昔文学少女だった高齢の母のリクエストで
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和解 (新潮文庫) 文庫 – 1949/12/7
志賀 直哉
(著)
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購入オプションとあわせ買い
敵は父親だった。親子の免れがたい葛藤と許しの軌跡を描いた傑作。
読み継がれて101刷、84万部!
作家である主人公・順吉は父の京都来遊の際に面会を拒絶し、長女の誕生とその死をめぐって父の処置を憎んだ。しかし、次女に祖母の名をかりて命名したころから、父への気持も少しずつほぐれ、祖母や義母の不断の好意も身にしみ、ついに父と快い和解をとげた……。
肉親関係からくる免れがたい複雑な感情の葛藤に、人間性に徹する洞察力をもって対処し、簡勁端的な手法によって描写した傑作中編。詳細な注解を付す。
本文より
赤児は絶えず、
「あーア。あーア」と弱々しい声で泣いた。身体も毎時(いつも)より何となく軽いような気がした。筋肉が総(すべ)て緩んでいた。死んだ兎(うさぎ)を抱いて行くような感じがした。
「慧坊(さとぼう)、慧坊」と自分は時々赤児の名を呼んだ。
町長の小さい家(うち)が町から離れた小さい坂の下にあった。その側(わき)を通る時自分は、「道はもう見えるから、お前医者まで走って行け」と云った。常(つね、注・女中)は少し急いだが走ろうとはしなかった。
「何故(なぜ)駈けないんだ」自分は少し怒った。……
本書「解説」より
ここに一人の幼児の死と、また新しい赤ン坊の出生の情景が、まったく赤裸々に、もっぱら肉体的な生と死だけを見つめて描かれており、その雄勁(ゆうけい)な筆力は無条件にわれわれを打つのであるが、そのいわば性欲や血の臭いのする場面が何故(なにゆえ)に永年に亘(わた)った父子の不和を解消させることになるか、この“生命感"というものの意義を、志賀氏は一体何処から掴んできたのであるか――。(略)
親子にしろ人間愛というものは大きな意味でのフィクションであり、『和解』はそれを描いた小説である。
――安岡章太郎(作家)
志賀直哉(1883-1971)
宮城県石巻町生れ。学習院高等科を経て東京帝国大学文学部中退。在学中に武者小路実篤、里見弴、有島武郎、柳宗悦らと同人雑誌「白樺」を創刊。自我の絶対的な肯定を根本とする姿勢を貫き、父親との対立など実生活の問題を見据えた私小説や心境小説を多数発表。1949(昭和24)年、文化勲章受章。主な作品に『和解』『城の崎にて』『暗夜行路』など。
読み継がれて101刷、84万部!
作家である主人公・順吉は父の京都来遊の際に面会を拒絶し、長女の誕生とその死をめぐって父の処置を憎んだ。しかし、次女に祖母の名をかりて命名したころから、父への気持も少しずつほぐれ、祖母や義母の不断の好意も身にしみ、ついに父と快い和解をとげた……。
肉親関係からくる免れがたい複雑な感情の葛藤に、人間性に徹する洞察力をもって対処し、簡勁端的な手法によって描写した傑作中編。詳細な注解を付す。
本文より
赤児は絶えず、
「あーア。あーア」と弱々しい声で泣いた。身体も毎時(いつも)より何となく軽いような気がした。筋肉が総(すべ)て緩んでいた。死んだ兎(うさぎ)を抱いて行くような感じがした。
「慧坊(さとぼう)、慧坊」と自分は時々赤児の名を呼んだ。
町長の小さい家(うち)が町から離れた小さい坂の下にあった。その側(わき)を通る時自分は、「道はもう見えるから、お前医者まで走って行け」と云った。常(つね、注・女中)は少し急いだが走ろうとはしなかった。
「何故(なぜ)駈けないんだ」自分は少し怒った。……
本書「解説」より
ここに一人の幼児の死と、また新しい赤ン坊の出生の情景が、まったく赤裸々に、もっぱら肉体的な生と死だけを見つめて描かれており、その雄勁(ゆうけい)な筆力は無条件にわれわれを打つのであるが、そのいわば性欲や血の臭いのする場面が何故(なにゆえ)に永年に亘(わた)った父子の不和を解消させることになるか、この“生命感"というものの意義を、志賀氏は一体何処から掴んできたのであるか――。(略)
親子にしろ人間愛というものは大きな意味でのフィクションであり、『和解』はそれを描いた小説である。
――安岡章太郎(作家)
