の教授選、誤診裁判などを綿密にとらえ、尊厳であるべき医学界に渦巻く人間の欲望と打算を迫真の筆に描く。 | 洋裁学院を拡張し、絢爛たる服飾界に君臨するデザイナー大庭式子を中心に、名声や富を求める虚栄心に翻弄される女の生き方を追究。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
---|---|---|---|---|
不毛地帯〔一〕~〔五〕 | 二つの祖国〔一〕~〔四〕 | 約束の海 | 山崎豊子読本 | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.4
380
|
5つ星のうち4.4
190
|
5つ星のうち4.1
318
|
5つ星のうち4.3
13
|
価格 | ¥979¥979 | ¥825¥825 | ¥781¥781 | ¥469¥469 |
シベリアの収容所で十一年間の強制労働に耐え、帰還後、商社マンとして熾烈な商戦に巻き込まれてゆく元大本営参謀・壹岐正の運命。 | 真珠湾、ヒロシマ、東京裁判──戦争の嵐に翻弄され、身を二つに裂かれながら、祖国を探し求めた日系移民一家の劇的運命を描く。 | 海自の潜水艦と釣り船が衝突、民間人が多数犠牲となり批判にさらされる自衛隊……。壮大なスケールで描く国民作家最後の傑作長編。 | 商家のお嬢様が国民作家になるまで。すべての作品を徹底解剖し、日記や編集者座談を特別収録。不世出の社会派作家の最高の入門書。 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1961/8/17)
- 発売日 : 1961/8/17
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 336ページ
- ISBN-10 : 4101104034
- ISBN-13 : 978-4101104034
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 38,707位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

1924(大正13)年、大阪市生れ。京都女子大学国文科卒。
毎日新聞大阪本社学芸部に勤務。当時、学芸部副部長であった井上靖のもとで記者としての訓練を受ける。勤務のかたわら小説を書きはじめ、1957(昭和32)年に『暖簾』を刊行。翌年、『花のれん』により直木賞を受賞。新聞社を退社して作家生活に入る。
1963(昭和38)年より連載をはじめた『白い巨塔』は鋭い社会性で話題を呼んだ。『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』の戦争三部作の後、大作『沈まぬ太陽』を発表。1991(平成3)年、菊池寛賞受賞。2009(平成21)年には最新長編小説『運命の人』を刊行。同年10月より、「山崎豊子 自作を語る」シリーズ全三巻、『作家の使命 私の戦後』『大阪づくし 私の産声』『小説ほど面白いものはない』を刊行。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2024年1月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昔の作品で、生粋の大阪弁の会話が多く、初めはすらすら読めませんが、段々と慣れてきて夢中で読みました。吉本芸人はあまり好きでは無かったのですが、この本を読み終わった後は面白くお笑い番組を観ています。
2018年1月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
NHK朝ドラ「わろてんか」に触発されてポチってしまいました。
お笑いとか芸人の世界って実際はえげつないのかもしれませんが、キレのよい文体でさっくりと、しかも情景豊かに書き上げられていました。
私は最初の2-3ページでハマってしまい一気に読んでしまいましたが、読後の爽快感もまた格別でした。
