田口ランディという作家は、以前から知っていたし感心して読んだ。
デヴュー作のコンセントには衝撃を受けた。転移や逆転移はよくおこる現象だったが、
そういう名前がついている現象だとは当時は知らなかった。
さて、その田口ランディが震災後の2011年12月から2012年7月まで連載し、
終章を加えて2012年10月に書いた、サンカーラという作品をようやく読み終えた。
先ず、この一言を書いておく。「読むべきだ。」
彼女の壮絶な半生を振り返る内容になっているが、
震災をきっかけに、彼女自身が自分の体験を経験に再構成していく様が描かれている。
しかもその目論見は、はっきりいって道半ばなのだ。
しかし、それが非常にいい。彼女自身が認める、体裁を取り繕う部分がすっぽりと落ちて
自然体の田口ランディが立ち上がっている。
今回、ここには、印象に残った言葉をいくつか紹介しておきたい。
「ほんとうに、なにかすごいことが起こったとき、私たちはいつも受け身だ。
その運命を受け入れるしかない。」
「わたしは、死刑制度には反対です。」「ほう!それはなぜ?」(略)
「被害者に対する憐憫が悪い感情だとは思わない。でも、その個人的感情と、
法制度を分けて考える知性が……必要とされていると思う。」
2011年秋、イタリアで日本の状況を尋ねられて。
「…わたしはいま、つらいです。苦しいのです。イタリアにやってきて、わたしは痛感しました。
わたしたちが失ったものを。日本を離れて初めて、いったい自分たちがなにを失ったのか、
しみじみとわかったのです。
この街はとてもきれいです。歩いている人たちは、和やかに会話をして
みんな幸せそうに見えました。おいしい食事をして、家族や友達と一緒に過ごす。(略)
イタリアの生活は、わたしが子どもの頃の日本の暮らしを思い出させました。
子どもの頃、わたしは野の花の蜜を吸い、雪を食べて遊んでいたんですよ。
いま、わたしの住んでいる土地から放射性物質が検出され、お茶が出荷停止になりました。
日本では皆がなにを食べたら安全なのかと疑心暗鬼になり、スーパーの飲料水は
売り切れの状態です。(略)福島の子どもたちは、屋外では遊べません。福島に住んでいる
中学生の女の子たちは、放射線を浴びたからもう自分たちは結婚することも、
子どもを生むこともできない、そういうのです。それが現実です。わたしは、いま皆さんが
本当に羨ましいです。この国のあたりまえの生活を、わたしたちは失ってしまったんです…」
「ピナ・パウシュもまた老賢者のような存在で、彼女は若いダンサーたちに厳しく問い続けるのだ。
『あなたは、誰ですか?』と。
(略)いったい誰に向けてこの問いは発せられたのか。私なのか、
それとも隣に座っている人なのか。互いに顔を見合わせる。その時、問われた者として
立ち上がることが出来るかどうか…、それが生きるということかもしれない。
名乗り出なければならないのだ。自らの意思で。(略)
それでも、自分であるためには一歩前に出るしかないのだ。一歩ずつ、一ミリずつ、
退かずに前に出るのだ。それしかない。それしか、自分が誰かを知る方法はない。
そこを諦めたら、もう誰でもない私になってしまう。(略)人間であることを、楽しめ。」
「石牟礼道子さんは『もだえ神』という神さまのことを書いていた。
『もだえ神』とは苦しむ人の傍らで一緒にもだえる神であるという。
彼女は『もだえ神』として水俣を書いたのだ…とも。」
(これは、聖書に書かれた神の姿と一緒だ。その苦しみを具に見、その叫びを聞いたと
出エジプト記に記され、聴こえない人のもとで、天を仰いでため息をついたイエスと同じだ)
「自然界に感情をぶつけるわけですよ。だって生身の人間にはそこまで言えませんからね。
(略)だからね、言葉が通じないものに投げかけるんです。草木や空を飛んでいる
鳥であったり、海であったり、さかなであったりね。」
「自然は、…答えてくれるんですか?」
「答えは教えてくれないです。でも、慰めてくれるというか、やわらげてくれる。
いっしょに案じている。自然のほうからはけっして拒絶しない。」
「この俺にしてそういうことを思わせる自然は、ねえ、たいしたものだとおもいませんか。
ほれぼれすることがある。夕方の船の上で網をあげるまで夕陽をみながら
ゆっくりしている時間がある。凪ぎのなかにいだかれているあのときが、
なんとも、さわせな時間でねえ。日本政府なんて俺には関係ない。
なくてもいっちょこまらん。深い次元で対話しているんですわ、自然と。
