先達に関わりますので、第七章「居残り佐平次」について。フランキー堺氏がとりあげられています。だいぶ立川談志氏を傷つけてしまったようですね。ことは、大阪芸大教授の仕事にかかります。
しかし、著者は、堺氏の『幕末太陽傳』と「喜劇旅行」シリーズの中での演技をあわせて論じます。これは公正な態度で、そして、そこから続けての立論をお読みいただきたい。さいごに、著者いわく、
「『お先に勉強させていただきます』とフランキーさんに言ってから二十年以上の歳月がかかって、この秘話は完成したのでございます。」
この語り口を味わっていただきたいとも思います。

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雨ン中の、らくだ (新潮文庫 た 100-1) 文庫 – 2012/5/28
立川 志らく
(著)
- 本の長さ313ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2012/5/28
- ISBN-104101367213
- ISBN-13978-4101367217
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2012/5/28)
- 発売日 : 2012/5/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 313ページ
- ISBN-10 : 4101367213
- ISBN-13 : 978-4101367217
- Amazon 売れ筋ランキング: - 258,219位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,797位新潮文庫
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年7月11日に日本でレビュー済み
師匠の談志だけに向けて話をしているので、主義主張がコロコロ変わり、読者を含めてその他の登場人物への当たりはきつい。故人や目上の者に対しても全否定するや、すかさず「この人は別格ですけど」などと救いの舟を出して、バランスを取っているつもりだろうが、論理のすり替えが余りに多いので、マッチポンプの火が全然消せていなくて可笑しい。自分では愛嬌者と自負しているが、談志のイエスマンで言いつけ魔の陰湿な性格がもろに筆致に出ている。日記か、弟子への小言レベルの内容なので、志らくの弟子っ子疑似体験希望の向きには丁度良い商品である。自分にこの上なく都合の良い考え方のサンプル例のような文章も多く、心の弱い人、謙虚過ぎる人には是非ご購読賜り、もっと志らく大センセイのように図太く生きて頂きたく願い上げます。
2015年8月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
兄弟子の談春の赤めだかの後に出た本ですが、若いときからのライバルの志らくが
書いた本なので期待して読みましたがちょっとひどいですね
赤めだかの出来が良すぎたのを差し引いても文章の内容が独りよがりすぎて気持ち悪く
感じます 映画や芝居や本どれをとっても中途半端に思われ本業をがんばって欲しいです
談志を変な意味で意識しすぎに思います 文才は無いと思います
書いた本なので期待して読みましたがちょっとひどいですね
赤めだかの出来が良すぎたのを差し引いても文章の内容が独りよがりすぎて気持ち悪く
感じます 映画や芝居や本どれをとっても中途半端に思われ本業をがんばって欲しいです
談志を変な意味で意識しすぎに思います 文才は無いと思います
2015年1月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
率直で気持ちのこもったいい本だ。なぜか著者の自慢だと批判するレビューも多いが、著者自身も言ってるように、自分の素直な主観を書いていて、むしろ歯切れの良さに好感は持てる。師匠談志への心酔ぶりもすごい。
2013年4月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
もう一年半も経つ談志家元の死去以来、いろいろと言われている。
自分の師匠の死を商売にしている、云々。
談春師匠が沈黙を守る中で、志らく師匠は家元を語り続けている。
この本も、単行本は家元存命中の出版で、文庫化は家元の死去の後。
先日志らく師匠の噺を聴かせていただく機会があったが、よく言われるように間違いなく家元に似ている。
ネタとしても家元のネタを枕でふっていた。
どう扱おうとそれは勝手。
