永井荷風、1916年(大正5年)の作品。わざと江戸弁を多用して、例えば、
しっきりなしに(=ひっきりなしに)とか、お迎いの車(=お迎えの車)とか、
なりたけ(=なるたけ)とか、きわめて江戸趣味濃厚な戯作調の小説である。
この年荷風は慶應義塾の教授を辞め好きなものを気兼ねなく書けるように
なったことで、また風俗作家としての使命感もあって、衰退しつつある江戸
花柳界風俗を惜しんでこの小説を書いたと言う。
古いものの衰退と新しいものの興隆、新旧ふたつの時代の相克を、古いものに
味方する立場から描いているから、古い時代の代表者である小説家倉山南巣や
講釈師呉山などは人情も気品もある老人として描かれ、新しい時代の代表者である
吉岡、潮門堂、瀬川などは怜悧な俗悪な人間として描かれている。
もう少し詳しく言えば、
吉岡:青年実業家。富と名誉と女を求める功利的な快楽主義者。粋人とは異なる。
潮門堂の主人:大陸商人。容貌魁偉なサディスト。
瀬川一糸:二枚目の人気役者。愛より金を選ぶ。
このような人々のなかに、芸者駒代を配して、駒代と男たちの腕くらべ、
駒代と打算的な朋輩たちの腕くらべを描き、ナイーブな駒代が翻弄されぼろぼろに
負けていく様子を、抒情的にかつ淡々と描いている。ストーリーそのものは類型的だが、
背景の花柳界や歌舞伎界の絢爛な描写はすばらしい。(もっとも、私にはもう
理解不能な言葉も多々ありましたが。)
誠と意地っぱりの駒代も、同時に欲と虚栄に溺れる弱い女として描かれるが、
その寂しい生い立ち、境遇は読んでいてしんみりさせられました。
最後に、講釈師呉山老人の駒代に対する優しい申し出で、私はなんとも救われた
気分になりました。

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腕くらべ 新版 (岩波文庫 緑 41-2) 文庫 – 1987/2/16
永井 荷風
(著)
- 本の長さ244ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1987/2/16
- ISBN-104003104129
- ISBN-13978-4003104125
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商品の説明
商品説明
20歳代半ばを過ぎ、花柳界にあっては「年増」と呼ばれる新橋の二流芸者、駒代。いかにも「荷風好み」と言えなくもない、幸薄い主人公である。身請けされて一時は東北へ引きこもるが、旦那と死別し、身のやる方なく再び東京の芸者屋に舞い戻る。「ああ芸者はいやだ、芸者になれば何をされても仕様がない…」と心の内では嘆くものの、他に行き場があるわけではない。虚栄と打算の渦巻く非情な世界で、駒代が恋の「腕くらべ」に破れて落ちていく様が描かれる。
フランス自然主義文学の影響を受け、自らの小説にもその手法を具現していった永井荷風。芸娼妓とそれを取り巻く人たちの細かな風俗描写や、主観を排し冷徹な筆致で克明に人物を浮き彫りにしていく手腕に揺るぎはない。が、それにしても荷風はこの駒代という女性をこれでもかというくらい精神的、肉体的に痛めつける。周囲の人間からことごとく裏切られ、肉体を蹂躙される駒代の姿は、あまりに悲痛で、サディスティックな趣向をうかがわせるほどである。
しかし物語は、意外とも言える楽観的な結末を迎える。やや唐突で全体の調和を乱しかねない終結に、読む者はどこかほっとさせられるだろう。荷風は登場人物を最後まで突き放す作家ではない。ときには文学的意匠に背いてでも、登場人物に救いの手を差し伸べてしまう。そこにこの稀有な作家の、言いようのない魅力が存在している。(三木秀則)
フランス自然主義文学の影響を受け、自らの小説にもその手法を具現していった永井荷風。芸娼妓とそれを取り巻く人たちの細かな風俗描写や、主観を排し冷徹な筆致で克明に人物を浮き彫りにしていく手腕に揺るぎはない。が、それにしても荷風はこの駒代という女性をこれでもかというくらい精神的、肉体的に痛めつける。周囲の人間からことごとく裏切られ、肉体を蹂躙される駒代の姿は、あまりに悲痛で、サディスティックな趣向をうかがわせるほどである。
