彼女の「一番美しいとき」を奪った昭和天皇ヒロヒトを茨木のり子が憎んでいたことは明らかである。ヒロヒトが戦争責任について問われ、「文学方面は研究していないので、そういう『言葉のアヤ』については答えられない」と言って自らの戦争責任をごまかそうとしたとき、彼女はこう書いた。「もし、仮に私が戦争未亡人で遺骨さえ手にしておらぬ身であったとしたら、この記者会見をテレビで見て、天皇に対してどんな激烈なことでもやってのけられそうな気がした」と(「いちど観たもの」、『言の葉』2,341頁)。300万人もの日本人を犠牲にした戦争を最高責任者として戦い、戦後は自決も退位もせず、のうのうと生き続けたヒロヒトに対して茨城のり子が憎しみを持っていたことはよく理解できる。ラジオ・ドラマ『埴輪』では古代の天皇を魂が抜けた抜け殻にように描いているが、ここにもヒロヒトに対する憎しみが反映している。第二次世界大戦における日本人犠牲者について茨木はこう述べている、「日本人は結局この戦争で天皇家という古墳を守るための人柱にされた」のだと。だからこそ昭和天皇ヒロヒトに対する憎しみが古代の天皇に投影されたのだろう。国歌としての君が代に対する茨木の態度もここから理解できる。茨木のり子は問いかけている
「なぜ国歌など
「ものものしくうたう必要がありましょう
「おおかたは侵略の血でよごれ
「腹黒の過去を隠しもちながら
「口を拭って起立して
「直立不動でうたわねばならないか」(「鄙ぶりの唄」、『言の葉』3、68頁)
戦争で青春を奪われた人間が戦争犯罪者に対して憎しみを抱くのは当然であり、茨木のり子の発言は十分に理解できる。しかし単に戦争の経験からは説明しがたい発言も残されている。例えば、「球を蹴る人」。ここで茨木は「君が代はダサいから歌わない」と言ったサッカー選手を「まっすぐに物言う若者」とほめたたえているが、君が代に対する反感は天皇ヒロヒトに対する不快感の一部と理解できるものの、彼女の批判は日本にとどまらない。
「やたら国歌の流れるワールドカップで
「わたしもずいぶん耳を澄ましたけれど
「どの国も似たりよったりで
「まっことダサかったねぇ」(「球を蹴る人」『倚りかからず』)
ここで茨木のり子の批判は彼女の「一番美しかったとき」を壊したヒロヒトの国家、日本、を越えて国家一般へと向けられている。このような国家一般に対する批判はアナーキズムと呼ばれる。日本の詩人にはアナーキズムに傾倒しないまでも関心を持ったものは少なくない。直ちに思い出されるのは石川啄木だ。「呼子と口笛」では「ジュラの山地のバクウニン」に言及している。とはいえ、比較的安定した生活を送っていた茨城のり子がプルードン、バクーニン、クロポトキンなどの革命的アナーキストに影響を受けていたとは思えない。もしかすると日本のアナーキスト大杉栄や、アナーキズムの女性指導者エマ・ゴールドマンに関心があったのかもしれないが、もっと身近にアナーキストがいたのではないだろうか。それは茨木のり子が多くのエッセイを書いた金子光晴だったのではないかと思われる。金子のアナーキズムは「反対」という作品に端的に表明されている。「僕は信じる。反対こそ 人生で「唯一立派なことだと。」そして「いつの政府にも反対だ」と。(『個人の戦い』32/33頁)
ここにはあらゆる国家権力に反対するアナーキズムが見まがい得ないほどはっきりと表明されている。茨木のり子は金子のアナーキズムをマックス・シュティルナーに帰しているが、おそらく茨木のり子もシュティルナーを読んでいたことだろう。シュティルナーのアナーキズムには弱点もあり、それは金子にも引き継がれているように思われるのだが、その点についてはまたいつかどこかで書きたい。

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個人のたたかい: 金子光晴の詩と真実 文庫 – 1999/12/1
茨木 のり子
(著)
- 本の長さ153ページ
- 言語日本語
- 出版社童話屋
- 発売日1999/12/1
- ISBN-104887470088
- ISBN-13978-4887470088
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
若い頃はヨーロッパ・東南アジアをさまよい歩き、太平洋戦争中は、信念をつらぬいて反戦詩を書き続けた金子光晴の詩と生涯をまとめる。1967年さ・え・ら書房刊「うたの心に生きた人々」を4分割し、再編集した新版。
登録情報
- 出版社 : 童話屋 (1999/12/1)
- 発売日 : 1999/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 153ページ
