栗本さん自身が、意図的にひっかかりを覚える様に書いていると、いう意味が最近徐々に分かり始めた。
この本の場合、膨大な参考図書や資料があるはずなのだけれど、最近はインターネットによる検索も容易になってきたから深めることは難しくないように思える。
ところがそうではない!例えば、栗本さんは、「カザール」という読み方に拘る。確かに、アラビア語、ペルシア語資料でも خزر Khazar 、中国語でも突厥「可薩」部となっているから、読みとしては正しい。でもその拘りは何から来るのか?日本人のほとんどがイギリスと呼んでるが、これは日本人がそう呼ぶ共通認識があるからだ。ならば栗本さんも妥協して「ハザール」と呼べばいい。ところがそうしない。栗本さんは知っているのでしょう。Web検索にひっかかりにくくしている為で、逆に言えば、意図的に世間一般が「ハザール」にしてるのは、社会という生命体による「操作」かもしれないのだ。
あとパルティアにしても、最近でこそ、Wikipediaでこの項目も充実してきたが、数年前などは参考図書すら正規にはニールソン・C. デベボイス「
パルティアの歴史
」くらいしか無かったが、有志によってか充実してきている。さらに最近になってローズ・マリー・シェルドン「
ローマとパルティア: 二大帝国の激突三百年史
」とか色々な著書が参考にされる様になってきた。けれども、さすがに栗本さんのパルティア=アスカという説までは至っていない。「歴史は勝者と文字による記録が誇示された結果」なのが、栗本さんは嫌という程知っているので、シルクロードが捏造され、司馬遷の「史記」による改竄、遊牧民族による無文字社会を意図的に無視された構造を批判しているが、果たして栗本さんの本音はどこにあるのか?
恐らく、栗本さんは「社会という生命体」という確証が得られたのはこの著書の境辺りのはずで、今までなぜ社会を読み解くことが、これほどブレが無いのか不思議な人だという思いがずっとあった。
例えば、「
大転換の予兆―21世紀を読む
」という著書があるがこの本は1992年の発行のKindle版ではあるが(私はハードカバーで読んだ)、ここに書かれていることの大半が時間的にズレはあるがほとんど当たっている!これは栗本さんの社会をシステム的にいや、生命論的に観察するからこそ出来るのかと思うわけで、経済人類学者だからでは恐らく無いと思う。「
幻想としての文明
」ではぼんやりしていたことも、ようやく明確化した頃には、時代が追い付いてしまっている、栗本さんは報われないなと思う。脳梗塞にもかかったし。
私が個人的に栗本さんに一つだけ忠告したいのは(「わかってるぜ、そんなこと!」とか怒られそうですが(笑))、彼の「神」についての考え方のこと。これは絶対に逆らわない方がいい。これは医学的かつ生理学的、もっと言えば生命論的に反逆はしない方がいい。そう思うのです。人間は「神」を脳内に埋め込まれた存在だからだ。V・S・ラマチャンドラン「
脳のなかの天使
」によると、「神」を降臨させる部位が脳内に存在することを示唆している。ということは、この部位に反逆すると生命的に危険に晒されることもあるということではないか?精神的にはナイーブな感性の栗本さんなら尚更そうなると思うのだ。
プラス思考ばかりがいいとは全く思わないが、突き詰めてマイナス思考をしたり、神のシステムに反逆することは、脳のシステムをオーバーヒートさせかねないかもしれない(脳梗塞の遠因?)。それだけではない。それは近親者にも及ぶのでは?と私は疑っているけれど。そこまでの断言はさすがに控えます。

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ゆがめられた地球文明の歴史 ~「パンツをはいたサル」に起きた世界史の真実~ (tanQブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2012/4/14
栗本 慎一郎
(著)
私たちはこの世界でいかにして生きてきたのか? 1981年に上梓した『パンツをはいたサル』以来、人間社会の根底にある過剰と蕩尽の構造を解き明かし、警鐘を鳴らしてきた栗本慎一郎が自らのライフワークの集大成として世に問う“パンサル版”世界史の真実。“世界四大文明”に象徴される歴史教科書の「通説」のなか、ゲルマン民族と漢民族中心の歴史観を打破し、埋もれてきたユーラシア大陸全体を俯瞰し、この地上で起きた本当のこと・文明という病の起源とその展開について壮大な規模で書き下ろす。栗本経済人類学の精髄が凝縮された衝撃の一冊。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社技術評論社