家元に似せた芸であろうとなかろうと、結局芸として練られているかどうか。
立川談志という噺家の記憶も影響も全くない世代の客を相手に、ウケるかどうか。
それが勝負なのだろう。
落語へのアプローチ方法が、誰譲りであろうとそれが問題にはならない。
家元の噺は映像や音源でしか鑑賞できない私としては、志らく師匠の芸は「また聴きたい」と思わせるに充分であったし、この本を読むことで、志らく師匠の落語に取り組むスタンスや、プロの噺家の気概、家元の弟子としてのプライドが伝わってくる。
好きで好きで仕方ない相手が亡くなり、その相手への想いを伝えるメディアを持っているんだから、その想いが尽きるまで伝え続けてくださって良い。
勝負はその先にあるが。
自分の師匠の死を商売にしている、云々。
談春師匠が沈黙を守る中で、志らく師匠は家元を語り続けている。
この本も、単行本は家元存命中の出版で、文庫化は家元の死去の後。
先日志らく師匠の噺を聴かせていただく機会があったが、よく言われるように間違いなく家元に似ている。
ネタとしても家元のネタを枕でふっていた。
どう扱おうとそれは勝手。
家元に似せた芸であろうとなかろうと、結局芸として練られているかどうか。
立川談志という噺家の記憶も影響も全くない世代の客を相手に、ウケるかどうか。
それが勝負なのだろう。
落語へのアプローチ方法が、誰譲りであろうとそれが問題にはならない。
家元の噺は映像や音源でしか鑑賞できない私としては、志らく師匠の芸は「また聴きたい」と思わせるに充分であったし、この本を読むことで、志らく師匠の落語に取り組むスタンスや、プロの噺家の気概、家元の弟子としてのプライドが伝わってくる。
好きで好きで仕方ない相手が亡くなり、その相手への想いを伝えるメディアを持っているんだから、その想いが尽きるまで伝え続けてくださって良い。
勝負はその先にあるが。
2015年10月21日に日本でレビュー済み
『談志のことば』(立川志らく著。徳間書店、2012年。文庫版、2013年)の冒頭を借りる。
談志と志らくのことを、さらには落語という芸能を熟知していないと楽しめないマニアックな内容なのだ。わかりやすく言えば、馬鹿にはわからない。
これは歴史的ベストセラーとなった兄弟子・談春(TBSのドラマ「ルーズヴェルトゲーム」で主役を食わんばかりの悪役を演じた人)が書いた『赤めだか』と対比してのことと解釈しているが、志らくは「嫌いであれば結構」といわんばかりのスタンスを取っている。おそらく「談志の幻影ばかり追い続けやがって」という屁理屈も通用しないだろう。この人はかつての談志の邸宅であった練馬の家をリフォームして住んでいるんだよ。談志の幻影を追いかけるレベルが違うというものだ。
困ったな。こっちは落語も知らないのに、楽しめている。追悼番組でやっていた「芝浜」や「ぞろぞろ」などを見て「凄い!」と言ってる程度の知識しかない。前座噺の「道灌」もおぼろげに知る程度か。エッセイのサブタイトルは噺のタイトル。知っているのは「短命」や「堀の内」くらいか。
なぜ楽しめるかは、文体は向田邦子に影響を受けたとある。そうだ。学生時代に向田邦子のエッセイを愛読していた。談志を父・向田敏雄に置き換えている自分がいたせいかもしれない。「帰ってもいいぞ」という件。出張のために邦子が駅に見送りに行き、シッシッとニワトリを追い払うような仕草をしたために邦子は帰宅した。ところが、出張から帰ってから「あいつは薄情な娘だ。帰れという仕草をしたら本当に帰りやがった」というくだりがある。それを思い出したのだ。談志が向田敏雄に見えてからは、彼の一挙手一投足が愛らしく思えるようになって、現在に至る。あくまでも談志の噺家としての側面ではなく、人間談志の魅力だ。
もっともそれは志らくが売れて岩手に来なくなって(志らくは2013年6月29日まで、IBCラジオで「歌の花道」という番組をやっていた。番組終了後に談志は死んだと書いたことがあったが、訂正する)、文章で志らくチャージ(?)するようになってからのことである。志らくを知ったのは、彼が「懐メロファン」だということだ。NHKやテレビ東京ではお目にかかれないような渋い楽曲を取り上げて放送してくれるので、毎週の放送を楽しみにしていた。そういう「どうでもいい」ことでもこの本を楽しめる資格があるということにして、星5つにしたまでのこと。談志が「懐メロファン」であり、彼が「師匠との価値観の一致が真打昇進の条件」とあるから、それに合わせただけかもしれない。けど、二葉あき子のファンは渋すぎないか。談志もフェイヴァリットにはしていないようだし。