志賀直哉(1883-1971)
宮城県石巻町生れ。学習院高等科を経て東京帝国大学文学部中退。在学中に武者小路実篤、里見弴、有島武郎、柳宗悦らと同人雑誌「白樺」を創刊。自我の絶対的な肯定を根本とする姿勢を貫き、父親との対立など実生活の問題を見据えた私小説や心境小説を多数発表。1949(昭和24)年、文化勲章受章。主な作品に『和解』『城の崎にて』『暗夜行路』など。
- ISBN-104101030014
- ISBN-13978-4101030012
- 版改
- 出版社新潮社
- 発売日1949/12/7
- 言語日本語
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- 本の長さ176ページ
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出版社より
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和解 | 清兵衛と瓢箪・網走まで | 小僧の神様・城の崎にて | 暗夜行路 | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.3
40
|
5つ星のうち4.0
42
|
5つ星のうち4.0
346
|
5つ星のうち4.0
214
|
価格 | ¥440¥440 | ¥605¥605 | ¥649¥649 | ¥1,155¥1,155 |
【新潮文庫】志賀直哉 作品 | 長年の父子の相剋のあとに、主人公順吉がようやく父と和解するまでの複雑な感情の動きをたどり、人間にとっての愛を探る傑作中編。 | 瓢簞が好きでたまらない少年と、それを苦々しく思う父との対立を描いた「清兵衛と瓢簞」など、作家としての自我確立時の珠玉短編集。 | 円熟期の作品から厳選された短編集。交通事故の予後療養に赴いた折の実際の出来事を清澄な目で凝視した「城の崎にて」等18編。 | 母の不義の子として生れ、今また妻の過ちにも苦しめられる時任謙作の苦悩を通して、運命を越えた意志で幸福を模索する姿を描く。 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1949/12/7)
- 発売日 : 1949/12/7
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 176ページ
- ISBN-10 : 4101030014
- ISBN-13 : 978-4101030012
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 93,346位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年5月2日に日本でレビュー済み
・サノーさん一言コメント
「もっとも身近で、もっとも厄介な、親子という他人。許しを得るに至る過程で起こる、心の機微を知る」
【サノーさんおすすめ度★★★★☆】
・ウノーさん一言コメント
「なぜ、親と子は感情を抑えられない関係なのでしょう。それは、深い結びつきであるがゆえの、葛藤です」
【ウノーさんおすすめ度★★★★☆】
・サノーさん、ウノーさん読書会
サノーさん(以下サ):人間関係のなかで、もっとも深く、もっとも不可思議なのが「親子」という結びつきだ。
ウノーさん(以下ウ):別の人間なのに「他人」ではないと表され、かといって「わかりあえる存在」かとういうと、全くそうではない「関係」です。
サ:古今東西、この不思議な関係性に挑んだ哲学者、心理学者は無数にいる。
ウ:そして、小説家も、たくさんいます。
サ:「親」が存在しない「人間」は、現代科学、医学では存在しないと確認されているから、万人に共通の「要件」なわけだ。
ウ:そして、親で悩まない「子」も存在しませんので、テーマとしては選ばれやすいです。
サ:この物語も、「どうしても許せない」という想いが制御できない「父と子」の実情が、克明に描かれている。
ウ:著者の実体験からなので、つい「子の視点」から考えてしまいますが、そこは文芸職人「志賀直哉」さん、見事に自分の父親の心情まで、描き切っています。
