最近筋肉少女帯のファンになり、オーケンの著作も読んでみようと思い「新興宗教オモイデ教」と、この「ステーシー」を読んでみた。
多くの方が「グロい」と感想を漏らされているが、個人的にはグロさより「せつなさ」の方が印象的だった。
個人的には何故かオモイデ教の方が生々しかったかも??
ある意味、俺が想像力が足りなくて現実的に見れなかったとこもあるかもしれないけど、真ん中の「ステーシーの美術」の話はステーシーをひたすらつぶれトマトにするだけの話が続くけど、序章と終章は上手く言えないけれどせつない話だった。
「最初の詠子の時にね、つくづく懲りたんだよ」という渋川の言葉。
彼が詠子に抱いた感情は愛なのだろうか?
ちょっと違うかもしれない。
愛する者を百六十五分割しなければならない、そんな時、どんな気持ちになるんだろう…。
もし俺がそんな世界に投げ落とされて、そんな状況に遭ったとしたら…。
せつない…。

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ステーシー: 少女ゾンビ再殺談 (角川ホラー文庫 74-1) 文庫 – 2000/6/1
大槻 ケンヂ
(著)
- 本の長さ191ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2000/6/1
- ISBN-104041847095
- ISBN-13978-4041847091
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登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (2000/6/1)
- 発売日 : 2000/6/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 191ページ
- ISBN-10 : 4041847095
- ISBN-13 : 978-4041847091
- Amazon 売れ筋ランキング: - 772,988位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2020年11月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
お気楽に買ったのですが、怖かったです。久しぶりにホラー本を読んでしまいました。大槻ケンヂさんが、こんなに、怖い本を書いていたんですね。でも、泣けるところもありました。
2009年11月27日に日本でレビュー済み
ステーシー(少女のゾンビ)と、それを始末していく人々や再殺部隊が主役の物語。まず、グロいのが駄目な人にはおすすめしません(☆−1)。が、血と内臓で彩られた狂気の中に、たまに覗く登場人物の正気があります。その瞬間がただ綺麗なだけの物語より突き刺さるかもしれません。最後の方はややSF的。
2004年8月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2時間かからず一気に読みきった。とにかく凄いの一言に尽きる。
「ゾンビ」などという使い古された題材をここまで斬新に描ききることができるのか。
ここで描かれる「ステーシー」と呼ばれるゾンビたちはみな、少女たちなのである。
生前の愛らしい姿そのままなゾンビを、もっとも残酷な方法で再殺せねばならないというジレンマ。
そのメタファーに読者はなにを見るだろう?
近未来を舞台にしたSFであるにも関わらず、文章はあくまで詩的で情緒的。
物語はエロティックで、狂ってて、残酷で、哀しくて、だけどもクラシック音楽のように荘厳に美しく幕が閉じる。
荒唐無稽であるようで、すべてのエピソードが巧みに絡み合って考えられないほどの完成度を見せている。
大槻ケンヂはこの小説を書き上げたとき、ノイローゼで精神を病んでいたという。それを後書きで知って深く頷かざるを得なかった。
もちろん作家が病んでればいい作品が書けるなどと単純なものではない。
だけどこの作品に関して言えば、大槻ケンヂという作家の資質と病んだ精神が渾然一体とならなければ生まれなかったであろう凄みがある。
「主軸」がオーケンに書かせた、奇跡と運命の大名作だ!
「ゾンビ」などという使い古された題材をここまで斬新に描ききることができるのか。
ここで描かれる「ステーシー」と呼ばれるゾンビたちはみな、少女たちなのである。
生前の愛らしい姿そのままなゾンビを、もっとも残酷な方法で再殺せねばならないというジレンマ。
そのメタファーに読者はなにを見るだろう?
近未来を舞台にしたSFであるにも関わらず、文章はあくまで詩的で情緒的。
物語はエロティックで、狂ってて、残酷で、哀しくて、だけどもクラシック音楽のように荘厳に美しく幕が閉じる。
荒唐無稽であるようで、すべてのエピソードが巧みに絡み合って考えられないほどの完成度を見せている。
大槻ケンヂはこの小説を書き上げたとき、ノイローゼで精神を病んでいたという。それを後書きで知って深く頷かざるを得なかった。
もちろん作家が病んでればいい作品が書けるなどと単純なものではない。
だけどこの作品に関して言えば、大槻ケンヂという作家の資質と病んだ精神が渾然一体とならなければ生まれなかったであろう凄みがある。
「主軸」がオーケンに書かせた、奇跡と運命の大名作だ!
