「受験勉強は、社会では役に立たない。」という意見が世間の大半だ。確かに、直接的には会社に入って使わない知識も多いが、直接使う知識か否かでその有用性は判断できない。
目標に向かって努力すること、不得意科目の攻略、得意科目の更なる得点化など、努力・戦略など社会で必要な能力が養われる受験は有用である。

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受験勉強は役に立つ (朝日新書 38) 新書 – 2007/4/13
和田 秀樹
(著)
基礎学力をつけずに要領で合格するのは「邪道」ではない。受験の体験そのものには、社会で成功するノウハウはいっぱい詰まっている! 自己認知、情勢分析、年間計画と自己管理、効率よい記憶法、完璧主義から合格点主義へ……。東大医学部在学中から受験指導界のカリスマとして知られる著者が、豊富な経験と認知心理学を駆使し、受験の効用を徹底解説。悩める受験生も、今はパッとしない「かつての受験生」も、この一冊で人生が開ける!
- 本の長さ198ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞社
- 発売日2007/4/13
- ISBN-104022731389
- ISBN-13978-4022731388
登録情報
- 出版社 : 朝日新聞社 (2007/4/13)
- 発売日 : 2007/4/13
- 言語 : 日本語
- 新書 : 198ページ
- ISBN-10 : 4022731389
- ISBN-13 : 978-4022731388
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,251,412位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒。東京大学医学部付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学学校国際フェローを経て、現在は精神 科医。国際医療福祉大学教授。ヒデキ・ワダ・インスティテュート代表。一橋大学国際公共政策大学院特任教授。川崎幸病院精神科顧問(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『「できる!」と強く信じればあなたは9割成功している』(ISBN-10:4860813502)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年11月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2008年1月21日に日本でレビュー済み
学力や能力などの心理学的な部分も興味深かったですが、
それ以外の一般的な教育論部分が個人的には面白かったですね。
最近の学力低下の大きな要因が受験圧力の低下に起因する、また
大学入試の試験内容が受験生の勉強する方向性や姿勢を
牽引、誘導する、という事には納得させられました。
また、ノーベル賞学者を(専門外にもかかわらず)国の教育方針を
決める立場に就かせる弊害を書かれていますが、頷けました。そして
政府の教育関連の審議会が好き勝手できるのは、教育政策の結果に誰も
責任を取らないからだ、と結んでいますがこのあたりは、行政全般に
ついていえる事なのかもしれません。その他にも、
受験競争が過酷だった頃の未成年者の自殺者数についてや「ゆとり教育」
の導入と少年犯罪数との関係などにも軽く触れられています。
著者自身、「受験をおおむね肯定している」と書かれていますが、この本を読むと
私も自分の考える(教育への)方向が大体、妥当だったと再認識できました。
もう少し、受験のテクニックや合格マニュアル的な事を強調するだけの内容かと思って
いましたが、受験勉強や入試対策が社会に出ても決して無駄ではないことが理解できる
分かりやすい読み物でした。 個人的な感想ですが参考になれば幸いです。
それ以外の一般的な教育論部分が個人的には面白かったですね。
最近の学力低下の大きな要因が受験圧力の低下に起因する、また
大学入試の試験内容が受験生の勉強する方向性や姿勢を
牽引、誘導する、という事には納得させられました。
また、ノーベル賞学者を(専門外にもかかわらず)国の教育方針を
決める立場に就かせる弊害を書かれていますが、頷けました。そして
政府の教育関連の審議会が好き勝手できるのは、教育政策の結果に誰も
責任を取らないからだ、と結んでいますがこのあたりは、行政全般に
ついていえる事なのかもしれません。その他にも、
受験競争が過酷だった頃の未成年者の自殺者数についてや「ゆとり教育」
の導入と少年犯罪数との関係などにも軽く触れられています。
著者自身、「受験をおおむね肯定している」と書かれていますが、この本を読むと
私も自分の考える(教育への)方向が大体、妥当だったと再認識できました。
もう少し、受験のテクニックや合格マニュアル的な事を強調するだけの内容かと思って
いましたが、受験勉強や入試対策が社会に出ても決して無駄ではないことが理解できる
分かりやすい読み物でした。 個人的な感想ですが参考になれば幸いです。
2020年8月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
久しぶりに読んでいて腹が立ったので、書評しようと考えた次第である。タイトルの通り著者は受験勉強は役に立つと考え、それを様々な根拠や経験から導き出そうとする。まず、彼の議論で大切になってくるのは学校で行われている国語や数学、世界史などを受験科目として捉えた時、これをコンテンツ=内容、ノウハウ=方法論の2つに分けていることである。2者は混同して理解されるが、これを分けなければ彼の論は前進しない。なぜなら彼の言う「受験勉強は役に立つ」はあくまでもノウハウを得る点で有意味という意味だからである。コンテンツを切り捨て、それを暗記する方法や自己分析と他者分析の手段を学ぶ大きなイベントであることは確かである。志望校を決める際や自分の受験科目を決まるときに、自分をプロデュースする戦略を手に入れることができるということである。そして、その能力こそ役立つと主張するのだ。
さて、まずは印象面から非難したい。なんというか、文章が汚い。「そりゃあ」や「まぁ」など、新書にあるまじき口語体も散見される他、「自分が見るには」「自分の体験では」「和田式では」など、測定不可能な非客観的な表現も多々見られる。結局、著者が見る範囲の話に過ぎず、一般化し得るのか?は少し立ち止まって考えた方がいいとだろう。例えば、著者は「一流の研究者が一流の教育者であるとは限らない」という趣旨の文脈の中で教育に意見を出す研究者を非難しているが、一方で教育者であれば間違っても発言しないはずの言葉(「流石にそこまで基礎学力のない生徒は見られない」)も吐いている。果たして彼はどの立場でものを書いているのだろうか?