- 発売日2012/4/14
- 寸法1.5 x 12.8 x 18.8 cm
- ISBN-104774150614
- ISBN-13978-4774150611
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商品の説明
著者について
栗本慎一郎(くりもと・しんいちろう)
1941年、東京生まれ。慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。奈良県立短期大学、ノースウエスタン大学客員教授、明治大学法学部教授を経て衆議院議員を二期務める。1999年、脳梗塞に倒れるも復帰し、東京農業大学教授を経て、現在有明教育芸術短期大学学長。著書に『経済人類学』(東洋経済新報社)、『幻想としての経済』(青土社)、『パンツをはいたサル』(光文社)、歴史に関する近著として『パンツを脱いだサル』(現代書館)、『シリウスの都飛鳥』(たちばな出版)『シルクロードの経済人類学』(東京農業大学出版会)など。
1941年、東京生まれ。慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。奈良県立短期大学、ノースウエスタン大学客員教授、明治大学法学部教授を経て衆議院議員を二期務める。1999年、脳梗塞に倒れるも復帰し、東京農業大学教授を経て、現在有明教育芸術短期大学学長。著書に『経済人類学』(東洋経済新報社)、『幻想としての経済』(青土社)、『パンツをはいたサル』(光文社)、歴史に関する近著として『パンツを脱いだサル』(現代書館)、『シリウスの都飛鳥』(たちばな出版)『シルクロードの経済人類学』(東京農業大学出版会)など。
登録情報
- 出版社 : 技術評論社 (2012/4/14)
- 発売日 : 2012/4/14
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 256ページ
- ISBN-10 : 4774150614
- ISBN-13 : 978-4774150611
- 寸法 : 1.5 x 12.8 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 819,862位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
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2012年7月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本に惹かれた元はといえば、”嘘だらけのヨーロッパ製世界史”(岸田秀)で
歴史の視点を変えてみる面白さを知って、ではこれは....と似た雰囲気の題名とい
うだけで手に入れて見ただけなのですが....
視点を(天山南路でも北路でもない)”草原の道がある。そこは大昔から大街道だっ
た。”というところからはじめると、世界史の色々なことが違った形で見えてくる、
というのが本書のキモの一つでしょうか。
当否色々な意見はあると思います。私の”世界史”は高校の1年間だけのレベルなの
で説の当否はいえませんが。
詳しい地図を広げながら読まれることを薦めます。
出来れば、参考図書も付けて欲しかった。
本書の最初にも述べられていますが、学説はあっという間にひっくり返ります。地
質学の分野で、垂直造山論がマントル対流説に取って代わられ、それがさらにマン
トルプルーム説へと進化しつつある、これだけのことがここ数十年ほどの間に起り
ました。当事者の学者の取っては死活問題でしょうが、外から見ている分には面白
いものです。
多分、世界史にも日本史にも同じようなことが言えるのだろうと思います。
歴史の視点を変えてみる面白さを知って、ではこれは....と似た雰囲気の題名とい
うだけで手に入れて見ただけなのですが....
