第1部から第3部まで読了。長い小説だったけれど、読み応えがあった。
その時代の空気に胸がつまりそうになる。陰鬱で凄まじい。
独ソ戦さなかの、ロシア人の生き様が様々な階層で描かれている。
実在の人物が出てくる。ドイツ第六軍のパウルスや、ソ連62軍チュイコーフ、ソ連の英雄ザイツェフなど。スターリングラード戦でかなりのページが割かれている。
名もない兵士、ユダヤ人、ドイツ人捕虜、ロシアの科学者、コミサール(政治将校)、ラーゲリに収容されている政治犯。別々に出てきた登場人物たちは、お互いにどこかしら接点があり、お互いの安否や状況が分からないまま、物語が進んでいく。やがて再会を祝したり、後で無惨な死に様を聞かされたたり。
様々なエピソードが書かれているが、軸にあるのは、科学者ヴィクトル一家である。物語の後半、スターリンからの一本の電話で、彼の人生は奈落の底から栄光へと(その後、ソ連の核開発につながっていく?)転じていく。
スターリングラード戦<第六号棟第一号フラット>のソ連兵士たちの士気には凄まじいものを感じる。最前線ではしばし、政治批判が口を出てしまう。ドイツ軍と通じているのではないかとの疑いを後方では抱いている。政治思想に規制されるソ連軍独特の世界を読むにつけ、敵兵に対する恐怖とは違う種類の緊張を、戦争の最中であっても!お互いに抱かなくてはならない恐怖を感じた。
また、そんな極限状態でも、人間性を忘れない人々。
絶滅収容所で、本来助かるはずなのに、あえて少年と一緒にガス室を選んだ女性。
なぜお前は笑うのかと殺されるドイツ軍の捕虜。言葉が分からないため、ソ連兵に良く思われようと、笑顔でいただけなのに。
敵の捕虜を煉瓦で殴り殺そうとしたのに、適当な煉瓦が見つからず、思わずパンを差し出してしまった一家全員をドイツ兵に殺された母親。など。
この小説は、ウクライナの人々の複雑な立場(反スターリンの立場から、ドイツ軍に積極的に協力した)、ユダヤ人差別を描いたこと、ドイツのファシズムも、スターリン主義もお互いに似通ったものであることを描いている。スターリン批判のフルシチョフ時代になっても、『人生と運命』は発禁のままだった。
密かに託された原稿。そのマイクロフィルムが国外に持ち出され、出版されたのだそうな。

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人生と運命 1 単行本 – 2012/1/17
ワシーリー・グロスマン
(著),
齋藤 紘一
(翻訳)
第二次世界大戦で最大の激闘、スターリングラード攻防戦を舞台に、
物理学者一家をめぐって展開する叙事詩的歴史小説(全三部)。
兵士・科学者・農民・捕虜・聖職者・革命家などの架空人物、
ヒトラー、スターリン、アイヒマン、独軍・赤軍の将校などの実在人物が混ざりあい、
ひとつの時代が圧倒的迫力で文学世界に再現される。
戦争・収容所・密告──スターリン体制下、恐怖が社会生活を支配するとき、人間の自由や優しさや善良さとは何なのか。
権力のメカニズムとそれに抗う人間のさまざまな運命を描き、
ソ連時代に「最も危険」とされた本書は、後代への命がけの伝言である。
グロスマン(1905-64)は独ソ戦中、従軍記者として名を馳せ、トレブリンカ絶滅収容所を取材、
ホロコーストの実態を世界で最初に報道した。
一方で、故郷ウクライナの町で起きた独軍占領下のユダヤ人大虐殺により母を失う。
次第にナチとソ連の全体主義体制の本質的類似に気づき、本書を執筆。
刊行をめざしたところ、原稿はKGBによってタイプライターのリボンまで没収となる。
著者の死後16年、友人が秘匿していた原稿の写しが国外に出、出版された。
以来、20世紀の証言、ロシア文学の傑作として欧米各国で版を重ねる。待望の邦訳、ついになる。
物理学者一家をめぐって展開する叙事詩的歴史小説(全三部)。
兵士・科学者・農民・捕虜・聖職者・革命家などの架空人物、
ヒトラー、スターリン、アイヒマン、独軍・赤軍の将校などの実在人物が混ざりあい、
ひとつの時代が圧倒的迫力で文学世界に再現される。
戦争・収容所・密告──スターリン体制下、恐怖が社会生活を支配するとき、人間の自由や優しさや善良さとは何なのか。
権力のメカニズムとそれに抗う人間のさまざまな運命を描き、