さて、この文庫本の解説は吉川牛男ならぬ吉川潮氏が担当されている。なぜ牛男なのかは本著でどうぞ。また、志らくと談志をつなげてくれた媒酌人じゃなかった大恩人、高田文夫氏の言葉が随所に登場するが、その中でもトライアルの会での発言が面白い。「我々は反対ですが、こやつを真打にしちゃいますか」。立川流における二つ目昇進および真打昇進は談志の鶴の一声。あえて「反対」といいながらも、おそらくその会に出席していた重役連中は全員賛成していたことだろう。師匠からOKを貰ったトライアルの会は散々の出来だったというけど、真打の資格があることを談志に認めてもらう目的であって、スキルアップの勉強会とか、金とって噺をやる会じゃない。
この本は高田先生や談志の邂逅からはじまる前座時代よりも「二つ目時代」の方がはるかにドラマチックだ。プロの噺家は真打を目指して修行に励むのだが、談志の小言以上の試練が志らくを待っていた。志らく=シネマ落語のイメージが強いが、その「シネマ落語」誕生のいきさつが克明に描かれている。落語百席に歌舞音曲、談志と同一の価値観、客を呼べる人気。これが志らくの考える真打昇進の基準だが、それをクリアすれば早く真打になれただろう。だが、落語のミューズは志らくにこれでもかと試練を課し、志らくを迷走させ、迷走の果ての「奇行」が高田文夫先生を激高させる。ついに志らくから「家庭」を奪い、精神的にも肉体的にも滅茶苦茶にするのだが、実はその経験がいっさい無駄にはなってはいない。迷走の果てに見えたもの。それが「シネマ落語」だったのではないか。真打昇進試験を願い出た時点で「歌舞音曲だけだ」と談志に語らせている。むしろ、早く真打になっちまえといわんばかりの口ぶりだ。これは前座時代から「師匠の好きなものを吸収することでセンスを磨いた」結果だろう。当然、談春という「好敵手」がいたことも影響しているだろうが。その談春だって、西城秀樹のミュージカルに出演し、西城秀樹の隣でできもしないダンスを懸命にやっていたのだから。ちなみに「立川流における昇進試験の厳しさ」にも触れている。談志を愛し、落語を愛している姿勢を見せれば昇進はできる。まさにその通りである。NHKで「昇進試験」の様子が放映されたことがあるが、、もの凄い形相の談志にビビる若手が印象ぶかかった。この本でも4人の昇進試験の様子が描かれているが、散々な出来とある。どんな名噺家だって、みっともない「初心」があったのだ。初心忘れるべからず、まさにそのとおりだと思う。
とにかく「狂人宣言をいたします」で星5つにしたようなものだ。レビューになっていない駄文だが、面白かったからそう書いた。ただ、この文の感じ方には個人差がある。馬鹿にはわからない。星1つのレビューも読んだけど、なんとなくわかる。
談志と志らくのことを、さらには落語という芸能を熟知していないと楽しめないマニアックな内容なのだ。わかりやすく言えば、馬鹿にはわからない。
これは歴史的ベストセラーとなった兄弟子・談春(TBSのドラマ「ルーズヴェルトゲーム」で主役を食わんばかりの悪役を演じた人)が書いた『赤めだか』と対比してのことと解釈しているが、志らくは「嫌いであれば結構」といわんばかりのスタンスを取っている。おそらく「談志の幻影ばかり追い続けやがって」という屁理屈も通用しないだろう。この人はかつての談志の邸宅であった練馬の家をリフォームして住んでいるんだよ。談志の幻影を追いかけるレベルが違うというものだ。
困ったな。こっちは落語も知らないのに、楽しめている。追悼番組でやっていた「芝浜」や「ぞろぞろ」などを見て「凄い!」と言ってる程度の知識しかない。前座噺の「道灌」もおぼろげに知る程度か。エッセイのサブタイトルは噺のタイトル。知っているのは「短命」や「堀の内」くらいか。
なぜ楽しめるかは、文体は向田邦子に影響を受けたとある。そうだ。学生時代に向田邦子のエッセイを愛読していた。談志を父・向田敏雄に置き換えている自分がいたせいかもしれない。「帰ってもいいぞ」という件。出張のために邦子が駅に見送りに行き、シッシッとニワトリを追い払うような仕草をしたために邦子は帰宅した。ところが、出張から帰ってから「あいつは薄情な娘だ。帰れという仕草をしたら本当に帰りやがった」というくだりがある。それを思い出したのだ。談志が向田敏雄に見えてからは、彼の一挙手一投足が愛らしく思えるようになって、現在に至る。あくまでも談志の噺家としての側面ではなく、人間談志の魅力だ。
