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マインド・タイム 脳と意識の時間 単行本 – 2005/7/28
ベンジャミン・リベット
(著),
下條 信輔
(翻訳)
読まずして脳や意識は語れない一級の証言
- 本の長さ312ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2005/7/28
- ISBN-10400002163X
- ISBN-13978-4000021630
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2005/7/28)
- 発売日 : 2005/7/28
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 312ページ
- ISBN-10 : 400002163X
- ISBN-13 : 978-4000021630
- Amazon 売れ筋ランキング: - 140,193位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年3月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本を読めば、脳を使わないように生活していることが分かりますよ。あら~~~不思議。
2015年8月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
よく自由意志はないことの根拠として引用されることがある「リベットの実験」を行ったリベット自身による書である。実験は 主観的な意思体験は実際の知覚より遅れ、何かを行う意思を発動する前から脳の活動は始まっているという概要であるが、実はリベット自身は自由意志はあるという立場である。それは何かを始めるのは無意識だが意思がそれを拒否する時間があるといい、その拒否には必ずしも無意識の脳の活動が先行していなくてもいいというのだが、苦しい展開に思える。 ○×は形而上学的信念と切ってしまうわりには自由意志はあるという証明は弱く自らの信念を護ろうとしているように思えた。
脳と心の関係に関して、デカルト2元論とは違うといいつつ、2元論的な考え方を打ち出し「精神場」なるものを提唱している。これは脳という物質がなければ存在しないがそれ自身は必ずしも物理法則には従わない。むろん仮説段階だが、それならば私の感覚では2元論でよって自由意志もあると言ったほうが明確な気もする。もちろん実際にはないのかもしれないのだが。
さまざまな哲学や形而上学的立場にも言及されており、科学者リベットと哲学者デネットの対話やデカルトとの仮想対話もおもしろい。
心の哲学関係のことを言う前に読まねば始まらない、そのような本である。
脳と心の関係に関して、デカルト2元論とは違うといいつつ、2元論的な考え方を打ち出し「精神場」なるものを提唱している。これは脳という物質がなければ存在しないがそれ自身は必ずしも物理法則には従わない。むろん仮説段階だが、それならば私の感覚では2元論でよって自由意志もあると言ったほうが明確な気もする。もちろん実際にはないのかもしれないのだが。
さまざまな哲学や形而上学的立場にも言及されており、科学者リベットと哲学者デネットの対話やデカルトとの仮想対話もおもしろい。
心の哲学関係のことを言う前に読まねば始まらない、そのような本である。
2006年1月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
脳内で、意識ある自由意志が自発的なプロセスを起動するのではなく、
脳は無意識にプロセスを起動する、というリベットの発見は
画期的な業績だ。
しかし、自己の画期的な業績に対する具体的な反論に対しては
的確に反論しているが、自己が無意識に受け入れている時代の
パラダイムや信念との整合性を、寛容かつ頑固に図ろうとする
スタンスはアインシュタインにも見られた傾向であり、
人間そのものの限界も感ずる。
リベットの実験を具体的に知りたい人にとっては、
星5つの良書であるが、通常の脳神経科学好きには、
リベットの実験結果のみわかっておればよく、
本書を読む必要はない。
脳は無意識にプロセスを起動する、というリベットの発見は
画期的な業績だ。
しかし、自己の画期的な業績に対する具体的な反論に対しては
的確に反論しているが、自己が無意識に受け入れている時代の
パラダイムや信念との整合性を、寛容かつ頑固に図ろうとする
スタンスはアインシュタインにも見られた傾向であり、
人間そのものの限界も感ずる。
リベットの実験を具体的に知りたい人にとっては、
星5つの良書であるが、通常の脳神経科学好きには、
リベットの実験結果のみわかっておればよく、
本書を読む必要はない。