サ:むしろ、この小説により「父親の心情」を考察した行為が「許し」という結果に結びついてるともいえる。
ウ:「子供からみた父親の矛盾」と「親から見た子供の矛盾」、その双方は、磁石のように反発します。
サ:しかし、局面が変われば、磁石のように引かれ合う。
ウ:そして、「親子関係」と「他の人間関係」が、これほどまでに「違う」という事実を、伝えてくれます。
サ:「近親憎悪」という言葉では語りきれない、「人間の深いところにある感覚」を教えてくれる。
ウ:それは、全員に共通した、一つの「試練」なのかもしれません。
サ:それを克服するメリットは、あまりにも大きい。
ウ:「愛情」という幸せに不可欠な要素と、直結ですからね。
【了】
「もっとも身近で、もっとも厄介な、親子という他人。許しを得るに至る過程で起こる、心の機微を知る」
【サノーさんおすすめ度★★★★☆】
・ウノーさん一言コメント
「なぜ、親と子は感情を抑えられない関係なのでしょう。それは、深い結びつきであるがゆえの、葛藤です」
【ウノーさんおすすめ度★★★★☆】
・サノーさん、ウノーさん読書会
サノーさん(以下サ):人間関係のなかで、もっとも深く、もっとも不可思議なのが「親子」という結びつきだ。
ウノーさん(以下ウ):別の人間なのに「他人」ではないと表され、かといって「わかりあえる存在」かとういうと、全くそうではない「関係」です。
サ:古今東西、この不思議な関係性に挑んだ哲学者、心理学者は無数にいる。
ウ:そして、小説家も、たくさんいます。
サ:「親」が存在しない「人間」は、現代科学、医学では存在しないと確認されているから、万人に共通の「要件」なわけだ。
ウ:そして、親で悩まない「子」も存在しませんので、テーマとしては選ばれやすいです。
サ:この物語も、「どうしても許せない」という想いが制御できない「父と子」の実情が、克明に描かれている。
ウ:著者の実体験からなので、つい「子の視点」から考えてしまいますが、そこは文芸職人「志賀直哉」さん、見事に自分の父親の心情まで、描き切っています。
サ:むしろ、この小説により「父親の心情」を考察した行為が「許し」という結果に結びついてるともいえる。
ウ:「子供からみた父親の矛盾」と「親から見た子供の矛盾」、その双方は、磁石のように反発します。
サ:しかし、局面が変われば、磁石のように引かれ合う。
ウ:そして、「親子関係」と「他の人間関係」が、これほどまでに「違う」という事実を、伝えてくれます。
サ:「近親憎悪」という言葉では語りきれない、「人間の深いところにある感覚」を教えてくれる。
ウ:それは、全員に共通した、一つの「試練」なのかもしれません。
サ:それを克服するメリットは、あまりにも大きい。
ウ:「愛情」という幸せに不可欠な要素と、直結ですからね。
【了】
2019年2月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
志賀直哉との実父との不和を題材にした自伝的小説。そもそも、自分に照らしてみると、ここまで家族と不和という状況がないよなと思った。それだけ、この時代において家族の結びつきというのが強かったということも示していると思う。今だと、ここまで不和ということもないが、そもそも嫌い、というよりは双方が不干渉という関係に近いなぁと思う。和解、というよりもそもそもそこまで心を通わせるということもないので、自分と父はドライな関係なのだと、そんな不思議に思うこともなかったのだが、この小説を読んでそう思った。
読んでいると、志賀直哉の、自分の本心に正直で、思っていないことは言わないという、誠実というか頑固なところが表れていて、すごく好きだなと思った。そのワンシーンを抜粋する。父に、和解の手紙を書こうとするが、うまく書けないところから。
京都にいた頃、高等学校に通っていた従弟から
「貴方の大きな愛が他日父君を包み切る日のあることを望みます」とこんな事を手紙で云って来たことがあった。その時自分は甚く腹を立てた。「大きな愛という言葉の内容を本統に経験したこともない人間が無闇にそんな言葉を使うものではない」と云ってやった。自分は今その事を憶い出した。自分は自分の調和的な気分で父がどんな態度を取る場合にも心の余裕を失わずに穏やかに対する自身を信ずる事は少し自惚れ過ぎていると思った。自分は知らず知らずの中に、所謂大きな愛で父を包み切る事が出来るような気になるのは馬鹿げた事だとおもった、自身の実際の愛の力も計らずに。
