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グスコーブドリの伝記 [DVD]
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フォーマット | 色, ドルビー, 字幕付き, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | 小栗旬, 忽那汐里, 佐々木蔵之助, 杉井ギザブロー |
言語 | 日本語 |
稼働時間 | 1 時間 51 分 |
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メーカーによる説明
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グスコーブドリの伝記 [DVD] | グスコーブドリの伝記 [Blu-ray] | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち3.1
126
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価格 | ¥3,461¥3,461 | ¥3,974¥3,974 |
フォーマット | DVD | Blu-ray |
商品の説明
宮沢賢治原作、映画『銀河鉄道の夜』のスタッフが贈る愛と勇気の長編ファンタジー
ボクにも、できることがきっとある
魂に響く励ましの言葉が、美しく幻想的な映像で甦る!
今こそ、この物語を世界中に届けたい――
「守りたいひとがいる。だから僕は行く。」
主人公の強き想いが奇跡を起す。
◎仕様◎
【毎回封入特典】
作品解説書(4P)
【毎回映像特典】
予告編・TVスポット(本編ディスク)
◎内容◎
美しきイーハトーヴの森。ブドリは家族と幸せに暮らしていた。しかし冷害が森を襲い、食料も乏しくなって両親は家を出ていき、
妹のネリは"コトリ"という謎の男にさらわれて、ブドリはひとりぼっちになってしまう。
力尽きて倒れたブドリを救ったのは、てぐす工場の工場主だった。ブドリは彼の元で働き仕事を覚えていくが、仕事が終わるとブドリは
またひとりぼっちに。
里へと下りたブドリは赤ひげのオリザ畑で働くが、寒さと干ばつのために赤ひげの畑は大きな被害を受け人が雇えなくなり、ブドリはイー
ハトーヴ市に向かう。
そこでクーボー博士と知り合ったブドリは火山局に勤めることになる。所長のペンネンナームの指導のもおと、局員としてたくましく成長
していく。しかし再び大きな冷害が……。クーボー博士の助言を受け、“ボクにも、できることはきっとある"と奮起したブドリは、愛する
故郷と大切なみんなのために、ある決意をする――。
◎スタッフ◎
原作:宮沢賢治/監修:天沢退二郎、中田節也/キャラクター原案:ますむら・ひろし/アニメーション監督:前田庸夫
総作画監督:江口摩吏夫/美術監督:阿部行夫/映像ディレクター:篠崎 亨/音楽:小松亮太/制作:手塚プロダクション
プロデュース:清水義裕/主題歌:小田和正「生まれ来る子供たちのために」(アリオラジャパン)/監督・脚本:杉井ギザブロー
◎キャスト◎
ブドリ:小栗 旬/ネリ:忽那汐里/コトリ:佐々木蔵之助/赤ひげ:林家正蔵/父:林 隆三/母:草刈民代/クーボー博士:柄本 明
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 日本語
- 製品サイズ : 25 x 2.2 x 18 cm; 117.94 g
- EAN : 4934569644633
- 監督 : 杉井ギザブロー
- メディア形式 : 色, ドルビー, 字幕付き, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 51 分
- 発売日 : 2013/1/29
- 出演 : 小栗旬, 忽那汐里, 佐々木蔵之助
- 字幕: : 日本語
- 販売元 : バンダイビジュアル
- ASIN : B009CUT6SQ
- 原産国 : 日本
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 53,285位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 9,343位アニメ (DVD)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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きっと宮沢賢治は泣いていることだろう。