しかし物語は、意外とも言える楽観的な結末を迎える。やや唐突で全体の調和を乱しかねない終結に、読む者はどこかほっとさせられるだろう。荷風は登場人物を最後まで突き放す作家ではない。ときには文学的意匠に背いてでも、登場人物に救いの手を差し伸べてしまう。そこにこの稀有な作家の、言いようのない魅力が存在している。(三木秀則)
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1987/2/16)
- 発売日 : 1987/2/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 244ページ
- ISBN-10 : 4003104129
- ISBN-13 : 978-4003104125
- Amazon 売れ筋ランキング: - 438,525位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年8月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文章や時代背景が古いので想像力を働かせて読むのが大変。
これがすらすら読めるのはかなり知的な人。
これがすらすら読めるのはかなり知的な人。
2011年7月17日に日本でレビュー済み
以前はいかにも古臭い文体が嫌だったが、今回読み返したらそんなでもなかった。
『さゆり』を読んだり岩崎峰子さんの本を読んだりしたためかもしれない。
芸者と芸妓の違いはあるけれど。
新橋芸者の話というのが大時代がかっていて嫌だったのだが、こういう話は江戸の戯作風の文体でなければダメなのであろう。もちろん荷風調にアレンジされた戯作風の文体だけれども。
芸者と言うと、売春婦と混合されては困るなどというけれど、この小説を読む限り、新橋芸者は役者買いはするし、お座敷に出てそのまま客と枕を交えている。あんまり売春婦と変わりないのではないか。
主人公の駒代は旦那のほか2人の男をほぼぶっ続けで相手しなければならなくなり、そうかといって手を抜くことも出来ず、ふらふらに疲労困憊したり、横浜の海坊主(骨董屋)といやいや床をともにして、散々慰み者にされたりするのである。
他にも菊千代という芸者は羞恥心のかけらもない破廉恥で、話すことといえばあちらの話のみ。箱根では見知らぬ客に口唇愛撫を施したりしてしまう。
蘭花という、元有名な医者の妻だったという芸者は女優志望でシェークスピア劇に出たいなどとぬけぬけと抜かし、松井須磨子のサロメのような裸をさらすのは嫌だといいながら、お座敷ではストリップまがいのヌードショーを演じるのである。
大正時代の作品だが、いま読んでもエロチックで過激な描写が多い。当時としてはかなりショキングな内容で、大衆紙のエログロ記事のような感じで当時の読者はむさぼり読んだのではないだろうか。
ただエロ小説で終わっていないのは荷風の飾った文体と情緒的な描写。駒代の魅力的な造形と淋しい境遇への同情かもしれない。
『さゆり』を読んだり岩崎峰子さんの本を読んだりしたためかもしれない。
芸者と芸妓の違いはあるけれど。
新橋芸者の話というのが大時代がかっていて嫌だったのだが、こういう話は江戸の戯作風の文体でなければダメなのであろう。もちろん荷風調にアレンジされた戯作風の文体だけれども。
芸者と言うと、売春婦と混合されては困るなどというけれど、この小説を読む限り、新橋芸者は役者買いはするし、お座敷に出てそのまま客と枕を交えている。あんまり売春婦と変わりないのではないか。
主人公の駒代は旦那のほか2人の男をほぼぶっ続けで相手しなければならなくなり、そうかといって手を抜くことも出来ず、ふらふらに疲労困憊したり、横浜の海坊主(骨董屋)といやいや床をともにして、散々慰み者にされたりするのである。