自分が本当に思ったことをそのまま、妥協なく書いているから、これほどまでに志賀直哉の文章に魅了されるのだと思う。もっとこの人の小説が読みたいが、作品が少ないのが残念です。
読んでいると、志賀直哉の、自分の本心に正直で、思っていないことは言わないという、誠実というか頑固なところが表れていて、すごく好きだなと思った。そのワンシーンを抜粋する。父に、和解の手紙を書こうとするが、うまく書けないところから。
京都にいた頃、高等学校に通っていた従弟から
「貴方の大きな愛が他日父君を包み切る日のあることを望みます」とこんな事を手紙で云って来たことがあった。その時自分は甚く腹を立てた。「大きな愛という言葉の内容を本統に経験したこともない人間が無闇にそんな言葉を使うものではない」と云ってやった。自分は今その事を憶い出した。自分は自分の調和的な気分で父がどんな態度を取る場合にも心の余裕を失わずに穏やかに対する自身を信ずる事は少し自惚れ過ぎていると思った。自分は知らず知らずの中に、所謂大きな愛で父を包み切る事が出来るような気になるのは馬鹿げた事だとおもった、自身の実際の愛の力も計らずに。
自分が本当に思ったことをそのまま、妥協なく書いているから、これほどまでに志賀直哉の文章に魅了されるのだと思う。もっとこの人の小説が読みたいが、作品が少ないのが残念です。
2014年4月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「和解」は作者をモデルとした主人公順吉と父との葛藤を描いた作品です。
お互い反目しあい、袂を分かつ父と子。実の親子であるがゆえに許すことができず、また素直になれない両者。多かれ少なかれ誰もが経験したことのある親子間の微妙な感情が手に取るように分かるだけに、この作品は多くの人々の心を捉えるのでしょう。
また、幼い我が子の死、そして新たな生の誕生と、様々な辛苦を乗り越える順吉とその妻、順吉を取り巻く人々の姿が克明に描かれています。それが父子の和解場面を一際感動的にしているように思えます。
お互い反目しあい、袂を分かつ父と子。実の親子であるがゆえに許すことができず、また素直になれない両者。多かれ少なかれ誰もが経験したことのある親子間の微妙な感情が手に取るように分かるだけに、この作品は多くの人々の心を捉えるのでしょう。
また、幼い我が子の死、そして新たな生の誕生と、様々な辛苦を乗り越える順吉とその妻、順吉を取り巻く人々の姿が克明に描かれています。それが父子の和解場面を一際感動的にしているように思えます。
2006年9月13日に日本でレビュー済み
第一子の祥月命日から始まり、最近の父親との争いの発端を探っていく回想じみた展開は読者を引き込ませるようでさすがにうまいと思った。志賀直哉らしく情景描写力、人間性の表現力は抜群で、この作品でも充分に滲み出ているのが第一子の危篤場面である。第一子の死による絶望から第二子の誕生による歓喜は、主人公の父に対する憎しみから調和への気持ちというコントラストと重なっており、生命のもたらす神秘的な力と意義を謳いあげているように思われる。半面、父と和解しようという気持ちの推移はあまり書かれておらず不徹底であるが、それはかえって生命の神秘的力を印象づける効果を高めていると言える。ただ、個人的には主人公の父への憎しみやそれから解放されるときの和やかな気持ちがグロテスクに表現されているのを期待していたばかりに少し残念だった。父子の血縁関係は絶対的なもので、それは決してなくなりはしない。どんなに嫌いになろうがその関係の強固さはゆるぎないということを改めて考えさせられた。
2013年11月14日に日本でレビュー済み
一、
『和解』という中篇の作品は、作者である志賀直哉自身の父との葛藤から和解へ至るまでの体験をもと
に描かれた作品である。筆者にとって志賀直哉と言えば、名前だけはよく知っているが、高校時代に「城
の崎にて」というエッセイを読んだ記憶があるくらいで、他の作品は全く読んだことのない作家であっ
た。それがどうしたわけか『和解』という作品を読む気になったというのも、文庫版の裏表紙にこの作品
が“父との葛藤と和解”をテーマとした作品であることを知ったからであった。私の人生にとっても“父
