村上春樹のイエローブックで有名な…といえば知ってる人も多い加藤典洋氏の著作。
タイトルとは関係ないようですが、ズバリ吉本隆明の本です。(笑)
ここにあるのは、マルクスにも吉本隆明にも距離を置いていたために可能になったクールな認識。あるいは日本と距離を置いていたことが<現在>への思索に余裕をもってアプローチできることにもなった、そのスタンスは、太平洋戦争中に戦争に全く影響されなかった太宰治にも通じるものかもしれません。しかし、思索はシステマチックであり、ジャンルを超えて普遍的、時代の感性をつかんでセンシティブです。また多くの論者を世代を超えて捉えており同時代のリアリティに満ちています。
311以降やリーマンショック以降の現代資本主義あるいはグローバル経済とそれにともなうコンフリクトといった、大多数の論者が批判はできてもその後は語れず、近未来へのオルタネイティブも示せないなかで稀有な一冊…というイメージがします。数少ない思想家や思索者だけがもっている、常に方法そのものを問う、そのスタンスが深い探究となり、まったく新しい認識を生んでいます。それも思念的なものではなく、援用されている三木解剖学に代表されるようにラジカルな、生物的な説得力をもった、あるいはマテリアルでありエンジニアリングである多くの産業的な成果を引導として展開されています。導者にはビル・ゲイツやザッカーバーグといったITの立役者をはじめ、見田宗介、星野芳郎、ルーマンらのラジカルな問題提起を受けつつ、新進気鋭の國分功一郎や東浩紀の名もあり、アリストテレスからバタイユ、ローティ、吉本隆明らが縦横無尽に援用されています。
吉本隆明の「アフリカ的段階」の援用にみられるように大きく人類と歴史を捉えながら、古代ギリシャ哲学以来の問題あるいはアウシュビッツでこそ提起されたものが、フーコーやアガンベン、アーレントの思索とともに考察されていきます。
ヘーゲル=マルクス的なアプローチから否定の否定の弁証法として一刀両断にされてしまうものを、それらからフリーハンドである著者は、コンティンジェントとして丹念に考察しています。弁証法は錯誤ではないのですが抽象あるいは科学に必然な捨象の成果であって、具体そのもの、あるいはリアルの臨界そのものとは乖離する可能性があることを著者は巧みに回避できています。この回避そのものが本書の主題であるリスクのヘッジの一例でもあり、導入から語られているウルリヒ・ベックのリスク理論を超えうるリスク理論の深化としての思索だともいえます。
最後の結語を保障する世界観=人間観として心的現象論序説の有名な一説、原生的疎外についての一文が紹介されています。
著者が控えめながら提示している<世界心情>という概念は、マルクス、コジェーヴ以来の<動物的>あるいはゾーエーとしての<動物生>に対しての大きな意味づけであり、<世界視線>への経路としての最重要な概念装置でしょう。
----------------------------------------
最初に「ズバリ吉本隆明の本です。」と書きましたが、いわゆる吉本隆明本ではありません。吉本隆明の援用とその可能性の中に現代のリスクを超え人類の明日を見出していくもので、吉本隆明を語ることが目的ではないということです。より具体的にいえば吉本自身が現代社会のオワリを宣告したハイイメージ論の結語に対する解答になりうる内容の本だ、ということになると思います。
論を開くのに援用されるのは見田宗介であり、それを受けて吉本の言葉が引かれるという展開です。見田宗介に関しては吉本隆明自身が見田さんの社会理論から解きあかしたいと語っていることもあり、意外?なマッチングと、それを視野に収めている著者の冷静で広い思索が要になっています。
いずれにせよ稀有で貴重な本であるということに変わりはありません。現代思想を超えていく先端の思索が楽しめる読書ができます。

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
人類が永遠に続くのではないとしたら 単行本 – 2014/6/27
加藤 典洋
(著)
わたしは過去のことを考えるほど、未来のことを考えていただろうか? 3・11による福島原発事故が引き起こしたのは、本質的には誰にも「責任をとりきれない」という新しい事態だ。科学技術の、地球環境の、そして種としての人類の限界が露わになったいま、ポストモダンとエコロジー、双方の思想が見落としてきた「有限性」を足場に、生きることへの肯定をスリリングかつ緻密に語る決定的論考。
- 本の長さ418ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2014/6/27
- 寸法13.4 x 2.5 x 19.6 cm
- ISBN-104103312122
- ISBN-13978-4103312123
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2014/6/27)
- 発売日 : 2014/6/27
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 418ページ
- ISBN-10 : 4103312122
- ISBN-13 : 978-4103312123
- 寸法 : 13.4 x 2.5 x 19.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 175,491位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2015年9月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2014年12月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
