モーツァルトの音楽を聴き、演奏してきましたが、ケッヘルの経歴は詳しく知りませんでした。ハプスブルク帝国の文化史とも関連して、ケッヘルの業績の凄さを知ることができました。
今で言えば、この収集癖と行動は「オタク」と呼ばれるのでしょうけれど、そのおかげで多くの人々がモーツァルトの音楽を理解できるわけですから、感謝したいですね。
次にウィーンに行ったら、ケッヘルの墓参りをしたいと思います。

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モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン (講談社現代新書) 新書 – 2011/3/18
小宮 正安
(著)
クラシックファンならずとも、モーツァルトの全作品にはK.**とかKV**などという番号が振られており、それをケッヘル番号と称することはご存じでしょう(たとえば交響曲第41番『ジュピター』はK.551)。誰から頼まれたわけでもないのに一作曲家の作品を調べ上げて分類し、番号を振る──。考えてみれば酔狂なことです。ケッヘルとはいったいどのような人物であり、どうしてこんな作業にとりかかったのでしょうか?
クラシックファンならずとも、モーツァルトの全作品にはK.**とかKV**などという番号が振られており、それをケッヘル番号と称することはご存じでしょう(たとえば交響曲第41番『ジュピター』はK.551)。
誰から頼まれたわけでもないのに一作曲家の作品を調べ上げて分類し、番号を振る──。考えてみれば酔狂なことです。ケッヘルとはいったいどのような人物であり、どうしてこんな作業にとりかかったのでしょうか?
ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルは1800年にオーストリア、ニーダーエスターライヒ州のシュタインという町で生まれました。彼はウィーンで法律を学び、やがてカール大公(オーストリア皇帝フランツ1世の弟)の4人の子どもたちの家庭教師となり、じゅうぶんな財政的な基盤を確立することができました。
ハプスブルク帝国はナポレオンに完膚なきまでに痛めつけられ、その後も人びとはメッテルニヒ体制の強権政治の下で生きることになります。軍事的に敗北した老大国の矜持はおのずと文化に向かいます。こうして「発見」されたのが、陋巷に窮死したといってもよいはずのモーツァルトだったのです。ザルツブルクに生まれ、ウィーンやプラハで活躍した彼を顕彰することは、オーストリアの文化的優越性を示すことにもなります。
しかし、モーツァルトの未亡人コンスタンツェや少数の友人たちが残された作品を分類はしてはいたものの、楽譜も散逸しており、どれが正真正銘のモーツァルトの作品であるかはハッキリしなくなっていました。
ケッヘルはこつこつとモーツァルトの真作を考証、626作品とし、それを時系列的に配列した作品リストを出版しました(K.626が彼の死によって未完に終わったレクイエム)。これこそがケッヘル目録と言われるものです。1862年のことでした。
なお、のちの研究によって作品の成立時期が見直されたり、作品が新しく発見されたりしています。どんなに批判にさらされようと、後世の私たちはこの人物の実に地味な作業が造り出した枠組みから逃れられることはできないのであり、その意味でケッヘルこそはモーツァルトを「造った」男と言っていいのです。
1877年に死んだケッヘルの人生を通じて大作曲家が「再発見」されていく風変わりなドラマと、ウィーン、ハプスブルク帝国の諸相を描きだします。
クラシックファンならずとも、モーツァルトの全作品にはK.**とかKV**などという番号が振られており、それをケッヘル番号と称することはご存じでしょう(たとえば交響曲第41番『ジュピター』はK.551)。
誰から頼まれたわけでもないのに一作曲家の作品を調べ上げて分類し、番号を振る──。考えてみれば酔狂なことです。ケッヘルとはいったいどのような人物であり、どうしてこんな作業にとりかかったのでしょうか?
ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルは1800年にオーストリア、ニーダーエスターライヒ州のシュタインという町で生まれました。彼はウィーンで法律を学び、やがてカール大公(オーストリア皇帝フランツ1世の弟)の4人の子どもたちの家庭教師となり、じゅうぶんな財政的な基盤を確立することができました。
ハプスブルク帝国はナポレオンに完膚なきまでに痛めつけられ、その後も人びとはメッテルニヒ体制の強権政治の下で生きることになります。軍事的に敗北した老大国の矜持はおのずと文化に向かいます。こうして「発見」されたのが、陋巷に窮死したといってもよいはずのモーツァルトだったのです。ザルツブルクに生まれ、ウィーンやプラハで活躍した彼を顕彰することは、オーストリアの文化的優越性を示すことにもなります。
しかし、モーツァルトの未亡人コンスタンツェや少数の友人たちが残された作品を分類はしてはいたものの、楽譜も散逸しており、どれが正真正銘のモーツァルトの作品であるかはハッキリしなくなっていました。
ケッヘルはこつこつとモーツァルトの真作を考証、626作品とし、それを時系列的に配列した作品リストを出版しました(K.626が彼の死によって未完に終わったレクイエム)。これこそがケッヘル目録と言われるものです。1862年のことでした。
なお、のちの研究によって作品の成立時期が見直されたり、作品が新しく発見されたりしています。どんなに批判にさらされようと、後世の私たちはこの人物の実に地味な作業が造り出した枠組みから逃れられることはできないのであり、その意味でケッヘルこそはモーツァルトを「造った」男と言っていいのです。
1877年に死んだケッヘルの人生を通じて大作曲家が「再発見」されていく風変わりなドラマと、ウィーン、ハプスブルク帝国の諸相を描きだします。
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2011/3/18
- 寸法10.5 x 1.4 x 17.5 cm
- ISBN-104062880962
- ISBN-13978-4062880961
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著者について
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1969年、東京に生まれる。専門はヨーロッパ文化史、ドイツ文学。
2000年『ヨハン・シュトラウス ワルツ王と落日のウィーン』(中公新書)でデビューして以降、ヨーロッパ文化を音楽・建築・コレクションといった多角的な視点から捉えた著作活動をおこなう。『レコード芸術』や『週間読書人』といった幅広いジャンルの雑誌媒体にも定期的に寄稿。
2006年『狂言風オペラ〈フィガロの結婚〉』(2008年度文化庁芸術祭参加作品)で脚本家としてもデビューを果たし、同シリーズの〈魔笛〉は日本のみならずドイツでも上演され高評を博した。
教育者としては、秋田大学教育文化学部准教授を経て、現在横浜国立大学教育人間科学部准教授として後進の指導に当たっている。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年4月29日に日本でレビュー済み
ケッヘルの人生とその時代背景が描かれているだけで,モーツァルトの時代背景や作品とK番号と関係などを知りたいという読者には期待はずれになるだろう.内容的には副題がぴったりで,書名はキャッチコピーみたいなものでしかない.しかし,モーツァルトのことなら何でも知りたいという方には,一読する価値はあるかもしれない.
2011年5月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
クラッシック・ファンにとって、モーツアルトとバッハは別格である。好き嫌いは別として、その偉大さははかりしれない。モーツアルトは「楽聖」、音楽の純度が高く、感情にかませた勝手なテンポの揺らし、音の強弱はご法度である。表面的には様式美の極致であるが、それでいて音符の合間合間に感情が流れ、時には悲しみが疾走する。
本書によると、この、「楽聖モーツアルト」の評価が確立していく過程には、実は、フランス、プロイセンに遅れをとってたそがれていくハプスブルグ帝国、その中でアイデンテイテイの拠り所として求められ位置づけられたモーツアルトがあった。確かに、ベートーベンは「ドイツ」の作曲家というイメージだが、モーツアルトはウイーン、あるいはオーストリアの作曲家といったイメージが強い。
モーツアルトの評価、位置づけが、1800年代の、これまたハプスブルグ帝国の、一人のデイレッタント(趣味人)、ケッヘルによる目録作りによって定まっていく様が、本書では描かれている。 勿論ケッヘルのみがモーツアルトの今日の評価をもたらしたものではないが、大きな貢献をしていることは間違いない。
