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関ヶ原 島津退き口 (学研M文庫 き 2-12) 文庫 – 2013/11/12
桐野作人
(著)
全軍敗走の中、島津義弘軍は故国をめざし、決死の敵中突破を敢行する。世に言う“島津の退き口”である。島津家はなぜかくも少数の兵のみで関ヶ原を戦ったのか?戦場を脱した彼らのその後の運命は?残された兵士の手記から、日本戦史上の快挙の全貌を描く。
- 本の長さ317ページ
- 言語日本語
- 出版社学研プラス
- 発売日2013/11/12
- 寸法10.8 x 1.8 x 15 cm
- ISBN-104059008621
- ISBN-13978-4059008620
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登録情報
- 出版社 : 学研プラス (2013/11/12)
- 発売日 : 2013/11/12
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 317ページ
- ISBN-10 : 4059008621
- ISBN-13 : 978-4059008620
- 寸法 : 10.8 x 1.8 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 830,733位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 173,775位文庫
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年9月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
丹念に資料に当たり、個人的見解も根拠を明記した上で述べてある。過去の歴史は曖昧模糊の部分もあり、10人の歴史家がいれば10通りの歴史観があると言われるが、作家本人の個人的歴史観を基にした一つの歴史読み物として十分楽しめる。今まで、どの歴史番組でも触れなかった部分もあり、非常に興味深い。
2021年3月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ここまで詳しく書いてあるとは思わなかった。合戦の時の話しは良く見るが、そこからどう退却したいかれたのかを徹底的に調べていて興味深かった。
2018年2月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
関ケ原の際に島津の兵数があまりに少ないことが、ずっと疑問に思っていたがこの本を読んで氷解しました。関ケ原の戦いを知るためには必要な知識かと思います。
2019年10月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
桐野作人氏は参考文献に基づき調査し書き下ろしているので読み応えがある。
2014年8月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文庫版として新たに発売されたようなので、つい
衝動買いしてしまった。
そのわけは、島津の退却ルートが先祖の土地に
重なっていたこと、もうひとつは、ずいぶん昔、
テレビで「関ケ原」というドラマが放映されて、
この折り抱いた疑問がずっと残っていたからである。
テレビドラマの原作は司馬遼太郎、家康に森繁久弥、
三成に加藤剛、島津義弘に大友柳太郎、だったか。
名優ぞろいで見応えがあった。
ドラマでは、大垣城での西軍の評定で、城の北西、
赤坂に着陣した家康に夜襲をかけるよう島津が提案
したが三成がこれを一蹴。 これがきっかけとなって、
以後、島津は三成に反目して単独行動をとり、敗戦に
至った、といういうようなストーリーだった。
朝鮮の役では島津義弘は10万の明・朝鮮軍をわずか
5000の島津隊で撃退したそうだから、関ケ原でも開戦
直後から本気で東軍と戦っていたら、あるいは西軍が
勝利したかも知れない。
ちょうど今、大河ドラマでは秀吉の島津攻めの真っ最中
である。 秀吉に領国に攻め入られた島津がこの関ケ原で
加勢した理由は何か? 島津は鹿児島という事情はあるに
せよ兵数が1500というのは余りに少ない。どんな事情が?
家康に向かって退却とはどうして?
