ファウスト [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | イゾルデ・ディシャウク, マリーナ・コレノワ, アントン・アダシンスキー, アンチェ・レーヴェルト, フロリアン・ブリュクナー, ヨハネス・ツァイラー, ハンナ・シグラ, アレクサンドル・ソクーロフ, ゲオルク・フリードリヒ 表示を増やす |
言語 | ドイツ語 |
稼働時間 | 2 時間 20 分 |
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商品の説明
生きる意味とは何か?天才学者、錬金術師のファウストは、欲望に駆られ悪魔と契約する—。
かつてドイツに実在したといわれている魔術師ファウストの伝説をもとに、文豪ゲーテが生涯をかけて書き上げた名作「ファウスト」。人間と悪魔が繰り広げるミステリアスで壮大な物語は、文学や演劇のみならず、映画、音楽、コミックなどで描かれ、世界中の人々を魅了しつづけてきた。そして今、巨匠アレクサンドル・ソクーロフ監督がこの物語を、斬新な演出と軽妙な台詞、類いない映像美で映画化。第68回ヴェネチア国際映画祭では、審査員の満場一致でグランプリを獲得。新しい『ファウスト』は美のエンタテインメントとして現代を生きる伝説となった。
神秘的な森に囲まれた19世紀のドイツ。あらゆる学問を探求したファウスト博士は、悪魔と噂される高利貸マウリツィウスのもとを訪れる。金は貸さないが、生きる意味を教えようと囁くマウリツィウスに誘われ、ファウストは純真無垢なマルガレーテと出会う。彼女の美しさに一目で心奪われたファウスト。彼女の愛と引き換えに自らの魂をマウリツィウスに差し出す契約を結ぶ…。生と死の狭間を漂い、運命に翻弄される人間ドラマが圧倒的な迫力で描かれる。
マウリツィウスとファウスト、二人の駆け引きは、時に笑いを誘いながら我々を物語の世界へと引き込んでいく。そして、フェルメールの名画のように美しく輝くマルガレーテ。『太陽』『エルミタージュ幻想』など世界中で高く評価されるアレクサンドル・ソクーロフ監督によって見る者の心を虜にして離さない永遠の傑作が生みだされた。
【受賞情報】第68回ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞受賞
かつてドイツに実在したといわれている魔術師ファウストの伝説をもとに、文豪ゲーテが生涯をかけて書き上げた名作「ファウスト」。人間と悪魔が繰り広げるミステリアスで壮大な物語は、文学や演劇のみならず、映画、音楽、コミックなどで描かれ、世界中の人々を魅了しつづけてきた。そして今、巨匠アレクサンドル・ソクーロフ監督がこの物語を、斬新な演出と軽妙な台詞、類いない映像美で映画化。第68回ヴェネチア国際映画祭では、審査員の満場一致でグランプリを獲得。新しい『ファウスト』は美のエンタテインメントとして現代を生きる伝説となった。
【受賞情報】第68回ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞受賞
【特典】
収録:日本版予告編
封入:カラー解説書
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : ドイツ語
- 製品サイズ : 30 x 10 x 20 cm; 81.65 g
- EAN : 4523215084031
- 監督 : アレクサンドル・ソクーロフ
- メディア形式 : 色, ドルビー, ワイドスクリーン
- 時間 : 2 時間 20 分
- 発売日 : 2012/12/22
- 出演 : ヨハネス・ツァイラー, アントン・アダシンスキー, イゾルデ・ディシャウク, ゲオルク・フリードリヒ, ハンナ・シグラ
- 字幕: : 日本語
- 販売元 : 紀伊國屋書店
- ASIN : B009LETJ8U
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 129,554位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 12,513位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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対蹠的に、マルガレーテの純真・無垢な驚異の映像美にはまいる。マウリツィウスとファウストの駆け引きは面白いし、マルガレーテの美しさに心奪われ、マウリツィウスと契約を結ぶファウスト。覚えている過去の作品「ファウスト」を忘れて、初めて『ファウスト』を観ていると思えばいい。冒頭、雲の中から舞い降りてくるような俯瞰シーンに続き、人間の解剖シーンが始まる。なんて奇抜なはじめ方であろうか。映画のあらすじは御覧になってください。独特な淡い色調と時として鏡などをもちいたであろう歪んだ画面、そして、中世絵画の世界をそのまま持ってきたような美しいシークエンス。非常に贅沢な画造りである。
ファウストの運命は決まってはいるが、悪魔との契約とは言いながら結局は自分の心の深層にある悪魔との心理的葛藤ともいえよう。流石、各賞に輝いたアレクサンドル・ソクーロフの傑作である。これは、必見であろう。
なお、本作品も8月にWOWOWで放映される。
お薦め!
