最初、タイトルを見て震災翌日などだけの話かと思ったが、ある程度の復旧までの話でした。
新聞が伝えるのは現場の状況で、取材している側や、作っている側の様子は伝わらないもので、大変興味深く読み進みました。
記者さんたちの葛藤の描写が凄く胸に迫ってきました。そして、新聞を出そうという情熱、伝えようという想いががっつり伝わってきました。
おにぎりの話はなごみつつも、生きていくには食べずにはいられないこともまた再確認させられました。
切ない話も多く、通勤電車の帰り道には読み進められず、朝の往路だけで1週間ほどかかって読み終わりました
河北新報の魂を感じた1冊です

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙 単行本 – 2011/10/27
河北新報社
(著)
肉親を喪いながらも取材を続けた総局長、殉職した販売店主、倒壊した組版システム、被災者から浴びた罵声、避難所から出勤する記者
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2011/10/27
- ISBN-104163744703
- ISBN-13978-4163744704
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2011/10/27)
- 発売日 : 2011/10/27
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 272ページ
- ISBN-10 : 4163744703
- ISBN-13 : 978-4163744704
- Amazon 売れ筋ランキング: - 342,826位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年3月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2020年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本の状態がとても良かったです。
2012年4月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昨年この本は買った。いつだったかな? でもずっと原発事故のものを読み続けていたので、昨日、ようやく手にとった。原発に限らず、被災するということがどういうことなのか、もう一度しっかり考えなければ、とも思ったからだ。中井久夫の阪神大震災の記録も読んだ。
そうか、この本は2011年度の新聞協会賞受賞作で、しかもテレビでドラマ化されるのか。知らなかった。
「自画自賛」という声もあるけれど、またそうではないと言わないけれど、たまには自問自答しつつ、自分を褒めても良い時があるようなきがする。
「生きてほしい。この紙面を避難所で手にしている人も、寒風の中、首を長くして救助を待つ人も絶対にあきらめないで。あなたは掛け替えのない存在なのだから」(p93)。こういう書き出しで震災直後の社説は書き始められているという。こんな社説を書ける新聞社はそれほど多くはないのではないかな。
河北新報社という一つのメディアとそれを担う人々が被災し、当事者でもあるということが何を意味するのか描き出す。これも東北大震災の記録の一つなのだと思う。だからこそおにぎり隊の活動やロジスティックをになった人々も描き出した。ここで報道するということは抽象的何かではなく、生身の人間の行為あり、それを支える全ての上にはじめて成り立つことなのだろう。震災の記録の一つとして読まれるべき本だと思う。
そうか、この本は2011年度の新聞協会賞受賞作で、しかもテレビでドラマ化されるのか。知らなかった。
「自画自賛」という声もあるけれど、またそうではないと言わないけれど、たまには自問自答しつつ、自分を褒めても良い時があるようなきがする。
「生きてほしい。この紙面を避難所で手にしている人も、寒風の中、首を長くして救助を待つ人も絶対にあきらめないで。あなたは掛け替えのない存在なのだから」(p93)。こういう書き出しで震災直後の社説は書き始められているという。こんな社説を書ける新聞社はそれほど多くはないのではないかな。