「楽聖」モーツアルト、「デイレッタント(趣味人)」ケッヘル、政治とは無関係な2人であるが、後代からみると、大きな歴史の流れに流され、また流れを後押ししているのが興味深い。
ものの見方、発想がとても面白い、一冊。 音楽好き、歴史好き、どちらにでもお勧め。
本書によると、この、「楽聖モーツアルト」の評価が確立していく過程には、実は、フランス、プロイセンに遅れをとってたそがれていくハプスブルグ帝国、その中でアイデンテイテイの拠り所として求められ位置づけられたモーツアルトがあった。確かに、ベートーベンは「ドイツ」の作曲家というイメージだが、モーツアルトはウイーン、あるいはオーストリアの作曲家といったイメージが強い。
モーツアルトの評価、位置づけが、1800年代の、これまたハプスブルグ帝国の、一人のデイレッタント(趣味人)、ケッヘルによる目録作りによって定まっていく様が、本書では描かれている。 勿論ケッヘルのみがモーツアルトの今日の評価をもたらしたものではないが、大きな貢献をしていることは間違いない。
「楽聖」モーツアルト、「デイレッタント(趣味人)」ケッヘル、政治とは無関係な2人であるが、後代からみると、大きな歴史の流れに流され、また流れを後押ししているのが興味深い。
ものの見方、発想がとても面白い、一冊。 音楽好き、歴史好き、どちらにでもお勧め。
2015年5月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ケッヘルと言えば、モーツァルトの曲を聴くたびに
モーツァルトの曲を話し合うときにも
出てくる言葉です。
モーツァルトの作品番号の頭に
なぜケッヘルと付くのか
この本を読めばわかります。
モーツァルトの曲を話し合うときにも
出てくる言葉です。
モーツァルトの作品番号の頭に
なぜケッヘルと付くのか
この本を読めばわかります。
2011年8月4日に日本でレビュー済み
モーツァルト作曲「交響曲第40番ト短調 K.550」
この「K.」は、ケッヘルと読み、それがこの本の主人公である。
クラシック初心者に
『他の作曲家は op.って書いて「作品番号」って普通なのに、モーツァルトは特別なんだ』
と思わせる魔法の記号である。
この書籍では、
その通り、ケッヘルは「モーツァルトは特別」と思わせるために利用されたのだと喝破する。
「ケッヘルは、メッテルニヒ体制下のビーダーマイヤー生活様式が生んだ典型的なディレッタントで、」
って、要するに言い換えれば、
秘密警察に監視された強権的な社会を避けて、閉じられたサークル仲間の世界に引きこもった知的な道楽者で、
鉱石を手始めに、モーツァルトの作品、宮廷楽団、フックスの作品を整理した、いわばデーターベース・オタクであった。
彼のそうした仕事の中で、なぜモーツァルトの作品目録だけが、かくももてはやされたのかを、
オーストリアの政治的凋落と絡めて解き明かして行く様は見事です。
この「K.」は、ケッヘルと読み、それがこの本の主人公である。
クラシック初心者に
『他の作曲家は op.って書いて「作品番号」って普通なのに、モーツァルトは特別なんだ』
と思わせる魔法の記号である。
この書籍では、
その通り、ケッヘルは「モーツァルトは特別」と思わせるために利用されたのだと喝破する。
「ケッヘルは、メッテルニヒ体制下のビーダーマイヤー生活様式が生んだ典型的なディレッタントで、」
って、要するに言い換えれば、
秘密警察に監視された強権的な社会を避けて、閉じられたサークル仲間の世界に引きこもった知的な道楽者で、
鉱石を手始めに、モーツァルトの作品、宮廷楽団、フックスの作品を整理した、いわばデーターベース・オタクであった。
彼のそうした仕事の中で、なぜモーツァルトの作品目録だけが、かくももてはやされたのかを、
オーストリアの政治的凋落と絡めて解き明かして行く様は見事です。
2012年1月23日に日本でレビュー済み
ケッヒェルの人となりやケッヒェル目録の成り立ちについて日本語で読めるものがこれまでになかったので、基礎知識を得るという意味で大変有益でした。モーツァルトに興味を持つ方にはおすすめです。
ただし、著者独特の歴史の見方があまりに二元論的図式を多用していて「素人にもわかりやすすぎる」のが気になりました(ケッヒェル対アインシュタインを「ディレッタント」対「専門家」と捉えたことなど。アインシュタインの問題点は、彼が専門家であったことではなく、印象論的な様式分析という物差しに頼ったことだとされています)。「とりあえず分かった気になる」というのは、知にとって実は不幸なことかもしれません。