2015年8月11日に日本でレビュー済み
本書は実験結果を、次のように示す。
【結果1】あらゆる行動はそれが起こってから0.5秒後に意識に上る。
【結果2】感情は0.5秒の間に無意識が作り、意識は遅れてそれに気付く。
この結果を読んで、今から20年前に在籍した企業の中央研究所で行った実験を思い出した。
IBMスパコンに400×500個の視覚細胞からなる視覚認識ユニットをプログラムした。視覚細胞は神経細胞の機能を再現できる非線形振動子(ノーベル賞受賞のホジキン・ハクスレイ偏微分方程式を近似した東北大・矢野雅文教授の線形高次方程式を使用)でモデル化し、視覚細胞の相互作用を可能にするニューラルネット構成で大脳視覚野をモデル化して画像のパターン認識を計算したことがある。
IBMスパコンでモデル化した理由は、隣接する視覚細胞や遠く離れた視覚細胞への情報伝搬時間を自由に設定できるからである。パターン認識は、東大・清水博教授のホロヴィジョンの階層を採用し、記憶情報は記憶画像の一般化表現を可能にする拡張トポロジーで記述して柔軟な画像認識を可能にした。独立した二つの円、円周の一部が接している二つの円、円周の二カ所が交差する二つの円の認識過程を調べるためであった。
一ヶ月間占有で計算した結果、万有引力のような遠隔作用を仮定しなければ画像認識が出来ないという結論が導かれた。つまり、隣り合う神経細胞に情報が伝搬する時間と遠く離れた神経細胞に情報が伝搬する時間に差があってはいけないという結果だったのである。これは視覚細胞の相互作用は隣接する視覚細胞だけでなく遠く離れた視覚細胞との相互作用も導入する必要があるということになる。
このことは、最初に脳が存在して二元性の意識が生まれたのではなく、最初に非二元性の意識が存在して、脳内で二元性の意識に変換している可能性を示唆していると、私は受け取った。つまり、非二元性の意識(主体)が外界(客体)を認識する過程(時間経過が生じない遠隔作用を実現する過程)を、二元性の脳で再現するために、本来は時間経過を伴う情報伝搬作業が終了するまで脳が気づかないように隠していると考えたのである。
***
私の実験は認識過程の「意識A」の実験であるが、本書の実験は動作過程の「意識B」の実験である。
人間の脳は、約800億個の神経細胞からなる「小脳」と約200億個の神経細胞からなる「視床-皮質系」からなる。小脳は独立した多数のルーチン・モジュールからなり、ルーチン動作の「意識B」はルーチン・モジュールによって「無意識B」になっている。その「無意識B」をわざわざ「意識B」に戻す時間を計測したのが本書である。一方、「視床-皮質系」の「意識A」は物的世界だけで実験しようとしても難しいと思われる。
私が注目するのは、釈尊の「四念処」に基づく情報処理の可能性である。<釈尊の教法の真義>によれば、時空等の二元性を有する三次元世界(これを仏教では欲界と呼ぶ)の凡夫は、欲界の無知(三結という煩悩)を除去することにより、聖者となり、やがて非二元性の境域である高次元世界のブッダ(阿羅漢)に進化する方法を指導した。その一つが四念処である。四念処の構成要素は次の四つである。
【1.身念処(感覚器官)】 ⇔ 色蘊
【2.受念処(感情)】 ⇔ 受蘊
【3.心念処(心、思考)】 ⇔ 想蘊・行蘊
【4.法念処(意識)】⇔ 識蘊
釈尊は、非二元性の法念処から二元性の身念処に向かう過程で「欲界の無知」が生じたとするので、二元性の身念処から非二元性の法念処に向かう訓練で「欲界の無知」を除去する方法を指導した。
本書の「意識B」は「身念処」の領域に限定されるものであり、「法念処」の「意識A」を扱うためには、感情や思考のモデル構築が不可欠である。
【結果1】あらゆる行動はそれが起こってから0.5秒後に意識に上る。
【結果2】感情は0.5秒の間に無意識が作り、意識は遅れてそれに気付く。
この結果を読んで、今から20年前に在籍した企業の中央研究所で行った実験を思い出した。
IBMスパコンに400×500個の視覚細胞からなる視覚認識ユニットをプログラムした。視覚細胞は神経細胞の機能を再現できる非線形振動子(ノーベル賞受賞のホジキン・ハクスレイ偏微分方程式を近似した東北大・矢野雅文教授の線形高次方程式を使用)でモデル化し、視覚細胞の相互作用を可能にするニューラルネット構成で大脳視覚野をモデル化して画像のパターン認識を計算したことがある。
IBMスパコンでモデル化した理由は、隣接する視覚細胞や遠く離れた視覚細胞への情報伝搬時間を自由に設定できるからである。パターン認識は、東大・清水博教授のホロヴィジョンの階層を採用し、記憶情報は記憶画像の一般化表現を可能にする拡張トポロジーで記述して柔軟な画像認識を可能にした。独立した二つの円、円周の一部が接している二つの円、円周の二カ所が交差する二つの円の認識過程を調べるためであった。
