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カルト漂流記 オウム篇 単行本 – 2009/5/1
- 本の長さ252ページ
- 言語日本語
- 出版社彩流社
- 発売日2009/5/1
- ISBN-104779114438
- ISBN-13978-4779114434
登録情報
- 出版社 : 彩流社 (2009/5/1)
- 発売日 : 2009/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 252ページ
- ISBN-10 : 4779114438
- ISBN-13 : 978-4779114434
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,568,768位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
1958年、愛知県豊橋市に生まれる。
小学生のとき、キリストの本を読んで感銘を受け、教会に通い始める。
親から反対され、断念したけれど、キリストの「汝の敵を愛せよ」「人を罰するな」は今でも大切な言葉。
このころからファンタジーやSFが好きで、現実とは違った世界へと空想の世界でトリップしていた。
中学生のとき、UFOが迎えに来るのを待っていたけど、来ないので諦めた。以来地球人として、地球に共生して生きようと覚悟した。
大学は高校3年の夏まで、文系にしようと上智大学、早稲田大学、東京女子大学、津田塾大学の英文科の下見をした。にもかかわらず、薬学部を受験。家や親戚が医療従事者が多く、家族の意向に従った。
子供心に「自分のしたいこと」と「人のしてほしいこと」のどちらを大切にしたらいいのか?と問いかけるとき、自分のしたいことを抑圧する傾向がこの時代からあったんだと思う。今思えば、「自分のしたいこと」を選択するのは素晴らしいことで、勇気あることだと思うけど、当時はわがままだと思い込んでいた。
1976年、東京理科大学の薬学部に入学。民学同に入る。
1983年に戦旗派と出会い、結集する。
1984年にアジト生活を始める。三里塚を中心に運動する。武装闘争が激しくなり、権力との闘いも熾烈になる。
1991年に戦旗派を脱会。
その後、仕事を転々としながら、スピリチュアルな世界と出会う。ヨガや臨床心理学の学校にも通う。
1993年にオウム真理教の主催するコンサートに参加し、1995年の麻原彰晃の逮捕のときまで交流する。
1996年に文化や歴史に学ぶことを目的としたサークル「イリオス」を主催。今も継続中。
2007年に老子を見直しと量子力学から発想を学ぼうと「タオ自然学」の勉強会を始める。今は多忙のため、休止中。再開の要望があるため、近々再開する予定。
その一方で、法政大学元学生の起訴に抗議して支援活動を展開。法政大学文化連盟の賛同人になっている。
ただし、あくまでも「政治が悪い」のではなく「政治を変える力のない自分の責任」という「自己責任論」の立場である。仏教でも己が因となってあらゆるものが生じてくると語っているように、いろんなことを自力で変えることのできるパワフルな存在だと信じている。人間は本来いろんなことを創造的できる神であったことを忘れてしまったため、自分の無力感から、他人が変わらないと幸福になれない、という錯覚によって迷妄の人生を歩むようになってしまったという立場をとる。
ただし、人は挑戦し、さ迷い、自分の中の力に気づいていくものであるから、正しいと信じて行動する人間が好きである。そのため、若者の闘いは素晴らしいと思う。
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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この本の著者は過激派出身者で、そのセクトを辞めて生きる目的を求めてさまよっていたときにオウムと出会ったと書いています。宗教を否定してきた組織に属していたにもかかわらず、オウムの信者達に会うごとに魅了されて,入ろうか入るまいか逡巡するところまで悩んだと。そのあたりのいきさつが書かれています。属していたセクトとの違いでは、部下の失敗を責める官僚体質と麻原の慈父性、女性が生き生きしていたこと、四無量心(嫌いな人の成功を祈る)の修行や、ネズミやゴキブリを殺さないことが印象に残っていたようです。
その後著者はオウムの変質を敏感に感じ取っていて、地下鉄サリン事件が起こる前に松本サリン事件がオウムじゃないかと推理していた様子も書かれています。そのあたりの洞察力は大したものがあるように思います。また、オウムが変質する過程には何か裏の組織の働きかけがあったに違いないと推論していますが、これはどうでしょう。
とにかく、オウムについては今も気軽に口に出せない雰囲気が残っています。こんな時代に、勇気を持って出版したんじゃないでしょうか。事件のあった当時に、オウムに衝撃を受けた人たちの中には、凄惨な事件の犯人が捕まって裁かれるだけでは割り切れない何かが残っていると思います。オウムを真正面から扱って、諸々の感情を汲み取って表現してくれている点がバッシングだけで終わりがちな他の本と大きく異なるところです。ぜひ、ご一読をお勧め致します。
カルトのレッテルを貼られたオウムですが、若い人たちが物質によって満たされない心の解放を願っていたことが、この本によってわかりました。
内部を知っている人が正直に書いた本がほとんどない中で、勇気ある出版だったと思います。
ただ、筆者がオウムに近づく伏線なのかもしれないが、だらだらとブログのように単なる思いを書き連ねている部分が全量の半分近くを占め、しかも記されている思いの方向性が、今ひとつ明らかでない。そのため本書はあくまで「筆者がオウムに対して思ったこと」を記したものとして読まれるべきであって、カルトに関して知りたいと思って読むと内容が薄い印象を受けるだろう。
また、校正不足なのかもしれないが基本的な誤字脱字が非常に多いのが気になる。一度気になってしまうと、筆者独特のテンポのよい文章が台無しになってしまう。出版社の問題かもしれないが、本作りの詰めが今ひとつ甘いように思う。
肯定的にオウムを捉える早見女史のテーマは真実の探求。闇に葬られた感のあるオウム事件を独自の視点で総括。内省的な思考を徹底させるという女性には珍しいタイプの作者の生き方は大変興味ぶかい。