ソ連時代に「最も危険」とされた本書は、後代への命がけの伝言である。
グロスマン(1905-64)は独ソ戦中、従軍記者として名を馳せ、トレブリンカ絶滅収容所を取材、
ホロコーストの実態を世界で最初に報道した。
一方で、故郷ウクライナの町で起きた独軍占領下のユダヤ人大虐殺により母を失う。
次第にナチとソ連の全体主義体制の本質的類似に気づき、本書を執筆。
刊行をめざしたところ、原稿はKGBによってタイプライターのリボンまで没収となる。
著者の死後16年、友人が秘匿していた原稿の写しが国外に出、出版された。
以来、20世紀の証言、ロシア文学の傑作として欧米各国で版を重ねる。待望の邦訳、ついになる。
- 本の長さ544ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2012/1/17
- 寸法14 x 4.4 x 19.6 cm
- ISBN-10462207656X
- ISBN-13978-4622076568
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商品の説明
著者について
1905-1964。
ウクライナ・ベルジーチェフのユダヤ人家庭に生まれる。モスクワ大学で化学を専攻。炭鉱技師として働いたのち、小説を発表。独ソ戦中は従軍記者として前線から兵士に肉薄した記事を書いて全土に名を馳せる(ビーヴァー『赤軍記者グロースマン』白水社)。43年、生まれ故郷の町で起きた独軍占領下最初のユダヤ人大虐殺により母を失う。44年、トレブリンカ絶滅収容所を取材、ホロコーストの実態を世界で最も早く報道する。次第にナチとソ連の全体主義体制が本質において大差ないとの認識に達し、50年代後半から60年にかけて大作『人生と運命』を執筆。「雪どけ」期に刊行を企図するが、KGBにより原稿が「逮捕」され、タイプライターのリボンまで押収、「今後200年、発表は不可」と宣告される。80年、友人が秘匿していたコピー原稿がスイスで出版された。
ウクライナ・ベルジーチェフのユダヤ人家庭に生まれる。モスクワ大学で化学を専攻。炭鉱技師として働いたのち、小説を発表。独ソ戦中は従軍記者として前線から兵士に肉薄した記事を書いて全土に名を馳せる(ビーヴァー『赤軍記者グロースマン』白水社)。43年、生まれ故郷の町で起きた独軍占領下最初のユダヤ人大虐殺により母を失う。44年、トレブリンカ絶滅収容所を取材、ホロコーストの実態を世界で最も早く報道する。次第にナチとソ連の全体主義体制が本質において大差ないとの認識に達し、50年代後半から60年にかけて大作『人生と運命』を執筆。「雪どけ」期に刊行を企図するが、KGBにより原稿が「逮捕」され、タイプライターのリボンまで押収、「今後200年、発表は不可」と宣告される。80年、友人が秘匿していたコピー原稿がスイスで出版された。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2012/1/17)
- 発売日 : 2012/1/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 544ページ
- ISBN-10 : 462207656X
- ISBN-13 : 978-4622076568
- 寸法 : 14 x 4.4 x 19.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 345,145位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 292位ロシア・ソビエト文学 (本)
- カスタマーレビュー:
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2020年6月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
編集者が付した脚注を丹念に読むのが面白い。気の利いた脚注が本書の価値を高めている。ただし、肝心の翻訳については不満が残る。例えば、綴りミスや力点位置の誤解、訳語の選択ミス、完了体(一回の行為)と不完了体(反復の行為)の混同、二人称の混同(выかтыか)、不自然な直訳や逐語訳など。大著だけに編集や校訂の労苦が忍ばれるが、もう少し手を入れられなかったか。脚注が秀逸なだけに悔やまれる。