主人公ブドリは貧しいながらも学校へ行き、家族と慎ましく暮らす少年でした。
学校の授業で『雨ニモマケズ』(ここ重要)の朗読を聞き、心を打たれるブドリ。
だが、ひどい天災が起こり作物が育たなくなり、主人公は何もできないながら家族を気遣い続けるも両親は出ていってしまった。
この作品の特徴的なのは『ブドリが一人になったときにしか幻想的な幻を見ないこと』だと思います。
ブドリは、人の中にいて働いているときは家族のことを口にしないし、幻想的な幻を見ることもない。
ブドリは人の世界で生きている自分と一人ぼっちで死の世界で死者を追いかける二つの世界を行き来しています。(人さらいが話す『領空侵犯』はおそらく現世とあの世を行き来していることからだと思います。)
ネリをさらった人さらいは、死神で、だから最後ブドリを『迎えに来た』んだろうなぁと。
この作品私も1回目は見ててもよくわからなかったんですけど、そういうふうに見たら素晴らしい作品ですね。
ブドリは天災が起こるたび、仲間や仕事を失い(雨ニモマケズの一節「日照りの日にはオロオロ歩き」だとおもう)自身への無力感からくる「みんなの役に立ちたい」という気持ちが強くなっていきます。
私はすごく利己的な人間なので響きました。
賛否両論だったこともあり、どういう作品なのか気になった、というのもあります。
・長回しして見せる背景、演出意図がわからない。ただダルいだけに見える。
・妹が体調悪そうなのに、ぼーっとそれを見る兄。状況に流されるだけの、主人公の考えが見えない。
・父親は飢餓から、精神的に壊れてしまうが、説明不足で急にそうなったように見えてしまう。
・母親はそんな父親を探しに行くと出かけるが、それまで家族のことを思い、思いやりに満ちていたのに、吹雪いてる中ドアも開けっ放しで出て行ってしまう。
序盤の違和感はそんな感じでしょうか。
中盤は、「話有りき」という感じでも無いが、主人公の悩みや葛藤がわからない為、なにかチグハグに感じる。
それまで心象を言葉にすることが無かったのに、塔を登るところで「まだ上に続いている…」と急に語る。
大事なところでは何も口にしないが、どうでもいい部分で喋る違和感。
全体的に主人公の心象が全くと言っていいほどわからないので、行動のプライオリティが、どういった目的で物語が進んでいるのか、不透明であると感じました。
しかし、急に怒り出したりする。
序盤のことは、主人公も辛かったらしく、終盤には人が変わったように目的意識を持つ。
そういう感情を表に出さない所為で、この作品は不透明であるのでは…?
そして急に終わります。
何を、どうやって、そうなったのか、が無いので視聴者は置いてけぼりです。
ただ背景や世界観はしっかりしていて、現実味がありました。
魔法を扱うファンタジー作品だと、現実味がなかったりするが、そういう感じは無かったです。
ありがとうございます♪♪
声優も抑揚のない感じにして表現したいのは伝わってくるが、
抑揚なく観客に感情を与えることは非常に難しく、正直声優全員が力不足か、
もしくは監督がうまく指導できなかったんだと思う
カンパネルラたちの場合、それをうまく表現できていた。
間の置き方はいつもの感じがしたけど、うーんやっぱり間延びしていて
見ていて退屈だったかな。というか感情が入ってこない
物語の流れが難しいだけに、声優が無理なら人物以外で
映像の景色や瞳に感情の機微を当てればまだよかったんじゃないかな
つまり全体的に平均的で没入感もなく見どころがない感じ
重厚さを感じない
その結果として、アニメ監督は時に無責任になります。
「好きなように作ろう」になってしまうのです。
これは選択として間違っているとは言えません。
ですが今回は間違ってしまったと言えます。
この作品の作り手が好きな事と、本来この作品に求められているものが見事に全く行き違い、何にも昇華されていません。
この作品では、この作品で本来求められてはいない、どうでもいい部分を丹念に描いています。
この作品の作り手がやりたかった事は、
「アニメーションの面白さ」「世界のビジュアルの美しさ」「抽象表現の新しさないし難解さ」です。
(本来求められていない→正しくは、作品の根幹が成立した上で求められている)
絵コンテの50%がそれで占められていると思います。