もっとも違和感を感じたのは、モーツァルトとケッヒェルを「天才」対「凡庸」と捉える見方です。ケッヒェルが凡庸であったかなかったか以前に、作品目録を作るという営み自体がそもそも「地味」なのではないでしょうか。つまり、仮にモーツァルト級の天才がだれかの作品目録を手がけたとしても、それ自体はたいへん堅実で地味な作業の積み重ねでしかありえないでしょう。
ケッヒェル目録の成立過程という点では、ケッヒェルが既存のモーツァルトの作品目録の情報をどう消化したのか、具体的には例えばアンドレによる自筆譜目録での作曲年代をどこまで引き写し、どこは変更したのか、それはなぜか、といった点に踏み込んでほしかったです。そこにこそ彼の独自性が表れているはずなのです。まあそれは、小宮さんのお仕事というよりは、「専門」の音楽史学者の仕事なのでしょうが…。
ただし、著者独特の歴史の見方があまりに二元論的図式を多用していて「素人にもわかりやすすぎる」のが気になりました(ケッヒェル対アインシュタインを「ディレッタント」対「専門家」と捉えたことなど。アインシュタインの問題点は、彼が専門家であったことではなく、印象論的な様式分析という物差しに頼ったことだとされています)。「とりあえず分かった気になる」というのは、知にとって実は不幸なことかもしれません。
もっとも違和感を感じたのは、モーツァルトとケッヒェルを「天才」対「凡庸」と捉える見方です。ケッヒェルが凡庸であったかなかったか以前に、作品目録を作るという営み自体がそもそも「地味」なのではないでしょうか。つまり、仮にモーツァルト級の天才がだれかの作品目録を手がけたとしても、それ自体はたいへん堅実で地味な作業の積み重ねでしかありえないでしょう。
ケッヒェル目録の成立過程という点では、ケッヒェルが既存のモーツァルトの作品目録の情報をどう消化したのか、具体的には例えばアンドレによる自筆譜目録での作曲年代をどこまで引き写し、どこは変更したのか、それはなぜか、といった点に踏み込んでほしかったです。そこにこそ彼の独自性が表れているはずなのです。まあそれは、小宮さんのお仕事というよりは、「専門」の音楽史学者の仕事なのでしょうが…。
2011年5月18日に日本でレビュー済み
「本書はいわば凡庸の人を通じて見た、異貌のヨーロッパ近代音楽史、ひいてはヨーロッパ
近代史である。モーツァルト対ケッヘル、天才対凡庸……。この対立項のなかにあらわれる
19世紀ヨーロッパの諸相に目を注ぎながら、ステレオタイプに陥りがちなモーツァルト像、
ヨーロッパ近代、ひいてはこうした対立項そのもののありかたについて、根底から
揺さぶりをかけてゆく。これぞ『凡庸』の人、ケッヘルをあえて主人公とした本書の
狙いなのである」。
筆者の意図する通り、本書は単にケッヘルの生涯をめぐる評伝に留まらない。
彼の仕事の背後には博物学的知見や革命史の変遷をはじめとした歴史のこだまが
横たわり、半ば必然としてモーツァルトの作品目録が「造」られたことを明晰な筆致で
明かしている。たとえモーツァルトに関心がなかろうとも、単に近代オーストリア史の
テキストとしても興味深い切り口を提示して見せた一冊。
ただ、その充実ぶりゆえにかえって記述が簡潔に過ぎるとの印象を受けてしまう。
音楽史にしても近代史にしても、ケッヘルを中心に据えて描写するとの制約がかえって
詳らかな議論展開の可能性を削ぎ落としてしまっているようにも見えてしまった。
それゆえにこそ、シンプルに新書一冊でまとまったということの裏返しでもあるのだが。
そしてもうひとつ、筆者が繰り返し強調する、ケッヘルへの「凡庸」との評も違和感を
覚えてしまう。後世に不朽不滅と語り継がれる作品を残す資質をもって「天才」と定義
するのであれば、その作品の価値を保持すべく尽くされるあらゆる努力とそれをなしうる
資質もまた、「天才」として称されるべきものであり、ケッヘルへの不当な低評価をめぐる
反発を筆者が本書における強調点の一つとしていることは最終章をはじめ十二分に窺える
わけではあるが、「凡庸」のことばを繰り返すことがかえってケッヘルの業績の過小評価を
肯定しているようにも感じられてしまう。
そしてこのことは、細やかな資料収集と思索から一冊の優れた伝記作品を生み出したと
いう、これもまた世界における「天才」たる資質の一つ、筆者その人自身の仕事をも
過小評価させてしまうように思えてならない。
王を王たらしめるものは、その人の持つ威光ではない。それは偏に王を王と褒め称える
無数の、無名の群衆の声のうちに存する。天才と凡庸の関係もまた果てしなくそれに似る。
そんな世界史の正確なる洞察までも期せずして孕んだ好著。
近代史である。モーツァルト対ケッヘル、天才対凡庸……。この対立項のなかにあらわれる
19世紀ヨーロッパの諸相に目を注ぎながら、ステレオタイプに陥りがちなモーツァルト像、
ヨーロッパ近代、ひいてはこうした対立項そのもののありかたについて、根底から
