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ローマ法王の休日 [DVD]
仕様 | 価格 | 新品 | 中古品 |
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フォーマット | 色, ワイドスクリーン, 吹き替え, ドルビー, 字幕付き |
コントリビュータ | マルゲリータ・ブイ, ミシェル・ピッコリ, レナート・スカルパ, ナンニ・モレッティ, イエルジー・スチュエル |
言語 | ドイツ語, イタリア語 |
稼働時間 | 1 時間 45 分 |
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商品の説明
法王逃亡という衝撃の題材でカンヌ映画祭を沸かせ、日本でもロングランヒットを記録。
ユーモラスかつシニカルな作品で各国映画賞を受賞してきたナンニ・モレッティ監督が新境地に挑んだ待望の話題作。
☆第64回カンヌ国際映画祭正式出品作品。ナンニ・モレッティ監督が聖域に挑む意欲作!
イタリアのウディ・アレンとも呼ばれ、カンヌ国際映画祭パルムドール他、各国の映画賞を受賞。2012年カンヌ国際映画祭では審査委員長を務めたナンニ・モレッティ監督が、全世界11億人以上にのぼるカトリック教徒の最高指導者たる「法王」を主人公に据え、しかも就任演説を前に逃走するという大胆な題材をコメディタッチで描く!!
主演に『昼顔』『美しき諍い女』をはじめ100本以上の作品に出演しているフランス映画界の重鎮ミシェル・ピッコリを迎えて描くコミカルにして深遠なドラマ、美しい映像、そしてイタリアの華麗にして繊細な文化。法王を悩める一人の人間として描き、カンヌ映画祭を沸かせた最大の話題作。
【ストーリー】
ローマ法王死去―。この一大事を受けヴァチカンで開催される法王選挙(コンクラーヴェ)。聖ペドロ広場には、新法王誕生を祝福しようと民衆が集まり、世紀の瞬間を心待ちにしている。そんな中、投票会場のシスティーナ礼拝堂に集められた各国の枢機卿たちは、全員が必死に祈っていた。
「神様、一生のお願いです。どうか私が選ばれませんように―。」
祈りも空しく新法王に選ばれてしまったのは、ダークホースのメルヴィル。彼は早速バルコニーにて大観衆を前に演説をしなければならないが、あまりのプレッシャーからローマの街に逃げ出してしまい…。あわてた事務局広報は、なんとかコトが外界にバレないよう画策。街中に捜索の網を張る。一方メルヴィルは街の人々との触れ合いを通し、人生とは、人の信仰心や真心とは、そして“法王"の存在意義とは何かを見つめ直していくが、演台に戻らねばならない時間は迫っていた。果たして、ローマの街で彼が見つけた大切な答えとは―?
【キャスト】
ミシェル・ピッコリ、イエルジー・スチュエル、レナート・スカルパ、ナンニ・モレッティ、マルゲリータ・ブイ
【スタッフ】
監督・脚本・製作 : ナンニ・モレッティ、脚本 : フランチェスコ・ピッコロ/フェデリカ・ポントレモーリ、音楽 : フランコ・ピエルサンティ、製作 : ドメニコ・プロカッチ
【初回限定封入特典】
用語解説書(4P)
【特典映像】
メイキング、未公開シーン集、カンヌ国際映画、カチンコ集、キャスト紹介、予告編集
監督インタビュー「メルヴィルの気持ちは、誰にもあてはまるもの」(コラム/静止画)、キャスト&スタッフ プロフィール(静止画)、プロダクションノート(静止画)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : ドイツ語, イタリア語
- 製品サイズ : 25 x 2.2 x 18 cm; 95 g
- EAN : 4907953042902
- 監督 : ナンニ・モレッティ
- メディア形式 : 色, ワイドスクリーン, 吹き替え, ドルビー, 字幕付き
- 時間 : 1 時間 45 分
- 発売日 : 2013/2/2
- 出演 : ミシェル・ピッコリ, イエルジー・スチュエル, レナート・スカルパ, ナンニ・モレッティ, マルゲリータ・ブイ
- 字幕: : 日本語
- 言語 : 日本語 (Dolby Digital 2.0 Stereo)
- 販売元 : Happinet(SB)(D)
- ASIN : B009VCJRBG
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 172,680位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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人はどのようなやり方、暮らし方であっても常に自分の正解を求め続けています。その道筋として信仰や科学がある。求めるその正解がどこから来るのかについては、それぞれの期待によって異なるようです。偶然に降って湧いてくるのか、誰かによってもたらされるのか、自らの力で掘り出すものなのか。
自分はどうすればいいのかという問いに対して、正直に「わからない」と答えるしかないとき、それは悲劇であり絶望なのでしょうが、その先については劇中劇の選び方に暗示されているようです。
エンディングのタイトルバックが流れ始めたとき、この映画の観客が何を思うのかによってある種の仕訳が潜在的に進行しているという点で、怖ろしい作品でもあります。
フォロ・ロマーノに向かう車の中の Jerzy Stuhr がいい味出してますね。この作品の中で一番のカットです。
わたしはこう思うという自身の予想のあまり、その人物を見ていなかった。
真っ白なピースであるにも関わらず、私はそれらを形があっているからという理由で組み立て続け、その最中でさえ絵が真っ白であるということに一切の疑問を持っていませんでした。
そして、最後の最後。最後のピースをはめた後、その余韻の中で私は気づきます。
なぜ、この絵は真っ白なのだろうと。
なぜ私は何も描かれていないピースを組み上げていたのだろうと。
