子どもと大人の被曝の問題はもっとも重要な問題なのに追究したものが少ない。
QAなどの書き方がわかりやすい。「続」をお願いしたい。

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原発・放射能 子どもが危ない (文春新書) 新書 – 2011/9/16
小出 裕章・黒部 信一
(著)
福島第一原発からの止まらない放射能汚染。子どもたちを見えない敵から守るために、今、絶対に知っておかなければいけないこと
- ISBN-10416660824X
- ISBN-13978-4166608249
- 出版社文藝春秋
- 発売日2011/9/16
- 言語日本語
- 本の長さ192ページ
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商品の説明
著者について
小出裕章 1949年、東京生まれ。京都大学原子炉実験所助教。1974年、東北大学大学院工学研究科修士課程修了(原子核工学)。専門は放射線計測、原子力安全。著書に『隠される原子力・核の真実』(創史社)、『放射能汚染の現実を超えて』(河出書房新社)、『原発のウソ』(扶桑社)、『原発はいらない』(幻冬舎)など。
黒部信一 1941年、東京生まれ。1966年、慶應大学医学部卒業。その後、総合小児科医として、国立埼玉病院医長、吹上共立診療所所長を経て2010年より堀ノ内病院小児科勤務。現在、「未来の福島子ども基金」代表、「チェルノブイリ子ども基金」顧問。著書に『院長先生のここがまちがい小児医療』(現代書館)。
黒部信一 1941年、東京生まれ。1966年、慶應大学医学部卒業。その後、総合小児科医として、国立埼玉病院医長、吹上共立診療所所長を経て2010年より堀ノ内病院小児科勤務。現在、「未来の福島子ども基金」代表、「チェルノブイリ子ども基金」顧問。著書に『院長先生のここがまちがい小児医療』(現代書館)。
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2011/9/16)
- 発売日 : 2011/9/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 192ページ
- ISBN-10 : 416660824X
- ISBN-13 : 978-4166608249
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,048,667位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,589位文春新書
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年9月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
原子力の専門家の立場で40年以上も原発に反対している、
反骨の原子物理学者:小出裕章氏が「科学のことば」からだけではなく、
哲学・生き方の観点からも、原子力の問題・特に子供の被爆問題
に関して問題提起及びそれに対する処方箋の模索を行った書です。
それに加え、小児科医であり未来の福島こども基金代表の黒部信一氏が、
チェルノブイリ原発事故での経験・データを交えながら、
放射能の医学的な問題点の提示及び、
現実的な範囲での具体的な対応策の提言を行っています。
3.11以降、確からしいことは福島県のほとんどが
法律で定められているところの「放射線管理区域」
−必要な者以外立ち入り禁止・飲食禁止−
レベルの放射能汚染があり、福島県周辺も広範囲に
放射能に汚染され・汚染は現在も続いているという事実です。
人類はスリーマイル・チェルノブイリというたった2回の
原発事故しか経験しておらず何が今後起こるかわかりません。
具体的な影響・被害がわかるのは一部の小児癌を除いては
ずっと先の事でしょう。その時になってから後悔しても時すでに遅し、
できるだけの対策を行って、実はなんでもなかったで良いのだと思います。
自分の子供の被爆を最小限にするマネジメントを行わなければいけないと思いました。
そして自分の子供以外のお子さんにも気を遣えるようになりたいです。
今後の福島周辺の小児がん発生頻度のデータに注目したいと思います。
反骨の原子物理学者:小出裕章氏が「科学のことば」からだけではなく、
哲学・生き方の観点からも、原子力の問題・特に子供の被爆問題
に関して問題提起及びそれに対する処方箋の模索を行った書です。
それに加え、小児科医であり未来の福島こども基金代表の黒部信一氏が、
チェルノブイリ原発事故での経験・データを交えながら、
放射能の医学的な問題点の提示及び、
現実的な範囲での具体的な対応策の提言を行っています。
