古代史を考察するにはこの一冊は手元においておきたい。
とにかく多くの示唆をもらえる。
栗本氏の慧眼の数々を、なぜ他の歴史学者が持ち合わせていないのか不思議になる。

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
栗本慎一郎の全世界史 ~経済人類学が導いた生命論としての歴史~ 単行本(ソフトカバー) – 2013/4/13
栗本 慎一郎
(著)
「パンツをはいたサル」以来、幅広く活躍してきた栗本慎一郎氏がライフワークにしてきた世界史の再構築。栗本氏は本書を事実上の遺作として、本気で世に問う最後の作品として位置づけ、出版する。西欧と中国の偏った史観に依拠してきた従来の日本の歴史学を一掃させることで浮かび上がってくる真実の歴史像を、全ユーラシアの生きた歴史、新しい歴史の教科書として世に問う一冊になる。前著「ゆがめられた地球文明の歴史」で展開した歴史論をさらに拡大発展させ、読者の要望の多かった日本史についても幅広く著述している。栗本氏が「意味と生命」以来展開させてきた、独自の生命論についても披瀝。文字通り、集大成となる一冊。
■第1章 世界の中の日本史
■第2章 文化と文明、王国と帝国、民族と人種
■第3章 人類文化の起源地・ユーラシア
■第4章 世界帝国アスカ
■第5章 異端と正統の誕生……西ヨーロッパ社会の基礎
■第6章 ヨーロッパの本格的成立
■第7章 ヨーロッパと日本だけの共通項
■第8章 ヨーロッパを動かしたアジア
■第9章 アジアの中の日本と中国
■第1章 世界の中の日本史
■第2章 文化と文明、王国と帝国、民族と人種
■第3章 人類文化の起源地・ユーラシア
■第4章 世界帝国アスカ
■第5章 異端と正統の誕生……西ヨーロッパ社会の基礎
■第6章 ヨーロッパの本格的成立
■第7章 ヨーロッパと日本だけの共通項
■第8章 ヨーロッパを動かしたアジア
■第9章 アジアの中の日本と中国
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社技術評論社
- 発売日2013/4/13
- ISBN-104774156396
- ISBN-13978-4774156392
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
出版社からのコメント
日本史も、世界史も、すべてが一つの「歴史」。ゲルマン人、中国人が恐れ、隠してきた「ユーラシア」にこそ躍動する歴史の源泉があった。「要するに本書は少なくとも半世紀以上の、経済人類学による真実に対する愛と追求の末の結論を、一度、筋の通った形で後進に伝えておこうというものなのである」(あとがきより)
著者について
1941年、東京生まれ。慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。天理大学専任講師、奈良県立短期大学助教授、米ノースウエスタン大学客員教授、明治大学法学部教授を経て衆議院議員を二期務める。1999年、脳梗塞に倒れるも復帰し、東京農業大学教授を経て、現在有明教育芸術短期大学学長。神道国際学会会長。著書に『経済人類学』(東洋経済新報社、講談社学術文庫)、『幻想としての経済』(青土社)、『パンツをはいたサル』(光文社)、歴史に関する近著として『パンツを脱いだサル』(現代書館)、『シリウスの都 飛鳥』(たちばな出版)、『シルクロードの経済人類学』(東京農業大学出版会)、『ゆがめられた地球文明の歴史』(技術評論社)など。
登録情報
- 出版社 : 技術評論社 (2013/4/13)
- 発売日 : 2013/4/13
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 256ページ
- ISBN-10 : 4774156396
- ISBN-13 : 978-4774156392