しかしよく見ると最後にはめたピースだけどうやら色が違う。
よく見てみるとそこには絵画の一部らしきものが描かれている。裏側は相変わらず真っ白である。
何かが違うと気づいた私は、ピースを一枚づつひっくり返していくと、真っ白に思えていたピースの裏には絵が描かれており、組みなおすことによって一枚の絵画になっていく。
そして導かれる者という絵が完成する。
一見して意味不明な展開も、テーマを持って見ていくと比喩が随所に見られ、それがちゃんとテーマに紐づけられているということに驚きました。
やはり妄信はいけませんね。
そして確かにこの教皇は新しい。
何というか‥民主主義国家の首相を思いました。しかし彼らと決定的に違うのは、政治家は自らの能力に自信があり、思うところがあって前に立っている。
(この映画的な観点で言えば)不遜にも、自分には人の上に立つ資格があり、またそれに足る能力も持っていると顕示しているわけです。
我々はそういった人物を見るような目で、教皇という存在を見ていたのではないかと改めて考えさせられました。
外見は同じでも、理想が全く違うというのが聖職者と政治家なのですね。
だからなのか、そう思えば「聖なるものを職として行う者」という存在が不思議に思えます。
彼らは信徒たちの正面に立って対面し説法をしながらも、向く方向は信徒と同じでなければならない。
その葛藤を思えば、ただ信じることがどれほどに楽なのか、それがどれほど身に染みているのかがわかるようです。
それはともかくとして、映画としては一般向きではないのかなと感じました。
少なくともコメディタッチであると思って見始める物ではないと思います。
なお、邦題の「ローマ法王の休日」というのも見方を変えれば、まぁそんなに間違ってはいないかな…?納得できなことはない。
法王が一度座から退き、法王という役割自体を休むことによって民衆の熱狂、その熱を冷まし、今一度考える時間を与える。何となくですが私はそういう意味に捉えました。
何もすることがないと自然と考えは内向きになりますし、熱狂に浮かされていた人々は本当に自分にその信仰が必要なのか、必要だとして信仰とは何なんだろうかと考える時間を与えてくれます。
ふとそんなことを思うと、今のご時世に自粛風が吹くことによって、近くにあったけど見えていなかったもの、見ていなかったもの。そして普段から疑問に思っていたけど日々の忙しさによって考えていなかったこと。
そういった物事が噴出している今だからこそ、世界を変えるチャンスなのではないのか考えてしまいます。
そして、少しずつですが閉じられた部屋の中にあって隙間風が入ってきているような、そんな感覚があります。
当たり前のことなのでしょうが、世界が変わったのなら、我々も変わらなければならないのでしょう。今までのそうしてきたように、これからもそうであるために。
最後に、コメディタッチであると思って見始めるべきではないと書きましたが、
ある意味、そういう見方も正しかったのかもしれないとも思っています。むしろ最初からシリアスな映画だと気づいていればラストのシーンに大きな驚きはなかったかも知れないからです。
そうであれば、この作品は見た後に比喩を多分に用いた社会派の作品だったという風に類型化してしまい、ざっくりと大分した数ある社会派映画というカテゴリの中に埋没してしまっていたでしょう。
私はこの作品の最後に、驚きがあり、それが気になったからこそパズルのピースをひっくり返してみようと思い至ったのです。であるのにこれを否定したのは、もしかしたら自身の気持ちの変化を許容していながらも、新しく観る人には予想していたものと違ったと思って欲しいからなのかもしれません。
とはいえ第一印象は大事ですよね。コメディな感じの門構えを見て、面白い人なんだろうなと思ったら…あ、案外真面目な人だった。となるわけですから。
ですがちゃんと話を聞いてみると、意外といい話だったり、すごくよく考えているんだなぁと感心するというのは間々あることです。
そういったエピソードを聞き、家を出てみると、玄関の印象がまるっきり違って見える。
映画でそういう体験ができたのはなかなか面白かったです。
でもやっぱり、いい感じの演説も聞いてみたかったなと思うのは人間の性なんでしょうかね。
なお、原題の「Habemus Papam」は、意味的には“私たちには法王がいる”的な意味になるようです。
(法王自身がいう言葉ではなく、法王以外が指導者としての法王を信じていますといった感じで使われるのかなと思いました)
見たかったのは、監督であるナン二・モレッティのインタビュー。
彼のインタビューを見て、この作品の「答え」を見つけたと確信した。
ナン二・モレッティは、要は「人生に於いては、時に“NO”と言ってもいいと思った」という様な発言をしていた。
「これだ!」と思った。
ナン二・モレッティが(おそらく本当に)言いたかった事は。
我々日本人はよく、「イエスマン」だと言われる。
欧米と比較すると、全体的にはその通りなのだろう。
…が、この作品を観た限りでは、少なくともイタリア人にとっても(ナン二・モレッティはイタリア人である)、
誰かに対して「NO!」と言う事は決して簡単な事ではないように(私には)思われた。
人は「好かれたい」生きものなのだ。
しかし「NO!」と言う事は、場合によっては人から疎まれる事さえある。
(↑ 殆どの場合がそうであろうが…。)
この作品は、「ローマ法王」という、“世界でただ一人の存在”を主役にする事により、人が「NO!」と言う事の大変さを描いた。
しかし、誰しもが「NO!」と言いたくても言えなかった経験を、これまでの人生で数えきれないほど持っているに違いない。
この作品の主人公メルヴィルは決して特別な存在なのではない。
この世に生きている一人一人なのだ。
私自身であり、貴方自身でもあるのだ。
この作品を観て、少し「ホッ」とした事がある。
それは、誰かに対し、或いは何かに対して「NO!」と言う事は、
どこの国の人であろうと誰であろうと、共通して持っている、実に難しい問題なのだという事だ。
そしてこの作品の主人公メルヴィルの場合、「他人」に対して「NO!」を貫かざるを得なかった事も、
