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暗黒神話 (ジャンプスーパーコミックス) コミック – 1988/6/10
諸星 大二郎
(著)
身体に聖痕を持つ少年・武は、すべての時間と空間を支配するアートマン(選ばれし者)となる運命を背負っていた!? 膨大な史料に基づいた奇想天外な古代ロマン。表題作ほか「徐福伝説」を収録。
- 本の長さ264ページ
- 言語日本語
- 出版社創美社
- 発売日1988/6/10
- ISBN-104420137037
- ISBN-13978-4420137034
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著者について
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1949年長野・軽井沢に生まれ、東京で育つ。1970年「COM」にて「ジュン子・恐喝」でデビュー。1974年「生物都市」で第七回手塚賞に入選し本 格的な作家活動に入る。同年「少年ジャンプ」で「妖怪ハンター」を連載(後に「稗田礼二郎のフィールド・ノートより」と改題)、以後「暗黒神話」、「孔子 暗黒伝」と同誌に連載、その後他誌にて「マッドメン」、「海神記」、「西遊妖猿伝」と代表作となる作品群を発表。異形、寓意、そして或る時は“クトゥ ルー”をモチーフに古代から現在に至る物語世界を紡いでいる(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『MUD MEN 最終版』(ISBN-10:4334901670)が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
星5つ中4.6つ
5つのうち4.6つ
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年2月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
漫画を大量処分したのに唯一暗黒神話と孔子暗黒伝だけは捨てられませんでした。それだけ何度も読み返したくなる漫画です。この情報量、独創性、絵のくどさ、全て愛しています!
2011年12月18日に日本でレビュー済み
『暗黒神話』
『徐福伝説』
上記の2作品が収録されています。
『暗黒神話』は、週刊少年ジャンプに1976年に掲載されました。
ヤマトタケルを中心とした日本の神話を組み合わせた伝奇になっています。
邪馬台国、大和朝廷、卑弥呼の伝説と仏教の宇宙観が結びついて、密度の濃い謎を提示しながら物語は進行します。
絵のタッチが水木しげる風、つげ義春風を思わせるところがあって、毒々しさが漂っています。
日本の古代神話にある程度関心をお持ちの方でないと受け付けないかもしれません。
『徐福伝説』は、月刊少年ジャンプに1979年掲載された作品です。
中国の秦の時代。始皇帝が求めた不老不死の秘薬が背景になっています。
不老不死の秘薬を得るために東方に渡った秦の一行が嵐のため日本に流されます。
中国の文明人が未開の日本を訪れる、という状況が設定されています。
ここが実にユニークです。
独特の絵のタッチです。強い酒のような味わいです。
『徐福伝説』
上記の2作品が収録されています。
『暗黒神話』は、週刊少年ジャンプに1976年に掲載されました。
ヤマトタケルを中心とした日本の神話を組み合わせた伝奇になっています。
邪馬台国、大和朝廷、卑弥呼の伝説と仏教の宇宙観が結びついて、密度の濃い謎を提示しながら物語は進行します。
絵のタッチが水木しげる風、つげ義春風を思わせるところがあって、毒々しさが漂っています。
日本の古代神話にある程度関心をお持ちの方でないと受け付けないかもしれません。
『徐福伝説』は、月刊少年ジャンプに1979年掲載された作品です。
中国の秦の時代。始皇帝が求めた不老不死の秘薬が背景になっています。
不老不死の秘薬を得るために東方に渡った秦の一行が嵐のため日本に流されます。
中国の文明人が未開の日本を訪れる、という状況が設定されています。
ここが実にユニークです。
独特の絵のタッチです。強い酒のような味わいです。
2013年4月7日に日本でレビュー済み
洋の東西を問わずオカルトは常に、「敗者」の怨念と結びついている。勝者は神話や始原を必要としない。勝者は神話や始原により開かれた歴史を自己のものとし、その射程の中で自身の力を累積的に形成していけばよい。だが歴史を勝者に奪い取られた敗者は、自身の根拠を神話や始原にあえて求めるしかない。オカルトとは畢竟、歴史の遠近法の支配の下に可能となる実証的知性を出し抜き、歴史に絶えず隠蔽されながら歴史そのものを産み出す、神話的始原へと到達する認識の錬金術だ。それゆえ敗者は時に、こうしたオカルト的知性を駆使することにより、勝者の可視的権力とは異質の、しかしそれ以上に強大な不可視の力を獲得することがある。そうした力の根源としての神話的始原は、各個人の無意識の基底にうごめくものでもあり、かつ表の歴史の通時的進行の背後に秘められた闇の歴史でもある。この意識の深層と歴史の闇の共振の象徴的操作こそが、オカルト的知の本質だ。この『暗黒神話』という作品のモチーフは、武という一人の少年による、こうした神話的力の覚醒の物語である。