186ページ ×ヴァチェスラフ、〇ヴャチェスラフ
259ページ ×セマ、〇ショーマ
372ページ ×アンツィフョーロフ、〇アンツィーフェロフ
77ページ ×第六号棟第一号フラットのある建物、〇六ノ一番地の家(原文ではドム6/1。モデルとなった「パヴロフの家」の当時の住所「ペンザ通り61番地」からのアレンジ。「フラット」との訳出も状況にそぐわない)
272ページ ×市民上官、〇上官さん(上官殿)
146ページ ×子どもたちはやせてむくんでいた、〇子供たちはやせて飢餓のせいでお腹が膨んでいた
275ページ ×自分の息子より二つか三つ以上年上ではない、〇自分の息子よりせいぜい2~3歳年上だ
302ページ ×汚れた紙の中からコロッケを取るのがこわい、〇汚れた紙の中からコロッケを取るのが恥ずかしい
310ページ ×もう一度、人々の秘密をばらした、〇またしても裏切りを働くようになった
422ページ ×一ルーブル必要として九十コペイカが足りない、〇暮らしにまったく事欠いている
等々きりがないが、せめて「第六号棟第一号フラットの家」だけでも「六ノ一番地の家」に改訂できないものだろうか。作品中に何十回と登場するだけに閉口する。
余談だが、国営チャンネル「ロシア1」が2012年10月に連続ドラマ化しテレビ放映している。監督はウルスリャクで12回シリーズ。同監督作品では常連のセルゲイ・マコヴェッツキーが主人公のヴィクトル・シュトルームを演じている。同チャンネルのウェブやアプリにて無料で全編閲覧可能(2020年6月現在)。
186ページ ×ヴァチェスラフ、〇ヴャチェスラフ
259ページ ×セマ、〇ショーマ
372ページ ×アンツィフョーロフ、〇アンツィーフェロフ
77ページ ×第六号棟第一号フラットのある建物、〇六ノ一番地の家(原文ではドム6/1。モデルとなった「パヴロフの家」の当時の住所「ペンザ通り61番地」からのアレンジ。「フラット」との訳出も状況にそぐわない)
272ページ ×市民上官、〇上官さん(上官殿)
146ページ ×子どもたちはやせてむくんでいた、〇子供たちはやせて飢餓のせいでお腹が膨んでいた
275ページ ×自分の息子より二つか三つ以上年上ではない、〇自分の息子よりせいぜい2~3歳年上だ
302ページ ×汚れた紙の中からコロッケを取るのがこわい、〇汚れた紙の中からコロッケを取るのが恥ずかしい
310ページ ×もう一度、人々の秘密をばらした、〇またしても裏切りを働くようになった
422ページ ×一ルーブル必要として九十コペイカが足りない、〇暮らしにまったく事欠いている
等々きりがないが、せめて「第六号棟第一号フラットの家」だけでも「六ノ一番地の家」に改訂できないものだろうか。作品中に何十回と登場するだけに閉口する。
余談だが、国営チャンネル「ロシア1」が2012年10月に連続ドラマ化しテレビ放映している。監督はウルスリャクで12回シリーズ。同監督作品では常連のセルゲイ・マコヴェッツキーが主人公のヴィクトル・シュトルームを演じている。同チャンネルのウェブやアプリにて無料で全編閲覧可能(2020年6月現在)。
2015年8月18日に日本でレビュー済み
ヴァシリー・グロスマン
ヴァシリー・グロスマン (ロシア語: Василий Семёнович Гроссман、ウクライナ語: Василь Семенович Гроссман、1905年12月12日 - 1964年9月14日)は、ソ連の作家、ジャーナリスト。ウクライナ生まれ。
モスクワ大学卒業。炭鉱技師を経て、1930年代から著作活動に入る。第二次世界大戦中は、赤軍の機関紙『赤い星』の従軍記者として、スターリングラードやクルスクの戦闘を取材したほか、ナチスの強制収容所の実態についても取材した。
戦後になると、スターリンの反ユダヤ主義が強まる中、著作の検閲を受けるようになり、独ソ戦を題材にした三部作『人生と運命』などは生前に発表される機会を得なかった。1964年に胃癌で死去。
著作[編集]
『スターリングラード』、黒田辰男譯、七星書院、1947年
