自分は車が大好きである。
毎日のように乗る愛車にドアパンチされただけでもその日一日ディープブルーが入る人間。
ついこの前、当て逃げされた日に至っては、怒りを通り越して悲しみのあまり寝込んでしまった。
車好きをこじらせた結果か、正直なところ、以下の様な感想を抱いてしまった。
映画を見た私は、
心からクリスティーン(のような存在)が欲しいと思ってしまった。
当て逃げなんかしたら、クリスティーンが地獄まで追いかけて制裁を加えてくれるだろう。
そして、自己修復でピカピカのまま、ずっと傍らにいてくれるのである。
かなり穿ってみてしまうと、
「車の形をした悪魔にとりつかれた少年」を救おうと、
周りが彼と車の仲に介入した結果の少年の破滅に見えなくもない。
少年の世界は、クリスティーンと言う存在一つに囚えられてしまうが、
彼や車に危害を加えなければ、クリスティーンも無差別な危害は与えない。
彼女は、悪魔ではなく、ナイフの使い方を知らない子供のような存在、ではないのかと。
いじめっ子への仕返しや秘密を知った者への報復は凄惨すぎるが、
もう少し初期の段階で関係を正せば、
少年と車、二人(一人と一台)のハッピーエンドもあったのではないかと、
そんな訳の分からない妄想を繰り広げてしまったのだった。
(ラブ・バッグでも見なさいと言うツッコミは、真摯に受け止めます。)