他にも菊千代という芸者は羞恥心のかけらもない破廉恥で、話すことといえばあちらの話のみ。箱根では見知らぬ客に口唇愛撫を施したりしてしまう。
蘭花という、元有名な医者の妻だったという芸者は女優志望でシェークスピア劇に出たいなどとぬけぬけと抜かし、松井須磨子のサロメのような裸をさらすのは嫌だといいながら、お座敷ではストリップまがいのヌードショーを演じるのである。
大正時代の作品だが、いま読んでもエロチックで過激な描写が多い。当時としてはかなりショキングな内容で、大衆紙のエログロ記事のような感じで当時の読者はむさぼり読んだのではないだろうか。
ただエロ小説で終わっていないのは荷風の飾った文体と情緒的な描写。駒代の魅力的な造形と淋しい境遇への同情かもしれない。
2015年7月21日に日本でレビュー済み
男と女の色と欲、金と打算がうごめく花柳界の運動力学。蛇の道はへび、餅は餅屋、ツーと言えばカーのこの世界の完熟したシステムに感心。やや喜劇的に描かれる駒代の波瀾万丈人生航路、呉山老人のガンコ一徹が印象に残ります。
2009年6月19日に日本でレビュー済み
当初は私家版で新橋芸者を性技で泣かす場面がたくさんあったそうです。
公刊版になっても官能描写はけっこうあって楽しめます。
もちろん、今はなき花柳界のしかも新橋芸者が(歌舞伎)役者買いをしていたというような
風俗、芸者衆のお座敷前の様子もリアルに楽しめます。
また、江戸の昔を懐かしむ老人の境地なって、この物語の時点ですでに江戸は
過去になっているということに気づいて、最初から読み直すという楽しみもあります。
公刊版になっても官能描写はけっこうあって楽しめます。
もちろん、今はなき花柳界のしかも新橋芸者が(歌舞伎)役者買いをしていたというような
風俗、芸者衆のお座敷前の様子もリアルに楽しめます。
また、江戸の昔を懐かしむ老人の境地なって、この物語の時点ですでに江戸は
過去になっているということに気づいて、最初から読み直すという楽しみもあります。
2004年1月14日に日本でレビュー済み
いかにも永井荷風らしい、官能的にしてどろどろとした男女の模様。荷風小説の定番である芸者が、これまたヒロインなのです。お得意の体言止も満載だし、相変わらずワンパターン(褒め言葉!)。
2007年4月28日に日本でレビュー済み
本編で描かれているのは芸者駒代を中心とする新橋花柳界の人間模様であるが、やり方に
よってはいくらでも複雑なストーリー展開が期待できる題材(谷崎なら『卍』並みのドロドロした
人間関係を描くに違いない)にも関わらず、荷風の筆は多くの事を語りはしない。そう言うと
いかにもストーリー的に物足りないかのように思われるが、荷風の本質は谷崎のように複雑な
ストーリーを理路整然と語ることではなく、「空気」「雰囲気」を雅俗混交的な独自の文章で
我々読者に伝えることにあり、本編では今では失われた新橋花柳界の雑然としながらも情緒に
溢れた世界が十分に味わえることだろう。その意味では肝心の「空気」がいかにも希薄な
『墨東綺譚』などよりもずっと荷風の本質を表している作品と考えられる。(事実、「荷風ファン」
を自任する丸谷才一も墨東綺譚は「過大評価」と評している)。
よってはいくらでも複雑なストーリー展開が期待できる題材(谷崎なら『卍』並みのドロドロした
人間関係を描くに違いない)にも関わらず、荷風の筆は多くの事を語りはしない。そう言うと
いかにもストーリー的に物足りないかのように思われるが、荷風の本質は谷崎のように複雑な
ストーリーを理路整然と語ることではなく、「空気」「雰囲気」を雅俗混交的な独自の文章で
我々読者に伝えることにあり、本編では今では失われた新橋花柳界の雑然としながらも情緒に
溢れた世界が十分に味わえることだろう。その意味では肝心の「空気」がいかにも希薄な
『墨東綺譚』などよりもずっと荷風の本質を表している作品と考えられる。(事実、「荷風ファン」
を自任する丸谷才一も墨東綺譚は「過大評価」と評している)。