ドラマ「関ケ原」を見て以来、ずっと、そんな疑問を
もっていたが本書により解決してすっきりした。
また、毎年夏になると鹿児島から子供たちが養老郡
上石津町(現・大垣市上石津町)の山地にやってきて、
県境の五僧峠を越えて滋賀県・佐和山城の南方当たりに
抜ける島津隊の脱出ルートを、先祖の苦労を偲びながら
踏破する催しがあったが、いつの間にか打ち切りになった。
その理由も本書で推測される。 が同時に、土着民が
島津の落ち武者狩りをしていたと知って、遠いわが先祖
もひょっとするとその一党に加わっていたかも、と想像
するとバツが悪かった。
ほかには本書により、島津軍の大将・義弘は当主ではなく、
立場の弱いナンバー2の存在だったこと、そうなった原因は
秀吉と三成が作っていたこと、島津は積極的に西軍に付いた
わけではなかったこと、義弘は、要領は悪いが情に厚そうな
好人物だったこと、などが知れた。 また関ケ原布陣図にある
島津豊久とはどんな人物かも知ることができた。
作者の著書は「真説・本能寺」に続いて2冊目になるが、
論拠のほとんどを豊富な古文書に拠っており、個人的な
推測は極力挟まないよう抑制がきいている印象があって
安心できる。
衝動買いしてしまった。
そのわけは、島津の退却ルートが先祖の土地に
重なっていたこと、もうひとつは、ずいぶん昔、
テレビで「関ケ原」というドラマが放映されて、
この折り抱いた疑問がずっと残っていたからである。
テレビドラマの原作は司馬遼太郎、家康に森繁久弥、
三成に加藤剛、島津義弘に大友柳太郎、だったか。
名優ぞろいで見応えがあった。
ドラマでは、大垣城での西軍の評定で、城の北西、
赤坂に着陣した家康に夜襲をかけるよう島津が提案
したが三成がこれを一蹴。 これがきっかけとなって、
以後、島津は三成に反目して単独行動をとり、敗戦に
至った、といういうようなストーリーだった。
朝鮮の役では島津義弘は10万の明・朝鮮軍をわずか
5000の島津隊で撃退したそうだから、関ケ原でも開戦
直後から本気で東軍と戦っていたら、あるいは西軍が
勝利したかも知れない。
ちょうど今、大河ドラマでは秀吉の島津攻めの真っ最中
である。 秀吉に領国に攻め入られた島津がこの関ケ原で
加勢した理由は何か? 島津は鹿児島という事情はあるに
せよ兵数が1500というのは余りに少ない。どんな事情が?
家康に向かって退却とはどうして?
ドラマ「関ケ原」を見て以来、ずっと、そんな疑問を
もっていたが本書により解決してすっきりした。
また、毎年夏になると鹿児島から子供たちが養老郡
上石津町(現・大垣市上石津町)の山地にやってきて、
県境の五僧峠を越えて滋賀県・佐和山城の南方当たりに
抜ける島津隊の脱出ルートを、先祖の苦労を偲びながら
踏破する催しがあったが、いつの間にか打ち切りになった。
その理由も本書で推測される。 が同時に、土着民が
島津の落ち武者狩りをしていたと知って、遠いわが先祖
もひょっとするとその一党に加わっていたかも、と想像
するとバツが悪かった。
ほかには本書により、島津軍の大将・義弘は当主ではなく、
立場の弱いナンバー2の存在だったこと、そうなった原因は
秀吉と三成が作っていたこと、島津は積極的に西軍に付いた
わけではなかったこと、義弘は、要領は悪いが情に厚そうな
好人物だったこと、などが知れた。 また関ケ原布陣図にある
島津豊久とはどんな人物かも知ることができた。
作者の著書は「真説・本能寺」に続いて2冊目になるが、
論拠のほとんどを豊富な古文書に拠っており、個人的な
推測は極力挟まないよう抑制がきいている印象があって
安心できる。
2014年2月24日に日本でレビュー済み
関ヶ原の戦いで西軍についた島津義弘、西軍の他軍勢が敗北・潰走しているところで、まさかの敵陣中央突破撤退という有り得ない選択を選びます。
いったいどうしてそのような選択に至ったか、それ以前に何故西軍についていたのか、何故捨て奸などという壮絶な戦法を用いてまで義弘は生きて帰らねばならなかったか。
そのあたりが関ヶ原より前の段階から詳細に調べ、まとめられています。
島津の退き口は今も妙円寺詣りとして受け継がれているのは、鹿児島県民は皆知っていることです。
……あの祭りにこんな由来があったとか初めて知ったよ。
私は鹿児島県民ではなかったらしい。
いったいどうしてそのような選択に至ったか、それ以前に何故西軍についていたのか、何故捨て奸などという壮絶な戦法を用いてまで義弘は生きて帰らねばならなかったか。
そのあたりが関ヶ原より前の段階から詳細に調べ、まとめられています。
島津の退き口は今も妙円寺詣りとして受け継がれているのは、鹿児島県民は皆知っていることです。
……あの祭りにこんな由来があったとか初めて知ったよ。
私は鹿児島県民ではなかったらしい。