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中国映画の熱狂的黄金期――改革開放時代における大衆文化のうねり 単行本 – 2012/11/17
劉 文兵
(著)
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文化大革命のトラウマと天安門事件のダメージを抱えつつ、高度経済成長に突き進む中国社会の数奇な変遷を、1980年代の映画に読み解く画期的論考。かの人々の姿は、戦後の日本民衆の映画熱に重なる。映画に何を求めたのか、何が描かれたのか? イデオロギーを超えた果てにみる人々の欲望とその代償について、膨大な一次資料から迫る。
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2012/11/17
- 寸法13.5 x 3.1 x 19.5 cm
- ISBN-104000238760
- ISBN-13978-4000238762
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2012/11/17)
- 発売日 : 2012/11/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 304ページ
- ISBN-10 : 4000238760
- ISBN-13 : 978-4000238762
- 寸法 : 13.5 x 3.1 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,501,884位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年7月26日に日本でレビュー済み
1950年代は欧州の映画祭でクロサワ・ミゾグチが「発見」され、極東の一ローカル・カルチャーにすぎなかった日本映画が世界の映画市場に始めて組み込まれた時代だったが、1980年代はソレと全く同じ現象が中国映画に発生した時代であった。徳間康快の情熱で設立された東光徳間を通して、欧州の映画祭が「発見」した第五世代やその先輩格である第四世代の映画作家たちの新作をほぼリアルタイムで接することができた日本の観客は幸運だった。当時地方在住の映画少年だった僕も、地元シネクラブの上映会やNHKのTV放送などで未知の国からやってくる「新しい映画」をマメに追っかけたものだ。この本は、そんな転形期の中国の映画文化を現地の民衆のひとりとして接していた日本在住の研究家ならではの視点で考察するもので、その理論的参照先となっているのがホミ・バーバの翻訳文化論だ。僕はホミ・バーバというとポスコロ批評の代表格として持て囃されてる人でしょ程度の認識しかなかったが、この本で引用されている、異文化を輸入・定着させる過程で生じる歪みを肯定的に捉える文化論はたとえば・・・と例に出すのもナンだが南田勝也らの『私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか』あたりの本に致命的なまでに欠けている思考であり、実に興味深い。この本では映画雑誌の盛衰、日本未公開の大衆映画、第四世代作家たちのアンドレ・バザン熱、中国独特の検閲システムなど、これまた興味深い話題が論じられているが、無味乾燥な観念論に終わらないのは、その時代の映画少年だった著者の映画体験(映画的記憶)の豊かさあってのものだろう。「時代の空気」を知っている、というのは、「時代」を論じるのには最大の強みなのだ。ポスト文革期の中国の代表的な大衆文化は社交ダンスだったという。劉は中国の社交ダンス・ブームを論じるさいにこう前置きしている《社交ダンスにまつわる記憶には、二十世紀前半のモダニズム時代や、一九五〇年代、文革時代といった複数の〈時間〉が刻まれており、また様々な〈外部〉が書き込まれていた。それ故、たとえ社会現象面では消え去ってしまったとしても、いったん書き込まれたものの痕跡は残り、ふとした拍子に集団的な記憶のなかによみがえってくることとなる》・・・ジャ・ジャンクーが『In the Pubric』で社交ダンスを描いたのは何故なのかよくわかる論であり、またジャ・ジャンクーやワン・ビンらの映画作家たちが集団的記憶に拘る(現代日本のサブカルチャー作家たちが個人的記憶に執着する傾向が強いのとは対照的だ)のは何故なのかを考えるヒントのもなる本なので、90年代から00年代にかけての中国インディー映画に関心のある方も読んで損はない。
2012年12月2日に日本でレビュー済み
中国は世界有数の経済大国へと成長し、建国以来維持してきた社会主義体制も、またそれに服属してきた中国民衆も、眼前にぶら下がる資本主義経済の果実と押し寄せるグローバル化の波によって否応なく変容をみせている。そうした内外の政治経済的変動のなかにあって、13億を超える中国民衆の至極の娯楽として定着してきたのが映画にほかならない。無論、遅れてきた「近代国家」中国の国産映画の成長と停滞は流入してくるハリウッド大作との競争や国際映画市場への参入していく葛藤と不可分に展開されてきた。
著者はそのように揺れ動いてきた中国映画の「黄金期」を文化大革命が終息して改革開放路線を歩み出した1980年代にあったととらえる。毛沢東や'ケ小平といった最高指導者の下で「政治映画」はどのように変化してきたのか。中国社会における「性」への眼差しは「女性映画」や「成人映画」というジャンルの登場のなかでどのように提示されたのか。中国の映画製作システムは社会主義体制においてどのように発達し、また矛盾を抱えてきたのか。さらに、大衆の映画を通じた「西洋」との向き合い方、映画を扱う雑誌媒体の成長、中国人女優の国際映画スターへの道に現れた光と影・・・。これらの従来論じられてこなかったテーマが広範な資料に基づく実証研究と社会学的理論に基づく映像分析によって解明されていく。物心ついた時からの「熱狂的」映画マニアであった著者は、中国大衆社会における映画文化をめぐる欲望や屈折や権力関係を自らの体験談を交えつつ民衆の視点で描き出してみせ、中国社会が映画に「熱狂」していた1980年代へと読者をタイムスリップさせてくれる。
著者はそのように揺れ動いてきた中国映画の「黄金期」を文化大革命が終息して改革開放路線を歩み出した1980年代にあったととらえる。毛沢東や'ケ小平といった最高指導者の下で「政治映画」はどのように変化してきたのか。中国社会における「性」への眼差しは「女性映画」や「成人映画」というジャンルの登場のなかでどのように提示されたのか。中国の映画製作システムは社会主義体制においてどのように発達し、また矛盾を抱えてきたのか。さらに、大衆の映画を通じた「西洋」との向き合い方、映画を扱う雑誌媒体の成長、中国人女優の国際映画スターへの道に現れた光と影・・・。これらの従来論じられてこなかったテーマが広範な資料に基づく実証研究と社会学的理論に基づく映像分析によって解明されていく。物心ついた時からの「熱狂的」映画マニアであった著者は、中国大衆社会における映画文化をめぐる欲望や屈折や権力関係を自らの体験談を交えつつ民衆の視点で描き出してみせ、中国社会が映画に「熱狂」していた1980年代へと読者をタイムスリップさせてくれる。