しばらく前、西洋版オカルト小説として『ダヴィンチ・コード』をはじめ、一連の作品が紹介された。聖堂騎士団、グノーシス、イエスの末裔−西洋精神史における敗者の系譜を遡上し、その秘密に迫るという構想においては、この諸星大二郎による天下の奇書『暗黒神話』が、ヤマトタケル−出雲−邪馬台国−縄文人と、日本の敗者の精神史を辿っているのと、これら西欧の諸作品は軌を一にしている。だがどれを読んでも諸星のこの傑作に比べた時、その浅はかさが鼻についてならなかった。何が欠けているのか。結局ラングドン教授のような物語の主人公は、所詮近代人として、近代知の視点からこうした敗者の精神史を、他人事として眺めているに過ぎない。彼らにとり直面する事態は、知的遊戯であるに過ぎないのだ。
西洋オカルト小説として、こうした浅はかさを超越しているのは唯一、ラグクラフトとその良質な後継者たちの作品だ。ラグクラフトのクトゥルー世界の根底を支える、〈不定形の−大いなる−ほの暗い−じめじめした−悪臭のする〉怪物たちの存在は、それが作者=主人公の深層の意識と共振する世界の神話的根源に他ならない。そのことは彼の作品において作者=主人公にとり、出来事が決して他人事ではあり得ないことを指し示している。むしろ出来事そのものに巻き込まれていくことにより、近代的自己が解体され=敗者として歴史から脱落させられることにより、主人公自身が変貌し怪物化していってしまうことになる。
安手の西洋オカルト小説と比べた時の『暗黒神話』の深みは、そのストーリーの展開全体がかかる〈不定形の−大いなる−ほの暗い−じめじめした−悪臭のする〉怪物たちの世界への接近として、推進されている点にある。その点でこの物語は、主人公の武にとっても、武の導師としての竹内老人にとっても、ということは著者にとっても読み手である我々にとっても、決して他人事の知的遊戯ではあり得ず、己を歴史の敗者に変成させかねない、きわめて危険な劇薬だと言うことを意味している。
著者諸星自身、〈不定形の−大いなる−ほの暗い−じめじめした−悪臭のする〉怪物たちの発想源が、ラグクラフトにあることを認めているようだが、諸星作品の魅力の一つは、文学作品ですら成し遂げられていない、クトゥルー神話の世界を物の見事に、日本の敗者の精神文化史という道具立てを使って換骨奪胎し、ラグクラフトとも異なる独自の神話世界を築き上げたところにある。それにしても何という荒技だろう。この独特の作風をコミックにおいても、小説においても継承し深化させる創造者がいないことがきわめて残念だ。
小説の分野では『水霊−ミズチ』、『蠅の王』といった一連の怪作をものした田中啓文がそれに近いが、諸星さんのようにこつこつ一つの路線を突き詰め続けないとなかなか評価してもらえないだろう。あと荒俣宏の『レックス・ムンディ』は、特に日本人がそれを取り上げた場合、ともすれば安手で浅い物になりがちな、聖堂騎士団や聖杯伝説を素材にして、よくこれだけ厚みのある「宇宙的恐怖」の物語を編み出したものと感心した。だがこれらはきわめて例外的事例に過ぎない。『暗黒神話』の芸風を継ぐ、諸星神話世界の「物語り手」の出現を切に待ち望む。
P.S. 高校時代この作品を初めて読んだ時、戸隠の人穴のタケミカヅチのシーンに強烈なインパクトを受け、ずっと夢でうなされました。それと並んで印象深かったのが、オトタチバナとその従者が納められた焼津の甕棺式人工冬眠装置のシーン。連れ合いの職場は古代の古墳群を大量に破壊して造成したところだが、この『暗黒神話』を読んでから彼女は、怖くて夜遅くまで残業できなくなったそうです。
しばらく前、西洋版オカルト小説として『ダヴィンチ・コード』をはじめ、一連の作品が紹介された。聖堂騎士団、グノーシス、イエスの末裔−西洋精神史における敗者の系譜を遡上し、その秘密に迫るという構想においては、この諸星大二郎による天下の奇書『暗黒神話』が、ヤマトタケル−出雲−邪馬台国−縄文人と、日本の敗者の精神史を辿っているのと、これら西欧の諸作品は軌を一にしている。だがどれを読んでも諸星のこの傑作に比べた時、その浅はかさが鼻についてならなかった。何が欠けているのか。結局ラングドン教授のような物語の主人公は、所詮近代人として、近代知の視点からこうした敗者の精神史を、他人事として眺めているに過ぎない。彼らにとり直面する事態は、知的遊戯であるに過ぎないのだ。
西洋オカルト小説として、こうした浅はかさを超越しているのは唯一、ラグクラフトとその良質な後継者たちの作品だ。ラグクラフトのクトゥルー世界の根底を支える、〈不定形の−大いなる−ほの暗い−じめじめした−悪臭のする〉怪物たちの存在は、それが作者=主人公の深層の意識と共振する世界の神話的根源に他ならない。そのことは彼の作品において作者=主人公にとり、出来事が決して他人事ではあり得ないことを指し示している。むしろ出来事そのものに巻き込まれていくことにより、近代的自己が解体され=敗者として歴史から脱落させられることにより、主人公自身が変貌し怪物化していってしまうことになる。