との葛藤と和解”というテーマは、心に重くのしかかる大きな問題であった。
もちろん直哉の場合と私の場合とは、そのプロセスにおいて異なる点も多いのであるが“父との葛藤”
に苦しみ、“父との和解”によって心の平安を見出したという点においては共通していると言える。
直哉の場合、父との対立が決定的となったのが十八歳の時で、足尾銅山の鉱毒事件に強い関心を抱き、
被害者農民の視察旅行に出かけようとした時であった。当時、実業家であり足尾銅山の経営者とも縁故関
係にあった直哉の父としては、直哉の行動を絶対に許すわけにはいかなかった。世間への体面を大事にす
る父と、社会的正義を振りかざす息子とは、互いに傷つけ合うことになった。
さらに直哉は、志賀家で働いていた女中との結婚の件で父に反対され、父と息子の心の溝はいっそう深
まるばかりであった。ここでも世間体を優先する父と、身分を超えた純粋な愛に生きようとする息子は、
対立し、互いに傷つけあうことになった。
私自身の場合を振りかえってみると、二十歳の時、予備校在学中、政治デモに参加したことがきっかけ
で父の桎梏から逃れようとして家出をしたこと、また三十四歳の時、父の世話で入社した会社を退職した
ことが思い出される。この二度にわたる父への反抗によって、私は父を傷つけ私自身も癒しがたい心の傷
を背負うことになった。この二つの出来事があって以来、“父との和解”は、私の人生の最大のテーマと
なった。
このような心理状態の中で苦しんでいる時に、私は志賀直哉の『和解』という作品の出会ったのである。
二、
直哉はこの作品の中で、父との葛藤に苦しむ自らの心情を、次のように吐露している。
「不和の出来事は、余りにも多かった。・・私怨を含んでいる自分が自分の中にあった。
他方にここらから同情している自分が一緒に住んでいた。
・・自分が父に対して現した或 る態度を憶うと自分はいつもぞっとした。
父として子からこんな態度をとられた人間がこ れまで何人あろう。
自分が父として子にそんな態度をとられた場合を想像しても堪えられなかった。」
主人公の順吉は作家であり、直哉の分身であった。“父への怨み”と“父への同情”という相反する二
つの心情の葛藤の中で、主人公はもがき苦しんだ。主人公はこの後も、長女の出産と死に際して取った父
の処置に対し、憎しみを抱き続けるのであるが、次女の誕生を機に気持ちも少しずつほぐれて、父との和
解を願う心境になった。
そしてとうとう父との快い和解の時がやってきた。主人公が涙ながらに父への非礼を詫びたとき、父も
また息子の誠意に応えて次のように語った。
「“実はわしも段々年は取って来るし、
貴様とこれまでのような関係を続けて行くことは
実に苦しかったのだ。”
こんなことを言っているうちに父は泣き出した。
自分も泣き出し た。二人はもう何も言わなかった。」
この父と子の和解の場面を読んで、私は思い出さずにはいられなかった。かつて家出をして数年後、父
に涙ながらに詫びた時のことである。この時、母は泣いてくれたが、父が私と共に泣いてくれなかったこ
とに不満であった。しかし、この直哉の作品の父と子の和解の場面を読んでいくうちに、あの時父も心の
中では共に涙を流してくれていたのではないかと思えるようになったのである。そのことによって、私の
心の中では、父への和解への思いがいっそう深まっていくことを感じるようになった。
私は、志賀直哉の『和解』という作品に出会い、主人公と“父との葛藤から和解へ”至る心理的プロセ
スを追体験することによって、私自身と父との葛藤によって生じた心の傷がしだいに癒されていくことを
実感したのである。その意味では『和解』という作品は、私自身の心の葛藤を映し出す鏡の役割を果たし
てくれたと思うのである。
『和解』という中篇の作品は、作者である志賀直哉自身の父との葛藤から和解へ至るまでの体験をもと
に描かれた作品である。筆者にとって志賀直哉と言えば、名前だけはよく知っているが、高校時代に「城
の崎にて」というエッセイを読んだ記憶があるくらいで、他の作品は全く読んだことのない作家であっ
た。それがどうしたわけか『和解』という作品を読む気になったというのも、文庫版の裏表紙にこの作品
が“父との葛藤と和解”をテーマとした作品であることを知ったからであった。私の人生にとっても“父