3.11以降、確からしいことは福島県のほとんどが
法律で定められているところの「放射線管理区域」
−必要な者以外立ち入り禁止・飲食禁止−
レベルの放射能汚染があり、福島県周辺も広範囲に
放射能に汚染され・汚染は現在も続いているという事実です。
人類はスリーマイル・チェルノブイリというたった2回の
原発事故しか経験しておらず何が今後起こるかわかりません。
具体的な影響・被害がわかるのは一部の小児癌を除いては
ずっと先の事でしょう。その時になってから後悔しても時すでに遅し、
できるだけの対策を行って、実はなんでもなかったで良いのだと思います。
自分の子供の被爆を最小限にするマネジメントを行わなければいけないと思いました。
そして自分の子供以外のお子さんにも気を遣えるようになりたいです。
今後の福島周辺の小児がん発生頻度のデータに注目したいと思います。
2016年8月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本国民の全大人に読んで頂きたいです。
罪のない子ども達の命は大人が守らないといけません。
その責任が全ての大人にあります。
罪のない子ども達の命は大人が守らないといけません。
その責任が全ての大人にあります。
2014年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
医療関係者です。私の地元も原発がありますが原発や放射能のことについては無知といっていいほど知りませんでした。小出先生と黒部先生が執筆した著書は、専門性があり少し難しいところもありましたが、逆に知ることによって生命の尊さ、今後の生き方や原発に対する考え方を学ぶことができました。この本を読んで私は原発に反対する気持ちになりました。今の科学や日本人の叡智を結集すれば原発に頼らずエネルギーを作ることが可能だからです。是非読んでほしい本です。
2012年4月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分の子供は自分で護るしかない。政府も電力会社も保安院も嘘の泥沼にまみれているのだから。という事で、友人に送ってあげた。ああ、僕はなんていい人なんだ(←ヤバイなオイ)。
2011年10月1日に日本でレビュー済み
長い間国や電力会社は、炉心が溶けるような事故は「想定不適当事故」と呼び、思い浮かべるだけでもいけないこととして、原発は安全だと主張してきました。機械は必ず壊れ人は必ずミスをすることが無視され続けてきたのです。しかし、福島原発だけでもこれまで原子炉を停止させねばならないほどの事故が50回以上起きています。その裏には、出世のために国民をないがしろにし原子力開発を推進した東京大学を中心とした学者たちや、利益や利権を優先した東京電力職員や官僚たちの姿があります。
被ばくによる健康被害から何があっても子どもたちを守らなければならないこと、原子力は人間の能力で管理できるようなものではないこと、東京電力や国を今後も信じることはできないことなど、本書の内容の99%に大賛成です。
その反面、私が本書を読んだ理由は、なぜ子供には年間の被ばくが20mSv以下ではだめで、既に自然界からの被ばくが約1mSv/年ある(世界平均は2.4mSv)のに、原発からの被ばくが1mSv/年以下でなければならないかが頭脳明晰な著者たちであれば的確に明示してくれているであろうと思ったからですが、その疑問を解決してくれる説明はありませんでした。
私は医師として思うのですが、本書の中では急性被ばくと慢性被ばくを混同している箇所もあります。何度も読み返しましたが、本書における子供には1mSv/年以下でなければならない根拠は「国」が法律でそう定めているからという理由です(99ページ)。一方で、国の発表することは信用できないとも書いています(20ページ)。これは論理矛盾です。
もう一つの論理矛盾は、生身の人間を実験台にすることなどできないのでたいへん困難な学問と言いながら(152ページ)、本書で根拠としているデータの信頼性に対する疑問が述べられていないことです。
子供には1mSv/年以下でなければならないもう一つの根拠は1万人に1Svの被ばくをさせると3731人がガンで死ぬ、だから1mSvだと約3.7人が死ぬというゴフマンの理論(25ページ)ですが、広島・長崎の急性被爆と福島の慢性被ばくは全く違います。加えて、被ばくしない1万人では何人がガンで死ぬかと比べなければ科学ではありませんし、データは必ず一次関数的に比例するとは限りません。
台湾で誤って放射能を帯びた鉄骨で作られたマンションから生涯500mSv慢性被ばくした住民や(Dose Response. 2006;5:63)、自然界からの被ばくが年間70mSvのインドのケララ地方の住民や(Health Phys 2009;96:55)、年間50mSvの被ばくにさらされている米国原子力潜水艦工場の従業員(J Radiat Res 2008;49:83)で、ガンの発症率が全く増えていないデータに反論するコメントがありません。