一ヶ月間占有で計算した結果、万有引力のような遠隔作用を仮定しなければ画像認識が出来ないという結論が導かれた。つまり、隣り合う神経細胞に情報が伝搬する時間と遠く離れた神経細胞に情報が伝搬する時間に差があってはいけないという結果だったのである。これは視覚細胞の相互作用は隣接する視覚細胞だけでなく遠く離れた視覚細胞との相互作用も導入する必要があるということになる。
このことは、最初に脳が存在して二元性の意識が生まれたのではなく、最初に非二元性の意識が存在して、脳内で二元性の意識に変換している可能性を示唆していると、私は受け取った。つまり、非二元性の意識(主体)が外界(客体)を認識する過程(時間経過が生じない遠隔作用を実現する過程)を、二元性の脳で再現するために、本来は時間経過を伴う情報伝搬作業が終了するまで脳が気づかないように隠していると考えたのである。
***
私の実験は認識過程の「意識A」の実験であるが、本書の実験は動作過程の「意識B」の実験である。
人間の脳は、約800億個の神経細胞からなる「小脳」と約200億個の神経細胞からなる「視床-皮質系」からなる。小脳は独立した多数のルーチン・モジュールからなり、ルーチン動作の「意識B」はルーチン・モジュールによって「無意識B」になっている。その「無意識B」をわざわざ「意識B」に戻す時間を計測したのが本書である。一方、「視床-皮質系」の「意識A」は物的世界だけで実験しようとしても難しいと思われる。
私が注目するのは、釈尊の「四念処」に基づく情報処理の可能性である。<釈尊の教法の真義>によれば、時空等の二元性を有する三次元世界(これを仏教では欲界と呼ぶ)の凡夫は、欲界の無知(三結という煩悩)を除去することにより、聖者となり、やがて非二元性の境域である高次元世界のブッダ(阿羅漢)に進化する方法を指導した。その一つが四念処である。四念処の構成要素は次の四つである。
【1.身念処(感覚器官)】 ⇔ 色蘊
【2.受念処(感情)】 ⇔ 受蘊
【3.心念処(心、思考)】 ⇔ 想蘊・行蘊
【4.法念処(意識)】⇔ 識蘊
釈尊は、非二元性の法念処から二元性の身念処に向かう過程で「欲界の無知」が生じたとするので、二元性の身念処から非二元性の法念処に向かう訓練で「欲界の無知」を除去する方法を指導した。
本書の「意識B」は「身念処」の領域に限定されるものであり、「法念処」の「意識A」を扱うためには、感情や思考のモデル構築が不可欠である。
2018年2月2日に日本でレビュー済み
論理的に読み進めることが困難な本です。
用語が的確に定義されていないとか、
図示されている用語と解説の用語が統一されていないなど、ある意味、専門知識が前提の本かもしれません。
用語が的確に定義されていないとか、
図示されている用語と解説の用語が統一されていないなど、ある意味、専門知識が前提の本かもしれません。
2006年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
予期しない時刻にアラームを鳴らすため目覚まし時計の目盛を出鱈目にまわしてセットする。
(もちろん眠らずに居るわけだが)すっかり忘れたころにアラームが鳴り、
「ああ、そうだった。目覚ましを設定したのだった」
と、500ミリ秒後に気づき、アラームを止める。・・・・
さて、自由意志によって「何時とは知れない時間にアラームを鳴らす」という行為は達成された。
このことと、任意のタイミングで手を動かすという行為が、どうつながるか。以下、リベット的な
言葉遣いもまじえて説明を試みると・・・・
アウェアネスから見れば制御系エージェント(無意識の一角)はブラックボックスである。
アウェアネスはただ単に制御系エージェントに「タイミングを指定した手の作動」もしくは
「タイミングを指定しない手の作動」を依頼する(タイミングを指定されたほうが多くの制御を
要するようである)。アウェアネスは作動準備完了のレスポンスを制御系エージェントから、
あるいは別のエージェントから、実作動の200ミリ秒前に受け取る。
リベットの実験から言えることはこれだけである。虚心坦懐に眺めれば、自由意志云々というのは
リベットのミスリーディングであり脚色にすぎない。現象としては何ら突飛なことは起きていない、
リベットの解釈が突飛なだけである。
しかしながら本書は、たとえば上記のような事柄やその他にもいろいろと考えさせる、きわめて
刺激的な記述に富んでおり、一読して損は無い。
ちなみに云えば、意識は完璧に無意識を統制しなければならないわけではないし、逆に、意識が
無意識の奴隷に過ぎないという見方も短絡的であろう。
(もちろん眠らずに居るわけだが)すっかり忘れたころにアラームが鳴り、
「ああ、そうだった。目覚ましを設定したのだった」
と、500ミリ秒後に気づき、アラームを止める。・・・・
さて、自由意志によって「何時とは知れない時間にアラームを鳴らす」という行為は達成された。