一人の美少女の愛を勝ち取ることもできない、ああこの悩ましき我が身、、、というのが要約すると神髄です。舞台は
ヨーロッパ16世紀頃、不潔さと人の無知蒙昧さとか、愚かしい人民がうまく描かれていて、これだけで丸です。最後
あたり、ファウストが高利貸しである悪魔に魂を売った後に、夢の中で少女と入水するシーンは圧巻の出来。これは
買いです。何故このような古い物語に感動してしまうのか?と考える貴方は賢い。人の人品は当時と何も変わっていない。
現代は様々ディヴァイスが発達してるだけと私は思います。
本作の企画はかなり古いようだ。1995年ソクーロフ監督来日公演の際にも‘以前からの念願の企画’として語られている(当時はゲーテだけではなくトーマス・マンのファウストもミックスさせる、という企画だったという)。おそらくは20年以上は温めていた企画だったはずだ。予算の問題もありなかなか製作できなかったらしいがソクーロフの熱意が実り2011年に完成。ヴェネチア映画祭グランプリなど非常に高い評価も得た。経緯だけをみるとソクーロフ監督作の集大成みたいにも見える。
本作の位置づけは『モレク神』『牡牛座・レーニンの肖像』『太陽』に続く‘権力者四部作’の最終作又は完結編、となる。四部作は「権力を持った…あるいは特別な地位にいる者のある種の不幸(ソクーロフ)」を描くシリーズとのことだ。前三作では‘ヒトラー・レーニン・天皇ヒロヒト’と、20世紀に実在した人物を取り上げている。…このあたり‘権力者とはなにか’ということに強い‘芸術的’関心を持つソクーロフらしいところだ。
…ところが前三作と本作は少し違うように私は感じる。
例えば、ファウストはモデルとなる人物が実在した(らしい)とはいえ、ほぼ創作のキャラクターだし、時代も19世紀だ。前三作は衣装・小道具・美術を出来るだけ正確に再現するなどドキュメンタリー的な側面すらもっていたことに対して、本作は‘ゲーテのファウストを自由に翻案’などと冒頭に示されるように創作の割合が大きい。なによりも…、主人公ファウストは‘権力者’ではない(権力者四部作なのに)。
「三作品は ‘決定はなされ人々はどのように生きたのか’ を表し、四作目(←本作)は‘いかに決定はなされたか’ についての作品だ。(ソクーロフ)」
ということ…だが…、
私には違和感が残る…。
違和感といえば、冒頭のCGにも感じる。大体CGは‘手作りの映像’にこだわるソクーロフとしてはチョッと違うのでは…と思うのだ (『太陽』でも使っていたけど…)。なぜ、あのCGを…しかも重要な冒頭に挿入したのだろう…。 ところが、先日 ‘『太陽』オフィシャルブック’ のソクーロフ監督インタビューを読んでいて気がついた。ソクーロフ監督は16世紀ドイツの画家・アルブレヒト・アルトドルファー作『アレクサンドロス大王の戦い』をモチーフにあのCGを挿入したのだ…多分…。
「この絵(←‘アレクサンドロス大王の戦い’)は私にとって重要な絵でね、私はいつもこの絵に立ち返るんです。いろいろな映画の製作中にこの絵を眺めてきました。〜(略)〜ここでは何が描かれているでしょうか。まるまる一つの世界ですよ。(中略)こんな極限状態に陥った時正しい決定なんてあり得るでしょうか。(ソクーロフのインタビューより引用)」
上記の監督発言とあわせると本作にかける監督の意欲がよくわかるし、本作のテーマ(の一部)が透けてくるように思える。
でも、私としてはまだ違和感が残る…。
例えば、画角に対する違和感だ。本作の画角はテレビサイズに近いのだが、四方の角を丸く切り落とした不思議なトリミングとなっている。初見時は不良品のDVDではないかと不安になってしまった。この‘のぞき窓’のようなトリミングは映画世界と観客(つまり私)との距離を広げてしまっているように思えた。