(略)そういうのってのはやっぱり好かれちょるんじゃあないですか、この空間から。
好かれちょるってのは惚れられちょつってことですから。にんげんが大自然から
惚れられちょる。なにものにもかえがたい、かけがえのないもの、無償の価値って
いうんですかね、そういうものがあるんです。(略)この俺がね、自然に惚れられちょる、
すごいことだとおもいませんか…」「あんたも、この森に、惚れられちょるんですね。」
「兄の死は、私の内的な変容を促した。内的な変化ではない。変容だ。
土台ごと、根こそぎ、ひっくり返ったのだ。人生は地続きで変化するものだが、
あの時は違った。昨日と今日は別の場所だった。世界は同じままなのに、
私に見える風景が転じてしまった。この体験は稀有なものだった。
それまで信じていたものがあっさりと覆った。全てが思い込みだったという衝撃。
(略)『お兄ちゃんが、好きだ。』そのひと言でよかったのだ。」
「最初は頭で理解しようと必死だった。勉強すれば仏教が理解できると思っていた。
だが、次第にそれは間違いであったことに気づいていく。知識は無用ではないが、
私が仏教を知るためには役に立たなかった。
仏教は、前提として、知ることが出来ない。仏教は生きることしかできない。
仏教は体験を通して生きることのプロセスであり知識ではない。」
(これは、僕のキリスト教観と同じだ。イエスはキリスト教というものを知らない。
彼自身はユダヤ教徒だ。キリスト教の本質とは学ぶことが出来ないと思っている。
そのことを僕はキリスト教ではなく、キリスト道と言う方が近い、と表現する。
キリスト教の本質とはイエスの弟子でありたいと願い、そのように生きることに
他ならないからだ。)
この大切な本は、田口ランディの心の旅を綴った旅行記だ。
そして読了した者は、自分自身の心の旅に出てしまったことに気付くのだ。
田口ランディの文章は、そのように僕たちを誘う。
あなたは、この問いに答えられるか?
「あなたは、誰ですか?」
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発送元: 現在発送にお時間を頂戴しております。創業15年の信頼と実績。采文堂書店 販売者: 現在発送にお時間を頂戴しております。創業15年の信頼と実績。采文堂書店
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サンカーラ: この世の断片をたぐり寄せて 単行本 – 2012/10/22
田口 ランディ
(著)
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- 本の長さ250ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2012/10/22
- 寸法13.5 x 1.9 x 19.5 cm
- ISBN-104104622028
- ISBN-13978-4104622023
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2012/10/22)
- 発売日 : 2012/10/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 250ページ
- ISBN-10 : 4104622028
- ISBN-13 : 978-4104622023
- 寸法 : 13.5 x 1.9 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 784,411位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年10月26日に日本でレビュー済み
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2014年4月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これまでの作品に比べるとなんだかもの足りない、満腹にならない本。なぜレビューがいいのかよくわからない。サンカーラというほど仏教のことも出てこないし、、、
2012年10月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても静かな物語である。これをエッセイと読むのか私小説と読むのか、そんなことに囚われてしまう前に、まず一読してみてほしい。
