プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥1,760¥1,760 税込
ポイント: 88pt
(5%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon 販売者: IGCショップ
中古品: ¥111

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語― 単行本 – 2012/1/7
購入オプションとあわせ買い
福島第一原発事故に大きな衝撃を受けた著者は、その後の国や東京電力の対応、そして一般の人々のふるまいに唖然とする。いったい原発で何が起こっているのか、事故はどの程度のものなのか。放射能はどこまで広がったのか。いっこうに情報が出てこない。枝野官房長官は「ただちに影響はありません」を繰り返すばかり。多くの人たちは、放射能がまき散らされたのを知っても、パニックにもならず、以前と変わらぬ生活を送っているように見える。いったいこれはどうしてなんだ!そこから著者が感じたのは、現代日本人と原発との関係は、戦前の日本人と戦争との関係によく似ているということ。勝ち目のない戦争を続け、原爆を投下されてもなお戦争をやめることのできなかった戦前の日本と同様の何かがあるのではないか。そう感じ、そのような視点で日本社会を眺めてみると、そこに共通して浮かび上がってきたのは欺瞞的な言語体系だった。
社会が暴走を始めるとき、きまって言葉の空転が起こるというのは、著者がこれまでの研究で確信していることで、今回の福島第一原発事故でも同様に、欺瞞的な言葉があふれだした。そもそも、欺瞞的言語は、原子力を推進する側が多用してきたものであり、原子力は安全と言い換えられ、事故は起こらないとされ、それを私たちが信じてきた結果、今回の事故が起こったのだ。あれほどの事故後も、その欺瞞的言語は使われ続けた。
その欺瞞的言語体系の代表が「東大話法」である。もう二度とあのような事故を繰り返さないためには、欺瞞的言語と決別しなければならない。そのような問題意識のもとで、著者が欺瞞に満ち溢れたと思われる原発をめぐっての言説を取り上げ、徹底解析。御用学者の発言や東大話法を駆使する池田信夫氏のブログを検証し、欺瞞的言語の悪質性を明らかにするとともに、欺瞞的言語を生みだす日本社会の構造を明らかにする。
- ISBN-104750335169
- ISBN-13978-4750335162
- 出版社明石書店
- 発売日2012/1/7
- 言語日本語
- 本の長さ276ページ
よく一緒に購入されている商品

この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
出版社より
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
---|---|---|---|---|
幻影からの脱出 | 誰が星の王子さまを殺したのか | ジャパン・イズ・バック | 親鸞ルネサンス | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.7
28
|
5つ星のうち4.3
55
|
5つ星のうち4.2
55
|
5つ星のうち4.3
15
|
価格 | ¥1,674¥1,674 | ¥2,200¥2,200 | ¥1,760¥1,760 | ¥1,712¥1,712 |
安冨歩先生著書 | 欺瞞に満ちた言葉の使い手たちをバッサリと切って話題を呼んだ前著『原発危機と「東大話法」』の姉妹編。東大話法の本質とは何かを明らかにするとともに、あれだけの事故があっても原発をやめようとしないのはなぜなのかを、著者ならではの視点で考察。その切れ味はさらに鋭く、目からウロコ、間違いなし。欺瞞に満ちた社会を生き延びていくために、どう思考し、行動すればよいのか、きっとヒントが見つかるはずです。 | 星の王子さまとバラとのこじれた恋愛関係に焦点をあて、ハラスメントの物語として読み直した、これまでにない視点の『星の王子さま』論。なぜ王子はバラの棘の話で怒りをあらわにしたのか、なぜキツネは王子に「飼いならして」と言ったのか。なぜ王子は蛇に自らを噛ませたのか。『星の王子さま』の謎が解き明かされる。 | 「立場」が主役の社会、日本。立場を失うことを極度におそれ、立場に与えられた役を必死に果たす「立場主義」は経済成長をもたらした一方で、戦争と原発事故を招いた。世界が変わった今、すでに立場主義は時代遅れの遺物となっているが、強固にこのシステムを守ろうとする人物がいる。それが安倍晋三である。立場主義という観点から、安倍政権の本質とそれを生み出した日本社会を分析。安倍政権を乗り越え、豊かで幸福な社会を創造するために一人ひとりが何ができるかを問う。 | 親鸞思想を通して、現代の学問、宗教、社会の抱える課題を明らかにし、人間とは何か、生きるとは何かを問う。迷妄の時代を、私たちはどう生きていけばよいのか。その手掛かりが見えてくる。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
---|---|---|---|---|
原発は差別で動く 新装版 | 崩れた原発「経済神話」 | 被災地のジャーナリズム | 福島原発事故 取り残される避難者 | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち5.0