お笑いとか芸人の世界って実際はえげつないのかもしれませんが、キレのよい文体でさっくりと、しかも情景豊かに書き上げられていました。
私は最初の2-3ページでハマってしまい一気に読んでしまいましたが、読後の爽快感もまた格別でした。
2023年12月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
登場人物の魅力的な世界を余すことなく魅せてくれて時を忘れます。
2018年1月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大阪商人の「えげつなさ」と「人情」との兼ね合いがとても面白い。世間に溢れる、商売っ気が見え見えの接待や贈答などが浅はかに見えて仕方がない。中途半端ではない、金も人情もとことん捧げて相手の心をつかむ商売は、営業の基本にも思える。ネットで最安値の賞品が簡単に購入できる今の世の中は、確かに便利になったけれど、手に入れた時の喜びや感謝の気持ちが薄れていく事はとても寂しい事ですね。本屋のおじさんと話しながら文庫本を買っていた学生時代が懐かしい。
2013年4月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なかなか全部読めずかなり時間がかかってしまいました。読書好きなのですが・・・・
2023年12月4日に日本でレビュー済み
山崎豊子といえば、超人気作家だ。ほとんどの作品が映画化もされている。『女系家族』『白い巨塔』『華麗なる一族』、どの映画も面白かった。なのに本は一冊も読んだことがなかったので、ここはひとつ直木賞受賞作を、と本書を選んだ。
一言でいえば、めちゃくちゃ面白かった。主人公は吉本興業の創業者・吉本せいをモデルにしているとのことだが、そこまで大長編でもないこの小説にギュッと大阪商人の濃い物語が凝縮されていて、間然するところがない。実に線の太い小説である。
船場言葉を代表する古きよき大阪弁も読んでいて小気味いい。僕は勝手に脳内で、映画『女系家族』の京マチ子をイメージしながら読んだのだが、映画化された際には淡島千景が主人公・多加を演じたようだ。それはそれで素晴らしかったろう。機会があれば映画も観てみたい。
いつかほかの作品も読んでみようかな、と思ってウィキペディアをいろいろ見ていたら、『ぼんち』の映画化のとき監督の市川崑ともめたエピソードが載っていて、ますます興味がわいた。ちょっと偏屈な、変わった人だったんだろうな山崎豊子。折り返しのプロフィール写真からも、そんな気がする。
一言でいえば、めちゃくちゃ面白かった。主人公は吉本興業の創業者・吉本せいをモデルにしているとのことだが、そこまで大長編でもないこの小説にギュッと大阪商人の濃い物語が凝縮されていて、間然するところがない。実に線の太い小説である。
船場言葉を代表する古きよき大阪弁も読んでいて小気味いい。僕は勝手に脳内で、映画『女系家族』の京マチ子をイメージしながら読んだのだが、映画化された際には淡島千景が主人公・多加を演じたようだ。それはそれで素晴らしかったろう。機会があれば映画も観てみたい。
いつかほかの作品も読んでみようかな、と思ってウィキペディアをいろいろ見ていたら、『ぼんち』の映画化のとき監督の市川崑ともめたエピソードが載っていて、ますます興味がわいた。ちょっと偏屈な、変わった人だったんだろうな山崎豊子。折り返しのプロフィール写真からも、そんな気がする。
2017年3月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昭和32年に「暖簾」でデビューした故・山崎豊子の長編第2作で、NHKの連続テレビ小説、通称「朝ドラ」の2017年後期ドラマとして放送される予定の「わろてんか」と題材が重なる部分の多い作品である。
「誰でも自分のことを書けば小説1冊くらいにはなる」という。最近の芸人のベストセラーなどはまさにこれだろう。商人の家庭を描いた作者のデビュー作「暖簾」がその「自分のこと」であるならば、この作品、つまり2作目は「自分のことではないこと」を書かなければならない段階であり、作家としての資質が最も試され、方向性が顕著に現れる作品でもある。