- ISBN-10 : 4887470088
- ISBN-13 : 978-4887470088
- Amazon 売れ筋ランキング: - 832,985位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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5 星
茨木のり子が描く「金子光晴の伝記」
同じ詩人でエッセイストの茨木のり子さんが、戦前から戦後にかけて活躍した詩人の金子光晴氏について書かれた伝記です。明治生まれで、建築業を営んでいた資産家の養父に預けられた光晴。彼は、大人になり、養父が亡くなると、叔父とパリへ行き、骨董商をしたりします。大学を転々とし、絵心もあったようでした。遺産を使い切ってからは、たまに絵で、生計も立てていたようです。旧・お茶の水女子大の学生であった森三千代と結婚して、乾(けん)という男の子が生まれ、孫娘もいます。昭和50年(1975年)に急性心不全で亡くなるまでに、旅をし、多くの詩を生み出しました。それらは、戦争という激動の時代を生き抜いた、反骨精神を露わにしたものであり、また情緒豊かな恋愛詩も多くありました。この本を読み、金子光晴という詩人を知って、彼が遺した「マレー蘭印紀行」という森三千代と旅をした紀行書や詩を読みたくなりました。文章はもちろん分かりやすいのですが、活き活きと故人の豪快さが描かれていて、楽しい読書体験でした。
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2023年9月28日に日本でレビュー済み
同じ詩人でエッセイストの茨木のり子さんが、戦前から戦後にかけて活躍した詩人の金子光晴氏について書かれた伝記です。
明治生まれで、建築業を営んでいた資産家の養父に預けられた光晴。彼は、大人になり、養父が亡くなると、叔父とパリへ行き、骨董商をしたりします。大学を転々とし、絵心もあったようでした。遺産を使い切ってからは、たまに絵で、生計も立てていたようです。旧・お茶の水女子大の学生であった森三千代と結婚して、乾(けん)という男の子が生まれ、孫娘もいます。
昭和50年(1975年)に急性心不全で亡くなるまでに、旅をし、多くの詩を生み出しました。それらは、戦争という激動の時代を生き抜いた、反骨精神を露わにしたものであり、また情緒豊かな恋愛詩も多くありました。
この本を読み、金子光晴という詩人を知って、彼が遺した「マレー蘭印紀行」という森三千代と旅をした紀行書や詩を読みたくなりました。
文章はもちろん分かりやすいのですが、活き活きと故人の豪快さが描かれていて、楽しい読書体験でした。
明治生まれで、建築業を営んでいた資産家の養父に預けられた光晴。彼は、大人になり、養父が亡くなると、叔父とパリへ行き、骨董商をしたりします。大学を転々とし、絵心もあったようでした。遺産を使い切ってからは、たまに絵で、生計も立てていたようです。旧・お茶の水女子大の学生であった森三千代と結婚して、乾(けん)という男の子が生まれ、孫娘もいます。
昭和50年(1975年)に急性心不全で亡くなるまでに、旅をし、多くの詩を生み出しました。それらは、戦争という激動の時代を生き抜いた、反骨精神を露わにしたものであり、また情緒豊かな恋愛詩も多くありました。
この本を読み、金子光晴という詩人を知って、彼が遺した「マレー蘭印紀行」という森三千代と旅をした紀行書や詩を読みたくなりました。
文章はもちろん分かりやすいのですが、活き活きと故人の豪快さが描かれていて、楽しい読書体験でした。

同じ詩人でエッセイストの茨木のり子さんが、戦前から戦後にかけて活躍した詩人の金子光晴氏について書かれた伝記です。
明治生まれで、建築業を営んでいた資産家の養父に預けられた光晴。彼は、大人になり、養父が亡くなると、叔父とパリへ行き、骨董商をしたりします。大学を転々とし、絵心もあったようでした。遺産を使い切ってからは、たまに絵で、生計も立てていたようです。旧・お茶の水女子大の学生であった森三千代と結婚して、乾(けん)という男の子が生まれ、孫娘もいます。
昭和50年(1975年)に急性心不全で亡くなるまでに、旅をし、多くの詩を生み出しました。それらは、戦争という激動の時代を生き抜いた、反骨精神を露わにしたものであり、また情緒豊かな恋愛詩も多くありました。
この本を読み、金子光晴という詩人を知って、彼が遺した「マレー蘭印紀行」という森三千代と旅をした紀行書や詩を読みたくなりました。
文章はもちろん分かりやすいのですが、活き活きと故人の豪快さが描かれていて、楽しい読書体験でした。