福島原発は3月12日の午後爆発しました。その時屋外で遊んでおり50mSvぐらい急性被ばくした子どもたちがいるはずです。そういう子どもたちは重点的に救済する必要があります。どうして子供には1mSv/年以下でなければならないのか、もう一度自分で調べてみます。
ともあれ、40年前から一貫して原子力発電に反対してきた原子物理学者と、チェルノブイリ原発事故で被ばくした子どもたちを診察した経験のある小児科医が、福島原発事故でこれまで起きたこと、これから起きうるであろうことを、的確かつ詳細にしかも分かりやすく解説したお勧めの良書です。
被ばくによる健康被害から何があっても子どもたちを守らなければならないこと、原子力は人間の能力で管理できるようなものではないこと、東京電力や国を今後も信じることはできないことなど、本書の内容の99%に大賛成です。
その反面、私が本書を読んだ理由は、なぜ子供には年間の被ばくが20mSv以下ではだめで、既に自然界からの被ばくが約1mSv/年ある(世界平均は2.4mSv)のに、原発からの被ばくが1mSv/年以下でなければならないかが頭脳明晰な著者たちであれば的確に明示してくれているであろうと思ったからですが、その疑問を解決してくれる説明はありませんでした。
私は医師として思うのですが、本書の中では急性被ばくと慢性被ばくを混同している箇所もあります。何度も読み返しましたが、本書における子供には1mSv/年以下でなければならない根拠は「国」が法律でそう定めているからという理由です(99ページ)。一方で、国の発表することは信用できないとも書いています(20ページ)。これは論理矛盾です。
もう一つの論理矛盾は、生身の人間を実験台にすることなどできないのでたいへん困難な学問と言いながら(152ページ)、本書で根拠としているデータの信頼性に対する疑問が述べられていないことです。
子供には1mSv/年以下でなければならないもう一つの根拠は1万人に1Svの被ばくをさせると3731人がガンで死ぬ、だから1mSvだと約3.7人が死ぬというゴフマンの理論(25ページ)ですが、広島・長崎の急性被爆と福島の慢性被ばくは全く違います。加えて、被ばくしない1万人では何人がガンで死ぬかと比べなければ科学ではありませんし、データは必ず一次関数的に比例するとは限りません。
台湾で誤って放射能を帯びた鉄骨で作られたマンションから生涯500mSv慢性被ばくした住民や(Dose Response. 2006;5:63)、自然界からの被ばくが年間70mSvのインドのケララ地方の住民や(Health Phys 2009;96:55)、年間50mSvの被ばくにさらされている米国原子力潜水艦工場の従業員(J Radiat Res 2008;49:83)で、ガンの発症率が全く増えていないデータに反論するコメントがありません。
福島原発は3月12日の午後爆発しました。その時屋外で遊んでおり50mSvぐらい急性被ばくした子どもたちがいるはずです。そういう子どもたちは重点的に救済する必要があります。どうして子供には1mSv/年以下でなければならないのか、もう一度自分で調べてみます。
ともあれ、40年前から一貫して原子力発電に反対してきた原子物理学者と、チェルノブイリ原発事故で被ばくした子どもたちを診察した経験のある小児科医が、福島原発事故でこれまで起きたこと、これから起きうるであろうことを、的確かつ詳細にしかも分かりやすく解説したお勧めの良書です。
2011年10月4日に日本でレビュー済み
「何があっても子どもたちを守らなくてはいけない」。
細胞分裂が活発な子どもは、大人に比べて4〜5倍も放射能の影響を受けやすい。
さらに、放射能には「しきい値(これ以下なら安全という数値)」がない。
チェルノブイリの事故後にも、低線量被曝による健康被害と見られるものが多くあったという。
放射能には決して「安全」ということがないのである。
また、科学的な人体への影響と言う面以外にも、社会的な「責任」という面からも、子どもたちを守らなくてはならない。
原発による「安くて」「安全な」電気を享受していたのは、今の大人たちであり、受益者がリスクを負担するのは当然のことである。
だが、今の子どもたちは十分な利益を受けることがなく、また利益を享受するかどうかという選択肢さえもないままに被害だけを受けてしまった。
こんな理不尽なことがあってよい訳がない。
原発が弱者の犠牲の上に成り立っていることは今や多くの人が指摘するところだが、その際たるものが子どもたちである。