河北新報社という一つのメディアとそれを担う人々が被災し、当事者でもあるということが何を意味するのか描き出す。これも東北大震災の記録の一つなのだと思う。だからこそおにぎり隊の活動やロジスティックをになった人々も描き出した。ここで報道するということは抽象的何かではなく、生身の人間の行為あり、それを支える全ての上にはじめて成り立つことなのだろう。震災の記録の一つとして読まれるべき本だと思う。
2017年9月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この『河北新報のいちばん長い日』は偶然図書館の書架で見つけ、同じ時を東北で過ごした者として、「読まなくてはならない。あの時、報道関係者に感じた疑問や嫌悪感をもっと突き詰めたい」という思いで読み始め、さらに手元に置きたくて購入しました。
東京に生まれ育った私は、「地方紙」というものを見たことがありませんでした。福島市の学校に勤めるようになって初めて、福島県には「福島民報」「福島民友」という地方紙があること、地元の人たちは全国紙よりむしろこちらの方をよく読んでいることに気づきました。今だから告白しますが、地方紙を読んでいる人より、全国紙を読む自分の方がエライというような奢った心を持っていました。
あの日2011年3月11日、私は学校で被災しましたが、目の前に残された生徒200人(この夜のうちに迎えが来なかった生徒が20人)の方が心配で、「津波どころじゃない、この生徒たちをどうにかしなくては」という思いでいっぱいでした。津波の画像を初めて見たのは、よく朝、停電が復旧してTVを点けた時です。大変なことだとは思いましたが、なお私の心は自己中心で、目の前のことでいっぱいでした。
しかし、震災の後、当時本当に切実だった情報(診療している病院、給水車の来る場所や時間、洗髪サービスをする美容院等)を伝えてくれるのは確かに地方紙でした。と同時に、報道される悲惨な写真、談話には、「よくこんな時に取材できるものだ」と腹立たしい気持ちになりました。そして間もなく原発問題が起こり、私は「津波より原発事故の方が始末がわるい」という自己中心に再び陥って、津波に関する問題は、私の中で終わらせていました。
1年後の2012年3月11日に、東北何県かの地方紙が共同して、1年前の12日の朝刊一面を縮小版で並べた特別頁が新聞に挟みこまれました。その中に河北新報の一面もあったと記憶しています。今、この本を読み終わってこの特別頁を思い出すと、胸が熱くなります。自らも被災者でありながら、「それでも報道を続ける、新聞の発行と配布を途切らせない」という強い使命感に感動したからです。「ごめんなさい。助けてあげられなくて」という思いでシャッターを切り続けたことも、仮設の中で唯一の情報源である新聞を切実な思いで待っていらした人々の心情もよく理解できました。
震災直後から、福島以外の被災地を訪問するツアーがあちこちで組まれていましたが、私が浜通りの災害状況を見に行ったのは、震災から2年半後でした。それまでは、とても行く気にはなれませんでした。あの静かすぎるくらいに静まり返った場所が黒々とした水で満たされ、様々な物音と人とで混沌としていた時、取材に駆けずり回っていた新聞関係の方々に深い敬意を捧げたいと思います。そして、この本を出版してくださったことを心から感謝します。
苦しい思いで始めた読書が、感動で終わりました。
東京に生まれ育った私は、「地方紙」というものを見たことがありませんでした。福島市の学校に勤めるようになって初めて、福島県には「福島民報」「福島民友」という地方紙があること、地元の人たちは全国紙よりむしろこちらの方をよく読んでいることに気づきました。今だから告白しますが、地方紙を読んでいる人より、全国紙を読む自分の方がエライというような奢った心を持っていました。
あの日2011年3月11日、私は学校で被災しましたが、目の前に残された生徒200人(この夜のうちに迎えが来なかった生徒が20人)の方が心配で、「津波どころじゃない、この生徒たちをどうにかしなくては」という思いでいっぱいでした。津波の画像を初めて見たのは、よく朝、停電が復旧してTVを点けた時です。大変なことだとは思いましたが、なお私の心は自己中心で、目の前のことでいっぱいでした。
しかし、震災の後、当時本当に切実だった情報(診療している病院、給水車の来る場所や時間、洗髪サービスをする美容院等)を伝えてくれるのは確かに地方紙でした。と同時に、報道される悲惨な写真、談話には、「よくこんな時に取材できるものだ」と腹立たしい気持ちになりました。そして間もなく原発問題が起こり、私は「津波より原発事故の方が始末がわるい」という自己中心に再び陥って、津波に関する問題は、私の中で終わらせていました。