著者の、心の襞の深さ、細かさに、思わず共振せずにはいられなくなる。
著者の、心の襞の深さ、細かさに、思わず共振せずにはいられなくなる。
2012年12月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ランディさんが同居されていた義理のお母さんの死の見取りと、
その後認知症を患い、どんどん生きるエネルギーをなくしてゆく
義理のお父さんの様子から、この本は始まります。
それと時期を同じくして起きた、東北の震災、原発事故。
ランディさんの文章は、国家レベルの大きな問題を取り上げても、
いつも自分の足元、泥臭い生活のところから離れません。
だから、私たち一般人の感情を揺さぶり、深く考えさせるし、
我々に大きな問題との接点の持ち方を教えてくれます。
こういうことを書けるのは、ランディさんだけではないでしょうか。
これを読んで、震災直後の不安に押しつぶされそうだった自分を思い出しました。
同時に、気づけばこんな短期間で
その時の気分を忘れかけている自分にも気づきました。
その後認知症を患い、どんどん生きるエネルギーをなくしてゆく
義理のお父さんの様子から、この本は始まります。
それと時期を同じくして起きた、東北の震災、原発事故。
ランディさんの文章は、国家レベルの大きな問題を取り上げても、
いつも自分の足元、泥臭い生活のところから離れません。
だから、私たち一般人の感情を揺さぶり、深く考えさせるし、
我々に大きな問題との接点の持ち方を教えてくれます。
こういうことを書けるのは、ランディさんだけではないでしょうか。
これを読んで、震災直後の不安に押しつぶされそうだった自分を思い出しました。
同時に、気づけばこんな短期間で
その時の気分を忘れかけている自分にも気づきました。
2013年1月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この著作は、何時か読み返す時が来るだろう。
「迷っても佛の中」読み終えて浮かんだ師の言葉。多くの身内の死に際に子どもの頃から立会い死が自然の事としてあるぼく。父にギリギリまで追い詰められ精神的に破綻したぼくが、成人してようやく受け入れた事実。ぼくの遥か先をランディさんは歩いておられる。
宮沢賢治の「硬い瓔珞」を思い出した。
いつも自らの有り様を厳しく問い直さざるを得ない育ち方、運命を生きて来た方。そんな人生なのに、何処からこんな草木の持つ正しさ、強さを体現した生き方が出てくるんだろう。
本の中で、どんな想いで広島・長崎・原発と向い合って来たのか、水俣と向き合ったのか、東北大災害、原発事故とその後に向かい合ったのかを、自らの親子兄弟の関係を語りながら文章化しておられる。
仏教にも深い造詣を持たれているのに、その死生観、諦念を敢えて持たずに今の現実にご自分の理性だけで向い合っておられる。
何処かで、「悟っても佛の中、迷っても佛の中」を持って今世を生きておられるようにも感じた。
ぼくが、今の境遇を超えた時、再びこの本を読み返すんだろうな。
「迷っても佛の中」読み終えて浮かんだ師の言葉。多くの身内の死に際に子どもの頃から立会い死が自然の事としてあるぼく。父にギリギリまで追い詰められ精神的に破綻したぼくが、成人してようやく受け入れた事実。ぼくの遥か先をランディさんは歩いておられる。
宮沢賢治の「硬い瓔珞」を思い出した。
いつも自らの有り様を厳しく問い直さざるを得ない育ち方、運命を生きて来た方。そんな人生なのに、何処からこんな草木の持つ正しさ、強さを体現した生き方が出てくるんだろう。
本の中で、どんな想いで広島・長崎・原発と向い合って来たのか、水俣と向き合ったのか、東北大災害、原発事故とその後に向かい合ったのかを、自らの親子兄弟の関係を語りながら文章化しておられる。
仏教にも深い造詣を持たれているのに、その死生観、諦念を敢えて持たずに今の現実にご自分の理性だけで向い合っておられる。
何処かで、「悟っても佛の中、迷っても佛の中」を持って今世を生きておられるようにも感じた。
ぼくが、今の境遇を超えた時、再びこの本を読み返すんだろうな。
2019年6月6日に日本でレビュー済み
ランディーさんの、『悩み苦しみ、みんな思い込みで苦労している』に同意です。知っているだけでは、なにも分かっていない。体験を抜きにしての思考なんてナンセンスであると、全くその通りだと思います。
2012年12月4日に日本でレビュー済み
「これは実話なのか、それとも、物語なのか・・・。たぶん実話。」これは著者が昔「苦海浄土」を読
