座頭市の処し方について、ヤクザの道を踏み外しているとかの批判レビューがあるが、一体何を見ているのだろうか。
市は当然ながらヤクザ者なので、そもそも一貫性などないし、ヤクザそのものがいい加減で手前勝手な理屈で動く。木に縁りて魚を求む。「ゴッドファーザー」を見て道徳を説くようなものだ。
ヤクザの論理ではなく、一人のやさぐれとして見れば、見事に一貫性はある。ヤクザ映画をヤクザの視点で見て批判するほど滑稽な事はない。
この映画への貢献者はまずは勝新太郎で、彼の演技がなければs¥映画自体が成り立たないほどだ。
それと並んで大きな存在は脚本だろう。
子母澤寛のエッセイを翻案して書き上げたようだが、この脚本が抜群だ。論理的に矛盾がないし、必要して十分に描かれるべきものが描かれている。これほど良くできた脚本は珍しい。
その脚本によって、最近作られるどんな時代劇よりもよく出来た作品になっている。