- Amazon 売れ筋ランキング: - 634,287位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 6,253位世界史 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年10月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2013年8月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
栗本慎一郎の本は、疑似科学者の特徴としてマーチン・ガードナーが挙げている、
1.自分を天才だと考えている。
2.仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
3.自分は不当にも迫害され差別されていると考え、そのような自分をガリレオ・ガリレイやジョルダーノ・ブルーノといった、異端であるとして不当に迫害された偉人になぞらえる。
4.最も偉大な科学者や確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
5.複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。
に、かなりの程度当てはまる傾向がありますし、著書はパンサル3部作を含めてかなり読んでいますが、疑似科学や陰謀論すれすれ(ほぼそのもの?)に入り込んだ部分も多く、栗本慎一郎の胡散臭さにつながっています。
しかし、それをさておいても、残念ながら本書は面白い。面白い上に、これまでの著作の歴史分野に関する本当の集大成です。
日本に縄文時代に張り巡らされていたという、夏至線・冬至線のネットワークの話。
梁書東夷伝に出てくる扶桑国の話。
パルティア(アルケサス)からやって来たという、聖方位とミトラ崇拝が日本に多大な痕跡を残しているという話。
曽我氏は日本に最後にやって来た渡来人として、北満州から高句麗経由で北日本に入り、北ユーラシアの文化を日本にもたらした、という話。
四大文明とされる中国、エジプト、インド、メソポタミアのうち、最初の3つは単発文明にすぎず、その後の人類を近代まで導くきっかけとはなっていないという話。
シュメール人はおそらくカザフスタン西部から現れたのだろうという話。そして彼らが「成長という病」としての文明を人類にもたらし、ミトラ崇拝を編み出し、ひょっとすると仏教も編み出し、キリスト教の下地をつくり、現在に至るまで人類に多大な痕跡を残しているという話。
まだまだありまして、これで本書の最初の1/5ほどのトピックですが、すでに怪しさ満載。でもこれまでの著書で言及されてきた問題群が、一つの方向性の上にしっかり提示される面白さは、やみつきものです。
新情報もキメク汗国だのミヌシンスク文明だの、きちんと提示されている上、これによってこれまでの著書ではぼやけていた部分がさらに明確になっています。
最終的にはヨーロッパと日本の文明が社会内部に二重性を抱え込んだゆえに自己発展し得た点、中央ユーラシアの遊牧民たちが引き起こした移動や文化の流れに
よってヨーロッパや日本のすがたが形作られた点に触れ、東アジアの中国と日本のすがたに触れ、今後日本がどうすべきかというような話で終わります。
まだキチンと理解できてはおりませんが、このトンデモすれすれのおはなしは、奇妙に整合性があり、かつ興味をかきたてるものばかりです。
栗本慎一郎もすでに71歳となり、この本は歴史に関する最後の著書になるだろうとのこと。彼の研究を引き継ぐ者はおそらく現れないでしょうが、彼の示した問題群が面白いのは間違いありません。上記にあげた問題群のひとつでも面白いと思ってしまったら読むべき本だと思いますし、できればパンサル3部作や都市論、生命論、そして彼の歴史関係の著書を読んでみると面白いでしょう。
1.自分を天才だと考えている。
2.仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
3.自分は不当にも迫害され差別されていると考え、そのような自分をガリレオ・ガリレイやジョルダーノ・ブルーノといった、異端であるとして不当に迫害された偉人になぞらえる。
