記述は難解な部分もあるが、その分、普遍性が増している。
全能感と損得が比例するような状態になったときに、いじめはエスカレートする。
いじめ被害の当事者として、また、ソーシャルワーカーとして数多くのいじめ事件に関わってきたが、本書によって初めて俯瞰し、鳥瞰する視点が得られといって良い。
構造と原理の詳細な解明の後に、展開される政策提言も深く首肯する。
いわく短期的には「1.学校内部にも司直の手を入れること。2.学級制を廃止すること」
、長期的には、新しい義務教育概念の構築、権利教育の拡充。
あえて難点を言えば、最後の未来の少年のみ記述が薄く、ユートピア的に描きすぎている感がある。「自由からの逃走」という背理が頭をよぎったからだ。
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いじめの社会理論: その生態学的秩序の生成と解体 単行本 – 2001/7/1
内藤 朝雄
(著)
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- ISBN-104760120882
- ISBN-13978-4760120888
- 出版社柏書房
- 発売日2001/7/1
- 言語日本語
- 本の長さ302ページ
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
いじめと学校トラウマから自分を解放する初めてのいじめ学誕生。「世界のとらえどころなき欠如」「全能感希求」「集団の祝祭秩序」によるいじめの生態学的秩序生成を示す。
登録情報
- 出版社 : 柏書房 (2001/7/1)
- 発売日 : 2001/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 302ページ
- ISBN-10 : 4760120882
- ISBN-13 : 978-4760120888
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- - 4,532位社会学概論
- - 25,053位ビジネス・経済 (本)
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2012年10月24日に日本でレビュー済み
2020年11月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いじめ場面の様々な事例を示しながら、いままで「心の闇」のようなあいまいな言葉で表されていた、学校社会と子供達の中の一見矛盾するような関係を、統一的なモデルでうまく説明しています。
矛盾するような関係とは、「人間関係が希薄かつ過度に濃密」「計算高いようでいて幼児的」であるように見える、子供達の属する学校社会の見た目の意味不明さです。
これに対して、承認による原始的な体験構造(α)と、人権や法が重視される市民社会的な構造(γ)との間を繋ぐ、集団の全能シナリオが秩序を立てるような狂気じみた体験構造(β)を提示し、一見矛盾するような学校社会の特性を見事に説明しています。
たしかに紹介されるいじめ事例は狂気的で、生贄の祝祭を思わせ、今や市民社会に生きる我々には怒りが感じられます。
しかし、この理論ではグローバルな市民社会の論理を正義と前提づけているように見えます。いじめ分析なので当たり前ですが、もう少し相対的な、構造主義的な分析に進んでほしいです。市民社会を無批判に賞賛するイデオロギーがちらちら見えて、どうにもしっくりこない感じを受けます。
また、後半は特に怪しいです。
・自らをリベラリズムと称して賛美したり
・注釈レベルではありますが、突然天皇へ言及したり
・「物性論」という言葉を極めて曖昧な理解で用いたり(原子/分子の性質とマクロな性質との関係?どこの世界の物性?統計のこと?)
・フロイト流の「精神分析」を批判しつつ(ここは分かりますが)それが「通時的には誤りだが共時的に転換すれば有用」といった意味不明なことを言い出したり…
説明のためのレトリックと理論の根幹がぐちゃぐちゃに混同され、社外学の悪いところであるメタファーと実体との混同も多発して、完全に破綻しているように見えます。
さらに最終章では、一切の批判的検討や制約項目のないお花畑の「ユートピア」が展開されており、唖然としてしまいました。ノージックに対する決めつけも、あなた自身が精神疾患なんじゃないのかと思えるほどひどいものでした。
前半で期待が大きく、フィールドワークの成果も効果的に記載しているようであっただけに、肝心の論理がボロボロでは残念です。
矛盾するような関係とは、「人間関係が希薄かつ過度に濃密」「計算高いようでいて幼児的」であるように見える、子供達の属する学校社会の見た目の意味不明さです。
これに対して、承認による原始的な体験構造(α)と、人権や法が重視される市民社会的な構造(γ)との間を繋ぐ、集団の全能シナリオが秩序を立てるような狂気じみた体験構造(β)を提示し、一見矛盾するような学校社会の特性を見事に説明しています。
たしかに紹介されるいじめ事例は狂気的で、生贄の祝祭を思わせ、今や市民社会に生きる我々には怒りが感じられます。
しかし、この理論ではグローバルな市民社会の論理を正義と前提づけているように見えます。いじめ分析なので当たり前ですが、もう少し相対的な、構造主義的な分析に進んでほしいです。市民社会を無批判に賞賛するイデオロギーがちらちら見えて、どうにもしっくりこない感じを受けます。
また、後半は特に怪しいです。
・自らをリベラリズムと称して賛美したり
・注釈レベルではありますが、突然天皇へ言及したり
・「物性論」という言葉を極めて曖昧な理解で用いたり(原子/分子の性質とマクロな性質との関係?どこの世界の物性?統計のこと?)
