障害者が取り巻かれている状況を描いて伝えるための映画として、幾つかのテーマが盛り込まれている。
障害者と介助者の関係、障害者を好奇の目で見る健常者、障害者への健常者の支援、支援に対する障害者の受け取り方と健常者の受け取り方の相違、障害者の成長に伴う異性との出会い、障害者の男女のプライベートにおいても身の回りの危険を回避するために介助者が居合わせることが求められる、そのことが二人のプライベートを確保できないという矛盾、等々。
意欲的にテーマに取り込まれている。が如何せん、登場人物たちの言動が視聴者の心をささくれ立たせる。障害の有無が介在する以前に、人が人としてどう接し合うか、お互いをどう気遣い合うか、お互いに行き違いがある時に、そのことをどのように伝えて理解し合えるようにしていくか、というベースとなる人間関係が伝わって来ないのは何故だろうか。
本映画のような人間関係もあり得よう。制作者はキレイごとを描くことで済ませたくなかったのかもしれない。だが、障害者であれ健常者であれ、人間が生きるということは元々キレイごとだけでは済まない。それにしても登場人物たちの言動が、視聴することを途中放棄させたくなるシナリオ、演出としたのは解せない。