キャラの個性を与えるために演出するパートがいちいち長すぎ、抽象表現に割くパートがいちいち長すぎ、世界観を伝える絵をじっくり見せるパートがいちいち長すぎます。
これによって、本来、原作では描かれているはずのドラマを描く部分が短時間になりすぎ、淡白になり過ぎています。
一応、この作品の作り手の言い訳は分かります。
特に悲劇の部分をオブラートというか、抽象表現で隠喩的に表現したのでしょう。
残念ですが、確かに伝わるけど、それでは伝わらないのです。
爆笑のしゃべくり漫才をパントマイムで見せられたら、
感動のドラマの感想文を小学生に書かせたら、
さあ、それを見た人はどう感じるでしょうか?という話です。
面白い話をしているのはわかるけど、爆笑は出来ない。
悲しい話をしているのはわかるけど、涙を流す事は出来ない。
当然そうなります。
この作品における最大の激情を、オブラートに包んでフラットにしてはいけません。
そこをフラットにしたら、視聴者が見せつけられるのは、ただの個性的な雰囲気のPVです。
・・・・
抽象的な表現で、明文化させずに何かを訴える、と言う事自体は、
大賛成です。それでこそ映像化の意味があると思います。
しかしそれは大前提として、隠喩や抽象表現によって「より強く心に訴える」ものになっていなければ、抽象化するそもそもの価値がありません。
この作品は、
「なんか可哀想っぽい猫が、なんか行き当たりばったり色々な人と出会いながら過ごして、
なんか唐突に自己犠牲したいかな?みたいなふわっとした事を言って、なんか死神的なのに、なんかふわっと連れて行かれて、なんかふわっと終わった」
としかなっていません。
ストーリーを深掘りするものになっていない、
ただ幻想的な心象描写が闇雲に続いてしまっている為に、
よそ見が多すぎて肝心なドラマがフラットなままドラマになっておらず、
「あらすじ」を追っているだけなのです。
宮沢賢治の作品、ますむらひろしの作品は、
幻想的な表現で、悲劇や哲学をより観念的にして、
見る人により深い感銘、より言葉にできない情感に訴える。
そうやって、普通に伝えるより遥かに心に残るような印象を読者に与えています。
幻想的な描写と淡々とした行間の中に、ハッとさせる感動や気付きがあるのです。
この作品もまた、それら原作と同様のコンセプトを持ち、
そうあろうとした事自体は伝わります。
しかし結果としてこうなってしまった。
そうなってしまった理由、気持ちもまたわかります。
「グスコーブドリの伝記は誰しも知っている物語。
それを今更丹念に忠実にやっても・・・しかも以前も映画化してるし・・・」
と、思うのは無理からぬ事です。
監督の百人中百人が、同じ風に思うはずですw
その中で、こういう方向性に舵を切るのは無理からぬ事でしょう。
事実、
初週売上の高さを見ての通り。
「ビジュアルで推せば」一定の集客が見込め、
その狙いは見事に果たせました。
こうなってしまった理由は、痛いほどにわかるのです。
しかしそれは、
鳴かず飛ばずのアニメ映画の一つとしかならず、
もっといえば「だから単発のアニメ映画は作っちゃいかん」というモデルケースにしかなりませんでした。
非常に惜しく、残念な作品です。
いかにアニメという
「映像に映る全てをコントロールしなければならない作品」が、
客観性を欠かず、
大衆性と独創性とを切り分けて意識的に作っていく事が難しい媒体であるかを、
感じずにはいられません。
しかもそれをしなければならない、
監督になれる人物ってのが、
アニメという闇の業界を突き進もうと決意した、
人類の中でもかなり偏執的な精神性を持つ生粋のガチオタ(褒め言葉)の、
その上澄みの純度MAXの奇人変人(褒め言葉)なんですからねw
この性質の矛盾を何とかしなければ、第二のジブリは生まれないでしょう・・・
こういうのは物語が終わった後の余韻を感じながらスタッフの名前を見るからいいのであり、
なにも始まっておらず、なにも感じてない時に文字を出されても、知らんがなとしか言えない。
これだけで「楽しませる気が感じられないぞ…」と不安になり、
案の定の出来であった。
背景美術と音楽が素晴らしかったので、それだけで見続けることはできたが…
声優は頑張っていたが、指導されてないのではと感じる場面が散見され、
特に面白くもない画面が続く。
やる気がないなら無理に作るのをやめてほしい、グスコーブドリを本当に好きで映像化して皆に楽しんでもらいたい!という熱意のある人に作り直してもらいたい。背景美術と音楽の人達は、きっとそういう人たちだったのだろう、いい仕事だった。