・フロイト流の「精神分析」を批判しつつ(ここは分かりますが)それが「通時的には誤りだが共時的に転換すれば有用」といった意味不明なことを言い出したり…
説明のためのレトリックと理論の根幹がぐちゃぐちゃに混同され、社外学の悪いところであるメタファーと実体との混同も多発して、完全に破綻しているように見えます。
さらに最終章では、一切の批判的検討や制約項目のないお花畑の「ユートピア」が展開されており、唖然としてしまいました。ノージックに対する決めつけも、あなた自身が精神疾患なんじゃないのかと思えるほどひどいものでした。
前半で期待が大きく、フィールドワークの成果も効果的に記載しているようであっただけに、肝心の論理がボロボロでは残念です。
2006年11月30日に日本でレビュー済み
今風の「集団によるいじめ」が起こるメカニズムとその対策が、論理的かつ明確に説明されている。
本書では、いじめという現象が、学校だけでなく、集団内ではどこでも見られる現象であることを示した上で、学校では、本来一人一人が柔軟に調整すべき他人との関わり方が、クラスという密着した仲間関係に強制されることと、市民社会の規範(法律)が学校内には及ばないことで、いじめや暴力が、他の集団では見られないほどエスカレートすることを明示している。
著者は、いじめの加害者達の大半が、損得に敏感であることも考慮に入れ、いじめの応急処置として、
1.暴力系のいじめに対しては(教育機関内部のルールではなく)法システムにゆだねる。
2.コミュニケーション操作系(無視、悪口など)に対しては、学級制度の廃止で対応する。
を提言しているが、これは充分現実的な対策である。
その後に続く、長期的な社会制度改革の提言については、やや観念的過ぎる印象があり、前半の現状分析ほどの鋭さは見られないが、「普遍的に正しい生き方や人間関係のあり方は存在しない」という著者の認識そのものは極めて現実的であり、本書の後半で述べられているドメスティック・バイオレンスへの考察を見ても、著者の提示したモデルが、現実を良く説明できていることが分る。
学校という制度(特に学級制)そのものがいじめの原因になっているとする著者の指摘は合理的で説得力に富むが、残念なことに現在審議されている教育基本法の改定の条文は、教育機関による生徒(だけでなく保護者)の管理を強化するばかりで、基本法改定の狙いが、子供を取り巻く環境の改善とは、別の部分にある様子が伺える。
しかしながら教育の改善を阻んでいる、より根本的な問題は、読み書きそろばんのみならず、子供の心の成長まで、学校に責任を負わせようとる大人達の姿勢にあるのではないかと思う。
本書では、いじめという現象が、学校だけでなく、集団内ではどこでも見られる現象であることを示した上で、学校では、本来一人一人が柔軟に調整すべき他人との関わり方が、クラスという密着した仲間関係に強制されることと、市民社会の規範(法律)が学校内には及ばないことで、いじめや暴力が、他の集団では見られないほどエスカレートすることを明示している。
著者は、いじめの加害者達の大半が、損得に敏感であることも考慮に入れ、いじめの応急処置として、
1.暴力系のいじめに対しては(教育機関内部のルールではなく)法システムにゆだねる。
2.コミュニケーション操作系(無視、悪口など)に対しては、学級制度の廃止で対応する。
を提言しているが、これは充分現実的な対策である。
その後に続く、長期的な社会制度改革の提言については、やや観念的過ぎる印象があり、前半の現状分析ほどの鋭さは見られないが、「普遍的に正しい生き方や人間関係のあり方は存在しない」という著者の認識そのものは極めて現実的であり、本書の後半で述べられているドメスティック・バイオレンスへの考察を見ても、著者の提示したモデルが、現実を良く説明できていることが分る。
学校という制度(特に学級制)そのものがいじめの原因になっているとする著者の指摘は合理的で説得力に富むが、残念なことに現在審議されている教育基本法の改定の条文は、教育機関による生徒(だけでなく保護者)の管理を強化するばかりで、基本法改定の狙いが、子供を取り巻く環境の改善とは、別の部分にある様子が伺える。
しかしながら教育の改善を阻んでいる、より根本的な問題は、読み書きそろばんのみならず、子供の心の成長まで、学校に責任を負わせようとる大人達の姿勢にあるのではないかと思う。
2018年4月23日に日本でレビュー済み
