とにかく筆致が繊細で美しい
できることなら原稿サイズ大判がほしい
少女漫画の叙情性を凝縮したような作品
読んだあとは樹木の残り香を感じて緑を散策したくなります

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
白木蓮抄 (秋田文庫 27-1) 文庫 – 1999/5/1
花郁 悠紀子
(著)
白木蓮(マグノリア)抄 (秋田文庫)
- 本の長さ287ページ
- 言語日本語
- 出版社秋田書店
- 発売日1999/5/1
- ISBN-104253174671
- ISBN-13978-4253174671
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年1月2日に日本でレビュー済み
1977年から80年にかけての6つの作品が収められています。
「白木蓮抄」花郁先生の個性が集約されたような美しい作品です。緑の多い美しい田舎とそこに建つ洋館。ひっそりと暮らす外国人、そして数年後そこに住んでいるのは外国人の血が入っているらしい美しい青年2人。
先生がよくテーマにされる不治の病と儚く亡くなってしまう人々、そして残された者の思い。作品が描かれた70年代よりもさらに昔のレトロな日本文学の香りがして、まるで堀辰雄の小説のようです。
「不死の花」と「百の木々の花々」は能をテーマにしたお話。最初の方は能家元の跡継ぎが、自分の先祖である世阿弥が生きていた時代にタイムスリップして、能「藤」の心を知る幻想的な物語です。
後者はその家元の家で、能を愛しているのに女に生まれたために能楽師にはなれない(今でもそうなのか?今は女性の能楽師もいたような気が)長女の葛藤と恋を描いています。
花郁先生が生まれた金沢は宝生流能楽が盛んな土地ですが、先生も能に親しむ機会があったのでしょうか。死者が思いを語ることが多い能と先生の物語は共通点が多いと感じます。
「緑陰行路」、80年の作品で、花郁先生にはめずらしく当時の”今時”の流行を意識した現代劇です。女番長まがいでヌードモデルもやってしまうブッ飛んだ親友や不良同士の抗争など。その頃の流行語が散りばめられていて、たとえば”モーションをかける”とか”ジュク=新宿のこと”、”ハクイ=きれいな”、”ヤッパ=?わかりません・・”などなど、当時の青春映画を見るようなおもしろい作品です。
「それは天使の樹」、「アナスタシア・シリーズ」に代表される手塚治虫風のユーモラスなドタバタ劇から、後の耽美的な作風に移行していく過度期的な作品。両方の雰囲気が交じり合っています。それにしてもどうしてここまで作風が大きく変化したのでしょうね。
「幻の花恋」、こちらにも、昔は不治の病だった結核が出てきます。療養する母について田舎にやってきた次男が、いまだに迷信を信じる閉鎖的な田舎で、シングルマザーから生まれた外国人の血を引く姉弟に出会うお話です。
昔からずっと漫画を読んできましたが、昔の漫画は美しい絵空事と憧れを描いたのに対して、現代の漫画は共感しやすい日常生活に即したものが増えました。身近なことがテーマになった反面、ロマンや夢、幻想はあまり描かれなくなってしまいました。花郁先生の漫画にはそれらが息づいていて別世界へと連れ去ってくれます。
特に、能をテーマにした2話などはぜひシリーズ化して続きを描いてほしい・・と思うのですが、それはもうかなわない。とても残念です。もっと描き続けていただきたかったです。
「白木蓮抄」花郁先生の個性が集約されたような美しい作品です。緑の多い美しい田舎とそこに建つ洋館。ひっそりと暮らす外国人、そして数年後そこに住んでいるのは外国人の血が入っているらしい美しい青年2人。
先生がよくテーマにされる不治の病と儚く亡くなってしまう人々、そして残された者の思い。作品が描かれた70年代よりもさらに昔のレトロな日本文学の香りがして、まるで堀辰雄の小説のようです。
