1971年制作、約二時間半の作品です。
比較的正確に史実を辿ったドキュメンタリー調人間ドラマ。後半になるにつれ日本兵・軍属・沖縄県民が惨殺される場面が多くなり、目を背けたくなるのでご注意を。
しかし、司令部を中心とした壕の中で起こっていたことや空気感がリアルに描かれており、沖縄の人々の献身的な協力や決死の作戦行動の片鱗を知ることができます。
検索(ウイキ)によると
『沖縄戦(おきなわせん)、または沖縄の戦い(おきなわのたたかい)は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年3月26日-6月23日)、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いである。連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦(英: Operation Iceberg、氷山作戦)。琉球語では、(ウチナー(沖縄)いくさ(戦、軍)、の意)ともいう』
と書かれています。
参加兵力は
日本軍116,400人
うち戦闘部隊、陸軍50,000人、海軍3,000人、後方部隊20,000人、沖縄現地召集約30,000人
連合軍548,000人
うち上陸部隊当初183,000人、延べ陸軍190,300人、海兵隊88,500人、合計278,800人
損害は
【人的損害】日本軍
陸軍戦死者 67,900人、海軍戦死者12,281人、捕虜 10,000人、沖縄県民死者・行方不明者122,228人、内民間人死者 94,000人
【物的損害】
戦艦1、軽巡洋艦1、駆逐艦5、特攻機1,895機、その他航空機1,112機、戦車27輌
【人的損害】アメリカ軍
総死者20,195人、戦傷者 55,162人、戦闘外傷病者26,211人、
【物的損害】
駆逐艦16、その他艦艇20、海軍艦艇368損傷、航空機768機、戦車272輌(陸軍221輌、海兵隊51輌)
【人的損害】イギリス
死者85人、戦傷者82名
【物的損害】
空母5隻損傷、航空機98機
このように損害は双方共に甚大なものでした。
軍事的に見れば日本軍の正規兵力が5万に対して米軍は30万弱、地上兵力だけを見ても6倍の戦力差があり、制空権はなし、海上からの支援攻撃を加えれば、その差は数十倍あったと考えられるかもしれません。
【沖縄戦についてのアメリカ軍による評価(ウイキ)】
・圧倒的な戦力差があったにもかかわらず、洞窟陣地を利用した粘り強い防御戦闘と反斜面陣地などの巧みな陣地形成で苦戦を強いられたアメリカ軍は、この日本軍の防御戦闘を「歩兵戦闘の極み」と評した。
・ アメリカ陸軍省戦史局編集の公式報告書「OKINAWA: THE LAST BATTLE」での総括。「沖縄で支払った代償は高価なものであった。アメリカ軍の死傷者の最終的な対価は、日本軍に対するどの方面作戦で経験したものよりも高かった」
「勝利の高い代償は、予想以上の強力な戦力を持って巧みに先導された日本陸軍と戦ったこと、厳重かつ巧妙に要塞化された難しい地形を越えたこと、故国を何千kmも離れて戦った事実によるものだった」「作戦は予想していたより遙かに長引いた」
・アメリカ海兵隊の公式活動報告書
「(日本兵は)よく訓練され、統制もとれた陸軍兵士で、特に士気の高さと、身体能力の高さは特筆すべきである」
「日本軍の兵士は常に頑強で機知にとんだ戦法で戦い、絶対に降伏しなかった」等、その能力を高く評価している。
・シュガーローフの戦いで名誉勲章を受賞し、のちに在沖縄アメリカ軍司令官となったジェイムズ・L・デイ(英語版)少将。
「日本軍の将兵は素晴らしい男たちであった。航空部隊による直接の支援もなければ、海軍部隊による支援もなく、事実上何の支援も受けられない状態で戦うには、非常に柔軟かつ巧妙な戦闘指導が要求される」と日本軍将兵及び前線指揮官の優秀さを評価している。
※沖縄戦(ペリリュー、硫黄島等)の結果をみれば日本が本土決戦を行った場合アメリカ上陸部隊は殲滅させられたという研究もあながち誇張ではなかったという評価はできそうな気がします。