2006年10月4日に日本でレビュー済み
とりあえず、この作品はホラーではなく、SFであるから、注意。
二百ページ弱という短さ。エンターテイメントにはエンターテイメントの文法というものがあるが、この作品、それを完璧に無視している。まあ、エンタメとして書くと、アクションシーンをいっぱいいれて、最低二倍の量を書かなければいけないのだろうけれど。
じゃあ、なんの文法に乗っ取って書かれているのかといえば、純文学。この人、ヴォネガットとかが好きなのかな。
話にまとまりがまったくないのだけれど、たぶん、確信犯。それも狙いのうちだろう。やたらながいエピローグもそうだけれど、うーん、純文学として読むなら未熟な点が多すぎるし、上にかいたとおり、この作品はエンタメではないから、わりと中途半端な印象。
二百ページ弱という短さ。エンターテイメントにはエンターテイメントの文法というものがあるが、この作品、それを完璧に無視している。まあ、エンタメとして書くと、アクションシーンをいっぱいいれて、最低二倍の量を書かなければいけないのだろうけれど。
じゃあ、なんの文法に乗っ取って書かれているのかといえば、純文学。この人、ヴォネガットとかが好きなのかな。
話にまとまりがまったくないのだけれど、たぶん、確信犯。それも狙いのうちだろう。やたらながいエピローグもそうだけれど、うーん、純文学として読むなら未熟な点が多すぎるし、上にかいたとおり、この作品はエンタメではないから、わりと中途半端な印象。
2008年3月13日に日本でレビュー済み
まずこれは万人向けのものではない。だが波長の合う人ならこの狂った美しさ(視覚的なイメージも、作中の世界観も)に感動すると思う。
人肉を食らう少女の屍はぼんやりと光る鱗粉を纏う。そしてそれはミントティーの香りがするという。
不条理な設定や、天才的な言葉の感覚、小説というよりむしろ詩を読んでいる様な感覚だった。
人肉を食らう少女の屍はぼんやりと光る鱗粉を纏う。そしてそれはミントティーの香りがするという。
不条理な設定や、天才的な言葉の感覚、小説というよりむしろ詩を読んでいる様な感覚だった。
2005年1月9日に日本でレビュー済み
テンポよく読める作品ではないでしょうか。
しかし、表現はグロテスク。
題名からも読み取れると思いますが、
ゾンビ(少女)を殺していく物語です。
現実世界には無いものを描いています。
…というのも、この作品は、
作者であるオーケンがノイローゼ時に書いた作品だそうです。
読んだ後のあとがきに書いてあるのですが、
はぁ~、そうだったのね。という感じです。
ま、とにかく読んでみてはどうでしょうか?
しかし、表現はグロテスク。
題名からも読み取れると思いますが、
ゾンビ(少女)を殺していく物語です。
現実世界には無いものを描いています。
…というのも、この作品は、
作者であるオーケンがノイローゼ時に書いた作品だそうです。
読んだ後のあとがきに書いてあるのですが、
はぁ~、そうだったのね。という感じです。
ま、とにかく読んでみてはどうでしょうか?
2004年5月8日に日本でレビュー済み
最初に警告しておくが、この作品は決して万人向きではない(その分、星ひとつ引かせてもらった)。
異常極まりない設定は濃厚な血の匂いと性のメタファーに彩られ、魅力的ではあるが人によって評価は別れるところだろう。
ストーリーは迷走を重ね、整合性を失い、完全に破綻している。それを必死でなんとかフォローしようとする作者が痛々しいほどに。
ラストは良くも悪くも宗教的だ。
だがそれらは重要なファクターではあるが、この作品の本質とは無関係だ。
この作品のテーマ、それは世界に対する透徹した諦観と受容である。
少女たちがゾンビとなる不条理、再殺される不条理、周囲の人間がその運命に巻き込まれる不条理・・・それらは仕方のないことであり、全てを「ただそれだけのこと」として受け容れるしか道はない。
・・・いや、そう思い込むことでこの残酷な世界と無理矢理折り合いをつけていくしかないのだ。例え本当は納得しきれないとしても。
思えば大槻ケンヂはかつてステージでこう絶唱していたではないか?
「これでいいのだ! だがしかし・・・だがしかし!」と。
大槻ケンヂは、自分自身信じることの難しい嘘を呪文の様に唱え続け、自らに言い聞かせながらよろよろと歩む詩人である。この姿勢は彼の楽曲にも様々な形で繰り返し登場する。パノラマ島やレティクル座といった理想郷、リインカネーションによる再会、保障システムや身代わりシステムといった奇妙な世界の仕組み・・・それらは全て願望に過ぎず、彼もそれを承知している。それでも彼はそれを求め、示し続ける。
異常極まりない設定は濃厚な血の匂いと性のメタファーに彩られ、魅力的ではあるが人によって評価は別れるところだろう。
ストーリーは迷走を重ね、整合性を失い、完全に破綻している。それを必死でなんとかフォローしようとする作者が痛々しいほどに。
ラストは良くも悪くも宗教的だ。
だがそれらは重要なファクターではあるが、この作品の本質とは無関係だ。
この作品のテーマ、それは世界に対する透徹した諦観と受容である。
少女たちがゾンビとなる不条理、再殺される不条理、周囲の人間がその運命に巻き込まれる不条理・・・それらは仕方のないことであり、全てを「ただそれだけのこと」として受け容れるしか道はない。
・・・いや、そう思い込むことでこの残酷な世界と無理矢理折り合いをつけていくしかないのだ。例え本当は納得しきれないとしても。
思えば大槻ケンヂはかつてステージでこう絶唱していたではないか?
「これでいいのだ! だがしかし・・・だがしかし!」と。
大槻ケンヂは、自分自身信じることの難しい嘘を呪文の様に唱え続け、自らに言い聞かせながらよろよろと歩む詩人である。この姿勢は彼の楽曲にも様々な形で繰り返し登場する。パノラマ島やレティクル座といった理想郷、リインカネーションによる再会、保障システムや身代わりシステムといった奇妙な世界の仕組み・・・それらは全て願望に過ぎず、彼もそれを承知している。それでも彼はそれを求め、示し続ける。