揺さぶりをかけてゆく。これぞ『凡庸』の人、ケッヘルをあえて主人公とした本書の
狙いなのである」。
筆者の意図する通り、本書は単にケッヘルの生涯をめぐる評伝に留まらない。
彼の仕事の背後には博物学的知見や革命史の変遷をはじめとした歴史のこだまが
横たわり、半ば必然としてモーツァルトの作品目録が「造」られたことを明晰な筆致で
明かしている。たとえモーツァルトに関心がなかろうとも、単に近代オーストリア史の
テキストとしても興味深い切り口を提示して見せた一冊。
ただ、その充実ぶりゆえにかえって記述が簡潔に過ぎるとの印象を受けてしまう。
音楽史にしても近代史にしても、ケッヘルを中心に据えて描写するとの制約がかえって
詳らかな議論展開の可能性を削ぎ落としてしまっているようにも見えてしまった。
それゆえにこそ、シンプルに新書一冊でまとまったということの裏返しでもあるのだが。
そしてもうひとつ、筆者が繰り返し強調する、ケッヘルへの「凡庸」との評も違和感を
覚えてしまう。後世に不朽不滅と語り継がれる作品を残す資質をもって「天才」と定義
するのであれば、その作品の価値を保持すべく尽くされるあらゆる努力とそれをなしうる
資質もまた、「天才」として称されるべきものであり、ケッヘルへの不当な低評価をめぐる
反発を筆者が本書における強調点の一つとしていることは最終章をはじめ十二分に窺える
わけではあるが、「凡庸」のことばを繰り返すことがかえってケッヘルの業績の過小評価を
肯定しているようにも感じられてしまう。
そしてこのことは、細やかな資料収集と思索から一冊の優れた伝記作品を生み出したと
いう、これもまた世界における「天才」たる資質の一つ、筆者その人自身の仕事をも
過小評価させてしまうように思えてならない。
王を王たらしめるものは、その人の持つ威光ではない。それは偏に王を王と褒め称える
無数の、無名の群衆の声のうちに存する。天才と凡庸の関係もまた果てしなくそれに似る。
そんな世界史の正確なる洞察までも期せずして孕んだ好著。
2016年7月31日に日本でレビュー済み
モーツァルト作品には必ず付いてくるケッヒェル番号というものの成り立ちを知りたいというので購入。その目的は達されたと感じるが、本書はそれ以外の要素がずっとやや冗漫に多いので、知的娯楽というよりは学術論文を読んでる雰囲気がするのはマイナス、学術的裏づけにしては、情緒的な断定が多いので、こちらもマイナスで、実際には3.5点というところ。
表題に書いたように、ハプスブルグ帝国が数々の戦争を経て、神聖ローマ帝国から、オーストリア帝国、そしてオーストリア共和国へと衰退縮小してゆく歴史を背景として、公務から博物学、文学、音楽とマルチな才能を発揮したディレッタントであるケッヒェルの生涯と縦糸に、オーストリア生粋の才能であるモーツァルトの半忘却から神格化(現在の弱小国の現状に対し、オーストリアの過去の栄光をたたえて精神的プライドを保つ行動、という仮説として、なかなか面白い)に至るまでの歴史を横糸とする歴史物語である。
当然、ハプスブルグ帝国の当時の政治(メッテルニヒ)や文化(ビーダーマイヤー)の話も色々出てきて、それはそれで面白いのだが、筆者の分析が他のレビュアーも描かれているように、やや二元論的過ぎていたり、筆の走りすぎで頭をひねったりする部分が少なからずある。ただ、ケッヒェルの故郷の小村まで調査に行ったり、古い資料をあたったりした努力は大いに評価はしたい。それだけに、時に情緒的に断定する部分は残念であり、まさにわからないことはわからないままにする、というケッヒェルがモーツァルト作品目録を作るにあたって取った、慎ましい態度から学ばなかったのか、とは思う。
表題に書いたように、ハプスブルグ帝国が数々の戦争を経て、神聖ローマ帝国から、オーストリア帝国、そしてオーストリア共和国へと衰退縮小してゆく歴史を背景として、公務から博物学、文学、音楽とマルチな才能を発揮したディレッタントであるケッヒェルの生涯と縦糸に、オーストリア生粋の才能であるモーツァルトの半忘却から神格化(現在の弱小国の現状に対し、オーストリアの過去の栄光をたたえて精神的プライドを保つ行動、という仮説として、なかなか面白い)に至るまでの歴史を横糸とする歴史物語である。
当然、ハプスブルグ帝国の当時の政治(メッテルニヒ)や文化(ビーダーマイヤー)の話も色々出てきて、それはそれで面白いのだが、筆者の分析が他のレビュアーも描かれているように、やや二元論的過ぎていたり、筆の走りすぎで頭をひねったりする部分が少なからずある。ただ、ケッヒェルの故郷の小村まで調査に行ったり、古い資料をあたったりした努力は大いに評価はしたい。それだけに、時に情緒的に断定する部分は残念であり、まさにわからないことはわからないままにする、というケッヒェルがモーツァルト作品目録を作るにあたって取った、慎ましい態度から学ばなかったのか、とは思う。