大人たちには、原発に直接関係ない人であっても、この社会の一成員としての責任が多少なりともあるが、子どもたちに責任は全くない。
子どもたちを守ることこそが、大人の責任なのである。
この本からは、小出氏の「何があっても子どもたちを守らなくてはいけない」という本当に強い意思がひしひしと伝わってくる。
チェルノブイリの子どもたちを支援してきた小児科医である黒部氏による放射能の基礎知識や、子供達の健康被害への影響も分かりやすく、本当に子どもを守るために欠かせない情報が詰まった一冊になっている。
個人的に衝撃だったのは、低線量被曝による健康被害の影響である。
被曝=癌になるというイメージが私の中では先行していた。
だが、実際には癌ほどひどくなくあまり注目されない、頭痛、めまい、疲れやすい、骨がきしむなど様々な症状がチェルノブイリ事故後の低線量地域で統計的に有意な結果として表れていたという。
チェルノブイリ原発近くのベラルーシでは、以前はトップクラスだった学校の成績が、事故後急に落ちて今では平均以下になってしまったということがあったという。
これは被曝の直接の影響かは分からないが、放射線の高い地域ではストレスが溜りやすくなることが目に見えている。直接的な健康被害はもちろんのこと、精神衛生上も放射能による影響は無視できないものになるだろう。
低線量被曝が考えられうる3万7千ベクレル以上の土壌汚染された地域は、福島県の大部分から栃木県と茨城県の北部にまで広がっている。
私が今住む北茨城市でも、場所によって1万Bq〜10万Bqを観測している。
判断するのは、大人である私たちである。
考えた上で、今居る土地から避難しようとも、その土地に残ったとしても、その判断は非難されるものではない。
だが、何も知らなかったでは済まされない。自分の頭で考えないこと、自分で判断しないことは、非難されるべきものである。
私たちは覚悟を決め、責任を引き受けることで、子どもたちを守らなければならないのである。
細胞分裂が活発な子どもは、大人に比べて4〜5倍も放射能の影響を受けやすい。
さらに、放射能には「しきい値(これ以下なら安全という数値)」がない。
チェルノブイリの事故後にも、低線量被曝による健康被害と見られるものが多くあったという。
放射能には決して「安全」ということがないのである。
また、科学的な人体への影響と言う面以外にも、社会的な「責任」という面からも、子どもたちを守らなくてはならない。
原発による「安くて」「安全な」電気を享受していたのは、今の大人たちであり、受益者がリスクを負担するのは当然のことである。
だが、今の子どもたちは十分な利益を受けることがなく、また利益を享受するかどうかという選択肢さえもないままに被害だけを受けてしまった。
こんな理不尽なことがあってよい訳がない。
原発が弱者の犠牲の上に成り立っていることは今や多くの人が指摘するところだが、その際たるものが子どもたちである。
大人たちには、原発に直接関係ない人であっても、この社会の一成員としての責任が多少なりともあるが、子どもたちに責任は全くない。
子どもたちを守ることこそが、大人の責任なのである。
この本からは、小出氏の「何があっても子どもたちを守らなくてはいけない」という本当に強い意思がひしひしと伝わってくる。
チェルノブイリの子どもたちを支援してきた小児科医である黒部氏による放射能の基礎知識や、子供達の健康被害への影響も分かりやすく、本当に子どもを守るために欠かせない情報が詰まった一冊になっている。
個人的に衝撃だったのは、低線量被曝による健康被害の影響である。
被曝=癌になるというイメージが私の中では先行していた。
だが、実際には癌ほどひどくなくあまり注目されない、頭痛、めまい、疲れやすい、骨がきしむなど様々な症状がチェルノブイリ事故後の低線量地域で統計的に有意な結果として表れていたという。
チェルノブイリ原発近くのベラルーシでは、以前はトップクラスだった学校の成績が、事故後急に落ちて今では平均以下になってしまったということがあったという。
これは被曝の直接の影響かは分からないが、放射線の高い地域ではストレスが溜りやすくなることが目に見えている。直接的な健康被害はもちろんのこと、精神衛生上も放射能による影響は無視できないものになるだろう。
低線量被曝が考えられうる3万7千ベクレル以上の土壌汚染された地域は、福島県の大部分から栃木県と茨城県の北部にまで広がっている。
私が今住む北茨城市でも、場所によって1万Bq〜10万Bqを観測している。
判断するのは、大人である私たちである。
考えた上で、今居る土地から避難しようとも、その土地に残ったとしても、その判断は非難されるものではない。
だが、何も知らなかったでは済まされない。自分の頭で考えないこと、自分で判断しないことは、非難されるべきものである。
私たちは覚悟を決め、責任を引き受けることで、子どもたちを守らなければならないのである。