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神武天皇御即位に関する紀記の記述は極めて簡潔であり
重点が置かれているのはそこに至るまでの東遷の過程。
東遷を敢行する国力の生成は
倭王師升が漢に生口を献じたAD1C頃まで下れば想定可能だが
BC660年神武天皇御即位というのは
室町時代に真珠湾攻撃というくらい荒唐無稽。
『後漢書』の「桓・霊の間、倭国大いに乱れ」の
「霊帝の光和中、倭国乱れ相攻伐すること歴年」
(「魏志倭人伝」、『梁書』も同様)
が神武東征を意味するものと解すると
東征の始まりの甲寅年は174年、御即位の辛酉年は181年。
ここから昭和末年(1988年)までの1808年を125代(神功皇后含む)で除すると1代平均14.5年。
一方用明天皇御即位から昭和天皇崩御まであれば1代平均14.9年。
これにより西紀181年神武天皇御即位との仮定が補強される。
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「中国の歴史書を信用するかぎり、
西暦二六六年までは壱与の女王国が存在した。
そのすぐあとに崇神天皇の大和の国が近畿に登場する」。
この時間差はわずか三十年ほどでしかない。
記紀に「女王卑弥呼と壱与の姿がなく、
いっぽうの魏志倭人伝の邪馬台国に歴代天皇が一人も登場しないとすれば、
ここからみちびきだされる結論は」
「邪馬台国と大和は、別個に存在した没交渉の敵対国だった」。
「狗奴国」とは「熊野国」であり
「熊野から大和平野の南部にのりこんできた」勢力をそう呼んだものか。
かくて奈良盆地南部に肇国した天皇家は
「いまの奈良県の北から京都府、大阪府北部へとひろがっていた女王国」を第八代孝元天皇が併呑、
次の開化天皇の御世にはその勢力圏を日本海にまで達せしめた。
-
好太王碑の碑文によれば「高句麗が日本と戦う意思をかためたのは、
西暦三九九年、新羅王からの救援要請によってである。
翌四〇〇年、好太王は五万の大軍を南下させ、
新羅城を占領していた日本軍と戦闘を開始する。
ところが、神功皇后の新羅征討は、それよりずっとまえの話なのである。
好太王碑からうかがえる当時の半島情勢は、好太王が即位したとき、
日本がすでに新羅、百済などを臣従させてしまっていたということである」。
「神功皇后の新羅征討の物語は、大和の軍勢が最初に朝鮮半島に進攻した、
その状態をつたえているとみていいのではないか」。
「古事記の記録するとおり、仲哀天皇が三六二年に亡くなったとすると、
神功皇后(息長足姫)の新羅征討は、史実であればその年か翌三六三年あたり」。
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古代天皇はなぜ殺されたのか 単行本 – 2004/9/1
八木 荘司
(著)
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- 本の長さ212ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2004/9/1
- ISBN-104048838962
- ISBN-13978-4048838962
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登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (2004/9/1)
- 発売日 : 2004/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 212ページ
- ISBN-10 : 4048838962
- ISBN-13 : 978-4048838962
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,405,399位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 21,041位日本史一般の本
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トップレビュー
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2005年6月30日に日本でレビュー済み
保守系の産経新聞から出版されただけに、自虐史観的モノの見方に対しては手厳しい。
今の学会が記紀を貶めるのは、皇国史観の反省の行き過ぎである、と批判する。
記紀の記述を詳細に検討して、その正当性を訴える文章の運びは、
なかなか見事で面白い。
なるほどこういう意見もあるのか、と知的好奇心を刺激される。
今の学会が記紀を貶めるのは、皇国史観の反省の行き過ぎである、と批判する。