では作者はその重要な段階である2作目をどう書いたか。
一つは「実在の人物をモデルにする」ことである。主人公の多加のモデルは、吉本興業の創業者「吉本せい」である。また、寄席小屋の「花菱」は吉本興業の寄席小屋の屋号として現在も使われている「花月」である。
そしてもう一つ重要な点は、「徹底した取材に基づいて、リアリティを追求する」という点である。「事実は小説より奇なり」というが、細かいディティールに至るまで取材することで、事実の中に多少のフィクションの部分を紛れ込ませて、さも小説こそが真実だったのではないかと思わせてしまうことである。
例を挙げれば、作中に登場する「寄席の客の食べ捨てたミカンの皮を集めて薬問屋に持って行って売る(ミカンにはビタミンが豊富なので、皮が薬の材料になる)」エピソードや、「当時の規制では夜11時までしか営業できなかったのでそれを越えて営業すると翌日警官に罰金を払わなければならない」部分や、一見荒唐無稽に見える、「噺家が得意演目を質に出してしまったために高座で詰まってしまい、あわてて席亭が質屋から買い戻して話を続けさせる」「客に挨拶する習慣がついているあまり街中でポストを上客と間違えて挨拶した」等のエピソードも時系列は多少異なるにしても、おそらく実話をモチーフにしたものだろうし、成功の極みともいえる第16章のギャラを芸人たちに払うリアリティあふれるシーンも関係者の証言なしには描けない部分だろう。
寄席経営が元々の家業ではない多加であり、そのために苦労する部分もあるのだが、商人らしい才智と努力によって、これを克服していく。
具体的には主流派の寄席芸であった上方落語の噺家は新興の寄席小屋ではなかなか出演してくれないので、当時”色物”と呼ばれていた謡曲や曲芸の芸人たち のいわばはぐれもの達等を文字通りかき集めて安い値段で客に娯楽を提供することが興業の反映につながっていき、このサクセスストーリー的要素が読者に痛快な印象を与える。
”色物”の中から話芸としての”漫才”が確立していき、関西演芸界を席巻していく様子が平行して描かれていくことも小説の形式をとった芸能史として楽しく読める。
また、芸能という題材を扱いつつも、作中には漫才や浪曲の具体的な描写はあまり出てこないで、その代わりに実在の品物やディティールをできる限り詳細に描くことで乗り切っている。これは具体的な芸の面白さは、やはりその芸を映像で見せることでしか伝えられないと判断した作者の英断だろう。
「大きな嘘をついてもいいが、小さな嘘はつくな」というのがフィクションの基本だが、ここが本作の「大きな嘘」の部分で、ここさえうまく嘘をついてしまえばあとは事実に基づいて描くことで本作は「サクセスストーリー」として成立する。
例を挙げていえば吉本躍進の功労者であった実弟の林正之助の存在は巧妙にオミットされているし、吉本興業の共同創業者で相当な商才のあったはずの夫の吉本吉兵衛(作中では「吉三郎」)に至っては作中ではほとんどいいところがなく妾の家で腹上死するというろくでなしに描かれ、「花菱」の成功はほぼ多加一人の功績であったかのように改変されている。他の関係者の資料などを少し見ると「多加」一人の努力による「花菱」の成功は実はフィクションであり、他の複数の関係者の努力と商機を見極める慧眼も合わせた成果によるものであることにも段々と分かってくる。
作中の安来節の歌い手をスカウトするために島根県に行くあたりも作品が単調な印象を与えないための作者の巧妙なフィクションで、作中の縦軸となっている議員の「伊藤」とのプラトニックなロマンスもおそらく創作だろう。
「伊藤」というのは一応モデルらしい人物も確認でき、わかりやすく言うと朝ドラ「あさが来た」でいえばヒロインの「あさちゃん」に一方的に尽くし何かといえば助けてくれる「五代様」のような存在なのだが、無論史実の広岡浅子と五代友厚は同時代人であるという以上の関係ではないのと類似している。「伊藤」は終盤「五代様」以上に悲劇的な死をたどり、おそらくこの部分がネックとなって本作をそのまま原作として「朝ドラ」にできなかった事情ではないかと推察される。