視点を(天山南路でも北路でもない)”草原の道がある。そこは大昔から大街道だっ
た。”というところからはじめると、世界史の色々なことが違った形で見えてくる、
というのが本書のキモの一つでしょうか。
当否色々な意見はあると思います。私の”世界史”は高校の1年間だけのレベルなの
で説の当否はいえませんが。
詳しい地図を広げながら読まれることを薦めます。
出来れば、参考図書も付けて欲しかった。
本書の最初にも述べられていますが、学説はあっという間にひっくり返ります。地
質学の分野で、垂直造山論がマントル対流説に取って代わられ、それがさらにマン
トルプルーム説へと進化しつつある、これだけのことがここ数十年ほどの間に起り
ました。当事者の学者の取っては死活問題でしょうが、外から見ている分には面白
いものです。
多分、世界史にも日本史にも同じようなことが言えるのだろうと思います。
2016年10月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ふと本棚の整理をしていたらパンサルが出てきたのがきっかけで、久々に栗本慎一郎氏の本を買ってみました。
病気をされても研究の方は休まずされていたのですね。
一度読んでも頭に入って来ない部分が多々あるので読み返しますが、「シルクロードは存在しなかった」という主張だけでも充分に面白かったです。
他にも新しめの本二冊を読んでみたいですね。
病気をされても研究の方は休まずされていたのですね。
一度読んでも頭に入って来ない部分が多々あるので読み返しますが、「シルクロードは存在しなかった」という主張だけでも充分に面白かったです。
他にも新しめの本二冊を読んでみたいですね。
2014年2月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ユーラシア大陸で起きた遊牧騎馬民族同士の争いの変遷が、如何に蘇我氏に象徴される日本の古代史に影響を及ぼしたか? あるいは、ゲルマン民族の大移動への影響を及ぼしたか? という疑問が 自然と氷解されてくる秀作。
2012年11月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
東洋と西洋の歴史を根底から捉え直すヒントに溢れ、一気に読み終えた。 病に倒れた後も学問の道を棄てず、探求を続ける栗本慎一郎氏が紐解く歴史の真実を読みとる羅針盤となる一冊。 光と闇の二重性を恒常的に持つことで近世経済の発展を遂げた西ヨーロッパ(平地と闇)に対して、平地と山の対立の中で文化を育んでいった日本の類似性、そして特殊性にもスポットを当てていて興味深い。
2012年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現在世界で、あるいは日本で主流の「世界史」は、ゲルマン民族と漢民族中心の記述によって、強引に記述された物語である。実際にはもっと多様な文明と民族のダイナミズムがあり、興亡があった。また、現在主流になったフランク族の由来のように、はっきりしないものがたくさんあり、世界史はその端緒さえ記述に成功していない。人類の初発からいくつかのステージを踏んで人類は現在に至っているが、「巨大建築の誇示」「歴史記述の誇示」たる病がある段階から文明の名のもとに持ち込まれた。拡張と排外の繰り返しの病の継続は、宗教をもその道具として取り入れる。
ダイナミックな歴史記述であるが、見えないところを探り出そうという情熱以外には特に正邪善悪についての価値判断はない。科学技術の誕生についての基盤がはっきりしない(普通ここが西欧近代の決定的優位性と見られるから)。ここに書いてある議論だと拡大の方向性に見合ったものだとしかならないように見える。
ダイナミックな歴史記述であるが、見えないところを探り出そうという情熱以外には特に正邪善悪についての価値判断はない。科学技術の誕生についての基盤がはっきりしない(普通ここが西欧近代の決定的優位性と見られるから)。ここに書いてある議論だと拡大の方向性に見合ったものだとしかならないように見える。
2013年9月24日に日本でレビュー済み
高校世界史の学習指導要領には「西洋史と中国史にイスラム史少々、ただし細部に入り込みすぎないこと」と書かれている。
世界史を習って思うことと言えば、岡田英弘が言うように「ヘロドトス型の西洋史と司馬遷型の中国史が脈絡なく一緒になっただけの、雑駁な印象を与える理解しがたいもの」というイメージが浮かぶ。