次に内容面であるが、大きな問題点が2つある。まずは、コンテンツ学力を切り捨てた点である。彼は自身が面倒をみる生徒の前で「君たちのやっていることは無意味だし、大人になってから使えないけど、ノウハウを得る上で有用だ」と言っているのだろうか?それで、やる気を出してノウハウを獲得しようと必死になって勉強をするのだろうか?少なくとも私は彼のもとで勉強したいとは思えないが、そもそもその科目の価値はその本質的な部分で考えられるべきである。コンテンツとノウハウは分けて考えられるほど単純ではない。まずはそのコンテンツの価値そのものを語れるようになってからもう一度書き直していただきたい。2つ目については著者が生徒を買いかぶり過ぎていることである。たとえば、受験が戦略的なものであるといっている。つまり、自己の苦手や試験の性質などから逆算し、勉強のやり方やそれぞれに割く勉強時間などを算出しているとのことである。しかし、受験科目は自己で選べるものなのだろうか?著者はしきりに自身の出身校である灘高を出しているが、一般の学校であれば文系を選んだら数2は受講できない場合や地理は開講していないケースもあるだろう。その場合、自身の学校に開講していない科目を選択するような現役生の「猛者」はそうはいないだろう。つまり、生徒の主体的な選択可能性は著者が想定する程度のものではないと私は感じている。その他の科目に割く勉強時間の算出や参考書を自分で探すことなどもそうである。自身の勉強の進捗や時間の算出を専門的に行う武田塾の台頭はその証左である。
私は著者が想定しているほど受験は有意義なイベントではないし、生徒の主体性もないものであると考えている。むしろ、著者のようなコンテンツの価値を無視するような人間がカリスマと崇め奉られることはコンテンツの価値を汚し、社会に勉強の価値について間違った価値観を植え付ける方法の1つであると考える。
彼は「はじめに」で自分が考える受験の価値を改めて考えてみたと書いているが、その通りだと思う。タイトルは今からでも「ぼくのえっせー」に変更していただきたいくらいである。岩波新書や中公新書が年単位で作成されているものと定義するならば、これは週単位で書かれたものであろう。アマゾンのシステム上、星1以下をつけられないのが残念であるが、この長文の非難する文章をもって、自身の憤りの発散としたい。
さて、まずは印象面から非難したい。なんというか、文章が汚い。「そりゃあ」や「まぁ」など、新書にあるまじき口語体も散見される他、「自分が見るには」「自分の体験では」「和田式では」など、測定不可能な非客観的な表現も多々見られる。結局、著者が見る範囲の話に過ぎず、一般化し得るのか?は少し立ち止まって考えた方がいいとだろう。例えば、著者は「一流の研究者が一流の教育者であるとは限らない」という趣旨の文脈の中で教育に意見を出す研究者を非難しているが、一方で教育者であれば間違っても発言しないはずの言葉(「流石にそこまで基礎学力のない生徒は見られない」)も吐いている。果たして彼はどの立場でものを書いているのだろうか?