もっともそれは志らくが売れて岩手に来なくなって(志らくは2013年6月29日まで、IBCラジオで「歌の花道」という番組をやっていた。番組終了後に談志は死んだと書いたことがあったが、訂正する)、文章で志らくチャージ(?)するようになってからのことである。志らくを知ったのは、彼が「懐メロファン」だということだ。NHKやテレビ東京ではお目にかかれないような渋い楽曲を取り上げて放送してくれるので、毎週の放送を楽しみにしていた。そういう「どうでもいい」ことでもこの本を楽しめる資格があるということにして、星5つにしたまでのこと。談志が「懐メロファン」であり、彼が「師匠との価値観の一致が真打昇進の条件」とあるから、それに合わせただけかもしれない。けど、二葉あき子のファンは渋すぎないか。談志もフェイヴァリットにはしていないようだし。
さて、この文庫本の解説は吉川牛男ならぬ吉川潮氏が担当されている。なぜ牛男なのかは本著でどうぞ。また、志らくと談志をつなげてくれた媒酌人じゃなかった大恩人、高田文夫氏の言葉が随所に登場するが、その中でもトライアルの会での発言が面白い。「我々は反対ですが、こやつを真打にしちゃいますか」。立川流における二つ目昇進および真打昇進は談志の鶴の一声。あえて「反対」といいながらも、おそらくその会に出席していた重役連中は全員賛成していたことだろう。師匠からOKを貰ったトライアルの会は散々の出来だったというけど、真打の資格があることを談志に認めてもらう目的であって、スキルアップの勉強会とか、金とって噺をやる会じゃない。
この本は高田先生や談志の邂逅からはじまる前座時代よりも「二つ目時代」の方がはるかにドラマチックだ。プロの噺家は真打を目指して修行に励むのだが、談志の小言以上の試練が志らくを待っていた。志らく=シネマ落語のイメージが強いが、その「シネマ落語」誕生のいきさつが克明に描かれている。落語百席に歌舞音曲、談志と同一の価値観、客を呼べる人気。これが志らくの考える真打昇進の基準だが、それをクリアすれば早く真打になれただろう。だが、落語のミューズは志らくにこれでもかと試練を課し、志らくを迷走させ、迷走の果ての「奇行」が高田文夫先生を激高させる。ついに志らくから「家庭」を奪い、精神的にも肉体的にも滅茶苦茶にするのだが、実はその経験がいっさい無駄にはなってはいない。迷走の果てに見えたもの。それが「シネマ落語」だったのではないか。真打昇進試験を願い出た時点で「歌舞音曲だけだ」と談志に語らせている。むしろ、早く真打になっちまえといわんばかりの口ぶりだ。これは前座時代から「師匠の好きなものを吸収することでセンスを磨いた」結果だろう。当然、談春という「好敵手」がいたことも影響しているだろうが。その談春だって、西城秀樹のミュージカルに出演し、西城秀樹の隣でできもしないダンスを懸命にやっていたのだから。ちなみに「立川流における昇進試験の厳しさ」にも触れている。談志を愛し、落語を愛している姿勢を見せれば昇進はできる。まさにその通りである。NHKで「昇進試験」の様子が放映されたことがあるが、、もの凄い形相の談志にビビる若手が印象ぶかかった。この本でも4人の昇進試験の様子が描かれているが、散々な出来とある。どんな名噺家だって、みっともない「初心」があったのだ。初心忘れるべからず、まさにそのとおりだと思う。
とにかく「狂人宣言をいたします」で星5つにしたようなものだ。レビューになっていない駄文だが、面白かったからそう書いた。ただ、この文の感じ方には個人差がある。馬鹿にはわからない。星1つのレビューも読んだけど、なんとなくわかる。
2009年3月27日に日本でレビュー済み
この人の著作は何冊が読んでるが、談志のパロディーとして
それなりにおもしろかった。
談春の赤めだかは感動もあったが、これは痛々しい。
シネマ落語のヒットで完全に引き離したと思った・・・
最大のライバルだ・・・・
談春に対する嫉妬の言葉が痛い。
昨年は談春に完全に落語家として差をつけられたのは自他とも
に認める事実だ。
談志に対して、かなりの崇拝ともいえる記述が多い。
談志は売れてる弟子が好きなので、志ノ輔、談春に対する嫉妬で
であせりでもあるのでは。
それなりにおもしろかった。
談春の赤めだかは感動もあったが、これは痛々しい。
シネマ落語のヒットで完全に引き離したと思った・・・
最大のライバルだ・・・・
談春に対する嫉妬の言葉が痛い。
昨年は談春に完全に落語家として差をつけられたのは自他とも
に認める事実だ。
談志に対して、かなりの崇拝ともいえる記述が多い。
談志は売れてる弟子が好きなので、志ノ輔、談春に対する嫉妬で
であせりでもあるのでは。
2009年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
志らくさんの修行話に思わず笑ってしまいます。電車の中で笑いをこらえるよりは、遠慮なく笑える場所でお読みになることをお勧めします。