もちろん後半になると史上初の本格的しゃべくり漫才のエンタツ・アチャコや演芸史に残る名物落語家・林団治が実名で登場したり、寄席小屋の数も増え話のスケールも大きくなっていき、映像的に見たい見せ場の数や章ごとの満足度も高くなっていく。これは、作者が雑誌連載という形式に徐々に慣れていっていったこと、連載によって途中での(当時の)存命中の関係者の同意がとれたことも大きいのだろう。この「サクセスストーリー」は終盤、大阪の象徴ともいうべき通天閣を買い取るところで文字通りの頂点に達する。
このように一見、日本人の好む「勤勉さ」や「礼儀正しさ」「清廉さ」が「花菱」、(要するに後の吉本)の成功を呼び込んだ「か」のような描き方は一種のサクセスストーリーを見るようでぐいぐいと引き込まれていく。
ただ、事実が下地になっているのでよくよく読むと「花菱」の成功の全てがそれに基づくものではなく、定員以上に客を演芸場に詰め込む描写や、警官のご機嫌をとって取り締まりに手心を加えてもらうなどはグレーゾーンすれすれの危ない道を通ってきていることも読み取れるし、ミカンの皮のエピソードなどは度を越した「ケチ」ともとれる。
また、芸能はパイの限られた弱肉強食の世界であり、あまり正面切って描かれてはいないが、多少古典的なしきたりにとらわれるあまりの自業自得的な部分であっても、昭和初期の漫才ブームによって古き良き時代の上方落語界がみるみるうちに衰退していくことも考えてみれば花菱躍進の影に隠された部分である。
特に第21章は戦災で寄席小屋を焼かれた多加がかつての所属芸人の元を訪れ、彼らの借金の証文を反故にするという美談風味で描かれているが、これは裏を返せば「花菱」がおそらくオーナーの「人徳」や寄席小屋の提供する「夢」や「笑い」とは無関係に多額の芸人への「金の貸し付け」によって支配していた「事実」をモチーフにしており、美談であるはずが深読みするとおそろしくドライな「ビジネス的判断」が透けてくる。
読んでいてこの辺で引っかかり、読み返してみると、前半の小さな寄席小屋から始まって関西の演芸界制覇を成し遂げるまでの「花菱」の前人未踏のサクセスストーリーも、「笑い」という非常に曖昧な商品を扱いながらも極めて「合理的」かつ「戦略的」に興業ビジネスに挑んだ結果、「先見性」がなく「内輪の派閥争い」で満足していた関西演芸界があっけなく陥落したのであって、決して「意地やロマンを持って頑張っていたら偶然や奇跡が起きた」という類の話ではないということが理解できてくる。
余談だが、現実の吉本興業では終戦直前、もしくは直後に人員や寄席小屋の被害が甚大なために興業が継続できる見込みすら立たず、借金棒引きも含めてではあるが全所属芸人の専属契約を解除している。戦後から10年あまりの時期の吉本興業は直営の演芸場や専属の芸人を抱えず、映画館やクラブ経営等のビジネスに転身しているので、この借金棒引きもある意味リストラというか人員整理の意味もあったと思われる。
かつて流行した「浪花の商人もの」にはオーナーの「ロマン」や「意地」のあふれる商売意気が描かれており、凡庸な作家の手にかかれば一代のサクセスストーリーとして描かれていただろうが、ノンフィクション以上にリアルにフィクションを描くことのできる山崎豊子の手にかかれば、こういった一見「サクセスストーリー」も単に「合理性」を追求してビジネスを展開した結果でしかないという「限りなく現実に近いフィクション」となって描かれるのである。
また前述したように、発表当時の昭和33年の時点では「吉本興業」は「かつて関西の演芸場を独占していたサービス業を主体とした企業で、かつこれから演芸の世界に再参入しようとしている企業」であって、現在の「笑いの総合商社」たる「よしもと」とは微妙に断絶している。とはいえ、「多加」という一人のキャラクターにまとめられた複数の創業者たちの「笑い」という曖昧なビジネスに対する合理的な姿勢は発表当時、いや発表以降もこれから演芸に参入しようとしている関係者には良き手本となっただろう。