語り口も今までの作品と少し違う。比較的普通(?)のドラマツルギーを採用しているのだ。確かに『マザーサン』の頃にミニマムを極めたソクーロフ作品は『エルミタージュ幻想』以後、徐々に通常のドラマツルギーにシフトしてきた。だが本作においては編集のリズムまでも変化しているような気がする。端的にいえばカットが短くなったし、ダイアローグは(昔より)多いし、物語の展開が(ソクーロフ作にしては)早いし解り易い、なによりも‘事件’が画面上で起きている。…いままでのソクーロフ作品は‘事件’を描写せず‘仄めかす’といった表現が多かった。それは芸術的に制御された画面・音・リズムと絡まりあい‘気配’といった感触を生み出した。ところが本作は少々違う。結果画面から滲み出る‘気配’が薄まったように思える(上記の‘のぞき窓’のようなトリミングも薄まった理由に関係するかもしれない)。
つまり、本作は明らかにソクーロフ作品ではあるものの…同時にどこか異質なのだ。薄まった‘気配’。…違和感の原因はそこから来るのだろう。
私は、ソクーロフ作品の‘気配’がもつスリリングさが堪らなく堪らなく好きである。その意味で本作は少々残念だ。今までのソクーロフ作品ほど好きにはなれない(★の数は3と4の間でかなり迷った)。しかし、作家とは変化するものだし…確かに同じことを繰り返しても仕方がない…、ソクーロフは本作で新たな脱皮を試みたのではないだろうか。このソフトに封入されているリーフレットにはソクーロフのこんな発言が記されている。
「(略)〜私達の望みは、技術的に『ロードオブザリング』やその他のハリウッド大作に負けないような水準のものを作ることでした。(略)」
ソクーロフの映像世界(これには音や編集リズムも含む)は世界最高水準の一つだと思っていた私はこの発言に驚かされた。以前のインタビューなどを参照するまでもなく違う印象をうける(映像の手作り感を大切にするといってたソクーロフがCGを採用した理由もこれに関連するのかもしれない)。
ひょっとして…、
ソクーロフのなかで映画というメディアに対する捉え方が変化しつつあるのかもしれない。もうすこし勝手に推測すると…、‘映画という分野は文学や音楽などの既存の芸術よりも劣る’と考えていたソクーロフがはじめて、‘対等’と捉えなおし取り組んだのが本作なのではないか。本作の企画意図を語るときに、ソクーロフは欧米の映画を引き合いに出したのも…作品の感触が変化した(と私は思う)のも…、その現れではないか。
…とすれば、本作はソクーロフのゴールではない。集大成というのもちょっと違う。 ひょっとすると第二のスタート地点かもしれない。違和感…違和感…と繰り返したが、ソクーロフについていけなかったのは私のほうかもしれない。
…
本作のラスト…主人公ファウストが走る姿…、この後ソクーロフ作品どこへ向かうのだろうか。
「どこへ行くの」
…
その答えは、『マザー・サン』『ファザー・サン』に続く‘近親三部作’の最終章として予告されている『ふたりの兄弟と妹(仮題)』に示されるのかもしれない。
すぐに返品の処理をしたにもかかわらず口座から引き落としがされ、いまだに返金されていません。
謝罪も一言もありません。
業務の効率化のためとはいえ、ここまで失礼な対応についてどのような考えなのでしょうか。
メフィストフェレスの代わりにセコイ質屋が出てきます。
話がすごく矮小化されてしまっています。
スケールが小さすぎ。
地理的にも御近所レベルの広がりしかありません。
その割に、意味もなくホムンクルスは出てきます。
意味分からない。
フェルメール的な近世ヨーロッパの風景、風俗の再現はいいのですが、それだけです。
ゲーテ財団は黙って見ていたのか?