「不死の花」と「百の木々の花々」は能をテーマにしたお話。最初の方は能家元の跡継ぎが、自分の先祖である世阿弥が生きていた時代にタイムスリップして、能「藤」の心を知る幻想的な物語です。
後者はその家元の家で、能を愛しているのに女に生まれたために能楽師にはなれない(今でもそうなのか?今は女性の能楽師もいたような気が)長女の葛藤と恋を描いています。
花郁先生が生まれた金沢は宝生流能楽が盛んな土地ですが、先生も能に親しむ機会があったのでしょうか。死者が思いを語ることが多い能と先生の物語は共通点が多いと感じます。
「緑陰行路」、80年の作品で、花郁先生にはめずらしく当時の”今時”の流行を意識した現代劇です。女番長まがいでヌードモデルもやってしまうブッ飛んだ親友や不良同士の抗争など。その頃の流行語が散りばめられていて、たとえば”モーションをかける”とか”ジュク=新宿のこと”、”ハクイ=きれいな”、”ヤッパ=?わかりません・・”などなど、当時の青春映画を見るようなおもしろい作品です。
「それは天使の樹」、「アナスタシア・シリーズ」に代表される手塚治虫風のユーモラスなドタバタ劇から、後の耽美的な作風に移行していく過度期的な作品。両方の雰囲気が交じり合っています。それにしてもどうしてここまで作風が大きく変化したのでしょうね。
「幻の花恋」、こちらにも、昔は不治の病だった結核が出てきます。療養する母について田舎にやってきた次男が、いまだに迷信を信じる閉鎖的な田舎で、シングルマザーから生まれた外国人の血を引く姉弟に出会うお話です。
昔からずっと漫画を読んできましたが、昔の漫画は美しい絵空事と憧れを描いたのに対して、現代の漫画は共感しやすい日常生活に即したものが増えました。身近なことがテーマになった反面、ロマンや夢、幻想はあまり描かれなくなってしまいました。花郁先生の漫画にはそれらが息づいていて別世界へと連れ去ってくれます。
特に、能をテーマにした2話などはぜひシリーズ化して続きを描いてほしい・・と思うのですが、それはもうかなわない。とても残念です。もっと描き続けていただきたかったです。
2019年9月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
花郁先生の作品は学生時代に雑誌でいくつか読んだのに、亡くなったのを知ったのはかなり後でした。そして、波津先生が妹と知ったのは、更に数年後でした。「金魚堂〜」を読んで懐かしくなり、ここで購入してみましたが、懐かしさと共に、あまりに早かった死が悔やまれます。
2016年1月1日に日本でレビュー済み
作者は『雨柳堂夢咄』で知られる漫画家、波津彬子氏の実の姉で、石川県金沢市出身。
(ご本名は確か開発さんという苗字で、姉がカイさん、妹がハツさんというペンネームだそう)
萩尾望都氏のアシスタントを経てデビューし、若くしてその才能が注目されていた作家だった。
妹の波津さんが何かの後書きに書いておられたが、アイディアが豊富で溢れるストーリーを原稿にするのが追いつかないほど
たくさんの作品の構想を練っていた方だったようだ。
発表された時代は少し古いので時代を感じさせる作品もあるが、登場人物の生きる悲しみや死の重さを正面から見据えながら、
透明な美しさと繊細さを失わないものばかりである。
表題作は、病気で母を、戦争で父をなくした少女りよが、ひきとられた親戚の家の近くの洋館で出会う人との人間模様を書いた作品。
モクレンの咲く洋館の住人は、りよの成長に伴って入れ替わる。馬を連れた不思議なドイツ人男性、
病弱で孤独な青年と冷酷な彼に従順な大人しい美少年、かつての大女優で、今はひっそりと暮らす老婦人など、どこか影を背負った人ばかり。
りよは成長しながら次第に少女から娘へと変わっていき、最後はともに育った幼馴染の武への女性としての愛を自覚する。
もと大女優だった老婦人は、長年異国で別れて暮らしていた娘の成長だけを楽しみにしていたが、洋館に越してきてまもなく、愛娘の病死を知る。