ただ、誤解しないでほしいのは、ここで「花菱」の金儲けを糾弾しているのではなくあくまでビジネスでの合理性追求で一貫しているということに気づいたのであって、花菱=吉本にあっても「合理性(=儲かる)」と「面白さ(=客に満足なサービスを与える)」は両立するものであり、「合理的に面白さを追求すること」が客にも事業者にも利益を与えるものであること、そして過去においても現代においても「面白さを徹底して追求することが一番面白いことであり、おのずと儲かることでもある」という理念に基づいて娯楽産業というのが成立しているということも付け加えておきたい。
本作の後、作者はフィクションの魅力の一つである「奇想天外な発想」からはより離れていき、「白い巨塔」「沈まぬ太陽」とより綿密な取材に基づいたセミノンフィクションともいうべき方向に作品性が定まっていく。
これは一歩間違うと「小説に書かれていることこそが真実」という読者を作ってしまい、関係者に多大な迷惑をかけるギリギリになってしまうリスクと隣あわせの覚悟を必要とするのだが、フィクションにそこまでのリアリズムを求めていない自分のような読者からは本作の「リアル7割のフィクション3割」くらいの按配がちょうどいい具合に楽しめた。
また、作品執筆当時はまだ戦争の記憶が生々しい時期であったせいか、資料不足で描けなかったのかは不明だが作者の筆は太平洋戦争が激化するあたりで急にピッチを早め、終局へとなだれ込んでいる。欲を言えば、日中戦争への慰問団「わらわし隊」の派遣や薬物中毒で早世した天才女流漫才師「ミスワカナ」のエピソード等も残念ながら描かれていないので、この辺は本作を原作としていないオリジナルドラマとして「朝ドラ」等他のメディアで描かれることを期待している。
「誰でも自分のことを書けば小説1冊くらいにはなる」という。最近の芸人のベストセラーなどはまさにこれだろう。商人の家庭を描いた作者のデビュー作「暖簾」がその「自分のこと」であるならば、この作品、つまり2作目は「自分のことではないこと」を書かなければならない段階であり、作家としての資質が最も試され、方向性が顕著に現れる作品でもある。
では作者はその重要な段階である2作目をどう書いたか。
一つは「実在の人物をモデルにする」ことである。主人公の多加のモデルは、吉本興業の創業者「吉本せい」である。また、寄席小屋の「花菱」は吉本興業の寄席小屋の屋号として現在も使われている「花月」である。
そしてもう一つ重要な点は、「徹底した取材に基づいて、リアリティを追求する」という点である。「事実は小説より奇なり」というが、細かいディティールに至るまで取材することで、事実の中に多少のフィクションの部分を紛れ込ませて、さも小説こそが真実だったのではないかと思わせてしまうことである。
例を挙げれば、作中に登場する「寄席の客の食べ捨てたミカンの皮を集めて薬問屋に持って行って売る(ミカンにはビタミンが豊富なので、皮が薬の材料になる)」エピソードや、「当時の規制では夜11時までしか営業できなかったのでそれを越えて営業すると翌日警官に罰金を払わなければならない」部分や、一見荒唐無稽に見える、「噺家が得意演目を質に出してしまったために高座で詰まってしまい、あわてて席亭が質屋から買い戻して話を続けさせる」「客に挨拶する習慣がついているあまり街中でポストを上客と間違えて挨拶した」等のエピソードも時系列は多少異なるにしても、おそらく実話をモチーフにしたものだろうし、成功の極みともいえる第16章のギャラを芸人たちに払うリアリティあふれるシーンも関係者の証言なしには描けない部分だろう。
寄席経営が元々の家業ではない多加であり、そのために苦労する部分もあるのだが、商人らしい才智と努力によって、これを克服していく。
具体的には主流派の寄席芸であった上方落語の噺家は新興の寄席小屋ではなかなか出演してくれないので、当時”色物”と呼ばれていた謡曲や曲芸の芸人たち のいわばはぐれもの達等を文字通りかき集めて安い値段で客に娯楽を提供することが興業の反映につながっていき、このサクセスストーリー的要素が読者に痛快な印象を与える。