記紀の記述を詳細に検討して、その正当性を訴える文章の運びは、
なかなか見事で面白い。
なるほどこういう意見もあるのか、と知的好奇心を刺激される。
2014年2月13日に日本でレビュー済み
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ハッとする発想大いに結構ですさらなるミステリーを期待します
古代史の謎を楽しみましょう
古代史の謎を楽しみましょう
2008年12月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古代の皇位継承ではしばしば血をみてきた、というのと、日本の古代史学界は天皇を抹殺してきた、という意味だ。
初代神武天皇から第14代仲哀天皇まで崇神・垂仁以外は全員架空。
第15代応神天皇の実在は認めるが、母親の神功皇后は架空。
第26代継体天皇崩御後は、安閑・宣化と欽明の二朝並立と決め付け。
だが、神武紀元の辛酉年を西暦181年とすれば、欠史八代も無理なく説明できる。
4世紀後半の倭国が朝鮮半島侵攻を繰り返していたことは、朝鮮側の史料・遺跡などでも確認されている。
二朝並立は、数字合わせ以外に根拠がないことなどを丁寧に論証する。
そして、記紀を疑い否定すれば学者として評価されるという風潮、その背景にイデオロギーの呪縛があるという。いわく、”近代日本は朝鮮を併合しアジアを侵略した”。
その”贖罪意識”が、三韓征伐は捏造→神功皇后は架空という倒錯した観念に行き着いたと批判する。
子供の頃、古代の天皇を何で架空と決め付けるのか疑問と反発を感じたのを覚えているが、戦後左翼の影響力の強さを改めて確認した。
初代神武天皇から第14代仲哀天皇まで崇神・垂仁以外は全員架空。
第15代応神天皇の実在は認めるが、母親の神功皇后は架空。
第26代継体天皇崩御後は、安閑・宣化と欽明の二朝並立と決め付け。
だが、神武紀元の辛酉年を西暦181年とすれば、欠史八代も無理なく説明できる。
4世紀後半の倭国が朝鮮半島侵攻を繰り返していたことは、朝鮮側の史料・遺跡などでも確認されている。
二朝並立は、数字合わせ以外に根拠がないことなどを丁寧に論証する。
そして、記紀を疑い否定すれば学者として評価されるという風潮、その背景にイデオロギーの呪縛があるという。いわく、”近代日本は朝鮮を併合しアジアを侵略した”。
その”贖罪意識”が、三韓征伐は捏造→神功皇后は架空という倒錯した観念に行き着いたと批判する。
子供の頃、古代の天皇を何で架空と決め付けるのか疑問と反発を感じたのを覚えているが、戦後左翼の影響力の強さを改めて確認した。
2009年12月12日に日本でレビュー済み
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戦後の歴史学界は、「戦前の反省」ということで、皇国史観を否定することに奔走してきた。これは分りやすく言えば、どんな理屈でもいいので、日本書紀と古事記に難癖をつけようという話である。例えば、魏志倭人伝に基づく卑弥呼と邪馬台国というのは、欽定の国史である「日本書紀」は(日本製だから)信用できなくて、魏志倭人伝というのは(中国製だから)信用できる、という前提がなければ成り立たない話なのである。
皇国史観の代わりに入ったのは、外国文明の礼賛と、支配=悪・闘争=善とする唯物史観である。その結果、日本の古代史は、未開国家であった「倭」が、朝鮮半島と中国からの文明によって文明化された。天皇などというものは存在していなくて、豪族がいただけでしかもひどい支配であった。民たちは奴隷のような暮らしをしていた。といったような按配である。
これらは、かなり大手を振っている学説で、学会ではこれに迎合するしかない。さらには、これらの説が、学術的に正しいというお墨付きを得て、学校の教科書などに確実に反映されていっているのである。
ところが、「ほんとうかよ」ということを、筆者は長年追ってこられた。「学説」と称しているものも、「いいがかり」といっても過言ではないというレベルであることを、丹念に指摘している。名前の末尾が同じだからこれは捏造であるとか、両親が架空とみなされる人物であるから架空の人物だとか、いうようなことは破綻していることを示していく。
「古代天皇はなぜ殺されたのか」という問いかけは、一見、皇族同士の殺し合いを述べているようであるが、本書がいうのは「学者によって消された天皇たち」という意味である。多くの人が知らないところで、近現代だけでなく、古代史もまた「自虐史観」にまみれているのである。その実態を確認するには、本書は、格好の入門書である。
皇国史観の代わりに入ったのは、外国文明の礼賛と、支配=悪・闘争=善とする唯物史観である。その結果、日本の古代史は、未開国家であった「倭」が、朝鮮半島と中国からの文明によって文明化された。天皇などというものは存在していなくて、豪族がいただけでしかもひどい支配であった。民たちは奴隷のような暮らしをしていた。といったような按配である。