1年後の2012年3月11日に、東北何県かの地方紙が共同して、1年前の12日の朝刊一面を縮小版で並べた特別頁が新聞に挟みこまれました。その中に河北新報の一面もあったと記憶しています。今、この本を読み終わってこの特別頁を思い出すと、胸が熱くなります。自らも被災者でありながら、「それでも報道を続ける、新聞の発行と配布を途切らせない」という強い使命感に感動したからです。「ごめんなさい。助けてあげられなくて」という思いでシャッターを切り続けたことも、仮設の中で唯一の情報源である新聞を切実な思いで待っていらした人々の心情もよく理解できました。
震災直後から、福島以外の被災地を訪問するツアーがあちこちで組まれていましたが、私が浜通りの災害状況を見に行ったのは、震災から2年半後でした。それまでは、とても行く気にはなれませんでした。あの静かすぎるくらいに静まり返った場所が黒々とした水で満たされ、様々な物音と人とで混沌としていた時、取材に駆けずり回っていた新聞関係の方々に深い敬意を捧げたいと思います。そして、この本を出版してくださったことを心から感謝します。
苦しい思いで始めた読書が、感動で終わりました。
2019年4月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あの日のことを忘れないために、読み返しています。3/11東京の自宅テレビで観た光景とともに、思い出しています。
2018年9月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新聞人、そして、報道人として、人間のあたたかさを、しみじみ感じた
2015年3月20日に日本でレビュー済み
仙台に本社を置くブロック紙・河北新報の東日本大震災発生直後を取り上げた本。
震災への自分の気持ちが薄れているな、と感じている人にこそ読んでほしい。
いわゆる「先進国」であるはずの日本で、情報が入らないという状況を想像するのは難しいだろう。
しかし現に2011年、そういう状況が起きてしまったのだ。
そんな中情報をなんとか届けようと奮闘した人々をえがいている。
とくに胸をえぐられたのが、津波にのまれ亡くなった販売店主の話。
言っちゃ悪いが、新聞記者は非常事態へのある程度の覚悟を持って働いている。(と思っている)
しかし、新聞社の取引先の一つにすぎない販売店主が、新聞を読者に届けることに文字通り「命を懸けて」いたさまを
見せつけられると、涙があふれて仕方がなかった。
とくにマスコミ関係者に読んでほしい。
このときの気持ちで、これからも被災地を報じてほしい。
震災への自分の気持ちが薄れているな、と感じている人にこそ読んでほしい。
いわゆる「先進国」であるはずの日本で、情報が入らないという状況を想像するのは難しいだろう。
しかし現に2011年、そういう状況が起きてしまったのだ。
そんな中情報をなんとか届けようと奮闘した人々をえがいている。
とくに胸をえぐられたのが、津波にのまれ亡くなった販売店主の話。
言っちゃ悪いが、新聞記者は非常事態へのある程度の覚悟を持って働いている。(と思っている)
しかし、新聞社の取引先の一つにすぎない販売店主が、新聞を読者に届けることに文字通り「命を懸けて」いたさまを
見せつけられると、涙があふれて仕方がなかった。
とくにマスコミ関係者に読んでほしい。
このときの気持ちで、これからも被災地を報じてほしい。
2011年12月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
少し辛口になりますが、これだけ大変な時に我が社はこれだけ頑張ったんだよという、自画自賛的な内容に感じました。
期待し過ぎた面もあると思いますが、読後に印象に残る場面も少なかったです。
趣はやや違いますが、自分としてはフジテレビの笠井アナが書いた「僕はしゃべるためにここへ来た」や、読売新聞の「記者は何を見たのか」の方が、無駄のない文章で当時の状況をより現実的に書いていて胸にくるものがありました。
期待し過ぎた面もあると思いますが、読後に印象に残る場面も少なかったです。
趣はやや違いますが、自分としてはフジテレビの笠井アナが書いた「僕はしゃべるためにここへ来た」や、読売新聞の「記者は何を見たのか」の方が、無駄のない文章で当時の状況をより現実的に書いていて胸にくるものがありました。