4.最も偉大な科学者や確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
5.複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。
に、かなりの程度当てはまる傾向がありますし、著書はパンサル3部作を含めてかなり読んでいますが、疑似科学や陰謀論すれすれ(ほぼそのもの?)に入り込んだ部分も多く、栗本慎一郎の胡散臭さにつながっています。
しかし、それをさておいても、残念ながら本書は面白い。面白い上に、これまでの著作の歴史分野に関する本当の集大成です。
日本に縄文時代に張り巡らされていたという、夏至線・冬至線のネットワークの話。
梁書東夷伝に出てくる扶桑国の話。
パルティア(アルケサス)からやって来たという、聖方位とミトラ崇拝が日本に多大な痕跡を残しているという話。
曽我氏は日本に最後にやって来た渡来人として、北満州から高句麗経由で北日本に入り、北ユーラシアの文化を日本にもたらした、という話。
四大文明とされる中国、エジプト、インド、メソポタミアのうち、最初の3つは単発文明にすぎず、その後の人類を近代まで導くきっかけとはなっていないという話。
シュメール人はおそらくカザフスタン西部から現れたのだろうという話。そして彼らが「成長という病」としての文明を人類にもたらし、ミトラ崇拝を編み出し、ひょっとすると仏教も編み出し、キリスト教の下地をつくり、現在に至るまで人類に多大な痕跡を残しているという話。
まだまだありまして、これで本書の最初の1/5ほどのトピックですが、すでに怪しさ満載。でもこれまでの著書で言及されてきた問題群が、一つの方向性の上にしっかり提示される面白さは、やみつきものです。
新情報もキメク汗国だのミヌシンスク文明だの、きちんと提示されている上、これによってこれまでの著書ではぼやけていた部分がさらに明確になっています。
最終的にはヨーロッパと日本の文明が社会内部に二重性を抱え込んだゆえに自己発展し得た点、中央ユーラシアの遊牧民たちが引き起こした移動や文化の流れに
よってヨーロッパや日本のすがたが形作られた点に触れ、東アジアの中国と日本のすがたに触れ、今後日本がどうすべきかというような話で終わります。
まだキチンと理解できてはおりませんが、このトンデモすれすれのおはなしは、奇妙に整合性があり、かつ興味をかきたてるものばかりです。
栗本慎一郎もすでに71歳となり、この本は歴史に関する最後の著書になるだろうとのこと。彼の研究を引き継ぐ者はおそらく現れないでしょうが、彼の示した問題群が面白いのは間違いありません。上記にあげた問題群のひとつでも面白いと思ってしまったら読むべき本だと思いますし、できればパンサル3部作や都市論、生命論、そして彼の歴史関係の著書を読んでみると面白いでしょう。
2014年11月26日に日本でレビュー済み
奈良の春日大社は、藤原氏の氏神だということになっている。そして『天岩戸』の話の時に出てくるアメノコヤネノミコトの子孫ということになっている。
そして、春日大社は、鹿島神宮から武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。
ところが、藤原氏に滅ぼされた蘇我氏も 春日大社と比め神社を信仰しており、両社を勧請して蘇我比め神社(そがひめじんじゃ:「め」の字は『口へんに羊』)を創建したという。三韓征伐をした神功皇后に使えた武内宿禰(たけのうちのすくね)の末裔ということになっている。
私は、この辺のところが良く分からなかったのだが、鹿島神宮の聖方位について分析している前作や本書を読んでなるほどと思った。
栗本氏の説では、古墳時代以前の日本列島には、いくつかの王国が存在していて、その中で後の日本国の原型となったのが、北海道〜東北を勢力圏とした「扶桑国」である。この扶桑国の拠点となった鹿島神宮は、蘇我氏とともに日本に入ってきた「聖方位」で建てられている。
蘇我入鹿(いるか)なんているから、鹿島神宮のある常陸の国から奈良に鹿を連れてきたとすれば、それは蘇我氏であろう。その歴史を藤原氏が簒奪したと考えれば筋が通る。