初作品だから「普通の学者らしく」書いたのか、それともまだまだ左翼臭さが抜けなかったのか、朝日新聞をボコボコにしまくった「ニートって言うな」や辻元清美や人権派弁護士への失望を熱く語った「いじめ学の時代」ほどパンチが利いていない。
そりゃ、上辺の中立ぶりっ子で恫喝しまくる人達には後の「扇動的過ぎる路線」が気に食わないんだろうけど、しょぼい。
そりゃ、上辺の中立ぶりっ子で恫喝しまくる人達には後の「扇動的過ぎる路線」が気に食わないんだろうけど、しょぼい。
2007年2月3日に日本でレビュー済み
凄まじい本です。学校におけるいじめの構造はこの本においてほぼ完全に
解明されています。この本は学術書でかつ独特の文体のため、読みにくさや
違和感を感じる人もいると思いますが、言葉の端々にとらわれず読んでいくと、
(まるで炙り出しのように)学校などの閉鎖空間での共同体に生まれる恐ろしい
悪意の構造が浮かび上がってきます。学校内の記述は決して卓上の推論ではなく、
少し前の自分の学校生活経験などから考えてみても、かなり正確です。
また、学校内で起こるさまざまな発達の阻害についても分析されています。
いじめは、当然ながらいじめっこやいじめられっこだけの問題ではないのですね。
学校に強制的に囲い込まれて、その中で人間がどのように自然な人との関わり方を
歪められていくか、それを理解する上でも役に立つ本でもあります。
解明されています。この本は学術書でかつ独特の文体のため、読みにくさや
違和感を感じる人もいると思いますが、言葉の端々にとらわれず読んでいくと、
(まるで炙り出しのように)学校などの閉鎖空間での共同体に生まれる恐ろしい
悪意の構造が浮かび上がってきます。学校内の記述は決して卓上の推論ではなく、
少し前の自分の学校生活経験などから考えてみても、かなり正確です。
また、学校内で起こるさまざまな発達の阻害についても分析されています。
いじめは、当然ながらいじめっこやいじめられっこだけの問題ではないのですね。
学校に強制的に囲い込まれて、その中で人間がどのように自然な人との関わり方を
歪められていくか、それを理解する上でも役に立つ本でもあります。
2022年10月23日に日本でレビュー済み
著者が大学院生時代だった当時の、習作時代と思われる論考の趣でしたが、今日につながる優れた考察があり、とても興味深く読みました。
学校内での「いじめ問題」とは、一般社会ではある一線を超えると、刑事事件になってもおかしくない事例までが、学校内=教育の範囲、という制限下では、時として、犯罪に問われることがなく、そのせいで、加害者はとがめられないという免罪のもとで、被害者を死地に追い込む現実を、これまでに起きた実際の事件を引用して論証しているため、加害者の側の感情や、被害者の感情が解りやすく記録してある。
著者自身が被害者や加害者、あるいは地域にヒアリングに行った事例も記録してあり、興味深い。
著者は、無政府主義者または左翼と思うが、学校における「いじめ問題」については、運動力学を多彩な仮説から解明しようとしており、興味深かった。
刑事犯罪につながる、恐喝、暴行、傷害、売春の強要あるいは教唆などは、迷わず司直に委ねることが、警察は一般の事件と同様に対処することが、加害者の行動抑止につながる最大の方法だ。学校がそれをためらうことは、加害者の行動承認につながって、最悪の結果をもたらす、という考察には、まったく共感する。
学校という場所を特別視して、あるいは加害者が少年という状況にためらい、あるいは学校関係者の保身から、起きていることを、みなかったことにしたり、矮小化して、どこにも報告しないなど、犯罪を黙認する結果がもたらしている結果は、今日の旭川いじめ事件などの事例で明らかだ。
選べない人間関係、その中で行われる同調指向、同調できなかった者の被害者への転落など、学級単位で逃げ場がない人間関係が、現在のいじめ問題の構造的な問題として、学校解体→学級生活を通じない義務教育の完遂という、斬新な提案には、驚きを禁じ得ないが、先進国がいまなお「いじめ問題」を解決できない現在において、構造的改革なくして、問題の改善はないとする著者の指摘は、発行からかなりの年月を経ても色あせていないと思う。
学校内での「いじめ問題」とは、一般社会ではある一線を超えると、刑事事件になってもおかしくない事例までが、学校内=教育の範囲、という制限下では、時として、犯罪に問われることがなく、そのせいで、加害者はとがめられないという免罪のもとで、被害者を死地に追い込む現実を、これまでに起きた実際の事件を引用して論証しているため、加害者の側の感情や、被害者の感情が解りやすく記録してある。