んだ時の印象だ。そして本書にも同様のことが感じられる。
元々自分の生い立ちや実体験をベースにした作品が多い作家ではあるが、本書も3.11をトリガーと
して、この1年半に著者の身に起きた実体験がベースになっていることは間違いない作品なのだろう。
昔からのSFファンでニューエイジやエスニック文化にも興味があった私は、著者のデビュー作である
「コンセント」とぴったり波長が合い、それ以来彼女の小説やエッセイを結構よく読んでいた。
4年前には神戸で開催された、著者の作品を通して知ったアシリ・レラさんのトークショーで偶然に会
ったこともある。
仏教にも興味があり、親の介護や入退院で苦労したといった部分でも共通点があって、ファンの一人だ
ったといえる。 3.11までは・・・
3.11直後から、著者のブログ「いま、伝えたいこと」には、福一に関して専門家による見解などが
頻繁に書かれるようになったのだが、どうもその内容がイマイチ???・・・だったのだ。
福一の事故は大事故には違いないが致命的ではない・・といった希望的観測のようなニュアンスが常に
記事の背景に通奏低音のように流れていて、ほぼ確実にメルトダウンし大規模な放射能汚染が広がりつ
つあるという私個人の深刻な認識とのズレを当初から常に感じていた。
それは東北大の専門家が推進側の学者ということが直接の原因ではあったが、原発には基本的に反対の
著者自身も、突然の大事故に自分の立ち位置を見失い彷徨っているさまが透けて見えるように思えた。
読み続けるうちに次第にモヤモヤが募ってイライラに変わり読むことが苦痛になっていき、いつしか著者の
ブログや作品からも距離を置くようになっていった。
そして今年の初め、Amazonで偶然著者の「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ: 原子力を受け入れた日本」
を見つけ、他の本と一緒になんとなく購入(^^;。
そこには、著者が日本人と原爆と原子力の関係を、その大元にまで遡って真摯に向き合い学んでいる姿
があった。まだ学習ノートのレベルではあったが、何かこれまでとは違うタイプの新しい作品が生まれ
出ようとしている胎動の予感を感じた。
10月になって3.11をテーマとした作品がついに出るという話を聞き、しかもタイトルが「サンカーラ」
とくれば、これは期待せずにはいられない。しかし、10月後半は今年2回目のインド行で日本にはいない
し、11月前半は友人の出版記念講演会の企画・準備に忙殺された。
結局品切れ続出?の中、本書をなんとか入手して読了したのは、12月の初めとなった。
3.11は戦後の日本が経験した最大の大災害であり、福島第一原発の事故は最大の人災である。
その全国民に共通した重要な記憶を、本書を通して著者の体験を一緒に辿ることで、読者もそれぞれの
自分の過去1年半の時の流れを再び追体験し、自らの心の内面と向き合わざるを得なくなる。
それは人によっては、非常に大きな葛藤や苦しみ・悲しみを伴うものかもしれない。
仏教における「サンカーラ(savkhara:パーリ語)」とは、「諸行無常」の「行」にあたる言葉である。
社会の基本的な構造や常識、様々な社会的な制約や暗黙のルール。そしてそれらに対応して形成された
自己の心の中の感情や思考パターン・意識・価値観etc. それらをサンカーラという。
そして著者はサンカーラは、「いつしか垢のように魂にこびりつき、精神や肉体をも歪める」という。
ブッダはこの「魂の垢」を削ぎ落とすことを最初に主張した人である。
人の苦しみは自らの心が生み出した幻影であり、サンカーラに縛られる必要がないと理解すれば、人は
苦しみから解放されることができる。これこそ人が心の平安に至る道であると。
我々凡夫にとって、外的要因を疑うことは比較的簡単だ。しかし、自らの内面と向き合いその歪みを自
覚することは容易な作業ではない。著者と同様に苦痛の連続となる。
そこで一番重要となるのが対話である。
ここでいう対話とは単なるコミュニケーションではない。人間の生き方の本質を突いた問いによって魂
の垢を削ぎ落とし、本来の姿を取り戻す再生の過程なのだ。著者が今も続けるダイアローグ研究会もそ
の試みの一つなのだろう。
本書は田口ランディにとっての「苦海浄土」であり、まだほんの序章に過ぎない(と思われ・・)。
フクシマとブッダ・・・著者の中でこの大きなテーマがどのように発展し熟成・深化されていくのか?