宮本憲一先生の『戦後日本公害史論』(岩波書店)、吉田寛先生の『環境会計の理論』(東洋経済新報社)、宇沢弘文先生の『社会的共通資本』(岩波新書)、大島堅一先生の『原発のコスト』(岩波新書)、内橋克人氏の『日本の原発、どこで間違えたのか』(朝日新聞出版)、太田昌克氏の『日米<核>同盟』(岩波新書)と読み継いで加藤典洋氏の『人類が永遠に続くのではないとしたら』に至って、日本の原発は全て廃止すべきであるという結論に達した。ゲオルギウの言葉『もし世界の終りが明日だとしても、私は今日林檎の種子をまくだろう』を愛しい子や孫のために、そして人類以外の生命種のために、実践する必要があるのだ。そう、「社会的共通資本としての自然環境」を生命体の持続可能な「継承財」として後世に残してゆくために”原発と核”の廃絶を叫び続けよう。
2014年8月26日に日本でレビュー済み
本のタイトルにもなっている、「人類が永遠に続くのではないとしたら」という仮定に対し、
「ではその中で人はどう生きていくのか」という問いに向き合った内容です。
東日本大震災における福島第一原発事故を受けて、著者が近著で論考してきたテーマの総括といった側面もあります。
福島での原発事故によって、保険会社が「原発のリスクを請け負うことを拒否する」ということの持つ意味。
そして、そのことによって見えてくる近代産業社会の持つ「有限性」という側面。
これまでの「外部資源の有限性」という、ともすれば安易なエコロジー論に着地してしまう論考に対して、
「内部から到来する有限性」という論考は、力強い新しい視点を提示しているのではないかと思います。
また、見田宗介氏の社会理論を主軸に、その「有限性」の世界といかに向き合うかという問いを深めており、
「してもしなくてもよい」という自由の持つ「力能」についての論考は、
現代社会の欲望の形態を見事に指摘していると感じ、
昨今の自分自身の価値基準を形成している要素として、たいへん腑に落ちた部分でした。
著者の、安易な慣用句に陥らない「思考を極限まで割った文章」は、
本書でも見事に貫徹されており、思考のドライブ感を味わうことができます。
多彩な社会理論を引用し、時には具体的なデータを提示しつつ進められていく論考は、
知性を心地よく刺激し、しばしばページを閉じて思考の海に耽溺させられました。
また、著者の文章は文体(特に句点の位置など)に特徴があって独特のリズムを持っており、
読んでいると、まるで名指しで自分に直接語りかけられているような気持ちになります。
表現に「詩的」な側面もあり、そういった側面が問いの「切迫性」を強化させている気もします。
本書でも、展開されている論考に対し、「他人事ではない。自分も考えなければ」という思いを強く抱かされました。
著者が、あとがきに「この本で何かが成し遂げられたのかそうではないのかが、
類比するものがないため、よくわからない」と記述していますが、少なくとも私には、本書によって、
「著者の提示した問いに対して、これからも考え続けなければならない」という課題を突きつけられました。
それはもちろん難しい課題であって考え続けることはしんどいことでもあり、
本書を読んだことによって悩みが増す可能性もありますが、
吉本隆明氏も言っていたように、「読書には毒がある」ことの証しだと思いますので、
その毒性を受け入れつつ、本書を「価値ある1冊」と評させていただきます。
「ではその中で人はどう生きていくのか」という問いに向き合った内容です。
東日本大震災における福島第一原発事故を受けて、著者が近著で論考してきたテーマの総括といった側面もあります。
福島での原発事故によって、保険会社が「原発のリスクを請け負うことを拒否する」ということの持つ意味。
そして、そのことによって見えてくる近代産業社会の持つ「有限性」という側面。
これまでの「外部資源の有限性」という、ともすれば安易なエコロジー論に着地してしまう論考に対して、
「内部から到来する有限性」という論考は、力強い新しい視点を提示しているのではないかと思います。
また、見田宗介氏の社会理論を主軸に、その「有限性」の世界といかに向き合うかという問いを深めており、
「してもしなくてもよい」という自由の持つ「力能」についての論考は、
現代社会の欲望の形態を見事に指摘していると感じ、
昨今の自分自身の価値基準を形成している要素として、たいへん腑に落ちた部分でした。
著者の、安易な慣用句に陥らない「思考を極限まで割った文章」は、
本書でも見事に貫徹されており、思考のドライブ感を味わうことができます。
多彩な社会理論を引用し、時には具体的なデータを提示しつつ進められていく論考は、
知性を心地よく刺激し、しばしばページを閉じて思考の海に耽溺させられました。
また、著者の文章は文体(特に句点の位置など)に特徴があって独特のリズムを持っており、
読んでいると、まるで名指しで自分に直接語りかけられているような気持ちになります。
表現に「詩的」な側面もあり、そういった側面が問いの「切迫性」を強化させている気もします。
本書でも、展開されている論考に対し、「他人事ではない。自分も考えなければ」という思いを強く抱かされました。
著者が、あとがきに「この本で何かが成し遂げられたのかそうではないのかが、
類比するものがないため、よくわからない」と記述していますが、少なくとも私には、本書によって、
「著者の提示した問いに対して、これからも考え続けなければならない」という課題を突きつけられました。
それはもちろん難しい課題であって考え続けることはしんどいことでもあり、
本書を読んだことによって悩みが増す可能性もありますが、
吉本隆明氏も言っていたように、「読書には毒がある」ことの証しだと思いますので、
その毒性を受け入れつつ、本書を「価値ある1冊」と評させていただきます。
2017年7月29日に日本でレビュー済み
有限性に気づかないふり(というか意識が有限性から飛んでいる)には、おそらく合理的な理由がある。一方で、それを直視すべきリスク社会が現代であることに、知性をもって挑むべきである。安心できる答えがない、問いをもちながら。