”色物”の中から話芸としての”漫才”が確立していき、関西演芸界を席巻していく様子が平行して描かれていくことも小説の形式をとった芸能史として楽しく読める。
また、芸能という題材を扱いつつも、作中には漫才や浪曲の具体的な描写はあまり出てこないで、その代わりに実在の品物やディティールをできる限り詳細に描くことで乗り切っている。これは具体的な芸の面白さは、やはりその芸を映像で見せることでしか伝えられないと判断した作者の英断だろう。
「大きな嘘をついてもいいが、小さな嘘はつくな」というのがフィクションの基本だが、ここが本作の「大きな嘘」の部分で、ここさえうまく嘘をついてしまえばあとは事実に基づいて描くことで本作は「サクセスストーリー」として成立する。
例を挙げていえば吉本躍進の功労者であった実弟の林正之助の存在は巧妙にオミットされているし、吉本興業の共同創業者で相当な商才のあったはずの夫の吉本吉兵衛(作中では「吉三郎」)に至っては作中ではほとんどいいところがなく妾の家で腹上死するというろくでなしに描かれ、「花菱」の成功はほぼ多加一人の功績であったかのように改変されている。他の関係者の資料などを少し見ると「多加」一人の努力による「花菱」の成功は実はフィクションであり、他の複数の関係者の努力と商機を見極める慧眼も合わせた成果によるものであることにも段々と分かってくる。
作中の安来節の歌い手をスカウトするために島根県に行くあたりも作品が単調な印象を与えないための作者の巧妙なフィクションで、作中の縦軸となっている議員の「伊藤」とのプラトニックなロマンスもおそらく創作だろう。
「伊藤」というのは一応モデルらしい人物も確認でき、わかりやすく言うと朝ドラ「あさが来た」でいえばヒロインの「あさちゃん」に一方的に尽くし何かといえば助けてくれる「五代様」のような存在なのだが、無論史実の広岡浅子と五代友厚は同時代人であるという以上の関係ではないのと類似している。「伊藤」は終盤「五代様」以上に悲劇的な死をたどり、おそらくこの部分がネックとなって本作をそのまま原作として「朝ドラ」にできなかった事情ではないかと推察される。
もちろん後半になると史上初の本格的しゃべくり漫才のエンタツ・アチャコや演芸史に残る名物落語家・林団治が実名で登場したり、寄席小屋の数も増え話のスケールも大きくなっていき、映像的に見たい見せ場の数や章ごとの満足度も高くなっていく。これは、作者が雑誌連載という形式に徐々に慣れていっていったこと、連載によって途中での(当時の)存命中の関係者の同意がとれたことも大きいのだろう。この「サクセスストーリー」は終盤、大阪の象徴ともいうべき通天閣を買い取るところで文字通りの頂点に達する。
このように一見、日本人の好む「勤勉さ」や「礼儀正しさ」「清廉さ」が「花菱」、(要するに後の吉本)の成功を呼び込んだ「か」のような描き方は一種のサクセスストーリーを見るようでぐいぐいと引き込まれていく。
ただ、事実が下地になっているのでよくよく読むと「花菱」の成功の全てがそれに基づくものではなく、定員以上に客を演芸場に詰め込む描写や、警官のご機嫌をとって取り締まりに手心を加えてもらうなどはグレーゾーンすれすれの危ない道を通ってきていることも読み取れるし、ミカンの皮のエピソードなどは度を越した「ケチ」ともとれる。
また、芸能はパイの限られた弱肉強食の世界であり、あまり正面切って描かれてはいないが、多少古典的なしきたりにとらわれるあまりの自業自得的な部分であっても、昭和初期の漫才ブームによって古き良き時代の上方落語界がみるみるうちに衰退していくことも考えてみれば花菱躍進の影に隠された部分である。
特に第21章は戦災で寄席小屋を焼かれた多加がかつての所属芸人の元を訪れ、彼らの借金の証文を反故にするという美談風味で描かれているが、これは裏を返せば「花菱」がおそらくオーナーの「人徳」や寄席小屋の提供する「夢」や「笑い」とは無関係に多額の芸人への「金の貸し付け」によって支配していた「事実」をモチーフにしており、美談であるはずが深読みするとおそろしくドライな「ビジネス的判断」が透けてくる。