2
|
5つ星のうち4.5
5
|
5つ星のうち4.6
2
|
5つ星のうち5.0
1
|
価格 | ¥2,420¥2,420 | ¥2,200¥2,200 | ¥2,750¥2,750 | ¥2,640¥2,640 |
原発を考えて | 原発に内在する差別の連関構造を社会学的に読み解いた1989年刊行書の新装版。炉心下請労働者の被曝問題、核廃棄物処理施設の建設に関わる「辺地」の犠牲など、その視角は今も色褪せない。北陸住民の反原発の闘いを記録した『いろりばた』の諸論も貴重。 | 「安全神話」崩壊後、いまだ生き残る「経済神話」。原発が稼働すれば地元経済が潤う、と感じている人は少なくない。それが再稼働を容認する理由のひとつになっている。だが、原発は地域振興にほんとうに役に立つのか――。再稼働問題に揺れる柏崎刈羽原発。地元紙・新潟日報が原発と地域経済の問題を多面的に検証・追及した労作。 | 2011年の東日本大震災・福島第一原発事故から10年。 根こそぎ失われた被災地の風景のなかを 著者はジャーナリズムが果たす役割の意味を問いながら、取材者として歩き続けてきた。 この10年の被災地が抱えてきた問題の変容と内側からの視点を伝える論考、 復興がいまだ訪れない2020年現在の「いま」を伝えるルポから構成。 忘却に抗い、当事者の声をつなぐ。つなぎ続ける。 | 福島第一原発事故から7年。政府は事故がなかったかのように帰還政策を打ち出し、避難生活者への支援を縮小してきた。しかし、避難者は未だ様々な問題に直面し、苦しんでいる。その現状と支援策の課題を明らかにするとともに、今後の支援策のあり方を問う。 |
編著者 | 八木正 | 新潟日報社原発問題特別取材班 | 寺島英弥 | 戸田典樹 |
商品の説明
著者について
登録情報
- 出版社 : 明石書店 (2012/1/7)
- 発売日 : 2012/1/7
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 276ページ
- ISBN-10 : 4750335169
- ISBN-13 : 978-4750335162
- Amazon 売れ筋ランキング: - 224,524位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
原子力危険性審査委員会→原子力安全委員会。原子炉の老朽化→原子炉の高経年化。プルトニウム燃焼→プルサーマル。プルトニウム・ウラン混合酸化物燃焼→MOX燃料。高レベル放射性廃棄物→高レベル廃棄物。高レベル放射性廃棄物最終処分事業者→原子力発電環境整備機構。核燃料サイクル機構→サイクル機構。など多くある。
これらの「言い換え」はいったい何だろうか?それは、ジョージ・オーウェルの言う「ニュースピーク」ではないだろうか? その目的は、国民の語彙や思考を制限し、本質を隠蔽し、党のイデオロギーに反する思想を考えられないようにして支配を盤石なものにすることではないだろうか?
「東大にあらざれば人にあらず」は国家'T種試験合格後の「最低」条件だったと
記憶している。(今はどうかしらないが)
原発危機で東大出の評論家とか専門家が適当なことばっかり言っていたのは、
誰しもが経験したことであろうから、最早述べるまでもないであろう。
この本で取り上げれらている人々がまさにそういう人間だったということだ。
国のキャリア官僚と関係して仕事をしたことがある人は、この本がぴったりくる!と
実感できると思います。
特に笑えたのは、東大話法'Fその場で自分が立派な人だと思われることを言う。
とか東大話法'J相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな
概念を持ち出すとか、極めつけは東大話法'Pああでもない、こうでもない、と自分が
いろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
といったところはズバリです。
こういったシチュエーションは仕事だけでなく、酒席にでも持ち込むから
最悪です。
結局、おべんちゃらばっかりで何がしたいのかよくわからない人ばっかりでした。
責任も当然とる気配もない人ばかり。
今の経産省は好例でしょう。
帝王学も行き過ぎるとバカの集団になるといういい経験だとわが国民はよく
肝に銘ずるべきだと思った。
個人的には、氏が二酸化炭素温暖化説にまだとらわれていることと
早急に発刊したからなのか、脱字が散見されるので、☆を1つ落としました。
しかし、なかなか面白い本だと思いました。
しかしあるときから違和感を覚えました。
学者にありがちですが人を見下す表現でした。
それでも経済学的真理を述べるならばと思っていましたが、原発関連の話はどうも腑に落ちませんでした。
テレビに出演されて詭弁を弄していた東大工学部の教授と重なる気がしました。
どこまでもポジショントークなんです。
しかも「AだったとしたらBだ」のAについての吟味があまりに稚拙かなと。
そこが一番重要なのに。
また池田さんは行動経済学を切るにしても、まだ端緒についたばかりなのに、
いろいろな困難な点をあげて、切ってしまう。それって学問をめざすひとの心構えとしてどうなんだろうと。
専門家だから仕方ないのですが、しかし、本来学問とは専門家としての立場を常にずらし続け、