大化の改新に繋がるクーデターの乙巳の変(いっしのへん)で藤原氏に追い落とされた蘇我氏の勢力は、朝廷や藤原氏の影響の及んでいない、東北地方に広がった。
日本では、それまでの太陽信仰や山間の芋農業中心の世界にユーラシア貴族の蘇我氏が聖方位に象徴される価値観(これが文化だ)を持ち込んだ上、自らが造りだした天皇制の中心となって「蘇我的文化」対「非蘇我文化」の構造を固定化した。
蘇我氏の持ち込んだ聖方位の世界は、平地農耕民(水田耕作)の台頭によっていったん暴力的に排除されたが、消え去ることはなく、山間の芋農業文化や金属文化と融合して、水田耕作文化と対抗するような不思議な固定化をした。
これにより日本に二重構造が生まれた。これが、江戸時代の近世資本主義へのテイク・オフに繋がった。
世界初の先物市場←デリバティブは大坂の堂島の米相場である。シカゴの先物市場より100年も先立つ。
坂上田村麻呂が平定したアテルイ、モレの蝦夷(えぞ=蘇我蝦夷【えみし】と同じ字)は、アイヌとは無関係で、そういう反藤原氏の勢力で、その当時としても広義の日本人である。
それを、『反天皇制』を標榜する左翼学者が、アイヌと誤解するように歴史を書き換えた。
やれ富士山のフジも江戸のエトもアイヌ語が語源とか・・・。歴史が分からなくなるはずである。
それで、武士階級にとって、蝦夷(えぞ=えみし)を平定した坂上田村麻呂の『征夷大将軍』の位は特別なものになった。
後白河法皇は、『征夷大将軍』の位を最期まで抵抗し源頼朝に与えたくなかったから、その薨去後に頼朝は1192年にやっと喉から手が出るほど欲しかった征夷大将軍につくことができた。
だから、『イイクニ作ろう鎌倉幕府』は断固として正しい。徳川家康も征夷大将軍の位にこだわった。
唯物史観の左翼の学者の言う、守護地頭を設置して徴税権を持とうが、ただの巨大な夜盗だからである。成敗されるまでの平将門と何ら変わるところが無い。だから、『征夷大将軍』の位と違って、後白河法皇は、飴をしゃぶらせれば良いと、こちらの勅許は簡単に与えた。
一方、私は支那のことを支那と呼ぶが、孔子様は魯の国の出身で、魯の国の言葉をしゃべっていたはずである。その後の戦乱、混乱による飢餓、混血(民族浄化)等で孔子様の頃の漢民族は消滅した。
秦の始皇帝の焚書坑儒は、儒教の弾圧ではなく、漢文の乱れを直すことにより、儒教の漢文を地方への命令伝達文書のツールとして利用し、帝国を統一したものである。
だから、その後に作られた官吏選抜のための科挙の試験は四書五経なのである。
魯人ですら漢文の意味がチンプンカンブンで丸暗記したのはそのためで、中国4000年の歴史というのは、全くの嘘っぱちである。
菅原道真公は、遣唐使を廃止して、鮮卑系の唐の腐敗・悪影響を断ち切ったが、藤原時平の讒言により大宰府に流された。その怨霊が大いに害をなしたので、天神様に祭り上げられた。
平将門は、菅原道真公の御託宣によって、反乱を起こしたことになっている。
なお、『神田明神の氏子(うじこ)は成田山(なりたさん)にお詣りするな』と言われている。それは、朝廷が叛乱を起し『新皇』を名乗った平将門を討伐するため、僧・寛朝を神護寺護摩堂の空海作といわれる不動明王像と供に、現在の成田山【なりたさん:真言宗智山派大本山成田山新勝寺】へ派遣し、調伏したからである。
実は、イスラエルのユダヤ人の9割は、ディアスポラで、ちりぢりばらばらになった聖書に出てくるユダヤ人の末裔ではない。アーサー・ケストラーがそう書いている。
黒海とカスピ海との間に挟まれた地域のカザール帝国が、ユダヤ教に改宗した。アシュケナージ系のユダヤ人である。
ちなみに、世界的大指揮者の小澤征爾氏の友人にウラディーミル・アシュケナージという名の天才ピアニストで、NHK交響楽団の音楽監督も務めた指揮者がいるが、この人はゴーリキー(現ニジニ・ノヴゴロド)生まれで旧ソ連からの亡命者でユダヤ人である。カザール帝国の末裔であろう。
P122 『ケルト人がどういう共通性を持つ「民族」なのかはっきりしない。というより、3世紀以降のゲルマン人以外でフランク国王確立期くらいまでの非キリスト教徒はみなここに放り込んでいるといった定義しかない』という叙述には膝を打った。