あまりにもひどい。
その雰囲気はとてもよく出来ていると思います。
いつ面白くなるんだと思い見ていたけど、見所がわからないまま終わりました。
皮肉でもなんでもなく、この映画を面白いと言う方に解説をしてもらいたいくらいです。
映像や衣装、街の雰囲気はとてもよく出来ていて見ごたえがあります。
ファウストとマウリツィウスの会話にはクスッとくるところもあり、
マウリツィウスの小者感がとても好きです。
マルガレーテの美しさを語っている方もいますが、どうにも琴線にひっかかりませんでした。
他の国からのトップレビュー



sfumature. Una singola visione non permette di comprendere a pieno ciò che si sta guardando poiché l'occhio e la mente saranno continuamente bombardati da situazioni, luci, lenti, filtri, dialoghi così diversi tra loro eppure così intimamente connessi da quel che è il progredire stesso del film. Le successive visioni risultano rivelatrici in merito all'importante legame tra i vari aspetti che stavano davanti agli occhi dello spettatore e dietro a quell'apparente confusione. Insomma, un film non semplice da comprendere ed apprezzare ma in grado segnare in maniera netta ed importante lo spettatore paziente e desideroso di scovare i vari aspetti di questo gioiello.


Desire for earthly knowledge over that of the divine was the central theme of the original story. Here in this fine film version (Russian made, German dialogue) Faust mainly desires sex, not earthly knowledge. He is smitten by a young nubile beauty, the daughter of a coarse peasant who treats her daughter (known as Margarete) as a prized piece of property. Beauty such as hers must not be squandered. It must be used to acquire further property. And so the daughter, always dressed in tight corsets and cumbersome hooped dresses, is watched and protected. But lurking on the perimeter of social affairs in the village is Faust, a middle-aged professor of science and philosophy. Magarete notices this, her curiosity for him aroused. Bashful, modest and inexperienced she may be, but her innocence does not blind her to the ways of the world. She understands what Faust represents and wants.
Their glances are furtive, their chances to speak slim, as Margarete is always chaperoned when walking outside. Much of what they communicate is done almost telepathically.
In the local graveyard during a somber funeral and burial they stand next to one another in a small crowd. All eyes are on the coffin as it is lowered into the ground. Faust gently moves his hand toward hers. They touch. She looks up at him, a chaste smile on her beautiful, pure face. He looks straight ahead, not daring to be seen looking into her cheerful eyes.
After this we know what must follow. Faust does too, but Margarete cannot be procured by orthodox means. There will be no courtship, no wedding bells for Faust, the penniless scholar, nor for his prized young beauty. So Faust consults Mephistopheles, the local moneylender, an emissary of Satan. Parchment, quill and candle are produced. Faust fitfully reads over the document and signs. Love can be satisfied, but he will have her for only one night. Those are the terms.
The film asks no questions and gives no answers. It invites you, as all great art does, to do both on your own.
I have a personal emotional stake in the story. I once loved a young Japanese woman more than 30 years my junior. It was pointless and mad but couldn't be helped: hopeless, impossible, ludicrous. But even now I would sell my soul for just one night with her.