いやさ、真面目でした。
自分には文学というものが皆目分からないのですが、一見奇を衒ったような文章の中で、「私」があまりにも正気だということだけは分かりました。狂おしいほどに。その正気さは、「私」の行動が、そして文章が奇であればある程に際立つのでしょうか。いや、どの様な文体で書こうとも雰囲気で書こうとも、多分この正気さはブレないと思うのです。それくらい強烈な意識。もう、悲しいほどに。
真面目なのです。書けば書くほどに。なにせこの物語自体、「キノコ食っちゃった言い訳」なのですから、ほんと真面目なのです。愛おしいほどに。壊れそうなほどに。親にも読ませればいいのに。
などなど思いました。
☆が三つなのは、古い作品とブログで既に出している作品しか載っていなかったからです(半分読んでから「あれ、これ全部読んだことあるかも」と気付いた)。文学的評価は他の人に任せます。

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菌 くさびら (名刺文庫-002) 文庫 – 2012/5/6
くさびらしさとは何か? 人類普遍のテーマをみずみずしい文体で書きあげた二十歳の原点。上京失敗。シスターコンプレックス。夢が壊れました。就職戦線異常あり。いつの時代も変わらぬ若者と、誰にも知られずに誕生していたゼロ年代の文学。余りにもくさびらしい表題作を始め、無頼派とプロレタリア文学との間に産まれ落ちた苦しみを描く『その頃、セブンスターは二五〇円だった』そして、社会に抑圧された自同律が無限増殖した時、止まらない連想が物語になることを証明した『なまえはまだない。』など、根暗の著者が躁期に書いた可能性のあるくさびらしい三篇をこの一冊に。ライトノベルでも漫画でもゲームでもない新戯作派、もうひとつの可能性の文学。
商品の説明
著者について
山本 清風(やまもと・せいふう)
戯作リハビリスト。1980年、北海道生まれ。思春期頃からリハビリを始め、高校在学中にベストを含む4枚のアルバムをリハビリ。上京後の2000年、4トラックMTRで多重録音した「千手観音アワー」をリハビリする。その後バンドを結成しリハビリを続けるも大学卒業の2003年に喰い詰め、十代から続けていた文学的なリハビリへと本格的に切り換える。2004年ブログ「山本清風のリハビログ」を開設、2011年からは文学フリマに出展するなど、現在も精力的にリハビリを続けている。
戯作リハビリスト。1980年、北海道生まれ。思春期頃からリハビリを始め、高校在学中にベストを含む4枚のアルバムをリハビリ。上京後の2000年、4トラックMTRで多重録音した「千手観音アワー」をリハビリする。その後バンドを結成しリハビリを続けるも大学卒業の2003年に喰い詰め、十代から続けていた文学的なリハビリへと本格的に切り換える。2004年ブログ「山本清風のリハビログ」を開設、2011年からは文学フリマに出展するなど、現在も精力的にリハビリを続けている。
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