場合によっては小室直樹のように横断的に様々な学問分野をも視野に入れないと新しい地平は開けないと思うのです。
(頭がいいと自負するならば、自らの立場や生活の安定ではなく、
心理学や工学を学部・修士から勉強するくらいの気構えがないと)
ちなみに著者は当初、池田さんと一緒にサイトを立ち上げるメンバーだったようですが、
議論がかみ合わず離れたようです。
またわが業界の頭がいいといわれる方が書かれた文書は、まったくソツがないけど、まったく面白味も実効性もないと感じていました。
(著者が感じていたことそのままです)
わが業界の会議にでても議論らしい議論になりません。
定義は薄っぺら(「名をただす」は非常に重要だと思います。安全委員会?→規制委員会でしょう 事象→事故でしょう)、
古典的な論理学程度の思考もなく(帰納、演繹、対偶・・・)、
一部の該博な人が議論を進め、知識がないとわかると馬鹿にする。
それが立場のあるひとだと自らの怠惰と無責任のためのお追従がはじまる。
まったく原発の議論と同じで背筋が寒くなりました。
わが業界も高度な専門家と呼称(揶揄?)されますが、
あまりに知的議論のレベルが低すぎると思っていましたが、それは東大でも同じだったとは。
・良心なき悪意
・絶妙なバランス感覚
・超高速度処理能力
と書かれてあり、東大理学部の友達が昔、研究室で感じていた感想と一致しています。
そこで東大工学部卒の大学研究者である友達にこのフレーズをみせると、
「昔からだよ。僕も東大にいたころはそれをしていたと思う」
「東大の教員はなぜこうなる?」
「全部ではないがやはり競争がないから。官僚からも企業からもヨイショされる。しかも何をしても失敗がない(いままではなかった)。宇宙工学ならば想定外のアクシデントはロケットが落ちて明確に失敗がわかる。原子力はそれがない。あれはひどい」
友人は暗い顔をして答えてくれましたが、こちらまで底なしの暗い気持ちになりました。
この本の書名はスノッブかもしれませんが、日本の精神的な分野からの見直しを進めるためには避けて通れない話だと思います。
誰しも生活に忙しく、勢い、門外の難しい話はその分野の専門家に委ねざるを得ません。
しかし、その専門家が今のままでは・・・日本は
この日本は精神的な内部からも崩壊するリスクがあると思わざるを得ません。
誰しもが自分の立場を離れて、しかし当事者として予見やタブーなき議論を進めなければ、
弱者としてのホモサピエンス日本人は自然や世界のなかで自滅します。
戦後から現代にいたって日本中にまん延している心理傾向が、
ある特徴的な話し方に非常にはっきりと表れている。
知識の府である東大にその話法がもっともよく見受けられる為に、
筆者はそれを東大話法と呼ぶ。
欺瞞的、恫喝的なその話法が、いかに日本人をだまし、思考を混乱させ、
行動を誤らせているかがよくわかる。
それはさておき、内容についての感想は、少し手厳しいかもしれません。
まず、引用文と本文の区別があまりはっきりせずに読みづらいです。途中から読み出すと何がなんだか・・・
問題提起引用が細かく専門書なのか、一般書なのかわからない書き方です。
「東大話法」といわれなくとも、「ただちに影響はない」「甲状腺ガンは被ばくの影響と考えにくい」などは
言われなくとも「ごまかしてる」とわかるので、そこを分析されても、いまいちピンときません。
ようするに「東大に限らず日本人は日常けっこうゴマカシ言葉を使ってるじゃん」ということがわかった。
東大生は、頭の回転が速いので、市民を騙すミッションが使命(100点の回答案)なら、言葉を駆使して実行できる。
東大生は人としての良心を無視してでも、立場の上の人から「問題」を出されれば100点を取り、「すごいね」とほめられたいだけの生物が多いのだとわかりまね。
安富さんは京大→東大教授のエリート。やはり育った環境が狭く、その思想は自らの体験から分析したオリジナルな思想でなく、「各、経済、思想、哲学」 の文献をもとに分析して回答を得たものなので、経済学で言えば「経済学者」ではなく「経済学学者」と呼ばれる存在なのだと感じました。
最近、私の疑問に1つの答えを与えてくれるような行動が各地・各所からわきあがってきました。「大飯原発再稼働反対デモ」やネットにおける「大津いじめ事件」での盛り上がり等、既存の行政や制度に依存しない「私情」の発散が各所で見られるようになりました。国政や地方行政に対して限界や齟齬を多くの人が感じているのだと思います。閉塞感とも異なるこれらの想いを受け止めるのは少なくとも「東大話法」を操る人ではありません。
事象の大部分を「経済的視点」から判断しようとするクセのついてしまった人間は、一見賢そうに見えるので、行政の世界では重宝されます。しかし賢そうに見えるだけで、事の本質を見抜けない小狡いだけの人物であるように思います。彼らの言説の特徴を安冨先生は具体的なケースをピックアップして紹介していますが、どのケースも「これが人の言葉か」と思わせるほど絶望的なのです(俎上に乗せやすい人物を選定している)。もし社会が彼らの言説に依存するようならば、原発事故は何回も起きるだろうと思います。
普通は仮定から結論を導くものですが、最初に結論ありきの風潮を正さなければならないと思います。議論のすり替えや専門的言説の悪用等どのような論法が仕組まれているのか慎重に読み解いていくリテラシーが正しい行動に結びつくと感じました。