いい詩には不思議な力があると思う。平熱に戻してくれるというか、熱くもなく、醒めてもいない本来の自分に戻してくれる気がする。
時間に追われ、人間関係にふりまわされ、むなしく日々が過ぎて行くと感じた時、あ、そうか、ここに戻れば良かったんだと思わせてくれる詩、そんな平熱の詩が編まれたアンソロジーだ。
選詩の巧みさなのか、通して読み終えた時、むなしいと感じていた時の流れがそっと自分に寄り添ってきてくれ、いっしょに歩んでくれるのを感じた。
だから、しんとした気持で「大丈夫」と思えてきた。

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草にすわる (光文社文庫) 文庫 – 2006/6/13
白石 一文
(著)
- 本の長さ270ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2006/6/13
- ISBN-104334740715
- ISBN-13978-4334740719
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登録情報
- 出版社 : 光文社 (2006/6/13)
- 発売日 : 2006/6/13
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 270ページ
- ISBN-10 : 4334740715
- ISBN-13 : 978-4334740719
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,118,157位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2008年9月25日に日本でレビュー済み
直木賞を逃し続けてる作家です。すいすいと読めてしまう軽い味わいが逆に評価を下げてしまうのでしょう。心中小説なのにふたりは死にません。しかも後遺症も無く、ふたりは交際を続けるのです。さらにサクセスストーリーに変化します。このラストに深みもせつなさも無い、哀しい結末もお涙頂戴もなし。それこそがこの小説の味なのです。ホンワカしています。しかし癒しを強調したイヤらしさはありません。テレビドラマ化したらいい作品になるでしょう。主役をジャニーズ系にしたら台無しですが。
2013年8月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分用ではないので普通とした。家族が読んでいるのけど感想は聞いていない
2016年7月20日に日本でレビュー済み
本書は、詩のアンソロジーである。本の題名が、八木重吉の短詩「草に すわる」(3行)から取られているのは言うまでもない。この本には、周知のように、八木重吉の詩を言わば本歌取りした谷川俊太郎の「間違い」も収められている。
間違い 谷川俊太郎
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる
そう八木重吉は書いた(その息遣いが聞こえる)
そんなにも深く自分の間違いが
腑(ふ)に落ちたことが私にあったか
草に座れないから
まわりはコンクリートしかないから
私は自分の間違いを知ることができない
たったひとつでも間違いに気づいたら
すべてがいちどきに瓦解(がかい)しかねない
椅子(いす)に座って私はぼんやりそう思う
私の間違いじゃないあなたの間違いだ
あなたの間違いじゃない彼等の間違いだ
みんなが間違っていれば誰も気づかない
草に座れぬまま私は死ぬのだ
間違ったまま私は死ぬのだ
間違いを探しあぐねて
それは第六節で構成され、第一節は「草に すわる」全体が引用されている。いずれも、わかりやすい言葉の詩でありながら、内容の「わからなさ」に困惑してしまう。間違いとは何か。それが解からない。「間違い」の第三節の「草に座れないから」「まわりはコンクリートしかないから」と、第四節の「椅子(いす)に座って」は、ユーモアとペーソスが感じられる。第六節の「草に座れぬまま」で、著者は、ちょっと嘘をついてみたのだろう。「間違いを探しあぐねて」なんかいないはずである。二人とも、その答えが出せないのではない。あえて答えは出さないのである。
間違い 谷川俊太郎
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる
そう八木重吉は書いた(その息遣いが聞こえる)
そんなにも深く自分の間違いが
腑(ふ)に落ちたことが私にあったか
草に座れないから
まわりはコンクリートしかないから
私は自分の間違いを知ることができない
たったひとつでも間違いに気づいたら
すべてがいちどきに瓦解(がかい)しかねない
椅子(いす)に座って私はぼんやりそう思う
私の間違いじゃないあなたの間違いだ
あなたの間違いじゃない彼等の間違いだ
みんなが間違っていれば誰も気づかない
草に座れぬまま私は死ぬのだ
間違ったまま私は死ぬのだ
間違いを探しあぐねて
それは第六節で構成され、第一節は「草に すわる」全体が引用されている。いずれも、わかりやすい言葉の詩でありながら、内容の「わからなさ」に困惑してしまう。間違いとは何か。それが解からない。「間違い」の第三節の「草に座れないから」「まわりはコンクリートしかないから」と、第四節の「椅子(いす)に座って」は、ユーモアとペーソスが感じられる。第六節の「草に座れぬまま」で、著者は、ちょっと嘘をついてみたのだろう。「間違いを探しあぐねて」なんかいないはずである。二人とも、その答えが出せないのではない。あえて答えは出さないのである。
2019年4月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
選ばれた詩の大方が面白くなかった。八木重吉もこう編集されては、魅力を半減してしまう。同社、八木重吉のことばのほうがよほどいいと思う。
2003年9月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
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2003年10月9日に日本でレビュー済み
急に思い出したくない記憶がよみがえったり、
会いたくない人、会うべきではない人と再会したり、
そのせいで、以降の生き方とか、ものの考え方が、変わることがある。
「覚醒」しなければ生きていかれないというわけではないが、
そういう「劇的な変化」があったほうが、
生活を楽しい、あるいは、苦しいものにしてくれる。
起伏がないより、ある人生。
白石一文の小説を読んでみようかなと思っている人に、
最初の一冊としてすすめられる本ではない。
しかし、もしかしたら、この小説がターニング・ポイントとなり、
作風自体が「劇的に変化」する可能性もあるし、
その意味では、重要な本であるといえるのかもしれない。
会いたくない人、会うべきではない人と再会したり、
そのせいで、以降の生き方とか、ものの考え方が、変わることがある。
「覚醒」しなければ生きていかれないというわけではないが、
そういう「劇的な変化」があったほうが、
生活を楽しい、あるいは、苦しいものにしてくれる。
起伏がないより、ある人生。
白石一文の小説を読んでみようかなと思っている人に、
最初の一冊としてすすめられる本ではない。
しかし、もしかしたら、この小説がターニング・ポイントとなり、
作風自体が「劇的に変化」する可能性もあるし、
その意味では、重要な本であるといえるのかもしれない。
2021年7月2日に日本でレビュー済み
表題の草にすわる、の顛末になんじゃこれ?感。
無職の男性に、何故だか都合よく経済力のある女性が寄って来て、過剰に優しくしてくれて経済的にも救ってくれる話。
他の短編も似たような傾向があり、作者の女性に対する願望なんでしょうか。
説明調セリフも多くて、色々違和感あり。
最近読書から離れていて、久々に買った本だけあって残念でした。
無職の男性に、何故だか都合よく経済力のある女性が寄って来て、過剰に優しくしてくれて経済的にも救ってくれる話。
他の短編も似たような傾向があり、作者の女性に対する願望なんでしょうか。
説明調セリフも多くて、色々違和感あり。
最近読書から離れていて、久々に買った本だけあって残念でした。