次に内容面であるが、大きな問題点が2つある。まずは、コンテンツ学力を切り捨てた点である。彼は自身が面倒をみる生徒の前で「君たちのやっていることは無意味だし、大人になってから使えないけど、ノウハウを得る上で有用だ」と言っているのだろうか?それで、やる気を出してノウハウを獲得しようと必死になって勉強をするのだろうか?少なくとも私は彼のもとで勉強したいとは思えないが、そもそもその科目の価値はその本質的な部分で考えられるべきである。コンテンツとノウハウは分けて考えられるほど単純ではない。まずはそのコンテンツの価値そのものを語れるようになってからもう一度書き直していただきたい。2つ目については著者が生徒を買いかぶり過ぎていることである。たとえば、受験が戦略的なものであるといっている。つまり、自己の苦手や試験の性質などから逆算し、勉強のやり方やそれぞれに割く勉強時間などを算出しているとのことである。しかし、受験科目は自己で選べるものなのだろうか?著者はしきりに自身の出身校である灘高を出しているが、一般の学校であれば文系を選んだら数2は受講できない場合や地理は開講していないケースもあるだろう。その場合、自身の学校に開講していない科目を選択するような現役生の「猛者」はそうはいないだろう。つまり、生徒の主体的な選択可能性は著者が想定する程度のものではないと私は感じている。その他の科目に割く勉強時間の算出や参考書を自分で探すことなどもそうである。自身の勉強の進捗や時間の算出を専門的に行う武田塾の台頭はその証左である。
私は著者が想定しているほど受験は有意義なイベントではないし、生徒の主体性もないものであると考えている。むしろ、著者のようなコンテンツの価値を無視するような人間がカリスマと崇め奉られることはコンテンツの価値を汚し、社会に勉強の価値について間違った価値観を植え付ける方法の1つであると考える。
彼は「はじめに」で自分が考える受験の価値を改めて考えてみたと書いているが、その通りだと思う。タイトルは今からでも「ぼくのえっせー」に変更していただきたいくらいである。岩波新書や中公新書が年単位で作成されているものと定義するならば、これは週単位で書かれたものであろう。アマゾンのシステム上、星1以下をつけられないのが残念であるが、この長文の非難する文章をもって、自身の憤りの発散としたい。
2009年8月18日に日本でレビュー済み
受験勉強は受験以外には役に立たないといわれている。みんながそれを信じているからこそゆとり教育などというものもあったのだろう。しかし、受験勉強以外に真剣に勉強する人がどれだけいるだろうか。ゆとり教育だけでなく、受験競争がほとんどなくなって以来(受験勉強しない人が増えて)、学力低下が激しいことはよく知られている通りだ。
ほんとうは受験勉強ではなくて、もっと幅の広い、深い勉強をすべきなのだろう。しかし、受験勉強でもしたほうがいい。さらに、本来学問的には蛇道な感のある受験テクニックも、意外と役に立つという。効率が極限まで求められるのが受験だからだ。
勉強といっても、受験勉強しかしたことがないことに引け目を感じている人は、読むと自信が持てるかも。受験生のモチベーションを上げるほどのパワーはないかもしれないが…。
基本的に同じことを教え続ける小中高の教師よりも、最先端を教えなければならない大学教員こそ研修を受けて資質を向上させるべきであるとか、(日本の大学の教育内容は充実しているとは言い難い)、専門家ではない名の売れた「エライ」人の言うままに教育改革が行われている弊害も指摘されていて、意外と幅広い教育論になっている。
ほんとうは受験勉強ではなくて、もっと幅の広い、深い勉強をすべきなのだろう。しかし、受験勉強でもしたほうがいい。さらに、本来学問的には蛇道な感のある受験テクニックも、意外と役に立つという。効率が極限まで求められるのが受験だからだ。
勉強といっても、受験勉強しかしたことがないことに引け目を感じている人は、読むと自信が持てるかも。受験生のモチベーションを上げるほどのパワーはないかもしれないが…。
基本的に同じことを教え続ける小中高の教師よりも、最先端を教えなければならない大学教員こそ研修を受けて資質を向上させるべきであるとか、(日本の大学の教育内容は充実しているとは言い難い)、専門家ではない名の売れた「エライ」人の言うままに教育改革が行われている弊害も指摘されていて、意外と幅広い教育論になっている。
2008年8月1日に日本でレビュー済み
和田氏はまず受験でつく力をコンテンツ能力(教科の能力)とノウハウ能力(記憶力、自己管理能力、自己分析力、方法論)に分けて説明し、認知心理学や科学的な検証、統計で裏付けています。 また受験勉強が教育として(多少の問題は認めつつ)正当な方法であると主張し、学歴社会、ゆとり教育に意見してます。 私は大学受験を終えたばかりで、受験で何をどう身に付けたか整理したいと思い、この本を手に取ったのですが非常に満足できました。
2007年5月3日に日本でレビュー済み
和田氏の勧める数学の勉強がまっとうであることがよくわかった.和田氏は答を暗記せよと言うがそれだけではダメだと書いている.「理解しなければならないし,覚えた解答を使って考えなくてはできるようになるはずがない」「実際の試験では覚えた解法を加工しなければ解けないことがほとんどだ」「あるやり方でうまくいかなければ,ほかのやり方を試してみることを私は「試行力」と呼んでいる」
これは,ポリアの「いかにして問題を解くか」の最初にある問題の解き方と同じではないか.結局,数学の場合,答を丸暗記してもその解法を理解出来ていなかったり,応用する力がなければ応用問題を解けるようにはならないと書いている.ただ,受験の場合時間が限られているので一つの問題に何時間も何日も掛けないで先に答を見て効率化をしようと言うだけのことで,数学がよくできる子どもでも普通に実行していることである.
これは,ポリアの「いかにして問題を解くか」の最初にある問題の解き方と同じではないか.結局,数学の場合,答を丸暗記してもその解法を理解出来ていなかったり,応用する力がなければ応用問題を解けるようにはならないと書いている.ただ,受験の場合時間が限られているので一つの問題に何時間も何日も掛けないで先に答を見て効率化をしようと言うだけのことで,数学がよくできる子どもでも普通に実行していることである.