これらは、かなり大手を振っている学説で、学会ではこれに迎合するしかない。さらには、これらの説が、学術的に正しいというお墨付きを得て、学校の教科書などに確実に反映されていっているのである。
ところが、「ほんとうかよ」ということを、筆者は長年追ってこられた。「学説」と称しているものも、「いいがかり」といっても過言ではないというレベルであることを、丹念に指摘している。名前の末尾が同じだからこれは捏造であるとか、両親が架空とみなされる人物であるから架空の人物だとか、いうようなことは破綻していることを示していく。
「古代天皇はなぜ殺されたのか」という問いかけは、一見、皇族同士の殺し合いを述べているようであるが、本書がいうのは「学者によって消された天皇たち」という意味である。多くの人が知らないところで、近現代だけでなく、古代史もまた「自虐史観」にまみれているのである。その実態を確認するには、本書は、格好の入門書である。
2008年3月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本を読むと、日本の古代史の学者は予断と偏見を持ちながら研究しているのだなあと思いました。
古事記や日本書紀を軽視しすぎだし、中国の史書を重視しすぎですね。
ちゃんとした研究者が出て欲しいとおもいました。
古事記や日本書紀を軽視しすぎだし、中国の史書を重視しすぎですね。
ちゃんとした研究者が出て欲しいとおもいました。
2012年1月15日に日本でレビュー済み
この本の最大の功績は神武天皇が実在したと証明したことだ。そしてそれはもちろん、この本の最大のテーマでもある。しかも、その即位は、かつての神国思想の基となった紀元前660年などという到底信じ難い年代ではなく、西暦で181年にあたる年だという至極真っ当な結論を提示している。著者はそのことについて、日本書紀や中国の史書などを丁寧に読み解いて、また照らし合わせたうえ、無理のないように推理を重ねてゆく。そうなのだ。無理などする必要はないのだ。歴史資料と虚心坦懐に向き合えば、無理などせずとも自ずから合理的な理屈が見えてくる。そしてそれはおそらく、間違いがない。なぜ間違いがないのか。無理をしていないからである。
もちろん、2千年も前のことだから、分からないことがどうしても残る。それはしょうがない。その分からないことを分からないこととしてxにしたまま次に進むと、そのxが解けたりする。xがわからないからといって、無理やりyやzにすると、余計こんがらがって、もつれてしまう。
一例を挙げよう。「古代の南北朝」といわれる「二朝並立」論である。507年から約30年の間に、欽明天皇VS安閑・宣化天皇の二朝が並立して内乱になったという学説がある。これにしても権威ある学者が論文の中で「わたくしは想像する」とか「〜もののようである」といった、なぜそういう結論になるのか根拠を示さず、というより根拠がないから示しようがないのに、結論を作ってしまう。そういうことがまかり通ってしまう学界に著者はアンチを突き付け、斜めからではなく、真正面から史料と向き合った結果、これを否定する。なんとも合理的というか、実証的というか、著者の姿勢そのものが良心的だ。こういう本に接すると小気味良い。
おそらく論理実証的にあまい部分はあるのだろう。しかしそれを感じさせない著者の筆の運びの鮮やかさがここにはある。質の高いルポルタージュといったところか。日本書紀を読みながら、また他の研究者らの意見・論文にも接したうえでこの本を読み返すと、日本の古代史がいっそう自分のものとして露わになるだろう。
もちろん、2千年も前のことだから、分からないことがどうしても残る。それはしょうがない。その分からないことを分からないこととしてxにしたまま次に進むと、そのxが解けたりする。xがわからないからといって、無理やりyやzにすると、余計こんがらがって、もつれてしまう。
一例を挙げよう。「古代の南北朝」といわれる「二朝並立」論である。507年から約30年の間に、欽明天皇VS安閑・宣化天皇の二朝が並立して内乱になったという学説がある。これにしても権威ある学者が論文の中で「わたくしは想像する」とか「〜もののようである」といった、なぜそういう結論になるのか根拠を示さず、というより根拠がないから示しようがないのに、結論を作ってしまう。そういうことがまかり通ってしまう学界に著者はアンチを突き付け、斜めからではなく、真正面から史料と向き合った結果、これを否定する。なんとも合理的というか、実証的というか、著者の姿勢そのものが良心的だ。こういう本に接すると小気味良い。
おそらく論理実証的にあまい部分はあるのだろう。しかしそれを感じさせない著者の筆の運びの鮮やかさがここにはある。質の高いルポルタージュといったところか。日本書紀を読みながら、また他の研究者らの意見・論文にも接したうえでこの本を読み返すと、日本の古代史がいっそう自分のものとして露わになるだろう。