私達は特攻を始め、地上戦においても日本軍が効果もなく一方的に打ち負かされたというイメージを持っています(持たされてきたのかもしれません)。
しかし戦場においては日本兵、とりわけ沖縄県民の決死の協力(恐らく囮や自爆攻撃)が至るところで行われ、甚大な損害と引き換えに、相当な戦果を上げていたと想像することができます。
愚かな攻撃とされる「バンザイ突撃」も口減らしの目的はあったようですが、突入させ敵の位置を探り攻撃を加えるという冷徹な作戦であったという文を読んだこともあります。
本作では「ひめゆり部隊」を始めとする多くの学徒隊が登場します。調べてみると学徒に動員された21の中学校があります。
1) 沖縄師範学校男子部(師範鉄血勤皇隊) 226/386 59%
2) 沖縄県立第一中学校(一中鉄血勤皇隊・一中通信隊) 153/273 56%
3) 沖縄県立第二中学校(二中鉄血勤皇隊・二中通信隊) 115/140 82%
4) 沖縄県立第三中学校(三中鉄血勤皇隊・三中通信隊) 42/334 13%
5) 沖縄県立農林学校(農林鉄血勤皇隊) 23/130 18%
6) 沖縄県立水産学校(水産鉄血勤皇隊・水産通信隊) 31/48 65%
7) 沖縄県立工業学校(工業鉄血勤皇隊・工業通信隊) 88/97 91%
8) 那覇市立商工学校(商工鉄血勤皇隊・商工通信隊) 114/不明 不明
9) 開南中学校(開南鉄血勤皇隊・開南通信隊) 不明 不明
10) 沖縄県立宮古中学校(宮古中鉄血勤皇隊) 不明 不明
11) 沖縄県立八重山農学校(八重農鉄血勤皇隊・八重農女子学徒隊) 不明 不明
12) 沖縄県立八重山中学校(八重山中鉄血勤皇隊) 不明 不明
13) 沖縄師範学校女子部(ひめゆり学徒隊) 81/157 52%
14) 沖縄県立第一高等女学校(ひめゆり学徒隊) 42/65 65%
15) 沖縄県立第二高等女学校(白梅学徒隊) 17/46 37%
16) 沖縄県立第三高等女学校(なごらん学徒隊) 1/10 10%
17) 沖縄県立首里高等女学校(瑞泉学徒隊) 33/61 54%
18) 沖縄積徳高等女学校(積徳学徒隊・ふじ学徒隊) 3/25 12%
19) 昭和高等女学校(梯梧学徒隊) 9/17 53%
20) 沖縄県立宮古高等女学校(宮古高女学徒隊) 1/48 2%
21) 沖縄県立八重山高等女学校(八重山高女学徒隊) 1/60 2%
計 980/1913 51%
映画では大まかな時系列は描かれますが、その時々の戦場の配置や戦況については詳しく分かりません。
戦後の映画界では日本軍が上げた戦果を表現することは難しいのかもしれませんが、日本軍を始め、沖縄の人々の実際の姿を描ける日が来ることを願って止みません。
連合軍は投降を呼びかける一方で、出ていった人々を射殺したり、いたぶって殺したり(作中老人がそのような目にあっています)、殺した兵士の首をボールのように転がして遊んだり、骸骨を飾り物に加工することが流行ったりと、人道に欠ける行為も繰り返されています。洞窟は火炎放射器で焼き払われるばかりでなく、毒ガスも使われ、生き埋めにもされています。日本軍が降伏しなかったのは単純に捕虜になった場合の結末を知っていたからという現実もあります。
連合軍による住民殺害、民間人収容所の処遇、連合軍兵士による性的暴行などの虐待なども調べてみると良いのではないでしょうか。
私自身は日本の戦後の映画、とりわけ戦争関連の映画は見る気がしないのですが、本作も基本的には敗戦国史観の立場に立った構成が基本にあると感じてはいます。
しかし作品の根底に感じる、ある種の「口惜しさ」に関してはできるギリギリの表現は目指したのだろうと思っています。
他の方のレビューに書かれていましたが、映像表現としての戦場リアリティは確かに残念だと思います。このあたり動きに関して変なトロさがあり、必死さは全く伝わってきません。しかし壕の中の人々の様子が映像として伝わるインパクトは想像以上に大きいと思います。
見るのはつらい作品ですが、日本人としてはぜひ見て欲しい作品だと思います。