現状、歴史と言えるものの中で影響力が強かったのが西洋史と中国史であったのでやむを得ない部分があるが、本来はヨーロッパや中国に影響を与え続けた中央ユーラシアの民族に主体を置いた記載をして行かねばならない、そうでない限り筋道の通った整合性のある、真の意味での世界史は書けない、というのが岡田英弘の主張である。彼の「世界史の誕生」はその最初の試みであった。
栗本慎一郎の本書は、ある意味でそれを強力に推し進めたものと言える。
ミヌシンスク文明・シュメール・パルティア・キメク汗国・カザール帝国など、中央ユーラシアの聞いたこともないような民族や国が草原の道を通じてヨーロッパや中国に影響を与えた様子がこれでもかと描写される。
一般的な世界史ではほとんど見たことがないような話が多いが、見えなかったものが見えてくる刺激が何とも言えない本である。
ただ、「栗本慎一郎の全世界史」と結果的に重なる話が多いし、文章もほぼ同じ部分が多い。誤植あるいは編集ミスも散見され、例えば150ページの「中イタリアの南部にあたるイタリアはさらに分裂し…」(正しくは中フランクの南部)のような注意不足のようなものも多いが、それらを除けば良い本であると思う。全世界史よりも論点を絞った分、理解しやすいようにも思う。
世界史を習って思うことと言えば、岡田英弘が言うように「ヘロドトス型の西洋史と司馬遷型の中国史が脈絡なく一緒になっただけの、雑駁な印象を与える理解しがたいもの」というイメージが浮かぶ。
現状、歴史と言えるものの中で影響力が強かったのが西洋史と中国史であったのでやむを得ない部分があるが、本来はヨーロッパや中国に影響を与え続けた中央ユーラシアの民族に主体を置いた記載をして行かねばならない、そうでない限り筋道の通った整合性のある、真の意味での世界史は書けない、というのが岡田英弘の主張である。彼の「世界史の誕生」はその最初の試みであった。
栗本慎一郎の本書は、ある意味でそれを強力に推し進めたものと言える。
ミヌシンスク文明・シュメール・パルティア・キメク汗国・カザール帝国など、中央ユーラシアの聞いたこともないような民族や国が草原の道を通じてヨーロッパや中国に影響を与えた様子がこれでもかと描写される。
一般的な世界史ではほとんど見たことがないような話が多いが、見えなかったものが見えてくる刺激が何とも言えない本である。
ただ、「栗本慎一郎の全世界史」と結果的に重なる話が多いし、文章もほぼ同じ部分が多い。誤植あるいは編集ミスも散見され、例えば150ページの「中イタリアの南部にあたるイタリアはさらに分裂し…」(正しくは中フランクの南部)のような注意不足のようなものも多いが、それらを除けば良い本であると思う。全世界史よりも論点を絞った分、理解しやすいようにも思う。
2014年4月14日に日本でレビュー済み
栗本慎一郎氏は、私にとって、「パンツをはいたサル」を読んで以来、学生時代の憧れの人でありました。この人に様に、ありとあらゆる分野にモノが申せる知識と教養を持ちたいと思っていました。今なら、立花隆のような感じかな。ご病気になられてから、とんとご無沙汰しておりましたが、久々に著作を読ませて頂きました。
たぶん、栗本氏の言いたいことは後半に凝縮されているのかなと思いますが、そこに至るまでの前半部分はけっこう大変。理科系の私も大学入試の際、社会は世界史を選択したのですが、その程度の知識では、ちょっとついていくのが難しいというか、ややこしい記述の連続でありました。でも、後半部分は、やはりそうだよなぁ、と学んでいた当時、ちょいと引っかかっていた点がほぐれたりして、なかなか興味深く読ませて頂きました。
「ゆがめられた」と言いますが、所詮歴史は勝者のものであって、それは古代史においても同じと言うことなのでしょう。欲を言えば、日本人にとってはなじみ深い仏教についてもっと触れて欲しかったと思います。
たぶん、栗本氏の言いたいことは後半に凝縮されているのかなと思いますが、そこに至るまでの前半部分はけっこう大変。理科系の私も大学入試の際、社会は世界史を選択したのですが、その程度の知識では、ちょっとついていくのが難しいというか、ややこしい記述の連続でありました。でも、後半部分は、やはりそうだよなぁ、と学んでいた当時、ちょいと引っかかっていた点がほぐれたりして、なかなか興味深く読ませて頂きました。
「ゆがめられた」と言いますが、所詮歴史は勝者のものであって、それは古代史においても同じと言うことなのでしょう。欲を言えば、日本人にとってはなじみ深い仏教についてもっと触れて欲しかったと思います。