『万物は流転する…』、中田甫訳、勁草書房、1972年(『万物は流転する』、齋藤紘一訳、みすず書房、2013年)
『人生と運命』、全3巻、齋藤紘一訳、みすず書房、2012年 - 第49回日本翻訳文化賞受賞
ヴァシリー・グロスマン (ロシア語: Василий Семёнович Гроссман、ウクライナ語: Василь Семенович Гроссман、1905年12月12日 - 1964年9月14日)は、ソ連の作家、ジャーナリスト。ウクライナ生まれ。
モスクワ大学卒業。炭鉱技師を経て、1930年代から著作活動に入る。第二次世界大戦中は、赤軍の機関紙『赤い星』の従軍記者として、スターリングラードやクルスクの戦闘を取材したほか、ナチスの強制収容所の実態についても取材した。
戦後になると、スターリンの反ユダヤ主義が強まる中、著作の検閲を受けるようになり、独ソ戦を題材にした三部作『人生と運命』などは生前に発表される機会を得なかった。1964年に胃癌で死去。
著作[編集]
『スターリングラード』、黒田辰男譯、七星書院、1947年
『万物は流転する…』、中田甫訳、勁草書房、1972年(『万物は流転する』、齋藤紘一訳、みすず書房、2013年)
『人生と運命』、全3巻、齋藤紘一訳、みすず書房、2012年 - 第49回日本翻訳文化賞受賞
2012年3月25日に日本でレビュー済み
「20世紀ロシア文学の傑作は、ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』と、グロスマン『人生と運命』」と亀山郁夫はこの本を推薦している。だが、人によっては「20世紀」と「ロシア」を削ってもいいかもしれない。文学というジャンルでの最高傑作のひとつと評しても、決して過言ではないように思える。
ソヴィエトのラーゲリで、ナチスの絶滅収容所で、砲撃の轟く広大なステップの農村で、囁きと密告が重くのしかかる全体主義国家の下で、人類史上最大の(そしておそらく二度目はないであろう)市街戦の舞台、スターリングラードで、そしてその最たる激戦地、<パブロフの家>で。
そうした20世紀の生み出した深く暗い極限状態の下で、人間はどのようであるのか。人類の暗い時代の、暗い物語というだけにとどまらない。極限状態のなかにおいてなお消えることのない人間性のひらめきや、自由への根源的な希求。『人生と運命』は、そうした大文字の「人間」を余すところなく描ききっている、そこにはドイツ人とロシア人の区別もなく、時には虚構の人物と実在の人物の隔たりも曖昧になる。たとえ数行しか描かれないような登場人物さえ、はっとするような人間的魅力(と醜さ)を備えて描かれている。
第一部六十六章において、マジャーロフがチェーホフを絶賛してこのように言う。「・・・・・・いいかね、人間、人間、人間だよ! 彼以前には誰も言わなかったことをこのロシアで言ったのだ。彼はこう言った。最も重要なのは人間であることである――まず、人間であり、その後で、彼らは主教、ロシア人、売り子、タタール人、労働者であるのだとね。いいかね、人間は良くも悪くもあるが、それは彼らが主教あるいは労働者、タタール人あるいはウクライナ人だからではない、人間は平等だ。というのも、彼らが人間であるからだ・・・・・・。」
この本の傑作たる所以は、まさにそのグロスマンの人間に対する深い理解である。時に冷酷なまでに人間の弱さと残酷さを描き出し、時に深い悲しみと愛情をともなって、人間の最良の部分を描き出す。グロスマンはまさにマジャーロフの評したチェーホフのごとく、人間を描いている。そうした人間の物語は、決して特殊な時代の特殊な物語などではない。それは深く胸に迫るような普遍性を持って、私たちの時代へと届くのである。
ソヴィエトのラーゲリで、ナチスの絶滅収容所で、砲撃の轟く広大なステップの農村で、囁きと密告が重くのしかかる全体主義国家の下で、人類史上最大の(そしておそらく二度目はないであろう)市街戦の舞台、スターリングラードで、そしてその最たる激戦地、<パブロフの家>で。