安手の西洋オカルト小説と比べた時の『暗黒神話』の深みは、そのストーリーの展開全体がかかる〈不定形の−大いなる−ほの暗い−じめじめした−悪臭のする〉怪物たちの世界への接近として、推進されている点にある。その点でこの物語は、主人公の武にとっても、武の導師としての竹内老人にとっても、ということは著者にとっても読み手である我々にとっても、決して他人事の知的遊戯ではあり得ず、己を歴史の敗者に変成させかねない、きわめて危険な劇薬だと言うことを意味している。
著者諸星自身、〈不定形の−大いなる−ほの暗い−じめじめした−悪臭のする〉怪物たちの発想源が、ラグクラフトにあることを認めているようだが、諸星作品の魅力の一つは、文学作品ですら成し遂げられていない、クトゥルー神話の世界を物の見事に、日本の敗者の精神文化史という道具立てを使って換骨奪胎し、ラグクラフトとも異なる独自の神話世界を築き上げたところにある。それにしても何という荒技だろう。この独特の作風をコミックにおいても、小説においても継承し深化させる創造者がいないことがきわめて残念だ。
小説の分野では『水霊−ミズチ』、『蠅の王』といった一連の怪作をものした田中啓文がそれに近いが、諸星さんのようにこつこつ一つの路線を突き詰め続けないとなかなか評価してもらえないだろう。あと荒俣宏の『レックス・ムンディ』は、特に日本人がそれを取り上げた場合、ともすれば安手で浅い物になりがちな、聖堂騎士団や聖杯伝説を素材にして、よくこれだけ厚みのある「宇宙的恐怖」の物語を編み出したものと感心した。だがこれらはきわめて例外的事例に過ぎない。『暗黒神話』の芸風を継ぐ、諸星神話世界の「物語り手」の出現を切に待ち望む。
P.S. 高校時代この作品を初めて読んだ時、戸隠の人穴のタケミカヅチのシーンに強烈なインパクトを受け、ずっと夢でうなされました。それと並んで印象深かったのが、オトタチバナとその従者が納められた焼津の甕棺式人工冬眠装置のシーン。連れ合いの職場は古代の古墳群を大量に破壊して造成したところだが、この『暗黒神話』を読んでから彼女は、怖くて夜遅くまで残業できなくなったそうです。
2004年10月17日に日本でレビュー済み
鬼才 諸星大二郎の伝奇ミステリー漫画の原点の著作。始めて諸星さんの作品を読んだ読者はその筆で描いたような不思議なタッチに違和感を感じるだろう。特に伝奇著作を読みこむにつれて、この描写の伝奇漫画に深い味わいが病み付きになる。本書で主人公の聖痕(スティグマ)から古代日本の聖地への謎証しの巡礼に巻き込まれ、雄大な古代の宇宙の生の神秘の中心の舞台にたたされて行く。ストーリーの展開の面白さはインディージョーンズを遥かに凌ぐものである。ところが特定のファンにしか読まれてこられなかったため、正当に評価されておらずで諸星さんは不遇孤高のマンガ作家である。古代の遺跡の千年以上前の不老不死の古代人の永眠カプセルの繭を割った時、失敗して溶けた肉体の半人間の不気味なシーンと主人公が宇宙と一体化するクライマックスは圧巻。
諸星さんの伝奇漫画シリーズは、妖怪ハンターシリーズや西遊記を換骨奪胎した西遊妖猿伝として開花していく。こちらも必見。
諸星さんの伝奇漫画シリーズは、妖怪ハンターシリーズや西遊記を換骨奪胎した西遊妖猿伝として開花していく。こちらも必見。
2021年10月17日に日本でレビュー済み
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ごめんなさい。「暗黒三部作」というのは私が勝手に決めたものです。第一部が『暗黒神話』、第二部が『孔子暗黒伝』、第三部は ―異論は勿論あると思いますが—『西遊妖猿伝』だと思います。だって悟空は必ず天竺(インド)へ到達するんでしょう?「お前はそこで旱怒魔(字、違ってますね)という神(言うまでもなく猿神ハヌマーン)に会うだろう」と斉天大聖・無支奇に予言されていますから。でもインドには、あの怖ろしい怖ろしい大暗黒女神カーリー様も居られるのですよ?悟空が出会わない訳がない。案外この辺で『孔子暗黒伝』と繋がって来るのかも。そう考えた次第です。すみません、『暗黒神話』のレビューになりませんでした。それはまた次の機会、ということで。
2021年10月1日に日本でレビュー済み
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昔、夢中で読んでいたマンガを再び読みたくなって購入しました。この作品が描かれたのはだいぶ昔なのに、全く色褪せないストーリー展開で再度夢中で一気読みしました。懐かしさと同時に作者・諸星大二郎先生の才気がビリビリと伝わって来るのに驚きます。やはり才能は時代を超越するんだ、と改めて感服しています。まだ読んだ事の無い方にも是非お勧めしたい1冊です。