このことと、任意のタイミングで手を動かすという行為が、どうつながるか。以下、リベット的な
言葉遣いもまじえて説明を試みると・・・・
アウェアネスから見れば制御系エージェント(無意識の一角)はブラックボックスである。
アウェアネスはただ単に制御系エージェントに「タイミングを指定した手の作動」もしくは
「タイミングを指定しない手の作動」を依頼する(タイミングを指定されたほうが多くの制御を
要するようである)。アウェアネスは作動準備完了のレスポンスを制御系エージェントから、
あるいは別のエージェントから、実作動の200ミリ秒前に受け取る。
リベットの実験から言えることはこれだけである。虚心坦懐に眺めれば、自由意志云々というのは
リベットのミスリーディングであり脚色にすぎない。現象としては何ら突飛なことは起きていない、
リベットの解釈が突飛なだけである。
しかしながら本書は、たとえば上記のような事柄やその他にもいろいろと考えさせる、きわめて
刺激的な記述に富んでおり、一読して損は無い。
ちなみに云えば、意識は完璧に無意識を統制しなければならないわけではないし、逆に、意識が
無意識の奴隷に過ぎないという見方も短絡的であろう。
2018年10月19日に日本でレビュー済み
刺激に対し行動系が反応を開始してから、刺激を意識することが 約0.5秒遅れます。
これと関連する事実として、「痕跡条件づけには 刺激を意識する必要がある!」というものがあります。
ここでは、刺激を意識する時刻の判断が 被験者の報告行動であるという点がミソです。
被験者は報告行動を起こすためのサポート(根拠)として記憶(痕跡)を利用します。
つまり、脳の中に記憶(痕跡)が存在していなければなりません。
※脳の"知覚サイクル"は、上流(前方)の感覚系知覚領野から 下流(後方)の運動系知覚領野へと 順次 知覚状態を確立して行く"知覚フェーズ"と、逆に、後方の運動系知覚領野から 前方の感覚系知覚領野へと 順次 記憶(痕跡)を残して行く"記憶フェーズ"とから成ります。(※これは、脳の活性状態の推移で観察されます。)
"知覚フェーズ(*1)"の段階で、行動系は、知覚状態を参照して行動を開始します。
報告行動を導くような"知覚フェーズ(*2)"では、既に、必要な記憶(痕跡)が存在していなければならないので、前記の"知覚フェーズ(*1)"の後の"記憶フェーズ"の後の"知覚フェーズ"になります。故に、0.5秒の遅れが生じます。
これと関連する事実として、「痕跡条件づけには 刺激を意識する必要がある!」というものがあります。
ここでは、刺激を意識する時刻の判断が 被験者の報告行動であるという点がミソです。
被験者は報告行動を起こすためのサポート(根拠)として記憶(痕跡)を利用します。
つまり、脳の中に記憶(痕跡)が存在していなければなりません。
※脳の"知覚サイクル"は、上流(前方)の感覚系知覚領野から 下流(後方)の運動系知覚領野へと 順次 知覚状態を確立して行く"知覚フェーズ"と、逆に、後方の運動系知覚領野から 前方の感覚系知覚領野へと 順次 記憶(痕跡)を残して行く"記憶フェーズ"とから成ります。(※これは、脳の活性状態の推移で観察されます。)
"知覚フェーズ(*1)"の段階で、行動系は、知覚状態を参照して行動を開始します。
報告行動を導くような"知覚フェーズ(*2)"では、既に、必要な記憶(痕跡)が存在していなければならないので、前記の"知覚フェーズ(*1)"の後の"記憶フェーズ"の後の"知覚フェーズ"になります。故に、0.5秒の遅れが生じます。
2007年12月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
リベットは、意識が気付くためにはその刺激が最低400ミリ秒の時間の持続がなければならないこと、結果的に人の認識は0.5秒遅れるというセンセーショナルな発見をしたことで有名です。本書でもその実験経緯などが専門家でなくてもわかるように平易に説明されています。
さらにリベットは、この「認識の遅れ」の発見から、本書で非常に示唆に富むいくつかの理論をあげています。その議論はスポーツ選手の身体を動かす自覚から、芸術家の創造性、哲学、宗教まで多面的で興味深いものです。大脳生理学の本ということにとどまらず、生物的な現実に基づく人間の思考に関する考察の書として読むことができます。彼の論点は非常に射程の長い興味深い議論です。一読をおすすめします。
さらにリベットは、この「認識の遅れ」の発見から、本書で非常に示唆に富むいくつかの理論をあげています。その議論はスポーツ選手の身体を動かす自覚から、芸術家の創造性、哲学、宗教まで多面的で興味深いものです。大脳生理学の本ということにとどまらず、生物的な現実に基づく人間の思考に関する考察の書として読むことができます。彼の論点は非常に射程の長い興味深い議論です。一読をおすすめします。