栗本氏が現象として否定しているビートルズのリンゴ・スター以外はアイルランド系で、その本質は良質なケルトミュージックだと私は考えるのだが、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、コーンウォール、コーンウォールから移住したブルターニュも十把一絡げにケルトって乱暴すぎるのでは?と疑問に思っていたからだ。
交易の中心地であったザルツブルク出身で、フリーメーソン会員の天才モーツアルトが1791年に作曲したジングシュピール(歌芝居)の『魔笛』には、ザラストロ(ツァラトストラ=ゾロアスター)が出てくるが、この劇ではどういうわけか、エジプト神話のオシリスとイシスの神も出てくる。また、悪いムーア人(北西アフリカのイスラム教教徒)も出てくる。ルネサンスはイスラム文化圏に保存されていたギリシャローマ文献からのラテン語翻訳が無ければ存在しえない。
西洋音楽のオーケストラの中核を成す、ヴァイオリン群は、羊の腸(ガット)に馬(蒙古馬)の尾の毛(白毛)を平たく張った弓で弾く、思いっきり遊牧民の楽器である。
『文明という病』人類文化の出発点であるミヌシンスク文明、スキタイ(アスカ)人と蘇我氏、草の道、ミトラ教、ゾロアスター教の関係も論じられている。
以上、思いついたことを落穂ひろいのように脈絡なく書き連ねたが、読んでいて歴史知識の断片が、繋がっていき、パズルがパチパチと音を立てて嵌っていくような快感を覚えた。
快著であり怪著であり名著である。また、読者の知識が試され、更なる勉強を促す書でもある。
それにしても、腰の引けた保険をかけた他の方のレビューが笑える。だったら書かなきゃいいのに・・・。
そして、春日大社は、鹿島神宮から武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。
ところが、藤原氏に滅ぼされた蘇我氏も 春日大社と比め神社を信仰しており、両社を勧請して蘇我比め神社(そがひめじんじゃ:「め」の字は『口へんに羊』)を創建したという。三韓征伐をした神功皇后に使えた武内宿禰(たけのうちのすくね)の末裔ということになっている。
私は、この辺のところが良く分からなかったのだが、鹿島神宮の聖方位について分析している前作や本書を読んでなるほどと思った。
栗本氏の説では、古墳時代以前の日本列島には、いくつかの王国が存在していて、その中で後の日本国の原型となったのが、北海道〜東北を勢力圏とした「扶桑国」である。この扶桑国の拠点となった鹿島神宮は、蘇我氏とともに日本に入ってきた「聖方位」で建てられている。
蘇我入鹿(いるか)なんているから、鹿島神宮のある常陸の国から奈良に鹿を連れてきたとすれば、それは蘇我氏であろう。その歴史を藤原氏が簒奪したと考えれば筋が通る。
大化の改新に繋がるクーデターの乙巳の変(いっしのへん)で藤原氏に追い落とされた蘇我氏の勢力は、朝廷や藤原氏の影響の及んでいない、東北地方に広がった。
日本では、それまでの太陽信仰や山間の芋農業中心の世界にユーラシア貴族の蘇我氏が聖方位に象徴される価値観(これが文化だ)を持ち込んだ上、自らが造りだした天皇制の中心となって「蘇我的文化」対「非蘇我文化」の構造を固定化した。
蘇我氏の持ち込んだ聖方位の世界は、平地農耕民(水田耕作)の台頭によっていったん暴力的に排除されたが、消え去ることはなく、山間の芋農業文化や金属文化と融合して、水田耕作文化と対抗するような不思議な固定化をした。
これにより日本に二重構造が生まれた。これが、江戸時代の近世資本主義へのテイク・オフに繋がった。
世界初の先物市場←デリバティブは大坂の堂島の米相場である。シカゴの先物市場より100年も先立つ。
坂上田村麻呂が平定したアテルイ、モレの蝦夷(えぞ=蘇我蝦夷【えみし】と同じ字)は、アイヌとは無関係で、そういう反藤原氏の勢力で、その当時としても広義の日本人である。
それを、『反天皇制』を標榜する左翼学者が、アイヌと誤解するように歴史を書き換えた。