との葛藤と和解”というテーマは、心に重くのしかかる大きな問題であった。
もちろん直哉の場合と私の場合とは、そのプロセスにおいて異なる点も多いのであるが“父との葛藤”
に苦しみ、“父との和解”によって心の平安を見出したという点においては共通していると言える。
直哉の場合、父との対立が決定的となったのが十八歳の時で、足尾銅山の鉱毒事件に強い関心を抱き、
被害者農民の視察旅行に出かけようとした時であった。当時、実業家であり足尾銅山の経営者とも縁故関
係にあった直哉の父としては、直哉の行動を絶対に許すわけにはいかなかった。世間への体面を大事にす
る父と、社会的正義を振りかざす息子とは、互いに傷つけ合うことになった。
さらに直哉は、志賀家で働いていた女中との結婚の件で父に反対され、父と息子の心の溝はいっそう深
まるばかりであった。ここでも世間体を優先する父と、身分を超えた純粋な愛に生きようとする息子は、
対立し、互いに傷つけあうことになった。
私自身の場合を振りかえってみると、二十歳の時、予備校在学中、政治デモに参加したことがきっかけ
で父の桎梏から逃れようとして家出をしたこと、また三十四歳の時、父の世話で入社した会社を退職した
ことが思い出される。この二度にわたる父への反抗によって、私は父を傷つけ私自身も癒しがたい心の傷
を背負うことになった。この二つの出来事があって以来、“父との和解”は、私の人生の最大のテーマと
なった。
このような心理状態の中で苦しんでいる時に、私は志賀直哉の『和解』という作品の出会ったのである。
二、
直哉はこの作品の中で、父との葛藤に苦しむ自らの心情を、次のように吐露している。
「不和の出来事は、余りにも多かった。・・私怨を含んでいる自分が自分の中にあった。
他方にここらから同情している自分が一緒に住んでいた。
・・自分が父に対して現した或 る態度を憶うと自分はいつもぞっとした。
父として子からこんな態度をとられた人間がこ れまで何人あろう。
自分が父として子にそんな態度をとられた場合を想像しても堪えられなかった。」
主人公の順吉は作家であり、直哉の分身であった。“父への怨み”と“父への同情”という相反する二
つの心情の葛藤の中で、主人公はもがき苦しんだ。主人公はこの後も、長女の出産と死に際して取った父
の処置に対し、憎しみを抱き続けるのであるが、次女の誕生を機に気持ちも少しずつほぐれて、父との和
解を願う心境になった。
そしてとうとう父との快い和解の時がやってきた。主人公が涙ながらに父への非礼を詫びたとき、父も
また息子の誠意に応えて次のように語った。
「“実はわしも段々年は取って来るし、
貴様とこれまでのような関係を続けて行くことは
実に苦しかったのだ。”
こんなことを言っているうちに父は泣き出した。
自分も泣き出し た。二人はもう何も言わなかった。」
この父と子の和解の場面を読んで、私は思い出さずにはいられなかった。かつて家出をして数年後、父
に涙ながらに詫びた時のことである。この時、母は泣いてくれたが、父が私と共に泣いてくれなかったこ
とに不満であった。しかし、この直哉の作品の父と子の和解の場面を読んでいくうちに、あの時父も心の
中では共に涙を流してくれていたのではないかと思えるようになったのである。そのことによって、私の
心の中では、父への和解への思いがいっそう深まっていくことを感じるようになった。
私は、志賀直哉の『和解』という作品に出会い、主人公と“父との葛藤から和解へ”至る心理的プロセ
スを追体験することによって、私自身と父との葛藤によって生じた心の傷がしだいに癒されていくことを
実感したのである。その意味では『和解』という作品は、私自身の心の葛藤を映し出す鏡の役割を果たし
てくれたと思うのである。
2017年1月17日に日本でレビュー済み
中編として本書の内容は悪くないですが、志賀直哉が短編小説で読者に与えたような感銘はありませんでした。
漱石も『道草』で親類との不和を題材にしていますが、そちらの方がよっぽど巧いです。
「小説の神様」といわれた志賀直哉ですが、「私小説の神様」というわけではないということです。
漱石も『道草』で親類との不和を題材にしていますが、そちらの方がよっぽど巧いです。
「小説の神様」といわれた志賀直哉ですが、「私小説の神様」というわけではないということです。