次作が楽しみな展開となってきた。
んだ時の印象だ。そして本書にも同様のことが感じられる。
元々自分の生い立ちや実体験をベースにした作品が多い作家ではあるが、本書も3.11をトリガーと
して、この1年半に著者の身に起きた実体験がベースになっていることは間違いない作品なのだろう。
昔からのSFファンでニューエイジやエスニック文化にも興味があった私は、著者のデビュー作である
「コンセント」とぴったり波長が合い、それ以来彼女の小説やエッセイを結構よく読んでいた。
4年前には神戸で開催された、著者の作品を通して知ったアシリ・レラさんのトークショーで偶然に会
ったこともある。
仏教にも興味があり、親の介護や入退院で苦労したといった部分でも共通点があって、ファンの一人だ
ったといえる。 3.11までは・・・
3.11直後から、著者のブログ「いま、伝えたいこと」には、福一に関して専門家による見解などが
頻繁に書かれるようになったのだが、どうもその内容がイマイチ???・・・だったのだ。
福一の事故は大事故には違いないが致命的ではない・・といった希望的観測のようなニュアンスが常に
記事の背景に通奏低音のように流れていて、ほぼ確実にメルトダウンし大規模な放射能汚染が広がりつ
つあるという私個人の深刻な認識とのズレを当初から常に感じていた。
それは東北大の専門家が推進側の学者ということが直接の原因ではあったが、原発には基本的に反対の
著者自身も、突然の大事故に自分の立ち位置を見失い彷徨っているさまが透けて見えるように思えた。
読み続けるうちに次第にモヤモヤが募ってイライラに変わり読むことが苦痛になっていき、いつしか著者の
ブログや作品からも距離を置くようになっていった。
そして今年の初め、Amazonで偶然著者の「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ: 原子力を受け入れた日本」
を見つけ、他の本と一緒になんとなく購入(^^;。
そこには、著者が日本人と原爆と原子力の関係を、その大元にまで遡って真摯に向き合い学んでいる姿
があった。まだ学習ノートのレベルではあったが、何かこれまでとは違うタイプの新しい作品が生まれ
出ようとしている胎動の予感を感じた。
10月になって3.11をテーマとした作品がついに出るという話を聞き、しかもタイトルが「サンカーラ」
とくれば、これは期待せずにはいられない。しかし、10月後半は今年2回目のインド行で日本にはいない
し、11月前半は友人の出版記念講演会の企画・準備に忙殺された。
結局品切れ続出?の中、本書をなんとか入手して読了したのは、12月の初めとなった。
3.11は戦後の日本が経験した最大の大災害であり、福島第一原発の事故は最大の人災である。
その全国民に共通した重要な記憶を、本書を通して著者の体験を一緒に辿ることで、読者もそれぞれの
自分の過去1年半の時の流れを再び追体験し、自らの心の内面と向き合わざるを得なくなる。
それは人によっては、非常に大きな葛藤や苦しみ・悲しみを伴うものかもしれない。
仏教における「サンカーラ(savkhara:パーリ語)」とは、「諸行無常」の「行」にあたる言葉である。
社会の基本的な構造や常識、様々な社会的な制約や暗黙のルール。そしてそれらに対応して形成された
自己の心の中の感情や思考パターン・意識・価値観etc. それらをサンカーラという。
そして著者はサンカーラは、「いつしか垢のように魂にこびりつき、精神や肉体をも歪める」という。
ブッダはこの「魂の垢」を削ぎ落とすことを最初に主張した人である。
人の苦しみは自らの心が生み出した幻影であり、サンカーラに縛られる必要がないと理解すれば、人は
苦しみから解放されることができる。これこそ人が心の平安に至る道であると。
我々凡夫にとって、外的要因を疑うことは比較的簡単だ。しかし、自らの内面と向き合いその歪みを自
覚することは容易な作業ではない。著者と同様に苦痛の連続となる。
そこで一番重要となるのが対話である。
ここでいう対話とは単なるコミュニケーションではない。人間の生き方の本質を突いた問いによって魂
の垢を削ぎ落とし、本来の姿を取り戻す再生の過程なのだ。著者が今も続けるダイアローグ研究会もそ
の試みの一つなのだろう。
本書は田口ランディにとっての「苦海浄土」であり、まだほんの序章に過ぎない(と思われ・・)。
フクシマとブッダ・・・著者の中でこの大きなテーマがどのように発展し熟成・深化されていくのか?
次作が楽しみな展開となってきた。