「1964年ミシシッピー州の小さな町で3人の公民権活動家が姿を消した。
徹底した人種差別のはびこる南部の町で捜査に乗り出すFBI捜査官、司法省からきたウォードとたたき上げのアンダーソン。
彼らが事件の核心に迫るほど、焼き討ち、リンチ、殺人が続発する。
ピンチをくぐり抜け、2人は真相に迫るのだが…」
(本DVDパッケージの解説より)
作中ではバックグラウンドも経歴も年齢も全く異なる二人の捜査官の対立関係がストーリーの進展と共に描かれ、良い意味での緊張感を高めており、それぞれ、ジーン・ハックマン、ウィレム・デフォーが好演しています。
また、フランシス・マクドーマンドが演じる保安官補の妻の「この醜い町で暮らすのがどんな事か解るか」「でも、ここで生まれ、多分ここで死ぬ。この町からは出てはいかない」という嘆きと諦め、それでも持ち続けている故郷への愛着は、アメリカ南部の閉鎖性、社会の歪みと共に彼らの「気質」が伝わる、とても重いものでした。
2020年5月に発生した黒人男性に対する白人警官による暴行致死をきっかけに米国で拡大した反人種差別デモが、未だに収束をみせません。
抗議の名を借りた略奪や破壊は論外としても、かの国において未だに続く人種差別の現実を裏付ける事象と感じます。
その背景には、今なお人種間に厳に存在する格差があるのだと思います。
貧困層に占める有色人種の割合は依然として高く、彼らの経済的困窮が犯罪発生を誘発している事は明らかだからです。
レストランで座る席が分けられている。
公衆トイレや水飲み場も分けられている。
公共のバスの車内でも席が分けられている。しかも、白人の席が足りなくなると運転手は黒人を立たせ、指示に従わないと逮捕される。
1960年代の公民権運動を経て、本作でも描写されている様な「目に見える差別」は無くなりました。
一方で、有色人種お断りのレストランは現在でも存在すると言われています。
また、黒人の間では「例え理不尽な扱いを受けたとしても、警官には逆らうな」という共通認識に今もなお変わりはないそうです。
私たちには想像出来ない程、米国社会の宿痾は根深い。
人種差別が存在する限り、私たち黄色人種も差別される側の一員です。
アラン・パーカー監督が発したメッセージは、現在でも、また私たちにとっても、強い問題提起として受け止め得るものだと再認識した映画でした。