そうした20世紀の生み出した深く暗い極限状態の下で、人間はどのようであるのか。人類の暗い時代の、暗い物語というだけにとどまらない。極限状態のなかにおいてなお消えることのない人間性のひらめきや、自由への根源的な希求。『人生と運命』は、そうした大文字の「人間」を余すところなく描ききっている、そこにはドイツ人とロシア人の区別もなく、時には虚構の人物と実在の人物の隔たりも曖昧になる。たとえ数行しか描かれないような登場人物さえ、はっとするような人間的魅力(と醜さ)を備えて描かれている。
第一部六十六章において、マジャーロフがチェーホフを絶賛してこのように言う。「・・・・・・いいかね、人間、人間、人間だよ! 彼以前には誰も言わなかったことをこのロシアで言ったのだ。彼はこう言った。最も重要なのは人間であることである――まず、人間であり、その後で、彼らは主教、ロシア人、売り子、タタール人、労働者であるのだとね。いいかね、人間は良くも悪くもあるが、それは彼らが主教あるいは労働者、タタール人あるいはウクライナ人だからではない、人間は平等だ。というのも、彼らが人間であるからだ・・・・・・。」
この本の傑作たる所以は、まさにそのグロスマンの人間に対する深い理解である。時に冷酷なまでに人間の弱さと残酷さを描き出し、時に深い悲しみと愛情をともなって、人間の最良の部分を描き出す。グロスマンはまさにマジャーロフの評したチェーホフのごとく、人間を描いている。そうした人間の物語は、決して特殊な時代の特殊な物語などではない。それは深く胸に迫るような普遍性を持って、私たちの時代へと届くのである。
2014年1月27日に日本でレビュー済み
現代版「戦争と平和」とも言えるグロスマンの「人生と運命」は、ヒトラー率いるドイツ軍とスターリン率いるソ連軍が死闘を繰り広げる中、ユダヤ人であるシャーポシニコフ家の人々と、その周辺の数多くの人々がどの様に生きたかを記録した物語である。「人生と運命」では本当に数多くの人生が語られる。その一つ一つに言及することはとても出来ないが、シャーポシニコフの長女の夫で物理学者のヴィクトルについてグロスマンは特に丹念に描いている。
長い間、実験結果と理論が合わないことで悩み続けるヴィクトルはある時まるで神の啓示でもあるかの様に、それらの矛盾を一挙に説明可能なより普遍的な理論を思いつく。同僚の科学者達からも賞賛を受け科学者として最高の名誉と地位を得ることも夢ではないと思われたその時、彼の論文にはユダヤ教の臭いがするという訳の分からない告発を発端に、彼自身が批判される様になり、あろう事か逮捕されラーゲリ送りになるかも知れないという恐怖に苛まされる日々を送ることになる。
同僚達は手のひらを返したように白々しい態度でヴィクトルに接するようになる。良心に反することではあるが、ヴィクトルは自分は間違っていたという懺悔の声明書を書き、それを何度も書き直したり破ったりしながら、彼の運命を決定する教授会にそれを提出し皆の前で懺悔しようかどうか迷い悩み行ったり来たりする。
辛うじて踏みとどまるヴィクトルだが、そんなある日、ヴィクトルはなんとスターリンから電話を受ける。その電話は長くはなかったが、絶対的独裁者スターリンから直接電話を受けたというその事実は瞬く間に皆に伝わり、その結果ヴィクトルは苦境を脱することになる。同僚は再び手のひらを返した様に愛想が良くなり、すべてが上手く行くように思われた。しかし今度はヴィクトル自身が罪のない人間を告発する文書にサインするよう迫られ、天から振って来た様な自分を取り巻く今の良好な状況に対して波風を立てたくない、という理由からその文書にサインしてしまう。
それは悪魔に魂を売ってしまうような行為だった。そんなヴィクトルに良心の声が容赦なく降りそそぐ。友人の妻であるマリヤは終始ヴィクトルを支える存在で、二人はプラトニックに愛し合う仲である。倫理的に問題のある存在ではあるが、グロスマンはヴィクトルの良心の声としてマリヤを登場させている。余談だがこの関係はラスコーリニコフに対するソーニャを思い起こさせる。ヴィクトルがこの先どうなるか、どうするかについてグロスマンは何も書かない。
この物語には運命に翻弄される数多くの人々が登場する。いずれもヒトラー独裁下、スターリン独裁下という良心に従って生きることが極めて困難な過酷な時代に生きた人々である。しかしグロスマンはその過酷な時代においてすら、運命とはその人々のその時々の選択によって決められるものだと言う。