生きる希望をすべて失った彼女は、早春、満開のモクレンの中、思い出の写真をすべて焼いて自らの人生にも終止符を打とうとする。そこに行き会ったりよは、一度だけ娘のかわりにあなたを抱かせてほしいという彼女の腕に飛びこんで泣く。もう希望も何もないと言う女性に、「お母様、それでも生きなくてはいけません。」と必死で訴えるりよ。抱き合って泣いた母を亡くした娘と、娘を亡くした母は、再び生きる意味を見出し、互いに新しい人生へと歩み出す。
花郁さんはやがて病気のために仕事を中断し、石川県に戻り入院する。病気はガンで、進行は早く、20代後半で永眠された。
同世代の漫画家は皆彼女の早すぎる死を悼み、多彩な才能を惜しむ声が多く聞かれた。
死を正面から見据えながら、悲しいながらもどこか透明で懐かしく美しい作品を多く残した花郁さん。
「それでも生きなくてはいけません。」という作中のりよの言葉は、作者自身のメッセージのようで、表題作はとても心に残っている。
この作品も電子版になって良かったと思う。
(ご本名は確か開発さんという苗字で、姉がカイさん、妹がハツさんというペンネームだそう)
萩尾望都氏のアシスタントを経てデビューし、若くしてその才能が注目されていた作家だった。
妹の波津さんが何かの後書きに書いておられたが、アイディアが豊富で溢れるストーリーを原稿にするのが追いつかないほど
たくさんの作品の構想を練っていた方だったようだ。
発表された時代は少し古いので時代を感じさせる作品もあるが、登場人物の生きる悲しみや死の重さを正面から見据えながら、
透明な美しさと繊細さを失わないものばかりである。
表題作は、病気で母を、戦争で父をなくした少女りよが、ひきとられた親戚の家の近くの洋館で出会う人との人間模様を書いた作品。
モクレンの咲く洋館の住人は、りよの成長に伴って入れ替わる。馬を連れた不思議なドイツ人男性、
病弱で孤独な青年と冷酷な彼に従順な大人しい美少年、かつての大女優で、今はひっそりと暮らす老婦人など、どこか影を背負った人ばかり。
りよは成長しながら次第に少女から娘へと変わっていき、最後はともに育った幼馴染の武への女性としての愛を自覚する。
もと大女優だった老婦人は、長年異国で別れて暮らしていた娘の成長だけを楽しみにしていたが、洋館に越してきてまもなく、愛娘の病死を知る。
生きる希望をすべて失った彼女は、早春、満開のモクレンの中、思い出の写真をすべて焼いて自らの人生にも終止符を打とうとする。そこに行き会ったりよは、一度だけ娘のかわりにあなたを抱かせてほしいという彼女の腕に飛びこんで泣く。もう希望も何もないと言う女性に、「お母様、それでも生きなくてはいけません。」と必死で訴えるりよ。抱き合って泣いた母を亡くした娘と、娘を亡くした母は、再び生きる意味を見出し、互いに新しい人生へと歩み出す。
花郁さんはやがて病気のために仕事を中断し、石川県に戻り入院する。病気はガンで、進行は早く、20代後半で永眠された。
同世代の漫画家は皆彼女の早すぎる死を悼み、多彩な才能を惜しむ声が多く聞かれた。
死を正面から見据えながら、悲しいながらもどこか透明で懐かしく美しい作品を多く残した花郁さん。
「それでも生きなくてはいけません。」という作中のりよの言葉は、作者自身のメッセージのようで、表題作はとても心に残っている。
この作品も電子版になって良かったと思う。
2006年7月15日に日本でレビュー済み
白木蓮の咲く洋館の住人たちとの出会いを通し、少女りよの成長を綴った「白木蓮抄」
能楽一家の兄妹を描いた「不死の花」「百の木々の花」
他に「緑陰行路」「それは天使の樹」「幻の花恋」の6編を収録。
読みきりの短編集だが、どれも丹念に書き込まれていて話に厚みを感じる。
能楽一家の兄妹を描いた「不死の花」「百の木々の花」
他に「緑陰行路」「それは天使の樹」「幻の花恋」の6編を収録。
読みきりの短編集だが、どれも丹念に書き込まれていて話に厚みを感じる。