著者自身が被害者や加害者、あるいは地域にヒアリングに行った事例も記録してあり、興味深い。
著者は、無政府主義者または左翼と思うが、学校における「いじめ問題」については、運動力学を多彩な仮説から解明しようとしており、興味深かった。
刑事犯罪につながる、恐喝、暴行、傷害、売春の強要あるいは教唆などは、迷わず司直に委ねることが、警察は一般の事件と同様に対処することが、加害者の行動抑止につながる最大の方法だ。学校がそれをためらうことは、加害者の行動承認につながって、最悪の結果をもたらす、という考察には、まったく共感する。
学校という場所を特別視して、あるいは加害者が少年という状況にためらい、あるいは学校関係者の保身から、起きていることを、みなかったことにしたり、矮小化して、どこにも報告しないなど、犯罪を黙認する結果がもたらしている結果は、今日の旭川いじめ事件などの事例で明らかだ。
選べない人間関係、その中で行われる同調指向、同調できなかった者の被害者への転落など、学級単位で逃げ場がない人間関係が、現在のいじめ問題の構造的な問題として、学校解体→学級生活を通じない義務教育の完遂という、斬新な提案には、驚きを禁じ得ないが、先進国がいまなお「いじめ問題」を解決できない現在において、構造的改革なくして、問題の改善はないとする著者の指摘は、発行からかなりの年月を経ても色あせていないと思う。
2006年1月23日に日本でレビュー済み
著者はまず国家レベルでの全体主義ではなく、学校や企業、戦前の隣組のような中間集団における全体主義の危険性を指摘します。学校のように個人が自由に離脱参入することが困難な中間集団において全体主義に巻き込まれ、こころをその場の「ノリ」に合わせてゆかざるを得ない状況で何が起こるのかをいじめを題材に取り上げます。この過程でそれまでのいじめに関する議論のあらゆるパターンとその問題点が提示されて行く様は圧巻です。
そして著者は精神科医・中井久雄さんを幼いころいじめていた子供たちが戦争が終わったとたんに別人のように卑屈な人間に生まれ変わったことを希望の論理として受け止め、制度・環境を変更することでいじめを抑止できるのではないかと論を進めて行きます。そこで行われるいじめの状況分析では著者の複眼的な思考が冴え渡ります。人は常に同じ秩序を生きるのではなく、複数の秩序がせめぎ合った状況を生きており、その中でも中間集団全体主義を蔓延させる秩序を破壊することで人々は他の秩序が優位になった中で平和に生きることが可能になること、さまざまないじめのパターンを呼び出す加害者の内面構成と利害関係の結びつきなどが指摘されます。ここで様々な図式が提示されますが、これらの理論モデルはいずれも有効に思えるので、これを元にして日本だけに限らず世界中で事例の分析やいじめ対策、実証研究が行われることを希望します。
また、著者の指摘どおりこれは学校や職場のいじめだけではなくDVや民族紛争にも適用し得る理論と思われるので今後の研究の発展が大いに期待されます。
ところで本の終盤では人が中間集団全体主義に捕われない、自由な社会と教育のモデルが構想されます。これがなんともグッと来る内容で、この本で本当に伝えたかったのはこの部分ではないかと勝手に思っているのでした。
そして著者は精神科医・中井久雄さんを幼いころいじめていた子供たちが戦争が終わったとたんに別人のように卑屈な人間に生まれ変わったことを希望の論理として受け止め、制度・環境を変更することでいじめを抑止できるのではないかと論を進めて行きます。そこで行われるいじめの状況分析では著者の複眼的な思考が冴え渡ります。人は常に同じ秩序を生きるのではなく、複数の秩序がせめぎ合った状況を生きており、その中でも中間集団全体主義を蔓延させる秩序を破壊することで人々は他の秩序が優位になった中で平和に生きることが可能になること、さまざまないじめのパターンを呼び出す加害者の内面構成と利害関係の結びつきなどが指摘されます。ここで様々な図式が提示されますが、これらの理論モデルはいずれも有効に思えるので、これを元にして日本だけに限らず世界中で事例の分析やいじめ対策、実証研究が行われることを希望します。
また、著者の指摘どおりこれは学校や職場のいじめだけではなくDVや民族紛争にも適用し得る理論と思われるので今後の研究の発展が大いに期待されます。
ところで本の終盤では人が中間集団全体主義に捕われない、自由な社会と教育のモデルが構想されます。これがなんともグッと来る内容で、この本で本当に伝えたかったのはこの部分ではないかと勝手に思っているのでした。