グロスマンは言う「運命は人間を導く。しかし、人間は望むから歩んでいく。そして人間は望まないこともできるのである。運命が人間を導き、その人間が破壊的な力の道具になっていく。しかしその際、その人間自身は得をするのであって、損をするのではない。その人間はそれを知っていて、利益に向かって進むのである。恐ろしい運命と人間とには異なる目的があるが、道は一つである」
グロスマンは「人生と運命」で一人一人の生き様を実に丹念に描いてはいるが、彼らの誰一人の人生も解決されることなく最後には読者の前に放り出される。この物語で語られる人々が過ごした過酷な時代はグロスマンにとってもまさに現在進行中であり簡単に答えが出るはずもなかったのだろう。この物語の最後の何ページかを完成させるというやっかいな仕事は後世の我々に託されている。彼ら一人一人の人生に何とか目処を立ててやり、この物語にけりをつける事が出来るほどに我々の世界は進歩しただろうか。
長い間、実験結果と理論が合わないことで悩み続けるヴィクトルはある時まるで神の啓示でもあるかの様に、それらの矛盾を一挙に説明可能なより普遍的な理論を思いつく。同僚の科学者達からも賞賛を受け科学者として最高の名誉と地位を得ることも夢ではないと思われたその時、彼の論文にはユダヤ教の臭いがするという訳の分からない告発を発端に、彼自身が批判される様になり、あろう事か逮捕されラーゲリ送りになるかも知れないという恐怖に苛まされる日々を送ることになる。
同僚達は手のひらを返したように白々しい態度でヴィクトルに接するようになる。良心に反することではあるが、ヴィクトルは自分は間違っていたという懺悔の声明書を書き、それを何度も書き直したり破ったりしながら、彼の運命を決定する教授会にそれを提出し皆の前で懺悔しようかどうか迷い悩み行ったり来たりする。
辛うじて踏みとどまるヴィクトルだが、そんなある日、ヴィクトルはなんとスターリンから電話を受ける。その電話は長くはなかったが、絶対的独裁者スターリンから直接電話を受けたというその事実は瞬く間に皆に伝わり、その結果ヴィクトルは苦境を脱することになる。同僚は再び手のひらを返した様に愛想が良くなり、すべてが上手く行くように思われた。しかし今度はヴィクトル自身が罪のない人間を告発する文書にサインするよう迫られ、天から振って来た様な自分を取り巻く今の良好な状況に対して波風を立てたくない、という理由からその文書にサインしてしまう。
それは悪魔に魂を売ってしまうような行為だった。そんなヴィクトルに良心の声が容赦なく降りそそぐ。友人の妻であるマリヤは終始ヴィクトルを支える存在で、二人はプラトニックに愛し合う仲である。倫理的に問題のある存在ではあるが、グロスマンはヴィクトルの良心の声としてマリヤを登場させている。余談だがこの関係はラスコーリニコフに対するソーニャを思い起こさせる。ヴィクトルがこの先どうなるか、どうするかについてグロスマンは何も書かない。
この物語には運命に翻弄される数多くの人々が登場する。いずれもヒトラー独裁下、スターリン独裁下という良心に従って生きることが極めて困難な過酷な時代に生きた人々である。しかしグロスマンはその過酷な時代においてすら、運命とはその人々のその時々の選択によって決められるものだと言う。
グロスマンは言う「運命は人間を導く。しかし、人間は望むから歩んでいく。そして人間は望まないこともできるのである。運命が人間を導き、その人間が破壊的な力の道具になっていく。しかしその際、その人間自身は得をするのであって、損をするのではない。その人間はそれを知っていて、利益に向かって進むのである。恐ろしい運命と人間とには異なる目的があるが、道は一つである」
グロスマンは「人生と運命」で一人一人の生き様を実に丹念に描いてはいるが、彼らの誰一人の人生も解決されることなく最後には読者の前に放り出される。この物語で語られる人々が過ごした過酷な時代はグロスマンにとってもまさに現在進行中であり簡単に答えが出るはずもなかったのだろう。この物語の最後の何ページかを完成させるというやっかいな仕事は後世の我々に託されている。彼ら一人一人の人生に何とか目処を立ててやり、この物語にけりをつける事が出来るほどに我々の世界は進歩しただろうか。