読んでいてこの辺で引っかかり、読み返してみると、前半の小さな寄席小屋から始まって関西の演芸界制覇を成し遂げるまでの「花菱」の前人未踏のサクセスストーリーも、「笑い」という非常に曖昧な商品を扱いながらも極めて「合理的」かつ「戦略的」に興業ビジネスに挑んだ結果、「先見性」がなく「内輪の派閥争い」で満足していた関西演芸界があっけなく陥落したのであって、決して「意地やロマンを持って頑張っていたら偶然や奇跡が起きた」という類の話ではないということが理解できてくる。
余談だが、現実の吉本興業では終戦直前、もしくは直後に人員や寄席小屋の被害が甚大なために興業が継続できる見込みすら立たず、借金棒引きも含めてではあるが全所属芸人の専属契約を解除している。戦後から10年あまりの時期の吉本興業は直営の演芸場や専属の芸人を抱えず、映画館やクラブ経営等のビジネスに転身しているので、この借金棒引きもある意味リストラというか人員整理の意味もあったと思われる。
かつて流行した「浪花の商人もの」にはオーナーの「ロマン」や「意地」のあふれる商売意気が描かれており、凡庸な作家の手にかかれば一代のサクセスストーリーとして描かれていただろうが、ノンフィクション以上にリアルにフィクションを描くことのできる山崎豊子の手にかかれば、こういった一見「サクセスストーリー」も単に「合理性」を追求してビジネスを展開した結果でしかないという「限りなく現実に近いフィクション」となって描かれるのである。
また前述したように、発表当時の昭和33年の時点では「吉本興業」は「かつて関西の演芸場を独占していたサービス業を主体とした企業で、かつこれから演芸の世界に再参入しようとしている企業」であって、現在の「笑いの総合商社」たる「よしもと」とは微妙に断絶している。とはいえ、「多加」という一人のキャラクターにまとめられた複数の創業者たちの「笑い」という曖昧なビジネスに対する合理的な姿勢は発表当時、いや発表以降もこれから演芸に参入しようとしている関係者には良き手本となっただろう。
ただ、誤解しないでほしいのは、ここで「花菱」の金儲けを糾弾しているのではなくあくまでビジネスでの合理性追求で一貫しているということに気づいたのであって、花菱=吉本にあっても「合理性(=儲かる)」と「面白さ(=客に満足なサービスを与える)」は両立するものであり、「合理的に面白さを追求すること」が客にも事業者にも利益を与えるものであること、そして過去においても現代においても「面白さを徹底して追求することが一番面白いことであり、おのずと儲かることでもある」という理念に基づいて娯楽産業というのが成立しているということも付け加えておきたい。
本作の後、作者はフィクションの魅力の一つである「奇想天外な発想」からはより離れていき、「白い巨塔」「沈まぬ太陽」とより綿密な取材に基づいたセミノンフィクションともいうべき方向に作品性が定まっていく。
これは一歩間違うと「小説に書かれていることこそが真実」という読者を作ってしまい、関係者に多大な迷惑をかけるギリギリになってしまうリスクと隣あわせの覚悟を必要とするのだが、フィクションにそこまでのリアリズムを求めていない自分のような読者からは本作の「リアル7割のフィクション3割」くらいの按配がちょうどいい具合に楽しめた。
また、作品執筆当時はまだ戦争の記憶が生々しい時期であったせいか、資料不足で描けなかったのかは不明だが作者の筆は太平洋戦争が激化するあたりで急にピッチを早め、終局へとなだれ込んでいる。欲を言えば、日中戦争への慰問団「わらわし隊」の派遣や薬物中毒で早世した天才女流漫才師「ミスワカナ」のエピソード等も残念ながら描かれていないので、この辺は本作を原作としていないオリジナルドラマとして「朝ドラ」等他のメディアで描かれることを期待している。
2017年12月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
テンポの速い語りであまり心理的なびようしやがないので、ニュース報道のような印象を受けるが、それがかえって気持ちいい。