非常に重要な点であると(私には)思われる。
メルヴィルは、彼以外の多くの人間たちと「戦」わざるを得なかった。
そうしなければ、彼自身が「潰れ」てしまうからだ。
私は、人間というものは誰もが、人生のうちに「三度」は
他人と「戦わなければならない」状況に遭遇する様になっていると思っている。
どうしてそう思う様になったのかは、自分でも分からない。
この「他人と戦わなければならない」時に、その「戦い」を避けてしまったらどうなるのか。
おそらくはその代償を、一生背負わなければならなくなる。
そういう結果になってしまっている人を、私は何人か知っている(←実に「悲惨」な人生になっています…)。
メルヴィルは、戦った。
そして彼の「勝利」に終わった。
周囲の反応など関係ない。
「NO!」と言ってもいい…これが、ナン二・モレッティからの私たちに対するメッセージだ。
あとは私たちが「どう生きるか」…これが一番の問題なのだが。
決心がつかない物事や、想定と違う現実が起こりうることをまざまざと見せつける映画。
自分にとっては、消化不良なエンディングだが、これを善しとする方もいるとは思う。
自分も含め、映画を見て考えることを忘れている人、答えがある映画しか見れない人には難しいと思う。
カトリック信者は全世界では11億人いますが、日本では40万人くらいしかいません。
現在のフランシスコ教皇は2019年秋に来日されたこともあり、カトリック信者でなくとも、親しみを感じた方が多いのではないでしょうか?
この映画が制作されたのは、フランシスコ教皇の一つ前のベネディクト16世教皇のころです。
なので、当時はただの風刺、ばかばかしいと感じられた方も多いと思います。
しかし、今、改めてこの映画を見ると、ローマ教皇(ローマ法王)に親しみを感じられる方も多いのではないでしょうか?
今だからこそ、必見です。
「ヴァチカンへようこそ!」
謙遜や慎み、自らの罪を深く悔いるのがキリスト者であるとすれば、
そのような人は、
ローマ教皇に選ばれるのを良しとはしないだろう、というパラドックス。
あるいは神ではなく精神科医の指導を仰がねばならない聖職者たち、
神ではなく人間であるローマ教皇に教導されたいと思う一般信徒たちのパラドックス。
最後に自分は導かれる側の人間だとローマ教皇が告白するのは、
神にすべてを委ねた、純粋な信仰告白だと思う。
私はここで新しくローマ教皇が誕生したのだと読んだ。
この教皇は同時に、神が私を選んだのであり、神は間違えるはずはありませんとも言ってるのですから。
これを皮肉と解釈するなら、それは人間を信じる信徒(わたしたち)への批判ですね。
ただこの後どうなったかは、すべて神の御心しだい、
神のみぞ知るといったところかもしれません。
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La scène où nos cardinaux organisent un championnat de volleyball, sous la direction d'un psy fantasque (Moretti) est une anthologie.
Le tout n'est pas du tout une satyre féroce du Vatican. En fait les personnage sont vus avec beaucoup d'humour et, je trouve, d'amour. Celui qui désire voir une analyse au vitriol des moeurs vaticane doit ici passer son chemin.

This movie begins in the conclave of cardinals to choose a new pope. The cardinals are in a deadlock.
Again and again, they try to arrive at consensus. They can't. They choose a compromise candidate instead. The new Pope is aging, very kind, and bemused by it all. When he learns the news of his elevation, he screams and passes out. Against all urging, he knows that he is not the one to be Pope. Its not stage fright but his deep personal conviction. What does he do? He slips out of the conclave and onto the streets of Rome. He encounters people of all kinds. He asks himself is he one to be Pope? Or would he rather have a simpler life?
This is a gentle, spiritual, and humorous movie. Its most amusing moments as the church officials try to explain the absence of the new pope. Its most touching moments are as the new Pope discovers his path.
But is makes its point: all of us need to follow the journey to find our true selves. If you are a Christian, it means finding your soul. Alan Minarcik