やれ富士山のフジも江戸のエトもアイヌ語が語源とか・・・。歴史が分からなくなるはずである。
それで、武士階級にとって、蝦夷(えぞ=えみし)を平定した坂上田村麻呂の『征夷大将軍』の位は特別なものになった。
後白河法皇は、『征夷大将軍』の位を最期まで抵抗し源頼朝に与えたくなかったから、その薨去後に頼朝は1192年にやっと喉から手が出るほど欲しかった征夷大将軍につくことができた。
だから、『イイクニ作ろう鎌倉幕府』は断固として正しい。徳川家康も征夷大将軍の位にこだわった。
唯物史観の左翼の学者の言う、守護地頭を設置して徴税権を持とうが、ただの巨大な夜盗だからである。成敗されるまでの平将門と何ら変わるところが無い。だから、『征夷大将軍』の位と違って、後白河法皇は、飴をしゃぶらせれば良いと、こちらの勅許は簡単に与えた。
一方、私は支那のことを支那と呼ぶが、孔子様は魯の国の出身で、魯の国の言葉をしゃべっていたはずである。その後の戦乱、混乱による飢餓、混血(民族浄化)等で孔子様の頃の漢民族は消滅した。
秦の始皇帝の焚書坑儒は、儒教の弾圧ではなく、漢文の乱れを直すことにより、儒教の漢文を地方への命令伝達文書のツールとして利用し、帝国を統一したものである。
だから、その後に作られた官吏選抜のための科挙の試験は四書五経なのである。
魯人ですら漢文の意味がチンプンカンブンで丸暗記したのはそのためで、中国4000年の歴史というのは、全くの嘘っぱちである。
菅原道真公は、遣唐使を廃止して、鮮卑系の唐の腐敗・悪影響を断ち切ったが、藤原時平の讒言により大宰府に流された。その怨霊が大いに害をなしたので、天神様に祭り上げられた。
平将門は、菅原道真公の御託宣によって、反乱を起こしたことになっている。
なお、『神田明神の氏子(うじこ)は成田山(なりたさん)にお詣りするな』と言われている。それは、朝廷が叛乱を起し『新皇』を名乗った平将門を討伐するため、僧・寛朝を神護寺護摩堂の空海作といわれる不動明王像と供に、現在の成田山【なりたさん:真言宗智山派大本山成田山新勝寺】へ派遣し、調伏したからである。
実は、イスラエルのユダヤ人の9割は、ディアスポラで、ちりぢりばらばらになった聖書に出てくるユダヤ人の末裔ではない。アーサー・ケストラーがそう書いている。
黒海とカスピ海との間に挟まれた地域のカザール帝国が、ユダヤ教に改宗した。アシュケナージ系のユダヤ人である。
ちなみに、世界的大指揮者の小澤征爾氏の友人にウラディーミル・アシュケナージという名の天才ピアニストで、NHK交響楽団の音楽監督も務めた指揮者がいるが、この人はゴーリキー(現ニジニ・ノヴゴロド)生まれで旧ソ連からの亡命者でユダヤ人である。カザール帝国の末裔であろう。
P122 『ケルト人がどういう共通性を持つ「民族」なのかはっきりしない。というより、3世紀以降のゲルマン人以外でフランク国王確立期くらいまでの非キリスト教徒はみなここに放り込んでいるといった定義しかない』という叙述には膝を打った。
栗本氏が現象として否定しているビートルズのリンゴ・スター以外はアイルランド系で、その本質は良質なケルトミュージックだと私は考えるのだが、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、コーンウォール、コーンウォールから移住したブルターニュも十把一絡げにケルトって乱暴すぎるのでは?と疑問に思っていたからだ。
交易の中心地であったザルツブルク出身で、フリーメーソン会員の天才モーツアルトが1791年に作曲したジングシュピール(歌芝居)の『魔笛』には、ザラストロ(ツァラトストラ=ゾロアスター)が出てくるが、この劇ではどういうわけか、エジプト神話のオシリスとイシスの神も出てくる。また、悪いムーア人(北西アフリカのイスラム教教徒)も出てくる。ルネサンスはイスラム文化圏に保存されていたギリシャローマ文献からのラテン語翻訳が無ければ存在しえない。
西洋音楽のオーケストラの中核を成す、ヴァイオリン群は、羊の腸(ガット)に馬(蒙古馬)の尾の毛(白毛)を平たく張った弓で弾く、思いっきり遊牧民の楽器である。