明治生まれで、建築業を営んでいた資産家の養父に預けられた光晴。彼は、大人になり、養父が亡くなると、叔父とパリへ行き、骨董商をしたりします。大学を転々とし、絵心もあったようでした。遺産を使い切ってからは、たまに絵で、生計も立てていたようです。旧・お茶の水女子大の学生であった森三千代と結婚して、乾(けん)という男の子が生まれ、孫娘もいます。
昭和50年(1975年)に急性心不全で亡くなるまでに、旅をし、多くの詩を生み出しました。それらは、戦争という激動の時代を生き抜いた、反骨精神を露わにしたものであり、また情緒豊かな恋愛詩も多くありました。
この本を読み、金子光晴という詩人を知って、彼が遺した「マレー蘭印紀行」という森三千代と旅をした紀行書や詩を読みたくなりました。
文章はもちろん分かりやすいのですが、活き活きと故人の豪快さが描かれていて、楽しい読書体験でした。
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2014年8月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
詩人の金子光晴の詩と一生の案内。
人生の時に応じた詩人の状況と考え方を
一貫した視点から紹介。
当方の癖で後ろから読んだので、奴隷の歌など。
日本人の支配され好きを書いたところが
面白かったが、はじめのほうには日本人の
個人として考えるのが苦手、ということが書いてある。
このへんは、『反対』という詩が面白い。
なにしろ、日本人は誰もが自分で何も考えないで、天
皇と大将のいうまま従ったのだが、金子詩人は、ただ
一人これに逆らったのである。
金子さんはいろんな事情があって、東南アジアや
ヨーロッパのたびをしたそうだが、中国では魯迅などと
交友があったそうで、魯迅はいつも郁達夫と一緒に
話しながら歩いていた、と書いている。
さすが詩人の書きっぷり、と思った。
プラトンがアカデメイヤの路を弟子たちと歩いている
様子が思い起こされる書き様だった。
人生の時に応じた詩人の状況と考え方を
一貫した視点から紹介。
当方の癖で後ろから読んだので、奴隷の歌など。
日本人の支配され好きを書いたところが
面白かったが、はじめのほうには日本人の
個人として考えるのが苦手、ということが書いてある。
このへんは、『反対』という詩が面白い。
なにしろ、日本人は誰もが自分で何も考えないで、天
皇と大将のいうまま従ったのだが、金子詩人は、ただ
一人これに逆らったのである。
金子さんはいろんな事情があって、東南アジアや
ヨーロッパのたびをしたそうだが、中国では魯迅などと
交友があったそうで、魯迅はいつも郁達夫と一緒に
話しながら歩いていた、と書いている。
さすが詩人の書きっぷり、と思った。
プラトンがアカデメイヤの路を弟子たちと歩いている
様子が思い起こされる書き様だった。
2012年5月8日に日本でレビュー済み
一貫して反骨の詩人であった金子光晴の生涯(1895−1975)。著者はそれを次の文章で見事にまとめている。「若いころはヨーロッパ・東南アジアをさまよい歩き、太平洋戦争中は、信念をつらぬきとおして反戦詩を書きつづけた詩人」(最初の扉の言葉)、「その半世紀にわたる長い詩業には、恋歌あり、抒情詩もあり、ざれ歌もあり、弱さをそのままさらけだした詩もあり、一読考えこまざるをえないエッセイ集もたくさんあり、じつに大きなスケールと、振幅をもっていますが、とりわけその詩の、もっとも鋭い切先は、権力とわたりあい、個人の自立性は、たとえ権力によってだって奪われないといった、まことに『無冠の帝王』にふさわしい、人間の誇りをかがやかせたのでした」と(p.151)。
この本ではとくに金子が、戦争中、「節をまげ、体制に迎合し、戦争を賛美した文人、作家が大多数」だったときに、反戦の姿勢をまげず、官憲に屈しなかったこと、「法燈をつぐ」気持ちで詩を書き続けたこと(p.103)、息子の乾を徴兵からまもったこと、が特筆されている。そういう人は、金子の他には、秋山清、永井荷風、宮本百合子、久保栄などごく少数であった(p.134)。金子光晴の生きかたも素晴らしいが、著者の抑えた筆致でありながら、真実を伝えようとする姿勢も金子につながる思想があるような気がした。
この本ではとくに金子が、戦争中、「節をまげ、体制に迎合し、戦争を賛美した文人、作家が大多数」だったときに、反戦の姿勢をまげず、官憲に屈しなかったこと、「法燈をつぐ」気持ちで詩を書き続けたこと(p.103)、息子の乾を徴兵からまもったこと、が特筆されている。そういう人は、金子の他には、秋山清、永井荷風、宮本百合子、久保栄などごく少数であった(p.134)。金子光晴の生きかたも素晴らしいが、著者の抑えた筆致でありながら、真実を伝えようとする姿勢も金子につながる思想があるような気がした。