『文明という病』人類文化の出発点であるミヌシンスク文明、スキタイ(アスカ)人と蘇我氏、草の道、ミトラ教、ゾロアスター教の関係も論じられている。
以上、思いついたことを落穂ひろいのように脈絡なく書き連ねたが、読んでいて歴史知識の断片が、繋がっていき、パズルがパチパチと音を立てて嵌っていくような快感を覚えた。
快著であり怪著であり名著である。また、読者の知識が試され、更なる勉強を促す書でもある。
それにしても、腰の引けた保険をかけた他の方のレビューが笑える。だったら書かなきゃいいのに・・・。
2013年4月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は「栗本慎一郎最終講義-歴史学は生命論である」と合わせて読むべきだと思う。もっと言えば「意味と生命」「パンツを脱いだサル」「幻想としての経済」「経済人類学」などなどの栗本著作を一通り読んだ方がいいと思う。
他の場所ではなくダナキル島、北満州南シベリアで、特異な種の進化のようなものが起きたのはどうしてだろうというそのしくみまでは一読した限りではよくわからないが、
西欧と日本において起きた一定領域における恒常的な「根拠薄き正統と根拠強き異端との対立」・文化の二重性、が、北満州南シベリア〜シュメールを起点として既に生じていた「病」を増強し今日に至った、という点は一刻も早く常識になってほしいと思う。
今この時もますます大部分の人類が「根拠薄き正統」の妄想から出られないまま日々奮励努力し、「異端」を破壊しつくしひいては人類丸ごとを自滅させるタイプの活動を続けている。
そのことに気付きながら「根拠強き異端」に堂々と肩入れできず流されている者は、根拠薄き成功に満足しようとする自らの無明を恥じるべきだと思う。
「根拠」について予感すらできないほど感性がさび付いて完全犯罪的な詐欺にコロッとやられているような大部分の者にはなんのことやらピンともこない話だろうが。
「猫から見た人間の世界」(「最終講義」p69)が楽しみです。
他の場所ではなくダナキル島、北満州南シベリアで、特異な種の進化のようなものが起きたのはどうしてだろうというそのしくみまでは一読した限りではよくわからないが、
西欧と日本において起きた一定領域における恒常的な「根拠薄き正統と根拠強き異端との対立」・文化の二重性、が、北満州南シベリア〜シュメールを起点として既に生じていた「病」を増強し今日に至った、という点は一刻も早く常識になってほしいと思う。
今この時もますます大部分の人類が「根拠薄き正統」の妄想から出られないまま日々奮励努力し、「異端」を破壊しつくしひいては人類丸ごとを自滅させるタイプの活動を続けている。
そのことに気付きながら「根拠強き異端」に堂々と肩入れできず流されている者は、根拠薄き成功に満足しようとする自らの無明を恥じるべきだと思う。
「根拠」について予感すらできないほど感性がさび付いて完全犯罪的な詐欺にコロッとやられているような大部分の者にはなんのことやらピンともこない話だろうが。
「猫から見た人間の世界」(「最終講義」p69)が楽しみです。
2020年3月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日ユ同祖論とかギョベクリ・テペが人類のルーツだとか言っている「都市伝説」好きの人は読んだほうがいい。
ヨーロッパと中国主体の現代世界史に出てこない謎を何十年も研究した人の本なので厚みが違う。
ただ難しすぎてキツイかもしれない。過去の作品も合わせて読んだほうがいいかも。
ヨーロッパと中国主体の現代世界史に出てこない謎を何十年も研究した人の本なので厚みが違う。
ただ難しすぎてキツイかもしれない。過去の作品も合わせて読んだほうがいいかも。
2019年2月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「パンツをはいた猿」の頃は面白く読んだのだが、その後少しずつ彼方の世界へ・・・・・・
遂に向こうのの方へ行ってしまった。 合掌。
遂に向こうのの方へ行ってしまった。 合掌。